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深瀬ふかせ昌久まさひさ

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深瀬ふかせ 昌久まさひさ(ふかせ まさひさ、本名ほんみょうよしひさ1934ねん2がつ25にち - 2012ねん6月9にち)は、日本にっぽん写真しゃしん北海道ほっかいどう中川なかがわぐん美深びふかまちまれ[1][2]写真しゃしん表現ひょうげんとおして「わたしせい」と「遊戯ゆうぎ」を追求ついきゅうした写真しゃしんとしてられる[3]

人物じんぶつ[編集へんしゅう]

1908ねん祖父そふいさおこう美深びふかまち創設そうせつした深瀬ふかせ写真しゃしんかん長男ちょうなんとして誕生たんじょうしたため、3代目だいめ跡継あとつぎとして期待きたいされた[3]。6さいになるとプリント水洗すいせん仕事しごと手伝てつだわされ、そとあそびにいきたい気持きもちをじっと我慢がまんしながら従事じゅうじしたという。深瀬ふかせはのちに「わたし写真しゃしんへの怨恨えんこんはたぶんこのころ芽生めばえたものであろう」としるすほどであった[4]日本にっぽん大学だいがく芸術げいじゅつ学部がくぶ写真しゃしん学科がっか入学にゅうがくするために上京じょうきょうし、その東京とうきょう広告こうこく会社かいしゃであるだいいち宣伝せんでんしゃ就職しゅうしょく[1]。これをきっかけに写真しゃしんとしてのみちあゆむこととなり、深瀬ふかせ写真しゃしんかんのちおとうとりょうあきらぐことになる[3][5]。このときのことを深瀬ふかせみずから「写真しゃしん写真しゃしん岐路きろになった」とかえったように[6]、そののキャリアは写真しゃしんかん経営けいえいする写真しゃしん技師ぎしではなく写真しゃしん表現ひょうげん主体しゅたいとする写真しゃしん目指めざすものとなっていった。

1964ねん日本にっぽんデザインセンター転職てんしょく前年ぜんねん出会であったわに洋子ようこ結婚けっこん。1967ねん日本にっぽんデザインセンターから河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ転職てんしょくし、写真しゃしん部長ぶちょう就任しゅうにん。しかしすぐに会社かいしゃ倒産とうさんしたことをきっかけに、1968ねんにフリーランスへと転身てんしんした[1][5]以降いこう写真しゃしん作家さっかとしてカメラ雑誌ざっし中心ちゅうしんとした雑誌ざっし媒体ばいたい精力せいりょくてき作品さくひん発表はっぴょうしていった。

深瀬ふかせ自分じぶん自身じしん家族かぞくやカラス、ねこといった題材だいざいつうじて「わたしせい」と「遊戯ゆうぎ」を追求ついきゅうした写真しゃしんであり、代表だいひょうさくからす』(蒼穹そうきゅうしゃ、1986ねん)は発刊はっかんから30ねん以上いじょう現在げんざいたか評価ひょうかている。しかし1992ねん転落てんらく事故じこ原因げんいんとなり作家さっか活動かつどう途絶とだえ、以降いこうながらく作品さくひん公表こうひょうされない不運ふうん作家さっかとして位置いちづけられてきた。

2014ねんトモ・コスガにより深瀬ふかせ昌久まさひさアーカイブスが設立せつりつ回顧かいこてん開催かいさい写真しゃしんしゅう復刊ふっかん相次あいつぎ、ながらくベールにつつまれていた作品さくひんぐん全貌ぜんぼうあきらかにされた。2018ねん深瀬ふかせ作家さっか活動かつどう40ねん編纂へんさんされた写真しゃしんしゅう『MASAHISA FUKASE』が刊行かんこう[7]。また2020ねんには深瀬ふかせ師事しじした写真しゃしんである瀬戸せと正人まさとによる伝記でんき・エッセイしゅう深瀬ふかせ昌久まさひさでん』が刊行かんこうされた[8]

略歴りゃくれき[編集へんしゅう]

