(Translated by https://www.hiragana.jp/)
海賊男 - Wikipedia コンテンツにスキップ

海賊かいぞくおとこ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
マサ斎藤さいとう追悼ついとう興行こうぎょう展示てんじされた海賊かいぞくおとこのホッケーマスク

海賊かいぞくおとこ(かいぞくおとこ)は、1987ねんから1988ねんにかけてしん日本にっぽんプロレス登場とうじょうした、アイスホッケーのマスクをこうむ海賊かいぞく衣装いしょうをまとった覆面ふくめんレスラー通称つうしょうである。

概要がいよう

[編集へんしゅう]

1987ねん初頭しょとう当時とうじアメリカ遠征えんせいちゅうだった武藤むとうたかしが、フロリダしゅうタンパ会場かいじょうにて、ホッケーマスクをこうむったなぞ人物じんぶつ襲撃しゅうげきされるという事件じけん発生はっせいした。このいちけんは、当時とうじのテレビ中継ちゅうけいワールドプロレスリング』においても、襲撃しゅうげき模様もようおさめた写真しゃしんとともにつたえられた。映画えいがなどに登場とうじょうする海賊かいぞくおもわせる衣装いしょうから、この人物じんぶつ関係かんけいしゃやファンから「海賊かいぞくおとこ」もしくは「(カリブ海賊かいぞく亡霊ぼうれい」と呼称こしょうされた。

そのしん日本にっぽんプロレス事務所じむしょ海賊かいぞくビリー・ガスパーBilly Gaspar)としょうする人物じんぶつから日本にっぽん襲撃しゅうげきするとの内容ないよう文書ぶんしょとどく。以降いこう海賊かいぞくおとこ矛先ほこさき武藤むとうからアントニオ猪木いのきへとわった(フロリダで武藤むとうおそった人物じんぶつ正体しょうたい猪木いのき本人ほんにんとされる)。

1987ねん3がつ26にち大阪城おおさかじょうホール開催かいさいされた『INOKI闘魂とうこんLIVE』では、メインイベントの猪木いのきvsマサ斎藤さいとうせん乱入らんにゅう斎藤さいとう手錠てじょうをかけてったことが原因げんいん観客かんきゃく暴動ぼうどうきている(このときの正体しょうたいブラック・キャット[1]。この暴動ぼうどう事件じけんのほとぼりがめてからも、海賊かいぞくおとこ散発さんぱつてきしん日本にっぽんのリングに登場とうじょうしたが、その正体しょうたい当時とうじしん日本にっぽん若手わかて中堅ちゅうけんレスラーであり、越中えっちゅうろう小林こばやし邦昭くにあきちょう正洋まさひろ[2]木村きむら健悟けんごはせひろしなどもわりでえんじていたとされる。

その1988ねん2がつ本物ほんもののビリー・ガスパーが、2メートルをえるきょじんガリー・ガスパーGully Gaspar)なるだい2の海賊かいぞくおとこ帯同たいどうして登場とうじょう[3]海賊かいぞくガスパーズ結成けっせいされ、同年どうねん5がつにはガリーにわるビリーのしんパートナーとして、バリー・ガスパーBarry Gaspar)なるだい3の海賊かいぞくおとこ登場とうじょうした[3]

正体しょうたいは、ビリー・ガスパーはボブ・オートン・ジュニア、ガリー・ガスパーはタイラー・メイン(スカイウォーカー・ナイトロン、ビッグ・スカイ)、バリー・ガスパーはカール・モファット(ザ・ジャッカル、ジェイソン・ザ・テリブル)[3]

しかし、このアングル暴動ぼうどう影響えいきょうもあって不人気ふにんきのまま短期間たんきかん終了しゅうりょうすることとなり、同年どうねん8がつ開幕かいまくの『'88戦国せんごくシリーズ』をもってガスパーズは解散かいさん首領しゅりょうかくのビリー・ガスパーをえんじていたオートン・ジュニアも素顔すがおもどり、11月開幕かいまくの『'88ジャパン・カップ・シリーズ』に何事なにごともなかったかのようにさい来日らいにちしている[4]

