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全能 ぜんのう 者 しゃ ハリストス(キリスト) のイコン (6世紀 せいき 、シナイ山 さん 、聖 せい カタリナ修道院 しゅうどういん
神人 しんじん (かみびと、しんじん、ギリシア語 ご : Θεάνθρωπος [1] , ロシア語 ご : Богочеловек [2] , ラテン語 らてんご : Deus Homo [3] , 英語 えいご : God-man もしくは Theandric[4] )は、キリスト教 きりすときょう におけるイエス・キリスト(イイスス・ハリストス) の呼 よ び名 な の一 ひと つ。イエス・キリストにおける両性 りょうせい (神性 しんせい と人性 じんせい )の位 い 格 かく 的 てき 結合 けつごう を示 しめ す[2] 。
正教会 せいきょうかい においては現在 げんざい も使 つか われている祈祷 きとう 書 しょ に登場 とうじょう する[5] [6] が、この場合 ばあい 「かみびと[7] [8] 」と読 よ まれる。日本 にっぽん 正教会 せいきょうかい の府 ふ 主教 しゅきょう セルギイ・チホミーロフ (1871 - 1945)によれば、イイスス・ハリストス(イエス・キリスト)が神人 しんじん となったことは、「神 かみ が人 ひと になった、そして人 ひと になっても神 かみ が神 かみ たる事 こと を失 うしな わない」と説明 せつめい され、
人 ひと が神 かみ に昇 のぼ る事 こと が出来 でき るように、神 かみ が人 ひと に降 ふ った
人 ひと が神 かみ と一 ひと つに合 あ わさることが出来 でき るように、神 かみ が人 ひと と一 ひと つになった
神人 しんじん において人 ひと は神 かみ と体 からだ 合 ごう し、神 かみ まで昇 のぼ り、神 かみ から力 ちから と恩寵 おんちょう とを受 う ける
実際 じっさい の生活 せいかつ において神人 しんじん を模範 もはん とする
神人 しんじん によって人間 にんげん は救 すく われる
天 てん を地 ち にまで下 くだ し、地 ち を天 てん にまで上 のぼ らせた神人 しんじん は、全 ぜん 人類 じんるい がそれによって天 てん に昇 のぼ ることの出来 でき る階梯 かいてい
この階梯 かいてい によって、人類 じんるい の中 なか の多 おお くの者 もの は天 てん に昇 のぼ りつつある
と理解 りかい される[9] (神成 かみなり (正教会 せいきょうかい ) も参照 さんしょう )。
西方 せいほう 教会 きょうかい においてもイエス・キリストにおける神人 しんじん 両性 りょうせい の位 い 格 かく 的 てき 結合 けつごう は認 みと められる。アンセルムス (1033-1109)が『何故 なぜ 神 かみ は人 ひと となりしか』(ラテン語 らてんご : Cur Deus Homo )を著 あらわ している[3] 。ただし「神人 しんじん 」という語彙 ごい が単体 たんたい で使 つか われる事例 じれい は、西方 せいほう 教会 きょうかい においては多 おお く無 な い[10] (ただし無 な いではない[11] )。「神人 しんじん 的 てき 」は(しんじんてき)[12] 、「神人 しんじん 両 りょう 性行為 せいこうい 」は(しんじんりょうせいこうい)[13] とルビが振 ふ られることにもみられる通 とお り、西方 せいほう 教会 きょうかい の媒体 ばいたい では通常 つうじょう 「しんじん」と読 よ まれている。