  • 1934ねん - 2がつ25にち深瀬ふかせ写真しゃしんかん代目だいめであるちち深瀬ふかせすけづくりはは・みつゑの長男ちょうなんとしてまれる。
  • 1940ねん - 尋常じんじょう小学校しょうがっこう国民こくみん学校がっこう初等しょとう)に入学にゅうがく
  • 1947ねん - 北海道ほっかいどうりつ名寄なよせ中学校ちゅうがっこう入学にゅうがく
  • 1948ねん - 学制がくせい改革かいかくにより、北海道ほっかいどうりつ名寄なよせ中学校ちゅうがっこう北海道ほっかいどうりつ名寄なよせ高等こうとう学校がっこう改称かいしょう深瀬ふかせ高校こうこう写真しゃしん創設そうせつ写真しゃしん雑誌ざっし熱狂ねっきょうてき愛読あいどくしゃとなる。
  • 1952ねん - 上京じょうきょうし、日本にっぽん大学だいがく芸術げいじゅつ学部がくぶ写真しゃしん学科がっか入学にゅうがく
  • 1956ねん - だいいち宣伝せんでんしゃ入社にゅうしゃ広告こうこく写真しゃしんる。
  • 1960ねん - はつ個展こてん製油せいゆしょそら」(小西こにしろくギャラリー)を開催かいさい。『コマーシャルフォト』の編集へんしゅうしゃであった玉田たまだ顕一郎けんいちろうにとまり、写真しゃしん評論ひょうろん吉村よしむら伸哉のぶや紹介しょうかいされる。
  • 1961ねん - 個展こてんぶたころせ!」(銀座ぎんざ画廊がろう)を開催かいさい
  • 1963ねん - 「あさがくる」を『カメラ毎日まいにち』に発表はっぴょう
  • 1964ねん - 日本にっぽん大学だいがくの1ねん後輩こうはい高梨たかなしゆたかさそわれ、日本にっぽんデザインセンター転職てんしょくわに洋子ようこ結婚けっこん
  • 1967ねん - 河出かわで書房しょぼうしんしゃ写真しゃしん部長ぶちょう就任しゅうにん
  • 1968ねん - 河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ倒産とうさん退社たいしゃしフリーランスとなる。
  • 1971ねん - 写真しゃしんしゅう遊戯ゆうぎ』(中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ刊行かんこう故郷こきょう北海道ほっかいどう帰郷ききょうし、深瀬ふかせ写真しゃしんかん家族かぞく記念きねん写真しゃしんうつす。(のちに「家族かぞく」としてまとめる)
  • 1974ねん - 荒木あらきけいおもんみひがしまつ照明しょうめい細江ほそええいこう横須賀よこすかこうこう森山もりやま大道だいどうとともに「ワークショップ写真しゃしん学校がっこう」を開講かいこう(-1976ねん)。
  • 1974ねん - ニューヨーク近代きんだい美術館びじゅつかん「NJPてん」、東京とうきょう国立こくりつ近代きんだい美術館びじゅつかん「15にん写真しゃしんてん」に参加さんか
  • 1976ねん - 洋子ようこ離婚りこん代表だいひょうさくがらす」の撮影さつえい開始かいしする。写真しゃしんてんがらす」(銀座ぎんざニコンサロン、10月。新宿しんじゅくニコンサロン、大阪おおさかニコンサロンに巡回じゅんかい開催かいさい石川いしかわ佳世子かよこ再婚さいこん
  • 1977ねん - 仔猫こねこゆずけ、サスケとづける。前年ぜんねん開催かいさい写真しゃしんてんがらす」でだいかい伊奈いな信男のぶおしょう受賞じゅしょう
  • 1978ねん - 写真しゃしんてん洋子ようこ」(新宿しんじゅくニコンサロン、2がつ銀座ぎんざニコンサロンに巡回じゅんかい開催かいさい写真しゃしんしゅう洋子ようこ」(朝日あさひソノラマ刊行かんこう。1年間ねんかん撮影さつえいつづけたサスケの写真しゃしん写真しゃしんしゅう「ビバ! サスケ」(ペットライフしゃ)、「サスケ!! いとしきねこよ」(青年せいねんしょかん)を刊行かんこう
  • 1979ねん - 1さいぎて活発かっぱつではなくなったサスケのカンフルざいとしてまたもや仔猫こねこゆずけ、モモエとづける。2ひき撮影さつえいした写真しゃしん写真しゃしんしゅうねこむぎわら帽子ぼうし」(文化出版局ぶんかしゅっぱんきょく)を刊行かんこう写真しゃしんてんからす 1979」(銀座ぎんざニコンサロン、5がつ新宿しんじゅくニコンサロンと大阪おおさかニコンサロンに巡回じゅんかい開催かいさい山岸やまぎしあきら死去しきょ
  • 1981ねん - 写真しゃしんてんがらす 東京とうきょうへん」(銀座ぎんざニコンサロン、6-7がつ大阪おおさかニコンサロンに巡回じゅんかい開催かいさい
  • 1983ねん - かつてらした松原団地まつばらだんち中心ちゅうしんに、30ねんのあいだでうつんできた14かしょおとずれて撮影さつえいした「ある」(『日本にっぽんカメラ』10〜12月ごう発表はっぴょう写真しゃしんてんある〈1〉」(銀座ぎんざニコンサロン)、「ある〈2〉」(新宿しんじゅくニコンサロン)を同時どうじ開催かいさいちょう大型おおがたポラロイドカメラで作品さくひん制作せいさく、「遊戯ゆうぎ」(『カメラ毎日まいにち』1983ねん12がつごう)として発表はっぴょう
  • 1985ねん - 10ねんぶりに深瀬ふかせ写真しゃしんかんで「家族かぞく」を制作せいさく再開さいかい以降いこう1989ねんまで撮影さつえいつづける。
  • 1986ねん - 写真しゃしんしゅうからす』(蒼穹そうきゅうしゃ刊行かんこう
  • 1987ねん - 1がつちちじょみやつこ死去しきょ享年きょうねん74。
  • 1988ねん - 「ちち記憶きおく」(銀座ぎんざニコンサロン、3〜4がつ)を開催かいさい
  • 1989ねん - 深瀬ふかせ写真しゃしんかん廃業はいぎょうとなる。ははみつえは特別とくべつ養護ようご老人ろうじんホームに入居にゅうきょおとうと夫妻ふさい離婚りこんいもうと夫妻ふさい札幌さっぽろうつり、事実じじつじょう一家いっか四散しさんとなる。
  • 1990ねん - 個展こてんわたしけい たび便たより」(銀座ぎんざニコンサロン、11〜12月。大阪おおさかニコンサロンに巡回じゅんかい)を開催かいさい
  • 1991ねん - 写真しゃしんしゅうちち記憶きおく」「家族かぞく」(ともにIPC)刊行かんこう
  • 1992ねん - 石川いしかわ佳世子かよこ離婚りこん写真しゃしんてんわたしけい'92」(銀座ぎんざニコンサロン、2〜3がつ開催かいさい6がつ20日はつか深夜しんや新宿しんじゅくゴールデンがいにある「南海なんかい」の階段かいだんから泥酔でいすいして転落てんらくのう挫傷ざしょうのため重度じゅうど障害しょうがいう。以降いこう特別とくべつ養護ようご老人ろうじんホームで介護かいごけながらごす。二度にどとカメラをにすることはなかった。
  • 2012ねん - 6月9にち脳出血のうしゅっけつ死去しきょ享年きょうねん78[9]