その1996ねんザ・ガスパー名乗なの挑戦ちょうせんじょう突如とつじょみ、猪木いのきはそれをけて当初とうしょ出場しゅつじょう予定よていのなかった『INOKI FESTIVAL in 代々木よよぎ』(同年どうねん12がつ1にち 国立こくりつ代々木よよぎ競技きょうぎじょうだい体育館たいいくかん)で一騎打いっきうちをおこなう。猪木いのき海賊かいぞくおとこおなじホッケーマスクで入場にゅうじょうし、試合しあいは4ふん58びょう快勝かいしょうした。

さらに2016ねん11月、このとし12がつ2にちにマサ斎藤さいとう応援おうえん興行こうぎょう『STRONG STYLE HISTORY~Go for Broke!! Forever~』に登場とうじょう予定よていだった斎藤さいとうたいして「今回こんかい、ガスパー一族いちぞく代表だいひょうし、もう一度いちど、おまえまえ姿すがたあらわす」と、ガスパーX名乗なの人物じんぶつから予告よこく東京とうきょうスポーツ紙上しじょう報道ほうどうされた。どう大会たいかいぜん試合しあい終了しゅうりょう挨拶あいさつをする斎藤さいとうまえ海賊かいぞくおとこ乱入らんにゅう[5]パーキンソンびょうおかされており介助かいじょなしではがれない斎藤さいとう強襲きょうしゅうなん転倒てんとうさせたが、斎藤さいとう観客かんきゃく応援おうえんにより自力じりきがり、パンチとストンピングをはなつサプライズをせた。海賊かいぞくおとこ直後ちょくごにホッケーマスクをぎ、武藤むとうたかしであることをかした[5]

逸話いつわ

[編集へんしゅう]

ミスター高橋たかはし後日ごじつあきらかにしたところによれば、前述ぜんじゅつの1987ねん3がつ暴動ぼうどう原因げんいんとなった乱入らんにゅうについては、本来ほんらいならば猪木いのきにのみ手錠てじょうをかけてロープに拘束こうそくしたうえで、マサ斎藤さいとうとともに猪木いのき襲撃しゅうげきするというアングルであったが、この時点じてんでの海賊かいぞくおとこ正体しょうたいであったブラック・キャットにうまく意図いとつたわらず、あやまって斎藤さいとう手錠てじょうをかけてしまったことで当初とうしょのアングルがくずれて混乱こんらんしょうじたとしている[6]海賊かいぞくおとこ試合しあい妨害ぼうがいされる格好かっこうになった斎藤さいとう後日ごじつ前述ぜんじゅつした「ワールドプロレスリング」をリニューアルした「ギブUPまでてない!!ワールドプロレスリング」のだい1かい収録しゅうろくしていたスタジオにおもむく。そのでマイクをうばった斎藤さいとうは、持参じさんした手錠てじょうをちらつかせながら、おとこおとこ勝負しょうぶのぞみながらも“邪魔じゃま”がはいったことを「くやしい、かなしい」とし、猪木いのきとの再戦さいせんうったえる。そのうえでちかくにいたなぎら健壱けんいち手首てくびに、突如とつじょ手錠てじょうをかけ「こんなんで(手錠てじょうをかけられて)試合しあい出来できるか」とドスのいたこえでいいはなち、そのってった。

猪木いのき斎藤さいとうとの遺恨いこんつづくなか、同年どうねん6がつ9にち大阪おおさか府立ふりつ体育たいいく会館かいかんでは、この両者りょうしゃのタッグ対決たいけつおこなわれたが、高田たかだのべともなった猪木いのきたいし、斎藤さいとう自身じしん選手せんしゅをずっとせてきた。そして当日とうじつ試合しあい直前ちょくぜん斎藤さいとうがコンビを選手せんしゅとしてれてたのは、まさに海賊かいぞくおとこ風体ふうたいをしたレスラーだった。上記じょうき海賊かいぞくガスパーズからすれば“偽者にせもの”にたるかたちとなるが、リングアナウンサーの田中たなか秀和ひでかずはアドリブで、このときあらわれた海賊かいぞくおとこを「ミスター・パートナー(Mr.パートナー)」と紹介しょうかいした。

