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清水しみず正雄まさお

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
清水しみず 正雄まさお
生誕せいたん 1887ねん12月20にち
日本の旗 日本にっぽん 和歌山わかやまけん
死没しぼつ (1947-03-30) 1947ねん3月30にち(59さいぼつ
所属しょぞく組織そしき  大日本帝国だいにっぽんていこく陸軍りくぐん
ぐんれき 1909ねん - 1945ねん
最終さいしゅう階級かいきゅう 陸軍りくぐん少将しょうしょう
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清水しみず 正雄まさお(しみず まさお、1887ねん明治めいじ20ねん12月20にち[1] - 1947ねん昭和しょうわ22ねん3月30にち[1])は、大日本帝国だいにっぽんていこく陸軍りくぐん軍人ぐんじん最終さいしゅう階級かいきゅう陸軍りくぐん少将しょうしょう

経歴けいれき

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1887ねん明治めいじ20ねん)に和歌山わかやまけんまれた[1]陸軍りくぐん士官しかん学校がっこうだい21卒業そつぎょう[1]1937ねん昭和しょうわ12ねん3月31にち歩兵ほへいだい3連隊れんたい留守るす隊長たいちょう就任しゅうにん[2]8がつ2にち陸軍りくぐん歩兵ほへい大佐たいさ進級しんきゅう[2]1939ねん昭和しょうわ14ねん)5がつ歩兵ほへいだい103連隊れんたいちょうだい11ぐんだい101師団しだん)にてん[2]にちちゅう戦争せんそう出動しゅつどう[1]、贛浙作戦さくせん参加さんかした[1]1940ねん昭和しょうわ15ねん)2がつ福知山ふくちやま連隊れんたい司令しれいかんてんじた[2]

1942ねん昭和しょうわ17ねん8がつ1にち陸軍りくぐん少将しょうしょう進級しんきゅう[2]独立どくりつ混成こんせいだい14旅団りょだんもと編成へんせいされただい68師団しだん隷下れいか歩兵ほへいだい57旅団りょだんちょう着任ちゃくにん[1]きゅう付近ふきん守備しゅびいた[1]1944ねん昭和しょうわ19ねん3がつ10日とおかだい7師団しだん兵務へいむ部長ぶちょうてん[3]3月18にち留守るすだい7師団しだん兵務へいむ部長ぶちょう[4]4がつ1にちだい77師団しだん兵務へいむ部長ぶちょう[1]7がつ8にち留守るすだい7師団しだん兵務へいむ部長ぶちょう歴任れきにんした[1]1945ねん昭和しょうわ20ねん3月31にち旭川あさひかわ連隊れんたい司令しれいかんけん旭川あさひかわ地区ちく司令しれいかん就任しゅうにんした[5]

1947ねん昭和しょうわ22ねん)11月28にち公職こうしょく追放ついほうかり指定していけた[6]

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ a b c d e f g h i j 福川ふくかわ 2001, 376ぺーじ.
  2. ^ a b c d e 外山とやま 1981, 271ぺーじ.
  3. ^ だい47ごう 昭和しょうわ19ねんがつ11にち 陸軍りくぐん異動いどう通報つうほう」 アジア歴史れきし資料しりょうセンター Ref.C12120904700 
  4. ^ だい52ごう 昭和しょうわ19ねんがつ18にち 陸軍りくぐん異動いどう通報つうほう」 アジア歴史れきし資料しりょうセンター Ref.C12120905200 
  5. ^ だい74ごう 昭和しょうわ20ねんがつ31にち 陸軍りくぐん異動いどう通報つうほう」 アジア歴史れきし資料しりょうセンター Ref.C12120937900 
  6. ^ 総理そうりちょう官房かんぼう監査かんさへん公職こうしょく追放ついほうかんする覚書おぼえがき該当がいとうしゃ名簿めいぼ日比谷ひびや政経せいけいかい、1949ねん、「昭和しょうわじゅうねんじゅういちがつじゅうはちにち かり指定していしゃ」138ぺーじ

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 福川ふくかわ秀樹ひでき 編著へんちょ日本にっぽん陸軍りくぐん将官しょうかん辞典じてん芙蓉ふよう書房しょぼう出版しゅっぱん、2001ねんISBN 4829502738 
  • 外山とやまみさお へん陸海りくかいぐん将官しょうかん人事じんじ総覧そうらん 陸軍りくぐんへん芙蓉ふよう書房しょぼう出版しゅっぱん、1981ねんISBN 4829500026