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くぼいさおただし

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くぼ いさおただし(くぼ のりただ、1913ねん大正たいしょう2ねん9月25にち - 2010ねん平成へいせい22ねん10月2にち)は、日本にっぽん宗教しゅうきょう民俗みんぞく学者がくしゃ東京大学とうきょうだいがく名誉めいよ教授きょうじゅ

経歴けいれき

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1913ねん(大正たいしょう2ねん)東京とうきょうまれ[1]。[1937ねん(昭和しょうわ12ねん)東京とうきょう帝国ていこく大学だいがく東洋とうよう学科がっか卒業そつぎょう東京とうきょう府立ふりつ豊島としま師範しはん学校がっこう教諭きょうゆ。1938ねん(昭和しょうわ13ねん)応召おうしょうされ、1942ねん(昭和しょうわ17ねん)召集しょうしゅう解除かいじょとなる。東方とうほう文化ぶんか学院がくいん研究けんきゅういん、1949ねん(昭和しょうわ24ねん)東京大学とうきょうだいがく東洋とうよう文化ぶんか研究所けんきゅうじょ助教授じょきょうじゅ

40さいのころ、庚申こうしん信仰しんこう起源きげんめぐ中国ちゅうごく伝来でんらい道教どうきょうさんしかばねせつ起源きげんせつ主張しゅちょうし、それまで日本にっぽん固有こゆうせつっていたほか民俗みんぞく学者がくしゃたちと激論げきろんとなり、国内こくない実地じっち調査ちょうさはいりまとめて論証ろんしょうした[2]

1962ねん(昭和しょうわ37ねん)東京大学とうきょうだいがく文学ぶんがく博士はかせ。1964ねん(昭和しょうわ39ねん)教授きょうじゅとなる。1973ねん(昭和しょうわ48ねん)東洋とうよう文化ぶんか研究所けんきゅうじょちょうで1975ねん(昭和しょうわ50ねん)定年ていねん退官たいかんとなり、名誉めいよ教授きょうじゅ文教大学ぶんきょうだいがく教授きょうじゅ。1976ねん(昭和しょうわ51ねん)紫綬褒章しじゅほうしょう受章じゅしょう。1979ねん(昭和しょうわ54ねん)二松学舎大学にしょうがくしゃだいがく教授きょうじゅ。1982ねん(昭和しょうわ57ねん)鶴見大学つるみだいがく教授きょうじゅ最後さいごに1984ねん(昭和しょうわ59ねん)退職たいしょくする。くんさんとう旭日きょくじつちゅう綬章じゅしょう受章じゅしょう

1997ねんから沖縄国際大学おきなわこくさいだいがく南島なんとう文化ぶんか研究所けんきゅうじょでは、琉球りゅうきゅう中国ちゅうごく関係かんけいなどを研究けんきゅうする沖縄おきなわ在住ざいじゅう研究けんきゅうしゃたいし、くぼ名前なまえかんした「くぼいさおちゅう琉中関係かんけい奨励しょうれいしょう」をもうけた[2]

2010ねん10がつ2にち午後ごご34ふん心不全しんふぜんのため死去しきょ[3][4]。97さいぼつ

業績ぎょうせき

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  • 道教どうきょう研究けんきゅう中心ちゅうしんに、庚申こうしん信仰しんこう、「いし敢當とう沖縄おきなわ民俗みんぞくなど幅広はばひろ研究けんきゅうした。
  • 庚申こうしん信仰しんこう起源きげんについて、柳田やなぎだ國男くにお提唱ていしょうして、通説つうせつとなっていた従来じゅうらい日本にっぽん固有こゆうせつたいして、中国ちゅうごく道教どうきょうさんしかばねせつ起源きげんせつとなえ、日本にっぽん各地かくち実地じっち調査ちょうさおこない、論証ろんしょうしてくつがえして主流しゅりゅうせつとした[2]
  • 中国ちゅうごく台湾たいわん沖縄おきなわなどの現地げんち調査ちょうさで、道教どうきょう日本にっぽんつたわる過程かてい変容へんよう研究けんきゅうした[4]

