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海野うみのきよし

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海野うみの きよし(うんの きよし、1884ねん11月8にち - 1956ねん7がつ10日とおか)は、工芸こうげい彫金ちょうきん[1]日本にっぽん芸術げいじゅついん会員かいいん[1][注釈ちゅうしゃく 1]人間にんげん国宝こくほう[2]

全日本ぜんにほん工芸こうげい美術家びじゅつか協会きょうかい会長かいちょう日本にっぽん彫金ちょうきんかい会長かいちょう日本にっぽん美術びじゅつ刀剣とうけんかい常任じょうにん審査しんさいんなどを兼任けんにんし、彫金ちょうきんかい長老ちょうろうとして長年ながねんわた要職ようしょくつとめた[1]

来歴らいれき

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海野うみのまさる三男さんなんとして東京とうきょうまれる[1]1911ねん明治めいじ44ねん)、東京とうきょう美術びじゅつ学校がっこう金工きんこうそつ[1][注釈ちゅうしゃく 2]ちち[2]および加納かのう夏雄なつお[3]師事しじ1919ねん大正たいしょう8ねん母校ぼこう東京とうきょう美術びじゅつ学校がっこう助教授じょきょうじゅ1928ねん昭和しょうわ3ねん)、みかどてん特選とくせん、1929ねん昭和しょうわ4ねん)からみかどてんしん文展ぶんてん審査しんさいんつとめる[1]

1932ねん昭和しょうわ7ねん母校ぼこう教授きょうじゅ就任しゅうにん、のち同校どうこう在外ざいがい研究けんきゅういんとしてフランス留学りゅうがくし1934ねん昭和しょうわ9ねん)、帰国きこく1943ねん昭和しょうわ18ねん)、くんさんとう瑞宝章ずいほうしょう受章じゅしょう[1]

1947ねん昭和しょうわ22ねん)、帝国ていこく芸術げいじゅついん同年どうねん日本にっぽん芸術げいじゅついん会員かいいん、1949ねん昭和しょうわ24ねん)、東京芸術大学とうきょうげいじゅつだいがく教授きょうじゅ日展にってん運営うんえいかい常任じょうにん理事りじ、1955ねん昭和しょうわ30ねん)、重要じゅうよう無形むけい文化財ぶんかざい保持ほじしゃ人間にんげん国宝こくほう)に認定にんてい[1]

1956ねん昭和しょうわ31ねん7がつ10日とおか東大とうだい病院びょういん死去しきょ[1]。71さいぼつ[1]

脚注きゃくちゅう

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脚注きゃくちゅう
  1. ^ 文化財ぶんかざい専門せんもん審議しんぎかい専門せんもん委員いいん[1]
  2. ^ ちちかち珉が金工きんこう教授きょうじゅだった[2]
出典しゅってん
  1. ^ a b c d e f g h i j k 東京とうきょう文化財ぶんかざい研究所けんきゅうじょかん日本にっぽん美術びじゅつ年鑑ねんかん」より:「海野うみのきよし」(2021ねん12月10にち)、2022ねん5がつ3にち閲覧えつらん
  2. ^ a b c "海野うみのきよし". 小学館しょうがくかん 日本にっぽんだい百科全書ひゃっかぜんしょ ニッポニカ. コトバンクより2022ねん5がつ3にち閲覧えつらん
  3. ^ "海野うみのきよし うんの-きよし". 講談社こうだんしゃ デジタルばん日本人にっぽんじんめいだい辞典じてん. コトバンクより2022ねん5がつ3にち閲覧えつらん

外部がいぶリンク

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