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だい1かい行政ぎょうせい主席しゅせき通常つうじょう選挙せんきょ

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だい1かい琉球りゅうきゅう政府せいふ行政ぎょうせい主席しゅせき通常つうじょう選挙せんきょ
アメリカ合衆国
1968ねん11がつ10日とおか (1968-11-10)
→ 沖縄県の旗 1972ねん

投票とうひょうりつ 89.11%
 
候補者こうほしゃ 屋良やらちょうなえ 西銘にしめ順治じゅんじ
政党せいとう 無所属むしょぞく 沖縄おきなわ自由民主党じゆうみんしゅとう
得票とくひょうすう 237,643 206,209
得票とくひょうりつ 53.51% 46.43%

選挙せんきょぜん行政ぎょうせい主席しゅせき

松岡まつおかまさし

選出せんしゅつ行政ぎょうせい主席しゅせき

屋良やらちょうなえ
無所属むしょぞく

だい1かい行政ぎょうせい主席しゅせき通常つうじょう選挙せんきょ(だい1かいぎょうせいしゅせきつうじょうせんきょ)は、1968ねん11月10にちおこなわれた琉球りゅうきゅう政府せいふ行政ぎょうせい主席しゅせき選挙せんきょである。

概要がいよう

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主席しゅせき選挙せんきょおこなわれたのとおな立法院りっぽういん議員ぎいん選挙せんきょが、直後ちょくごには那覇なは市長しちょう選挙せんきょ市長しちょうである西銘にしめ順治じゅんじ主席しゅせき選挙せんきょ出馬しゅつばしたため、空席くうせきとなったことによる選挙せんきょ)もおこなわれた。そのため、これらの選挙せんきょをまとめて「3だい選挙せんきょ」とばれるようになった。

選挙せんきょデータ

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公示こうじ

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投票とうひょう

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  • 1968ねん11がつ10日とおか

選挙せんきょ制度せいど

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有権者ゆうけんしゃによる直接ちょくせつ選挙せんきょ[1]
投票とうひょう方法ほうほう
秘密ひみつ投票とうひょう単記たんき投票とうひょう、1ひょうせい
選挙せんきょけん
まん20さい以上いじょう琉球りゅうきゅう住民じゅうみん
被選挙権ひせんきょけん
まん30さい以上いじょう琉球りゅうきゅう住民じゅうみん
有権者ゆうけんしゃすう
515,246にん男性だんせい:235,299 女性じょせい:279,947)

選挙せんきょ活動かつどう

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立候補者りっこうほしゃ

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立候補者りっこうほしゃ一覧いちらん順番じゅんばんとどじゅん
氏名しめい 本籍ほんせき 党派とうは 職業しょくぎょう
西銘にしめ順治じゅんじ 沖縄おきなわけん島尻しまじりぐん知念ちねんむらげん南城なんじょう 沖縄おきなわ自由民主党じゆうみんしゅとう 沖縄おきなわ自由民主党じゆうみんしゅとう総裁そうさい
屋良やらちょうなえ 沖縄おきなわけん中頭なかがみぐん読谷よみたんむら 無所属むしょぞく 沖縄おきなわ教職員きょうしょくいんかい会長かいちょう
野底のそこ武彦たけひこ 沖縄おきなわけん那覇なは 無所属むしょぞく 公認こうにん会計士かいけいし

おも争点そうてん

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行政ぎょうせい主席しゅせき直接ちょくせつ選挙せんきょせい導入どうにゅうされてはつ選挙せんきょであり、本土ほんど政治せいじおおけつけて選挙せんきょせん展開てんかいされた。そして、ちか将来しょうらい実現じつげんされるであろう本土ほんど復帰ふっき最大さいだい争点そうてんになった。

西銘にしめ順治じゅんじ候補こうほは「本土ほんどとの一体化いったいか」をかかげて経済けいざい協力きょうりょく連結れんけつした日米にちべい協調きょうちょう路線ろせんしたでの段階だんかいてき復帰ふっきうったえた。西銘にしめ主張しゅちょう当時とうじの「イモはだし論争ろんそう」につながる。一方いっぽう屋良やらちょうなえ候補こうほは「即時そくじ無条件むじょうけん全面ぜんめん返還へんかん」をかかげた。野底のそこ武彦たけひこ候補こうほ復帰ふっきそのものに反対はんたいし、琉球りゅうきゅう独立どくりつうったえた。

選挙せんきょ結果けっか

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e • d  日本の旗 だい49かい衆議院しゅうぎいん議員ぎいんそう選挙せんきょ 1968ねん11がつ10日とおか施行しこう
候補者こうほしゃ 所属しょぞく党派とうは 得票とくひょうすう 得票とくひょうりつ
屋良やらちょうなえ 無所属むしょぞく 237,643 53.51%
西銘にしめ順治じゅんじ 沖縄おきなわ自由民主党じゆうみんしゅとう 206,209 46.43%
野底のそこ武彦たけひこ 無所属むしょぞく 279 0.06%
総計そうけい 444,131 100.0%
有効ゆうこう票数ひょうすう有効ゆうこうりつ 444,131 96.73%
無効むこう票数ひょうすう無効むこうりつ 15,005 3.27%
投票とうひょうしゃすう投票とうひょうりつ 459,136 89.11%
棄権きけんしゃすう棄権きけんりつ 56,110 10.89%
有権者ゆうけんしゃすう 515,246 100.0%

日米にちべいりょう政府せいふによる工作こうさく

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2010ねん12月22にち外務省がいむしょうによって公開こうかいされた外交がいこう文書ぶんしょにより、この選挙せんきょにおいて日米にちべいりょう政府せいふ保守ほしゅけいである西銘にしめ当選とうせんのためにうごいていたことが判明はんめいしている[2]

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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出典しゅってん

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  • 屋良やらちょうなえ 編著へんちょ沖縄おきなわ教職員きょうしょくいんかい16ねん : 祖国そこく復帰ふっき日本にっぽん国民こくみんとしての教育きょういくをめざして』労働ろうどう旬報じゅんぽうしゃ、1968ねん9がつ30にちNDLJP:3035663 
  • 琉球新報りゅうきゅうしんぽうしゃへん戦後せんご政治せいじきて : 西銘にしめ順治じゅんじ日記にっき』(琉球新報りゅうきゅうしんぽうしゃ、1998)

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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