そのふかまっていった猪木いのき斎藤さいとうとの因縁いんねんは、「巌流島がんりゅうじま決闘けっとう」へと到達とうたつすることになった。

時代じだい背景はいけい

[編集へんしゅう]

1980年代ねんだい初頭しょとう異種いしゅ格闘技かくとうぎせんによる猪木いのき人気にんきタイガーマスク活躍かつやくとうで、しん日本にっぽんプロレス黄金おうごんむかえ、テレビ中継ちゅうけいキラーコンテンツとしての地位ちい確立かくりつしていた。

しかしタイガーマスクの引退いんたい維新いしん軍団ぐんだん離脱りだつなどのアクシデントが相次あいつぎ、80年代ねんだいなかばにはおおきく視聴しちょうりつとしていた。

これにたいしてマシーン軍団ぐんだん結成けっせいブルーザー・ブロディ全日本ぜんにほんプロレスからのとうのてこれをおこなった。これらは一時いちじてきカンフルざいになったものの長期ちょうきてき人気にんき下降かこう傾向けいこう歯止はどめをかけることはできなかった。

1986ねん下期しもきになると、テレビ中継ちゅうけい番組ばんぐみ「ワールドプロレスリング」は、金曜きんよう20から月曜げつよう20放送ほうそう時間じかん移動いどうゴールデンタイムからの撤退てったいささやかれるようになった。

そこであらたなテコ入てこいさくとしてまれたアングルが、「海賊かいぞくおとこ」であった。発案はつあん猪木いのき自身じしんであり、フロリダ遠征えんせいにカーニバルで目撃もくげきした海賊かいぞくのキャラクターに触発しょくはつされたという[1]

しん日本にっぽんプロレスは、海賊かいぞくおとこ失敗しっぱいも「たけしプロレス軍団ぐんだん」などあらたなテコ入てこいさくをするもののこうそうすることなくゴールデンタイムから撤退てったいすることとなる。

参考さんこう書籍しょせき

[編集へんしゅう]

流血りゅうけつ魔術まじゅつ 最強さいきょう演技えんぎ―すべてのプロレスはショーである  ミスター高橋たかはし 講談社こうだんしゃプラスアルファ文庫ぶんこ 2003ねん

脚注きゃくちゅう

[編集へんしゅう]
  1. ^ a b しん日本にっぽんプロレス伝説でんせつ完全かんぜん解明かいめい」 : P56-65(2009ねん宝島社たからじましゃISBN 4796670491
  2. ^ 流血りゅうけつ魔術まじゅつ 最強さいきょう演技えんぎ―すべてのプロレスはショーである:P88(2001ねん講談社こうだんしゃISBN 406211075X)。
  3. ^ a b c しん日本にっぽんプロレス 来日らいにち外国がいこくじん選手せんしゅ PERFECTカタログ : P44(2002ねん日本にっぽんスポーツ出版しゅっぱんしゃ
  4. ^ NJPW 1988 Japan Cup Series”. Puroresu.com. 2023ねん11月25にち閲覧えつらん
  5. ^ a b マサ斎藤さいとうがリング“復帰ふっき海賊かいぞくおとこにパンチ一閃いっせん東京とうきょうスポーツ新聞しんぶんしゃ”. ひがしスポWeb – 東京とうきょうスポーツ新聞しんぶんしゃ (2016ねん12月3にち). 2020ねん9がつ13にち閲覧えつらん
  6. ^ 別冊べっさつ宝島たからじましん日本にっぽんプロレス10だい事件じけん真相しんそう』P80-P81より。

関連かんれん項目こうもく

[編集へんしゅう]