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渋沢しぶさわ市郎いちろうみぎ衛門えもん

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渋沢しぶさわ 市郎いちろうみぎ衛門えもん
時代じだい 江戸えど時代じだい後期こうき - 明治めいじ時代じだい
生誕せいたん 文化ぶんか6ねん1809ねん
死没しぼつ 明治めいじ4ねん11月22にち1872ねん1がつ2にち
改名かいめい 元助もとすけ市郎いちろうみぎ衛門えもん市郎いちろう
別名べつめい みやびいみな)、ばんこうがらすゆう
諡号しごう けいりん
戒名かいみょう ばんこういん藍田あいだあお於居
はん 岡部おかべはん
氏族しぞく 渋沢しぶさわ
父母ちちはは 渋沢しぶさわそうすけ高田たかだ
渋沢しぶさわただみぎ衛門えもん
兄弟きょうだい そうすけ文平ぶんぺい市郎いちろうみぎ衛門えもん男子だんし新島にいじまつま、やゑ(尾高おだか勝五郎かつごろうつま)、こま(福田ふくだ彦四郎ひこしろうつま)、高橋たかはしつま須永すながそう次郎じろうつま
つま えい(渋沢しぶさわゆいみぎ衛門えもんむすめ
なか、栄一えいいち貞子さだこ
市郎いちろう
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渋沢しぶさわ 市郎いちろうみぎ衛門えもん(しぶさわ いちろうえもん)は、江戸えど時代じだい後期こうき武蔵むさしこく榛沢はんざわぐん血洗島ちあらいじまむら豪農ごうのう商人しょうにん。「日本にっぽん資本しほん主義しゅぎちち渋沢しぶさわ栄一えいいちちち

略歴りゃくれき

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血洗島ちあらいじまむら有力ゆうりょく農民のうみんである渋沢しぶさわ分家ぶんけすじにあたる「ひがしいえ」の三男さんなんとしてまれる。もともとすけ当時とうじ本家ほんけすじの「なかいえ」に男子だんしがなかったため、婿養子むこようしとして家督かとくぎ、代々だいだいである市郎いちろうみぎ衛門えもん改名かいめいした。農家のうかとしては養蚕ようさんあいさくおこなった。学問がくもんとして四書ししょ五経ごきょうまなび、漢詩かんし俳諧はいかいしたしんだ[1]ほか、剣術けんじゅつ神道しんとう無念むねんりゅうくした。金井かないがらすしゅうとも親交しんこうがあったという。

家督かとく継承けいしょう当時とうじなかいえ経済けいざいてき衰退すいたいしていたが、市郎いちろうみぎ衛門えもんだいには殖産しょくさんつとめ、近隣きんりん農民のうみんをよく指導しどうしたため、実家じっかひがしいえぐまでにいえぜい回復かいふくし、縁戚えんせきである尾高おだかあね婚家こんかさかえいちつま実家じっか)に援助えんじょをするまでになった。また岡部おかべはんより苗字みょうじ帯刀たいとうみとめられて村役人むらやくにん名主なぬし見習みならい歴任れきにんした。

栄一えいいちちょうずるにしたがって、おい渋沢しぶさわ成一郎せいいちろう尾高おだかあつしただしらとともに尊王そんのう攘夷じょうい活動かつどう傾倒けいとうしていくのをよろこばず、しばしば自制じせいいた。しかし文久ぶんきゅう3ねん1863ねん栄一えいいちらが挙兵きょへい計画けいかくくわだてて江戸えどようとしたさいにも制止せいししたがれられず、のち計画けいかく不発ふはつして上方かみがた出奔しゅっぽんすることになったさいには勘当かんどうもうれられたが、これを退しりぞけてぎゃく資金しきん100りょうわたしている。しかし明治めいじ元年がんねん1868ねん)、栄一えいいちつかえていた徳川とくがわ慶喜よしのぶ朝敵ちょうてきとなったため、はんいのちけてやむを栄一えいいち除籍じょせきしている。

晩年ばんねんとなる明治維新めいじいしん、「みぎ衛門えもん」の官途かんと名乗なの禁制きんせいにより市郎いちろう改名かいめいした。実兄じっけいそうすけとともに古河ふるかわ市兵衛いちべえつうじて、当時とうじ過熱かねつしていた横浜よこはまでの蚕卵紙さんらんし輸出ゆしゅつはやくからはかっている。このことのち栄一えいいち蚕卵紙さんらんし暴落ぼうらく問題もんだい解決かいけつするたすけとなった。明治めいじ4ねん(1872ねん)11月に病気びょうきとなり、そのつきのうちに死去しきょした。享年きょうねん64。最後さいごまでさかえいち家督かとくがせることをのぞんだといわれるが、その死後しご栄一えいいちによってむすめ貞子さだこ婿むこに、須永すながそうろうとついだいもうとざいさんろうむかえられ、市郎いちろう襲名しゅうめい家督かとくいでいる。栄一えいいち晩年ばんねん市郎いちろうみぎ衛門えもん語録ごろくとして『ばんこうのこかおる』(ばんこういくん)が出版しゅっぱんされている[2]

逸話いつわ

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  • 栄一えいいちが15さいのころ、江戸えど栄一えいいち華美かびすずりってくると、常々つねづねいつけている質素しっそ倹約けんやくやぶるとは言語道断ごんごどうだんであると烈火れっかのごとくいかり、親族しんぞくらのなだめるこえにもみみそうとしなかった。後年こうねん栄一えいいち市郎いちろうみぎ衛門えもんがこれほどまでにみずからを譴責けんせきすることはなかったと回想かいそうし、奢侈しゃしがいずれほろぼすことをっていたのだとかたっている。
  • 維新いしんしん政府せいふよりてられた栄一えいいち栄達えいたつよろこび、栄一えいいちを「殿しんがり」、栄一えいいちつま千代ちよ市郎いちろうみぎ衛門えもんにとってはめいでもある)を「奥様おくさま」とぶようになった。千代ちよたまらず謙遜けんそんしたが、市郎いちろうみぎ衛門えもんは「さかえいち自身じしん才覚さいかく栄達えいたつしたのであり、その廷臣ていしんたいして軽々かるがるしくぶことはできない」とその呼称こしょうあらためなかったという。

登場とうじょう作品さくひん

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参考さんこう文献ぶんけん

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  • 渋沢しぶさわ栄一えいいち伝記でんき資料しりょうだい1かん岩波書店いわなみしょてん1944ねん
  • 渋沢しぶさわ栄一えいいち伝記でんき資料しりょうだい2かん渋沢しぶさわ栄一えいいち伝記でんき資料しりょう刊行かんこうかい1955ねん
  • 渋沢しぶさわ栄一えいいち伝記でんき資料しりょうだい3かん渋沢しぶさわ栄一えいいち伝記でんき資料しりょう刊行かんこうかい、1955ねん
  • 岩野いわの裕一ひろいち へん渋沢しぶさわ栄一えいいち検定けんてい公式こうしきテキスト』実業之日本社じつぎょうのにほんしゃ、2021ねん2がつ10日とおかISBN 978-4-408-53775-7 

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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出典しゅってん

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