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粟屋 元国(あわや もとくに)は、戦国時代の武将。毛利氏の譜代家臣。
毛利氏の譜代家臣である粟屋氏の惣領家当主・粟屋元好の長男として生まれる。
大永3年(1523年)、毛利幸松丸死後の家督相続をめぐって家中が対立した。この時、元国は病だったことを利用し、一族の粟屋元秀を神仏詣でと称して上洛させ、将軍・足利義晴に毛利元就の家督相続を直訴させ、元就の家督相続を認められた。
享禄2年(1529年)5月2日の安芸国松尾における合戦や、同年8月16日の安芸国壬生における合戦で戦功を挙げ、元就から感状を与えられた。
享禄5年(1532年)7月13日付の毛利氏家臣団32名が互いの利害調整を元就に要請した連署起請文では、23番目に「粟屋掃部助元國」と署名している[1]。
没年は不明であるが50歳で死去し、長男の元堅が後を継いだ。