だい150師団しだん (日本にっぽんぐん)

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だい150師団しだん
創設そうせつ 1945ねん昭和しょうわ20ねん)2がつ28にち
廃止はいし 1945ねん昭和しょうわ20ねん
所属しょぞく政体せいたい 大日本帝国の旗 大日本帝国だいにっぽんていこく
所属しょぞく組織そしき  大日本帝国だいにっぽんていこく陸軍りくぐん
部隊ぶたい編制へんせい単位たんい 師団しだん
兵種へいしゅ/任務にんむ/特性とくせい 歩兵ほへい
人員じんいん やく10,000めい
所在地しょざいち きょうしろ-全羅南道ぜんらなんどう
編成へんせい きょうしろ
通称つうしょうごう/略称りゃくしょう まもるあさ
補充ほじゅう担任たんにん きょうしろ管区かんく
最終さいしゅう上級じょうきゅう単位たんい だい17方面ほうめんぐん
最終さいしゅう位置いち 全羅南道ぜんらなんどう
おも戦歴せんれき 太平洋戦争たいへいようせんそう
(ソ連それんたいにち参戦さんせん)
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だい150師団しだん(だいひゃくごじゅうしだん)は、大日本帝国だいにっぽんていこく陸軍りくぐん師団しだんひとつ。

太平洋戦争たいへいようせんそう末期まっき1945ねん昭和しょうわ20ねん)1がつ20日はつか帝国ていこく陸海りくかいぐん作戦さくせん計画けいかく大綱たいこう策定さくていされた結果けっか本土ほんど決戦けっせんそなえるべく急造きゅうぞう決定けっていした54師団しだんひとつであり、そのうちのだいいち兵備へいびとして2がつ28にち編成へんせいされた16沿岸えんがん配備はいび師団しだんひとつである。

朝鮮半島ちょうせんはんとう全羅南道ぜんらなんどう沿岸えんがん配備はいびされた。

沿革えんかく[編集へんしゅう]

師団しだん概要がいよう[編集へんしゅう]

歴代れきだい団長だんちょう[編集へんしゅう]

参謀さんぼうちょう[編集へんしゅう]

  • 高柳たかやなぎあさよんろう 中佐ちゅうさ:1945ねん昭和しょうわ20ねん)4がつ1にち - 終戦しゅうせん[1]

最終さいしゅう所属しょぞく部隊ぶたい[編集へんしゅう]

  • 歩兵ほへいだい429連隊れんたい姫路ひめじ):曾我そがもといち大佐たいさ
  • 歩兵ほへいだい430連隊れんたい姫路ひめじ):粟屋あわやはつ大佐たいさ
  • 歩兵ほへいだい431連隊れんたい姫路ひめじ):三村みつむらちかしあつ大佐たいさ
  • 歩兵ほへいだい432連隊れんたい姫路ひめじ):山崎やまざき孝三こうぞう大佐たいさ
  • だい150師団しだん速射そくしゃほうたい
  • だい150師団しだん噴進ほうたい
  • だい150師団しだん輜重しちょうたい
  • だい150師団しだん通信つうしんたい
  • だい150師団しだん兵器へいき勤務きんむたい
  • だい150師団しだん野戦やせん病院びょういん
  • だい150師団しだんせいどくたい

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ 陸海りくかいぐん将官しょうかん人事じんじ総覧そうらん 陸軍りくぐんへん』461ぺーじ

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • 外山とやまみさお森松もりまつ俊夫としお編著へんちょ帝国ていこく陸軍りくぐん編制へんせい総覧そうらん芙蓉ふよう書房しょぼう出版しゅっぱん、1987ねん
  • はたいく彦編『日本にっぽん陸海りくかいぐん総合そうごう事典じてんだい2はん東京とうきょう大学だいがく出版しゅっぱんかい、2005ねん
  • 福川ふくかわ秀樹ひでき日本にっぽん陸軍りくぐん将官しょうかん辞典じてん芙蓉ふよう書房しょぼう出版しゅっぱん、2001ねん
  • 外山とやまみさおへん陸海りくかいぐん将官しょうかん人事じんじ総覧そうらん 陸軍りくぐんへん芙蓉ふよう書房しょぼう出版しゅっぱん、1981ねん

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]