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荒川あらかわしんきょう

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荒川あらかわしんきょう

荒川あらかわ しんきょう(あらかわ まさと、1881ねん明治めいじ14ねん7がつ25にち[1] - 1951ねん昭和しょうわ26ねん10月26にち[2])は、日本にっぽん陸軍りくぐん軍人ぐんじん政治せいじ衆議院しゅうぎいん議員ぎいん陸軍りくぐん少将しょうしょう

経歴けいれき[編集へんしゅう]

熊本くまもと出身しゅっしん1903ねん明治めいじ36ねん)11月、陸軍りくぐん士官しかん学校がっこう(15)を卒業そつぎょう1903ねん明治めいじ37ねん)2がつ12にち歩兵ほへい少尉しょうい任官にんかん[3]。そのにち戦争せんそうすみみなみ事件じけん従軍じゅうぐんした。1928ねん昭和しょうわ3ねん)8がつ10日とおか歩兵ほへい大佐たいさ昇進しょうしん富山とやま連隊れんたい司令しれいかん就任しゅうにん[4]1931ねん昭和しょうわ6ねん)8がつ1にち歩兵ほへいだい21連隊れんたいちょうてんじた[4]1933ねん昭和しょうわ8ねん)8がつ1にち陸軍りくぐん少将しょうしょう進級しんきゅう待命たいめいとなり、同年どうねん8がつ30にち予備よびやく編入へんにゅうされた[4]

その熊本くまもとけん選挙せんきょ粛正しゅくせい地方ちほう委員いいん九州きゅうしゅう司法しほう保護ほご事業じぎょう聯盟れんめい評議ひょうぎいん熊本くまもとけん社会しゃかい教育きょういく協会きょうかいふく会長かいちょう帝国ていこく在郷ざいきょう軍人ぐんじんかい熊本くまもと聯合れんごうぶん会長かいちょうなどをつとめた。

1942ねん昭和しょうわ17ねん)、だい21かい衆議院しゅうぎいん議員ぎいんそう選挙せんきょ出馬しゅつばし、翼賛よくさん政治せいじ体制たいせい協議きょうぎかい推薦すいせんけ、当選とうせんたした。1946ねん昭和しょうわ21ねん)、推薦すいせん議員ぎいんのため公職こうしょく追放ついほうとなった[5]

栄典えいてん[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ 日本にっぽん陸軍りくぐん将官しょうかん辞典じてん』37ぺーじ
  2. ^ 衆議院しゅうぎいん参議院さんぎいんへん議会ぎかい制度せいどななじゅうねん 衆議院しゅうぎいん議員ぎいん名鑑めいかん大蔵省おおくらしょう印刷いんさつきょく、1962ねん
  3. ^ 陸海りくかいぐん将官しょうかん人事じんじ総覧そうらん 陸軍りくぐんへん』194ぺーじ
  4. ^ a b c 陸海りくかいぐん将官しょうかん人事じんじ総覧そうらん 陸軍りくぐんへん』203ぺーじ
  5. ^ 朝日新聞あさひしんぶん』1946ねん2がつ10日とおかいちめん
  6. ^ 官報かんぽうだい6267ごう叙任じょにん及辞れい」1904ねん5がつ24にち
  7. ^ 官報かんぽうだい6648ごう叙任じょにん及辞れい」1905ねん8がつ26にち
  8. ^ 官報かんぽうだい8185ごう叙任じょにん及辞れい」1910ねん10がつ1にち
  9. ^ 官報かんぽうだい976ごう叙任じょにん及辞れい」1915ねん11月1にち
  10. ^ 官報かんぽうだい2501ごう叙任じょにん及辞れい」1920ねん12月2にち
  11. ^ 官報かんぽうだい1234ごう叙任じょにん及辞れい」1931ねん2がつ12にち

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • 衆議院しゅうぎいん要覧ようらんおつ昭和しょうわじゅうななねんじゅういちがつ衆議院しゅうぎいん事務じむきょく、1942ねん 
  • 福川ふくかわ秀樹ひでき日本にっぽん陸軍りくぐん将官しょうかん辞典じてん芙蓉ふよう書房しょぼう出版しゅっぱん、2001ねん
  • 外山とやまみさおへん陸海りくかいぐん将官しょうかん人事じんじ総覧そうらん 陸軍りくぐんへん芙蓉ふよう書房しょぼう出版しゅっぱん、1981ねん