受賞じゅしょうれき[編集へんしゅう]

写真しゃしんしゅう[編集へんしゅう]

  • 遊戯ゆうぎ中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ、1971ねん
  • 洋子ようこ朝日あさひソノラマ、1978ねん
  • 『ビバ! サスケ』ペットライフしゃ、1978ねん
  • 『サスケ、いとしきねこよ』青年せいねんしょかん、1979ねん
  • ねこむぎわら帽子ぼうし文化出版局ぶんかしゅっぱんきょく、1979ねん
  • からす蒼穹そうきゅうしゃ、1986ねん
  • ちち記憶きおくIPC、1991ねん
  • 家族かぞく』IPC、1991ねん
  • 『The Solitude of Ravens』Bedford Arts、1991ねん(『からす英語えいごばん
  • 日本にっぽん写真しゃしん34 深瀬ふかせ昌久まさひさ岩波書店いわなみしょてん、1998ねん
  • 『BUKUBUKU』hysteric glamour、2004ねん
  • 『hysteric twelve ある』hysteric glamour、2004ねん
  • からす Solitude of Ravens』RAT HOLE、2008ねん
  • ほふ Slaughter』SUPER LABO、2015ねん
  • 『Wonderful Days』roshin books、2015ねん
  • 『Hibi』MACK、2016ねん
  • 『Afterwords』roshin books、2016ねん
  • 『Ravens』MACK、2017ねん
  • 『Masahisa Fukase』Éditions Xavier Barral(英語えいごばんフランス語ふらんすごばん赤々あかあかしゃ日本語にほんごばん)、2018ねん
  • 『Family』MACK、2019ねん
  • 『サスケ』赤々あかあかしゃ、2021ねん
  • 『KILL THE PIG』The (M)éditions、2021ねん

