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称往院(しょうおういん)は、東京都世田谷区にある浄土宗の寺院。「烏山寺町」を構成する26の寺院の1つである。
1596年(慶長元年)、白誉称往上人によって開山される[1]。元々は湯島に位置していたが、1657年(明暦3年)の明暦の大火で浅草芝崎村(現・東京都台東区西浅草)に移転[2]。その後、1923年(大正12年)9月には関東大震災に罹災し、1927年(昭和2年)に現在地に移転した[2]。
墓地には、江戸時代の俳諧師・宝井其角[3]や、明治大正期に日本近代製鉄業の礎を築いた田中家の墓がある。
当院門前の左には、側面に「不許蕎麥地中製之而亂當院之清規故入境内」と刻まれた、角柱の石碑がある。これは「蕎麦禁制の碑」とも呼ばれる碑で、以下の由来がある。
かつての浅草時代の称往院の境内には、「道光庵」と呼ばれる塔頭があった。道光庵の庵主は信濃国の出身で、蕎麦打ちの腕前も名人級と評判であった。彼が打った蕎麦を檀家にふるまったところ評判になり、境内はそばを目当ての多くの人で賑わった。しかし人が集まりすぎ、本来の寺としての活動の支障になったため、とうとう住職が蕎麦の提供を禁止し、その旨の石碑を建てて締めだした[3]。移転の際、いつしか土に埋もれていたこの碑も掘り出されて運ばれ、門前に建て直されたものである。現在、蕎麦屋の名称に「○○庵」と名付けるものがあるのは、この道光庵の蕎麦の故事の名残である[3]。
- ^ 『烏山の寺町』烏山寺院連合会、1980年4月8日、19頁。
- ^ a b 一心山称往院極楽寺烏山仏教会「寺町通り」
- ^ a b c 竹内秀雄 著『世田谷区史跡散歩 (東京史跡ガイド12)』学生社、1992年、151-152p
- 世田谷区 編『小学生の烏山寺町あんない 付 世田谷の社寺と遺宝その2』世田谷区、1978年
- 竹内秀雄 著『世田谷区史跡散歩 (東京史跡ガイド12)』学生社、1992年