秋里あきさと籬島まがきじま

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秋里あきさと 籬島まがきじま(あきさと りとう、なま没年ぼつねんしょう)は、江戸えど時代じだい読本とくほん作者さくしゃ俳人はいじん[1]名所めいしょ図会ずえ先駆せんくしゃとしてられる。

来歴らいれき[編集へんしゅう]

京都きょうとひと本姓ほんせい池田いけだであるが、秋里あきさとしょうす。しゅんぶくは湘夕。籬島まがきじま秋里あきさと山人さんじん籬島まがきじまのきごうす。仁左衛門にざえもんともしょう[1]安永やすながから文政ぶんせい活躍かつやく名所めいしょ図会ずえ編著へんちょしゃとしてられており、随筆ずいひつ紀行きこうぶんなどのほか読本とくほん著作ちょさくもあり、ごくまれにみずか挿絵さしええがいている。安永やすなが9ねん1780ねん刊行かんこうの『名所めいしょ図会ずえ』(竹原たけはらはるあさとき)が代表だいひょうさくとして著名ちょめいであり、ほかに文化ぶんか2ねん1805ねん刊行かんこう自画じがさくによる地誌ちしほん唐土とうど名所めいしょだん(もろこしめいしょだん)』がられている。

名所めいしょ図会ずえ』がたった[2]ことで画工がこうれて諸国しょこくまわり、すうじゅう種類しゅるいおよ名所めいしょ図会ずえ編纂へんさんし、名所めいしょ図会ずえ流行りゅうこうつくったほか、俳書はいしょ辞書じしょさくにわしょなどやく40さつ著書ちょしょがある[1][3]

編著へんちょさく[編集へんしゅう]

著作ちょさくおおくは国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクションで誌面しめん確認かくにんできる。

実用じつようしょ[編集へんしゅう]

名所めいしょ図会ずえ[4]

建築けんちく造園ぞうえんさくにわ

  • 石組いしぐみ園生えんせいはちじゅうかきでん(いしぐみ そのう やえがき でん)』1827ねん[ちゅう 7]
  • 築山つきやまにわづくりでん(つきやま にわづくり でん)』(後編こうへん[10]、1829ねん北村きたむら援琴の『築山つきやまにわづくりでん[ちゅう 8]続編ぞくへん

地図ちず図面ずめん[編集へんしゅう]

  • きょうみず』1841ねん大内裏だいだいり図面ずめん合計ごうけい2てん建築けんちく解説かいせつしょうえ・麟のまき(りんのまき)」「したおおとりまき(ほうのまき)」。
  • だい日本にっぽんどうちゅうはや細見さいけん(だいにちぽん どうちう はやひき さいけんのづ)』、吉文字きちもんじ市兵衞いちべえ、1830ねんNCID BA37574237。1まいものの地図ちず