著書ちょしょ

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  • 道教どうきょう中國ちゅうごく社會しゃかい』 1948 (平凡社へいぼんしゃ全書ぜんしょ)
  • 庚申こうしん信仰しんこう山川やまかわ出版しゅっぱんしゃ, 1956
  • 庚申こうしん信仰しんこう研究けんきゅう ちゅう宗教しゅうきょう文化ぶんか交渉こうしょう日本にっぽん学術がくじゅつ振興しんこうかい, 1961
  • 庚申こうしん信仰しんこう研究けんきゅう 年譜ねんぷへん帝国ていこく書院しょいん, 1963
  • 道教どうきょうひゃく 仙人せんにんへのあこがれ』 筑摩書房ちくましょぼう, 1964, のち講談社こうだんしゃ学術がくじゅつ文庫ぶんこ
  • 中国ちゅうごく宗教しゅうきょう改革かいかく ちょん真教まさのり成立せいりつ アジアの宗教しゅうきょう文化ぶんか2』 法蔵館ほうぞうかん, 1967
  • 庚申こうしん信仰しんこう研究けんきゅう 島嶼とうしょへん』 勁草書房しょぼう, 1969
  • 沖縄おきなわ習俗しゅうぞく信仰しんこう 中国ちゅうごくとの比較ひかく研究けんきゅう東京大学とうきょうだいがく出版しゅっぱんかい、1971
  • 道教どうきょう山川やまかわ出版しゅっぱんしゃ, 1977 (世界せかい宗教しゅうきょう叢書そうしょ)
  • 中国ちゅうごく宗教しゅうきょうにおける受容じゅよう変容へんようぎょうよう 道教どうきょうじくとして』 山川やまかわ出版しゅっぱんしゃ, 1979
  • 中国ちゅうごく文化ぶんか南島なんとう 南島なんとう文化ぶんか叢書そうしょ1』 だいいち書房しょぼう, 1981
  • 道教どうきょう入門にゅうもんみなみ書房しょぼう, 1983
  • 道教どうきょう世界せかい学生がくせいしゃ, 1987, のち講談社こうだんしゃ学術がくじゅつ文庫ぶんこ
  • 道教どうきょうかみ々』 平河ひらかわ出版しゅっぱんしゃ, 1986, のち講談社こうだんしゃ学術がくじゅつ文庫ぶんこ
  • 『わたしの足跡あしあとだいいち書房しょぼう, 1988
  • でみる沖縄おきなわ民俗みんぞくとそのルーツ』 沖縄おきなわ出版しゅっぱん, 1990
  • 沖縄おきなわ民間みんかん信仰しんこう 中国ちゅうごく文化ぶんかからみた』 おきなわ文庫ぶんこ ひるぎしゃ, 1992
  • 『モンゴルちょう道教どうきょう仏教ぶっきょう きょう論争ろんそう中心ちゅうしんに』 平河ひらかわ出版しゅっぱんしゃ, 1992
  • くぼいさおちゅう著作ちょさくしゅうぜん9かん だいいち書房しょぼう、1997-2000

共編きょうへんちょ

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  • 宗教しゅうきょう西にしじゅんぞう共編きょうへん 大修館書店たいしゅうかんしょてん, 1967 (中国ちゅうごく文化ぶんか叢書そうしょ)
  • 沖縄おきなわ社会しゃかい習俗しゅうぞく東京大学とうきょうだいがく出版しゅっぱんかい, 1970
  • 生命せいめい哲学てつがくのすすめ 自然しぜんとの合一ごういつもとめるかた有斐閣ゆうひかく選書せんしょ, 佐々木ささき雄司ゆうじ共編きょうへん, 1976
  • 沖縄おきなわ外来がいらい宗教しゅうきょう その受容じゅよう変容へんよう弘文こうぶんどう, 1978
  • 東南とうなんアジア華人かじん社会しゃかい宗教しゅうきょう文化ぶんか耕土こうどしゃ, 1981
  • 中国ちゅうごく泰山たいざん沢田さわだ瑞穂みずほ共著きょうちょ, 講談社こうだんしゃ, 1982 (世界せかい聖域せいいき)
  • 沖縄おきなわ風水ふうすい平河ひらかわ出版しゅっぱんしゃ, 1990

記念きねん論集ろんしゅう

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  • くぼいさおただし, くぼいさおちゅう先生せんせい沖縄おきなわ調査ちょうさじゅうねん記念きねんろん文集ぶんしゅう刊行かんこう委員いいんかい沖縄おきなわ宗教しゅうきょう民俗みんぞく : くぼいさおちゅう先生せんせい沖縄おきなわ調査ちょうさじゅうねん記念きねんろん文集ぶんしゅうだいいち書房しょぼう、1988ねん全国ぜんこく書誌しょし番号ばんごう:89013079https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001956461-00 

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ くぼいさおちゅう庚申こうしん信仰しんこう山川やまかわ出版しゅっぱんしゃ、1956ねん著者ちょしゃ紹介しょうかい
  2. ^ a b c ちゅうまきひろしまことくぼいさおちゅう先生せんせいしのんで」『東京大学とうきょうだいがく宗教しゅうきょうがく年報ねんぽう別冊べっさつだい28かん東京大学とうきょうだいがく文学部ぶんがくぶ宗教しゅうきょうがく研究けんきゅうしつ、2011ねん3がつ、1-3ぺーじCRID 1390009224600629376doi:10.15083/00030247hdl:2261/49328 
  3. ^ くぼいさおただし東京とうきょうだい名誉めいよ教授きょうじゅ)が死去しきょ」 - 読売新聞よみうりしんぶん、2010ねん10がつ9にち
  4. ^ a b 一排会初代会長窪徳忠氏が逝去せいきょ(2010.10.09):2008-2011ねんいちはいかいだいいち東京とうきょう市立しりつ中学校ちゅうがっこう東京とうきょう都立とりつきゅうだん中学校ちゅうがっこう東京とうきょう都立とりつきゅうだん高校こうこう千代田ちよだ区立くりつきゅうだん中等ちゅうとう教育きょういく学校がっこうかくバレーボールOB・OGかい)ニュース2022ねん8がつ1にちIA差替さしかえ

外部がいぶリンク

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