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脚韻きゃくいん

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

脚韻きゃくいん (きゃくいんし) は、いち形式けいしき韻文いんぶんふくまれる。

脚韻きゃくいんとは、まつ行末ゆくすえるいおん同音どうおん反復はんぷくすることである。中国ちゅうごく、インド、欧米おうべいしょ言語げんご詩文しぶんにおいて発達はったつし、いんといえば、だいたい脚韻きゃくいんをさすほどになった。

日本にっぽんでは、古代こだいから漢詩かんし伝統でんとうがあり、脚韻きゃくいん意識いしきふるくからあったから、和歌わか俳句はいくにおける脚韻きゃくいんについて研究けんきゅうされることもあったものの、それが脚韻きゃくいんだと意識いしきされたことはまったくなかったとみてよい[よう出典しゅってん]

九鬼くき周造しゅうぞうほか、いくつかのこころみをて、本格ほんかくてき脚韻きゃくいんがスタートしたのは、1942ねんマチネ・ポエティクという集団しゅうだんによるこころみからだとされている。これは、当時とうじ若手わかて詩人しじん朗読ろうどくかいとしてはじまったもので、福永ふくなが武彦たけひこ加藤かとう周一しゅういち中村なかむら真一郎しんいちろう白井しらい健三郎けんざぶろう窪田くぼたあきらさくはらじょうあきら10にん参加さんかしていた。その成果せいかが、1948ねん刊行かんこうされた『マチネ・ポエティック詩集ししゅう』である。

これ以後いご細々こまごま脚韻きゃくいんつくられてきた。 代表だいひょうてきものとして、作者さくしゃ脚韻きゃくいんとしての意識いしきつよくないらしいが、谷川たにがわ俊太郎しゅんたろうの『ことばあそびうた』シリーズは、脚韻きゃくいんとしての魅力みりょくった作品さくひんぐんだとえる。 また、翻訳ほんやく世界せかいでは、原文げんぶん押韻おういん可能かのうなかぎりつたえようとする翻訳ほんやくしゃ努力どりょくつづいた。2006ねんには、ちくま文庫ぶんこ和田わだまことによるマザー・グース翻訳ほんやくおさめられ、脚韻きゃくいん可能かのうせい追求ついきゅうされている。また、柳瀬やなせ尚紀なおき仕事しごと注目ちゅうもくされる。

1991ねん飯島いいじま耕一こういち中心ちゅうしんとなって、「日本にっぽん定型ていけい協会きょうかい」を発足ほっそく。ここを拠点きょてんに、おおくの脚韻きゃくいんつくられた。また、日本語にほんごにとっての脚韻きゃくいんとはどのようなものか、そのルールと位置付いちづけについて様々さまざま論議ろんぎわされた。

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