文学ぶんがく[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

ちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ 和泉いずみ名所めいしょ図会ずえ』4かん4さつ花山院かさんのいんあいとくついで」、寛政かんせい7ねん(1795ねん)10がつまきいち大鳥おおどりぐん)、まき大鳥おおどりぐん)、まきさん和泉いずみぐん和南わなみぐん)、まきよんにちぐん巻末かんまつ名所めいしょそう目録もくろく」)[7]
  2. ^ しとみ関月かんげつへんかく)、秋里あきさと湘夕(せん)『伊勢いせ参宮さんぐう名所めいしょ図会ずえ』、大坂おおさか : 塩屋しおや忠兵衛ちゅうべえほか、寛政かんせい9ねん(1797ねん)。ぜん5かん
  3. ^ 河内かわうち国名こくめいしょ図会ずえ丹羽にわももけい)、なみはな : 森本もりもと太助たすけほか5めいとおる元年がんねん(1801ねん)。
  4. ^ 秋里あきさと湘夕(ちょ)『唐土とうど名所めいしょだん』、すめらぎ : 近江おうみ伝右でんね衛門えもんほか、文化ぶんか2ねん(1805ねん)。ぜん5さつ、マイクロ資料しりょう
  5. ^ 木曽きそ名所めいしょ図会ずえ西村にしむら中和ちゅうわ)、京都きょうと : 西村にしむら吉兵衛きちべえほか、文化ぶんか2ねん(1805ねん)。ぜん6かん7さつ、マイクロ資料しりょうべつだい『岐阻名所めいしょ図会ずえ』。
    だい日本にっぽん地誌ちし大系たいけいだい1かん収載しゅうさい[9]されたものは、だい4さつ伊勢いせ参宮さんぐう名所めいしょ図会ずえまきうえだい11さつどうまきしたしとみ関月かんげつせん)。だい12さつ木曽きそ名所めいしょ図会ずえまき1-3、だい14さつどうまき4-6(秋里あきさと籬島まがきじまへん)。
  6. ^ 柴野しばの栗山りつざんももしき秋里あきさと籬島まがきじまうつし)、文化ぶんか9ねん(1812ねん)、原書げんしょ寛政かんせい2ねんぜん3さつ付録ふろくしば邦彦くにひこちょ)『けんせい障子しょうじめいしんかんむりふく考証こうしょう(けんせい しょうじ めいくん かんぷく こうしょう)』2かん主題しゅだい京都きょうと御所ごしょ有職故実ゆうそくこじつ建築けんちく
  7. ^ 石組いしぐみ園生えんせいはちじゅうかきでんつて鮮・いぬい全国ぜんこく書誌しょし番号ばんごう:22779618)/ひつじさる全国ぜんこく書誌しょし番号ばんごう:22779619)、大阪おおさか : 柳原やなぎはら喜兵衛きへえ発行はっこうねん不明ふめい
    石組いしぐみ園生えんせいはちじゅうかきでん築山つきやま山水さんすいいぬいひつじさる)、松井まつい善吉ぜんきち明治めいじ34ねんとし)。
  8. ^ 上原うえはら敬二けいじ築山つきやまにわづくりでん : 解説かいせつだい1かんだい2かん復刻ふっこくばん加島かしま書店しょてん造園ぞうえん古書こしょ叢書そうしょ〉、1989ねんNCID BN10756326
  9. ^ 北明ほくめいしゃ貞彦さだひこ(輯)『俳翼 : 芭蕉ばしょうおう其角きかく嵐雪らんせつ』、文書ぶんしょどう、1883ねんdoi:10.11501/1085313
  10. ^ 絵本えほん源平げんぺい盛衰せいすい』、東京とうきょう : づるごえしゃ明治めいじ16ねん(1883ねん)。doi:10.11501/880080
  11. ^ 小川おがわ源兵衞げんべえばんもと平治へいじたたかえ図会ずえ中和ちゅうわぜん10かんとおる元年がんねん(1801ねん)。NCID BA43719083河内屋かわちや太助たすけいたもと平治へいじたたかえ図会ずえ西村にしむら中和ちゅうわぜん10かん出版しゅっぱんねん不明ふめいNCID BA54593136[11]

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ a b c 秋里あきさと籬島まがきじまちょうにち日本にっぽん歴史れきし人物じんぶつ事典じてん
  2. ^ 齊藤さいとう 智美ともみ「『名所めいしょ図会ずえ』の流行りゅうこうについて--先行せんこう地誌ちしとの比較ひかく利用りよう実例じつれい」『文学ぶんがく研究けんきゅう論集ろんしゅうだい16ごう明治大学めいじだいがく大学院だいがくいん、2001ねん、123-141ぺーじISSN 1340-9174NAID 40005092564 
  3. ^ ああ旅情りょじょう江戸えど名所めいしょ図会ずえにみる日本にっぽん今昔こんじゃくてん神奈川大学かながわだいがく横浜よこはま図書館としょかん、2009ねん4がつ
  4. ^ ゴーリ 2011, p. 146-156.
  5. ^ 秋里あきさと籬島まがきじまへん)『名所めいしょ図会ずえ竹原たけはらはるあさとき)、木版もくはんさいこく大坂おおさか : 河内屋かわちや太助たすけ、1780ねんぜん6かんNCID BA32710236
  6. ^ ぐん 2011, p. 1-7.
  7. ^ 秋里あきさと湘夕「摂津せっつ名所めいしょ図会ずえ」『武庫川女子大学むこがわじょしだいがく 貴重きちょうしょコレクション』、京都きょうと : 小川おがわふとし左衛門さえもん : 殿しんがりためはち 、1796ねん9がつ2022ねん2がつ19にち閲覧えつらん 
  8. ^ 校訂こうていほんは『林泉りんせん名勝めいしょう図会ずえ 京都きょうと名所めいしょ名園めいえん案内あんない』(講談社こうだんしゃ学術がくじゅつ文庫ぶんこ上下じょうげ)、2000ねん
  9. ^ 日本にっぽん歴史れきし地理ちり学会がっかい校訂こうてい)『だい日本にっぽん地誌ちし大系たいけいだい1かん東京とうきょう : だい日本にっぽん地誌ちし大系たいけい刊行かんこうかいへん)、1914ねん-1917ねんdoi:10.11501/1879417
  10. ^ 国文学研究資料館こくぶんがくけんきゅうしりょうかん 1829, p. 1-20.
  11. ^ 藤元ふじもとはじめ秋里あきさと籬島まがきじまぜん太平たいへいもと平治へいじ』、早稲田大学わせだだいがく出版しゅっぱん通俗つうぞく日本にっぽんぜんだい2かん、1912ねんNCID BN11875149

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

関連かんれん文献ぶんけん[編集へんしゅう]