(Translated by https://www.hiragana.jp/)
菅谷範政 - Wikipedia コンテンツにスキップ

菅谷すがやはんせい

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

菅谷すがやはんせい(すげのや のりまさ、えいろく元年がんねん1558ねん) - 慶長けいちょう17ねん1612ねん))は、戦国せんごく時代じだい武将ぶしょう小田おだ徳川とくがわ家臣かしん。はじめ政光まさみつ名乗なのる。左衛門さえもん大夫たいふしょうした。ちち菅谷すがやまさしさだ菅谷すがやはんさだ

小田おだ忠義ちゅうぎくしたが、1583ねん佐竹さたけ臣従しんじゅうすると、これにしたがった。このために土浦つちうらしろうしなうが、こう北条ほうじょうほろぼした豊臣とよとみ家臣かしん浅野あさの長政ながまさ小田おだたいする忠心ちゅうしん評価ひょうかされ、のち関東かんとう入部にゅうぶした徳川とくがわ家康いえやす推挙すいきょされその家臣かしんむかえられ、1000せき、のちに5000せきあまりまで加増かぞうされ、子孫しそん幕末ばくまつまでつづいた。