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筈見はずみ恒夫つねお

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はずみ つねお
筈見はずみ 恒夫つねお
筈見 恒夫
1941ねん筈見はずみ恒夫つねお
本名ほんみょう 松本まつもと 英一ひでかず
生年月日せいねんがっぴ (1908-12-18) 1908ねん12月18にち
ぼつ年月日ねんがっぴ (1958-06-06) 1958ねん6月6にち(49さいぼつ
出生しゅっしょう 日本の旗 日本にっぽん 東京とうきょう
死没しぼつ 日本の旗 日本にっぽん
職業しょくぎょう 映画えいが宣伝せんでん映画えいがプロデューサー映画えいが評論ひょうろん
活動かつどう期間きかん 1924ねん - 1958ねん
配偶はいぐうしゃ 中津なかつ真佐子まさこ 旧姓きゅうせい
著名ちょめい家族かぞく 筈見はずみ有弘ありひろ 長男ちょうなん
渡辺わたなべ祥子さちこ 長男ちょうなんつま
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筈見はずみ 恒夫つねお(はずみ つねお、1908ねん明治めいじ41ねん12月18にち - 1958ねん昭和しょうわ33ねん6月6にち)は、日本にっぽん映画えいが評論ひょうろんである。映画えいが宣伝せんでんマンのかたわら、批評ひひょう活動かつどうをつづけ、途中とちゅう映画えいがプロデューサーをつとめたことがある。23さいのときに脚本きゃくほんとしてもデビューしている[1]本名ほんみょう松本まつもと 英一ひでかず(まつもと えいいち)[2]サイレント映画えいが時代じだい活躍かつやくした映画えいが監督かんとく松本まつもと英一ひでかずとは別人べつじんである。

人物じんぶつ来歴らいれき

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1908ねん明治めいじ41ねん12月18にち東京とうきょう現在げんざい東京とうきょう)に松本まつもと英一ひでかずとしてまれる[2]

1931ねん昭和しょうわ6ねん)、22さいのころ、南部なんぶけいこれすけらと雑誌ざっししん映画えいが』を創刊そうかんした[2]。1932ねん昭和しょうわ7ねん)、23さいのときには、映画えいがしゃで、阿部あべゆたか監督かんとく岡田おかだ時彦ときひこ主演しゅえんサイレント映画えいが『もだん聖書せいしょ 当世とうせい立志りっし読本とくほん巻一けんいち』の脚本きゃくほんき、どうさく同年どうねん10がつ6にち公開こうかいされている[1]

1934ねん昭和しょうわ9ねん)、25さいにして東和とうわ商事しょうじ現在げんざい東宝とうほう東和とうわ)の宣伝せんでん部長ぶちょう就任しゅうにん同社どうしゃ輸入ゆにゅう配給はいきゅうするヨーロッパ映画えいが宣伝せんでん尽力じんりょくした[2]。そのかたわら評論ひょうろん活動かつどうをつづける[2]

1945ねん昭和しょうわ20ねん)8がつ15にち、36さいのときにだい世界せかい大戦たいせん終戦しゅうせんむかえ、よく1946ねん昭和しょうわ21ねん)には東宝とうほう移籍いせきして映画えいがプロデューサーとなり、3ほん映画えいが製作せいさくした[1]。1947ねん昭和しょうわ22ねん)には、しん東宝とうほう移籍いせきし、1950ねん昭和しょうわ25ねん)までに9ほん製作せいさくした[1]

1951ねん昭和しょうわ26ねん)、42さいのとき、東和とうわ映画えいが現在げんざい東宝とうほう東和とうわ)がさい発足ほっそくし、同社どうしゃ宣伝せんでん部長ぶちょう復帰ふっきした[2]

1958ねん昭和しょうわ33ねん6月6にち死去しきょした[2]まん49さいぼつ一周忌いっしゅうきむかえる1959ねん昭和しょうわ34ねん)6がつきし松雄まつお長男ちょうなん筈見はずみ有弘ありひろらので『筈見はずみ恒夫つねお』(筈見はずみ恒夫つねお刊行かんこうかい)が刊行かんこうされた。

ビブリオグラフィ

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著書ちょしょ

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たんちょ

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編著へんちょ

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共著きょうちょ

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フィルモグラフィ

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  • 『もだん聖書せいしょ 当世とうせい立志りっし読本とくほん巻一けんいち』、映画えいがしゃ、1932ねん10がつ6にち
  • 檜舞台ひのきぶたい』、東宝とうほう、1946ねん1がつ17にち
  • 浦島うらしま太郎たろう後裔こうえい』、東宝とうほう、1946ねん3がつ28にち
  • ぼくとうさん』、東宝とうほう、1946ねん7がつ4にち
  • きゅうじゅうきゅうにん花嫁はなよめ』、しん東宝とうほう映画えいが、1947ねん4がつ22にち
  • 幸福こうふくへの招待しょうたい』、監督かんとく千葉ちば泰樹やすきしん東宝とうほう映画えいが、1947ねん10がつ30にち
  • 大学だいがくもん』、しん東宝とうほう映画えいが、1948ねん2がつ21にち
  • くろだんなな』、しん東宝とうほう映画えいが、1948ねん6がつ5にち
  • 富士ふじ山頂さんちょう』、しん東宝とうほう、1948ねん6がつ23にち
  • ぐんおおかみ』、しん東宝とうほう竹井たけいプロダクション、1948ねん11月23にち
  • 深夜しんや告白こくはく』、しん東宝とうほう、1949ねん6がつ20日はつか
  • 人生じんせい選手せんしゅ』、しん東宝とうほう、1949ねん12月6にち
  • 黄金おうごんじゅう』、しん東宝とうほう、1950ねん11月3にち
  1. ^ a b c d #外部がいぶリンクらん日本にっぽん映画えいがデータベース筈見はずみ恒夫つねお」のこうのリンクさき記述きじゅつ参照さんしょうじゅうリンクをはぶく。
  2. ^ a b c d e f g コトバンクサイトない記事きじ筈見はずみ恒夫つねお」の記述きじゅつ参照さんしょう

外部がいぶリンク

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