(Translated by https://www.hiragana.jp/)
竹岡和宏 - Wikipedia コンテンツにスキップ

竹岡たけおか和宏かずひろ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
竹岡たけおか 和宏かずひろ
基本きほん情報じょうほう
国籍こくせき 日本の旗 日本にっぽん
出身しゅっしん 滋賀しがけん栗東りっとう
生年月日せいねんがっぴ (1975-01-25) 1975ねん1がつ25にち(49さい
身長しんちょう
体重たいじゅう
192 cm
95 kg
選手せんしゅ情報じょうほう
投球とうきゅう打席だせき みぎとうみぎ
ポジション 投手とうしゅ
プロ 2003ねん ドラフト8じゅん
はつ出場しゅつじょう 2004ねん3月28にち
最終さいしゅう出場しゅつじょう 2008ねん7がつ28にち
経歴けいれき括弧かっこないはプロチーム在籍ざいせき年度ねんど
選手せんしゅれき
コーチれき
  • OBC高島たかしま

竹岡たけおか 和宏かずひろ(たけおか かずひろ、1975ねん1がつ25にち - )は、滋賀しがけん栗東りっとう出身しゅっしんもとプロ野球やきゅう選手せんしゅ投手とうしゅ)。

来歴らいれき人物じんぶつ[編集へんしゅう]

プロまえ[編集へんしゅう]

守山もりやま高等こうとう学校がっこうでは1991ねん秋季しゅうきけん大会たいかい準々じゅんじゅん決勝けっしょうすすむが、瀬田工せたこう延長えんちょう11かいうら逆転ぎゃくてんサヨナラけ。よく1992ねん春季しゅんきけん大会たいかいでも準決勝じゅんけっしょう進出しんしゅつ先発せんぱつするが比叡山ひえいざんだかとの乱打らんだせんすえに9かいうら逆転ぎゃくてんサヨナラけ。近畿大学きんきだいがく進学しんがく関西かんさい学生がくせい野球やきゅうリーグでは4かい優勝ゆうしょう経験けいけんするが、1ねんじょう大塔おおとう正明まさあき同期どうき今井いまい圭吾けいご、1ねん清水しみず章夫あきおこう投手とうしゅがおり、4ねんあきに3しょうげてリーグせん優勝ゆうしょう貢献こうけんした以外いがいはあまり活躍かつやくはなかった。卒業そつぎょう地元じもと日本にっぽんIBM野洲やす入社にゅうしゃ。チームが1999ねん社会しゃかいじん野球やきゅう日本にっぽん選手権せんしゅけん準決勝じゅんけっしょう敗退はいたいしたのち退社たいしゃかず球団きゅうだんのプロテストをけるものの合格ごうかくわる。2000ねんには中山なかやま硬式こうしき野球やきゅうクラブ入団にゅうだんした。

米国べいこくでのプレー[編集へんしゅう]

同年どうねんあきアトランタ・ブレーブスとマイナー契約けいやくむすぶ。

2001ねん、2Aグリーンビルからキャリアをスタート。

2002ねんには3Aリッチモンドに昇格しょうかくたす(このときもと巨人きょじんデーモン・ホリンズとチームメイトとなる)が、シーズン途中とちゅうふたたび2Aグリーンビルに降格こうかく。その独立どくりつリーグ移籍いせきした。

社会しゃかいじん野球やきゅう、クラブチーム、べいマイナーリーグ、べい独立どくりつリーグと、さまざまな球団きゅうだんわたあるき、2003ねんあき福岡ふくおかダイエーホークスからドラフト8指名しめいけ、入団にゅうだん。29さいでのプロりとあって、同期どうきで27さい入団にゅうだんした三瀬みせ幸司こうじともにオールドルーキーとして注目ちゅうもくあつめた。

ソフトバンク時代じだい[編集へんしゅう]

2004ねん開幕かいまくから一軍いちぐんがり、おも中継なかつぎとして13試合しあい登板とうばん

2006ねん自己じこ最多さいたの22試合しあい登板とうばんして防御ぼうぎょりつ1.88の好成績こうせいせきのこした。

2007ねんも2ねん連続れんぞく防御ぼうぎょりつ1てんだい記録きろくするが、登板とうばん機会きかいわずかであった。

2008ねんは19試合しあい登板とうばんし、防御ぼうぎょりつは2てんだいだったが、同年どうねんオフに戦力せんりょくがい通告つうこくける。その12球団きゅうだん合同ごうどうトライアウト参加さんかしたが、日本にっぽん球団きゅうだんからこえからなかった。

