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菊池きくち武徳たけのり

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菊池きくち武徳たけのり

菊池きくち 武徳たけのり(きくち たけのり、1867ねん8がつ22にち慶応けいおう3ねん7がつ23にち[1] - 1946ねん昭和しょうわ21ねん2がつ11にち)は、ジャーナリスト政治せいじ息子むすこはジャズピアニストの菊池きくちしげるわたる

経歴けいれき[編集へんしゅう]

陸奥みちのくこく弘前ひろさきまれ。

1887ねん明治めいじ20ねん)4がつ慶應義塾けいおうぎじゅくべつ卒業そつぎょう[2]。ただちに『時事新報じじしんぽう』の記者きしゃとなり、1892ねん明治めいじ25ねん)に『朝野あさの新聞しんぶん』にうつりのちに社長しゃちょういで雑誌ざっし演芸えんげいほう』『しん世紀せいき社長しゃちょう就任しゅうにんし、自然しぜん主義しゅぎ小説しょうせつはいして村井むらい弦斎げんさい小説しょうせつ掲載けいさい。1903ねん明治めいじ36ねん)のだい8かい衆議院しゅうぎいん議員ぎいんそう選挙せんきょ青森あおもりけん弘前ひろさきから出馬しゅつばし、1915ねん大正たいしょう4ねん)まで、だい10かいそう選挙せんきょのぞ衆議院しゅうぎいん議員ぎいん(4)。

又新またしんかい創立そうりつ参加さんかし、代表だいひょう幹事かんじ。のちに立憲りっけん政友せいゆうかいうつる。ほか、筑豊ちくほう鉄道てつどう九州きゅうしゅう鉄道てつどう)の経営けいえいたずさわり、門司もじ参事さんじ会員かいいん日宝にっぽう石油せきゆ会社かいしゃ取締役とりしまりやく吾妻あづま牧場ぼくじょう会社かいしゃ監査かんさやくなどをつとめる。

編著へんちょしょ[編集へんしゅう]

  • 中上川なかみがわ彦次郎ひこじろうきみ人民じんみん新聞しんぶんしゃ出版しゅっぱん 1903
    • 復刻ふっこく中上川なかみがわ彦次郎ひこじろうくん 伝記でんき中上川なかみがわ彦次郎ひこじろう大空おおぞらしゃ 2000
  • 保護ほご政策せいさくろんいちはん博文ひろぶみかん 1903
  • 女性じょせいがく菊池きくち武徳たけのり (あき叟) 朝野あさの通信つうしんしゃ 1906
  • 政党せいとう一新いっしんろん 憲政けんせい大隈おおくまはくとう演芸えんげいほうしゃ 1915
  • たい問題もんだい東亜とうあしゃ 1923
  • こんせんささえ籾山もみやま書店しょてん 1924
  • 日本にっぽん木材もくざいかい人物じんぶつでん だい1かん (名古屋なごやばん)』日本にっぽん木材もくざいかい人物じんぶつでん編纂へんさん 1927
  • 日本にっぽん木材もくざいかい人物じんぶつでん だい2かん (東海とうかいばん)』日本にっぽん木材もくざいかい人物じんぶつでん編纂へんさん 1928
  • 明治めいじ裏面りめん名士めいし名妓めいぎ菊池きくちあきダイヤモンド社だいやもんどしゃ 1937
  • 伯爵はくしゃく珍田ちんだ捨巳すてみでん 明治あきはる大正たいしょう昭和しょうわ外交がいこう史料しりょうへん どもめいかく 1938
    • 復刻ふっこく日本にっぽん外交がいこう人物じんぶつ叢書そうしょ だい7かんゆまに書房しょぼう、2002ねん 

翻訳ほんやく[編集へんしゅう]

  • ウヰリアム・マテュース『処世しょせいほう抄訳しょうやく 泰山たいざん書房しょぼう 1887
  • オメーラ『やぶおうしま物語ものがたり まき1』めぐみあいどう 1893

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ 衆議院しゅうぎいんだいじゅう八回帝国議会衆議院議員名簿』(だいじゅう八回帝国議会衆議院公報第一号附録)〔1903ねん〕、26ぺーじ
  2. ^ 慶応義塾けいおうぎじゅく総覧そうらん 明治めいじ44ねん146-147ぺーじ国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション)。2019ねん9がつ5にち閲覧えつらん

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • 慶応義塾けいおうぎじゅく総覧そうらん 明治めいじ44ねん慶応義塾けいおうぎじゅく、1911ねん
  • 衆議院しゅうぎいん参議院さんぎいん議会ぎかい制度せいどひゃくねん 衆議院しゅうぎいん議員ぎいん名鑑めいかん大蔵省おおくらしょう印刷いんさつきょく、1990ねん

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]