対談たいだんしゅう評論ひょうろん[編集へんしゅう]

「アッジェと愛犬あいけんベレニス」
人生じんせいコースをえたパールⅡがた 深瀬ふかせ昌久まさひさ
  • 日本にっぽん聖域せいいき (2)』佼成出版社こうせいしゅっぱんしゃ、1982ねん6がつ日野西ひのにしじょうとの共著きょうちょ
  • 長谷川はせがわあきら写真しゃしん 戦後せんご日本にっぽん写真しゃしん表現ひょうげんあおゆみしゃ、1995ねん
評論ひょうろん深瀬ふかせ昌久まさひさ洋子ようこ』――わたし風景ふうけい彼方かなたに」
批評ひひょう深瀬ふかせ昌久まさひさちち記憶きおく』」
「わからない写真しゃしんおおいにかたる」荒木あらきけいおもんみ×森山もりやま大道だいどう×深瀬ふかせ昌久まさひさ
森山もりやま大道だいどう深瀬ふかせ昌久まさひさへの77の質問しつもん
深瀬ふかせ昌久まさひさわたし”というやまい
写真しゃしん殉教者じゅんきょうしゃ深瀬ふかせ昌久まさひさ
  • 飯沢いいざわこう太郎たろう瀬戸せと正人まさと追悼ついとう 深瀬ふかせ昌久まさひさわたし」とはなにか?』
アサヒカメラ2012ねん8がつごう
深瀬ふかせ昌久まさひさとの対話たいわ
  • トモ・コスガ「〝わたし〟とじゃれた写真しゃしん深瀬ふかせ昌久まさひさ
日本にっぽんカメラ2015ねん6がつごう
  • 瀬戸せと正人まさと深瀬ふかせ昌久まさひさでん日本にっぽんカメラしゃ、2020ねん

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ a b c トモ・コスガ編著へんちょ サイモン・ベーカーじょ 『MASAHISA FUKASE』 赤々あかあかしゃ、2018ねん、p.408。
  2. ^ 瀬戸せと正人まさと深瀬ふかせ昌久まさひさでん日本にっぽんカメラしゃ、2020ねん、p.202。
  3. ^ a b c トモ・コスガ編著へんちょ サイモン・ベーカーじょ 『MASAHISA FUKASE』 赤々あかあかしゃ、2018ねん、p.11。
  4. ^ トモ・コスガ編著へんちょ サイモン・ベーカーじょ 『MASAHISA FUKASE』 赤々あかあかしゃ、2018ねん、p.16。
  5. ^ a b 瀬戸せと正人まさと深瀬ふかせ昌久まさひさでん日本にっぽんカメラしゃ、2020ねん、p.203。
  6. ^ トモ・コスガ編著へんちょ サイモン・ベーカーじょ 『MASAHISA FUKASE』 赤々あかあかしゃ、2018ねん、p.32。
  7. ^ MASAHISA FUKASE - AKAAKA
  8. ^ 孤高ここう写真しゃしんごした日々ひびをおたから写真しゃしんともつづった貴重きちょうな1さつ深瀬ふかせ昌久まさひさでん』 | CAPA CAMERA WEB CAPA CAMERA WEB 2021ねん2がつ24にち
  9. ^ “「洋子ようこ」「からす」の写真しゃしん深瀬ふかせ昌久まさひささん逝去せいきょ. アサヒカメラ.net. (2012ねん6がつ13にち). http://www.asahicamera.net/info/photographnews/detail.php?idx=253 2013ねん2がつ13にち閲覧えつらん 

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]