ソフトバンク退団たいだん[編集へんしゅう]

べい球界きゅうかいへの復帰ふっき目指めざし、アメリカロサンゼルス郊外こうがいアーバン・ユース・アカデミー英語えいごばん[1]メサにあるシカゴ・カブス施設しせつとう自主じしゅトレをおこない、かつて所属しょぞくしたブレーブスなど[2]かく球団きゅうだんのトライアウトをけ、さらに台湾たいわんプロ野球やきゅうLa Newべアーズ入団にゅうだんテストも受験じゅけんしたが、契約けいやくはならなかった。

2009ねん5月からは社会しゃかいじん野球やきゅうのクラブチーム、OBC高島たかしま入部にゅうぶ選手せんしゅ兼任けんにんコーチとして、同年どうねん全日本ぜんにほんクラブ野球やきゅう選手権せんしゅけん大会たいかいベスト4進出しんしゅつ社会しゃかいじん野球やきゅう日本にっぽん選手権せんしゅけん大会たいかいはつ出場しゅつじょう貢献こうけんした。大会たいかいでも登板とうばんした。その自身じしんのブログで2009ねんかぎりで現役げんえき引退いんたいすることを表明ひょうめいした。引退いんたい野球やきゅう教室きょうしつ講演こうえんかい活動かつどうなどをおこなっていた[3]

2012ねん11月、西麻布にしあざぶにストレッチスタジオ『トリム西麻布にしあざぶ』を開業かいぎょうした[3]

2017ねん6月28にち埼玉さいたま西武せいぶライオンズたい千葉ちばロッテマリーンズたたかえ沖縄おきなわセルラースタジアム那覇なは)では、琉球放送りゅうきゅうほうそう制作せいさくのラジオ中継ちゅうけいRBCiラジオ エキサイトナイター』に野球やきゅう解説かいせつしゃとして出演しゅつえんした。

2018ねん5月21にち株式会社かぶしきがいしゃスマイ印刷いんさつげんスマイディア)に入社にゅうしゃ2023ねん10がつ20日はつか退社たいしゃ[4]

詳細しょうさい情報じょうほう[編集へんしゅう]

年度ねんどべつ投手とうしゅ成績せいせき[編集へんしゅう]

とし

たま

だん
とう

いた
さき

はつ
かん

とう
かん

ふう

よん
たま
かち

はい

せん





かち

りつ


もの
とう
たま
かい

やす

ほん
るい
あずか
よん
たま
けい

とお
あずか

たま
だつ
さん


とう


しつ

てん

せめ
てん
ぼう

りつ
W
H
I
P
2004 ダイエー
ソフトバンク
13 1 0 0 0 2 0 0 -- 1.000 132 28.0 31 1 18 1 3 10 3 0 21 19 6.11 1.75
2005 16 1 0 0 0 1 2 0 1 .333 97 23.1 22 1 9 0 2 12 1 0 10 6 2.31 1.33
2006 22 0 0 0 0 1 0 0 1 1.000 118 28.2 31 1 6 1 2 10 0 1 6 6 1.88 1.29
2007 7 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 46 12.0 7 0 3 0 0 5 0 0 3 2 1.50 0.83
2008 19 0 0 0 0 0 1 0 0 .000 97 24.0 19 3 11 0 1 15 0 0 9 6 2.25 1.25
通算つうさん:5ねん 77 2 0 0 0 4 3 0 2 .571 490 116.0 110 6 47 2 8 52 4 1 49 39 3.03 1.35
  • ダイエー(福岡ふくおかダイエーホークス)は、2005ねんにソフトバンク(福岡ふくおかソフトバンクホークス)に球団きゅうだんめい変更へんこう

記録きろく[編集へんしゅう]

背番号せばんごう[編集へんしゅう]

  • 68 (2004ねん - 2008ねん

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ 菊地きくちけいつよし (2009ねん2がつ5にち). “アメリカでチャンスをさが日本人にっぽんじんたち。”. Number Web. MLB Column from West. 2022ねん3がつ28にち閲覧えつらん
  2. ^ もとソフトB竹岡たけおか、ブレーブス入団にゅうだんテストへ”. 日刊にっかんスポーツ. (2009ねん2がつ6にち). https://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20090206-457812.html 2022ねん3がつ28にち閲覧えつらん 
  3. ^ a b 週刊しゅうかんベースボール2013ねん2がつ4にちごう P41
  4. ^ わりのはじまり」『竹岡たけおか和宏かずひろ note』2023ねん10がつ20日はつか。2024ねん5がつ9にち閲覧えつらん

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]