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第7回立法院議員総選挙 - Wikipedia コンテンツにスキップ

だい7かい立法院りっぽういん議員ぎいんそう選挙せんきょ

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だい7かい立法院りっぽういん議員ぎいんそう選挙せんきょ(だい7かいりっぽういんぎいんそうせんきょ)は、1965ねん11月14にちおこなわれた琉球りゅうきゅう政府せいふ立法院りっぽういん議員ぎいん選挙せんきょである。

選挙せんきょデータ[編集へんしゅう]

公示こうじ[編集へんしゅう]

投票とうひょう[編集へんしゅう]

  • 1965ねん11月14にち

議席ぎせきすう[編集へんしゅう]

  • 32議席ぎせき

選挙せんきょ制度せいど[編集へんしゅう]

有権者ゆうけんしゃすう[編集へんしゅう]

  • 392,862にん
    男性だんせい:177,114にん女性じょせい:215,748にん

立候補者りっこうほしゃすう[編集へんしゅう]

  • 64にん

おも争点そうてん[編集へんしゅう]

ベトナム戦争せんそう進行しんこうともなって、B-52沖縄おきなわべいぐん基地きちから出撃しゅつげきするなど、沖縄おきなわ戦争せんそう最前線さいぜんせん基地きちかんていするようになった。そのため野党やとう反米はんべい反戦はんせんしょくつよめ、たいべい協調きょうちょう路線ろせんをとる与党よとうはげしく対立たいりつするようになった。

またアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくによる沖縄おきなわ統治とうちはじまって20ねん経過けいかし、本土ほんどとの格差かくさしょうじていることが明確めいかくになり、復帰ふっき方法ほうほうろんをめぐる保革ほかく対立たいりつ激化げきかしていった。

選挙せんきょ結果けっか[編集へんしゅう]

投票とうひょうりつ[編集へんしゅう]

  • 83.45%

当選とうせんしゃ[編集へんしゅう]

  • だい1 - 国場こくばさいわいあきら
  • だい2 - 宮城みやぎよしへい
  • だい3 - 中村なかむらあきらちょう
  • だい4 - 山川やまかわやすしくに
  • だい5 - 吉元よしもとさかえしん
  • だい6 - 伊芸いげい徳一とくいち
  • だい7 - 高江洲たかえすひさし
  • だい8 - 久高くだか将憲まさのり
  • だい9 - はまはし春栄はるえ
  • だい10 - 知花ちばな英夫ひでお
  • だい11 - 桑江くわえちょうこう
  • だい12 - 崎浜さきはまもりひさし
  • だい13 - 平良たいら幸市こういち
  • だい14 - 岸本きしもととし
  • だい15 - 与座よざ康信やすのぶ
  • だい16 - 知念ちねんちょうこう
  • だい17 - 森田もりたはじめまつ
  • だい18 - かさみはら久男ひさお
  • だい19 - 古堅ふるかた実吉さねよし
  • だい20 - 伊良波いらは長幸ながゆき
  • だい21 - 友寄ともより喜弘よしひろ
  • だい22 - 安里あさとつもる千代ちよ
  • だい23 - 大田おおたあきら
  • だい24 - 長嶺ながみね秋夫あきお
  • だい25 - 上原うえはら重蔵しげぞう
  • だい26 - 大城おおしろしんじゅん
  • だい27 - 新垣あらかき孝善たかよし
  • だい28 - さかりとう明秀あきひで
  • だい29 - 砂川すなかわむねまこと
  • だい30 - 垣花かきはなめぐみあきら
  • だい31 - 大浜おおはまこくひろし
  • だい32 - ほしかつ

党派とうはべつ獲得かくとく議席ぎせき[編集へんしゅう]

党派とうは 得票とくひょうすう 得票とくひょうりつ 議席ぎせき
民主党みんしゅとう 143,883 47.12% 19
沖縄おきなわ社会しゃかい大衆たいしゅうとう 82,672 27.07% 7
日本にっぽん社会党しゃかいとう 15,255 5.00% 2
沖縄おきなわ人民じんみんとう 27,402 8.97% 1
無所属むしょぞく 36,137 11.83% 3

いずるひょう党派とうはべつ当選とうせんしゃすうおよび得票とくひょうすう」、沖縄おきなわタイムス編集へんしゅう沖縄おきなわ年鑑ねんかん』1969(昭和しょうわ44ねん復刻ふっこくばん、466ぺーじ

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]