(Translated by https://www.hiragana.jp/)
藤本二三吉 - Wikipedia コンテンツにスキップ

藤本ふじもとさんきち

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

藤本ふじもと さんきち(ふじもと ふみきち、明治めいじ30ねん1897ねん11月23にち - 昭和しょうわ51ねん1976ねん10月29にち)は、昭和しょうわ時代じだい活躍かつやくしたうぐいす芸者げいしゃ歌手かしゅ

経歴けいれき

[編集へんしゅう]

明治めいじ30ねん(1897ねん)11月23にち東京とうきょう浅草あさくさ千束せんそくまちげん台東たいとういち丁目ちょうめ煙草たばこさんじょとしてまれる。本名ほんみょう藤本ふじもと婦美ふみあねあい三味線しゃみせんしょうせいきんいもうとあい三味線しゃみせんしゅう生粋きっすい江戸えどとしてそだつ。幼少ようしょうよりうたきで、うた稽古けいこいえまえってはうたおぼえていえものおどろかせたという[1]両親りょうしんもこの才能さいのうみとめ、6さいから常磐津ときわづならわせ、さらに長唄ながうた清元きよもときょくなどもまなばせた。明治めいじ42ねん1909ねん)、12さいときはん名乗なの千葉ちばけん半玉はんぎょく(まだいち人前にんまえでない芸者げいしゃ)になる。[2]そして大正たいしょう4ねん1915ねんさんきち日本橋にほんばしかやまち芸者げいしゃとなった。[2]常磐津ときわづ三蔵さんぞうについて常磐津ときわづおさめた。大正たいしょう14ねん1924ねん)、べい水戸みとさんきちでトーキョーレコードから「ストトンぶし」「復興ふっこうぶし」「サイサイぶし」ほかすうきょく流行りゅうこう小唄こうたはじめてむ。

昭和しょうわ3ねん1928ねん)4がつビクター専属せんぞくとなり、うぐいす芸者げいしゃ歌手かしゅだいいちごうとしてかやまちさんきち歌手かしゅデビュー。よく昭和しょうわ4ねん7がつした「浪花なにわ小唄こうた」がはつヒット。よく昭和しょうわ5ねん1930ねん)に長田ながた幹彦みきひこ原作げんさくマキノ映画えいが日傘ひがさ」の主題歌しゅだいか祇園ぎおん小唄こうた」がだいヒットする。そのも「唐人とうじんきち小唄こうた明烏あけがらすへん)」「アラその瞬間しゅんかんよ」「この太陽たいよう」「女給じょきゅううた」「満州まんしゅう行進曲こうしんきょくとう流行りゅうこうのヒットをばした。これらは佐藤さとう千夜子ちやこよんいえ文子ふみこはねころも歌子うたこらのBめんであることがおおい。当時とうじおなきょく歌詞かしちがいで、Aめんには洋風ようふうアレンジ、Bめん和風わふうアレンジでまれることがおおかった。Aめん複数ふくすう歌手かしゅ担当たんとうしているが、Bめんさんきちいちけるような状況じょうきょうであったので、いきおいヒットきょくおおくなったというわけである。

また、流行りゅうこう並行へいこうしてしん民謡みんよう地方ちほう小唄こうた)もおおんでいる。昭和しょうわ初期しょきには中山なかやま晋平しんぺい藤井ふじい清水しみず野口のぐち雨情うじょうらによってしん民謡みんよう地方ちほう小唄こうた)がさかんにつくられ、なかには全国ぜんこく規模きぼ人気にんきはくし、なか流行りゅうこうのような様相ようそうていしたきょくもあった。さんきちんだもののなかでは「三朝みささ小唄こうた」「龍峡りゅうきょう小唄こうた」「サッテモぶし十日町とおかまち小唄こうた)」がそれにあたる。ほかに「熱海あたみぶし」「野沢温泉のざわおんせん小唄こうた」「所沢ところざわ小唄こうた」「オリャセぶし八王子はちおうじ音頭おんど)」「秩父ちちぶ小唄こうたとう現在げんざいでもその土地とち々々でしたしまれているきょくおおい。当時とうじ佐藤さとう千夜子ちやこ市丸いちまる小唄こうた勝太郎かつたろうなどしん民謡みんよう地方ちほう小唄こうた)をうたった歌手かしゅ数多かずおおいが、さんきちぐんいている。それは、流行りゅうこう同様どうようにレコード両面りょうめんどうきょくのアレンジ・歌詞かしちがいがまれることがおおかったためで、Aめん佐藤さとう千夜子ちやこよんいえ文子ふみこ洋楽ようがく伴奏ばんそうんだ場合ばあい、そのBめんさんきち和楽わらく伴奏ばんそうむ(ぎゃくパターンもあり)というのが恒例こうれいであった。Aめんさんきち、Bめん地元じもと芸妓げいぎれんが、また両面りょうめんとおしてさんきちんだれい多々たたある。

これらの「レコード歌謡かよう」のほか、「かっぽれ」「やつさん」「春雨はるさめとうすうおおくのはしうたや、「伊勢いせ音頭おんど」「いそたかしとう俚謡りようおおんだ。当時とうじ日舞にちぶみん舞踊ぶようにレコードを使用しようするれいえてきたため、これらのげもおしなべてよかった。ところが昭和しょうわ7ねん1932ねんごろより勝太郎かつたろう市丸いちまる台頭たいとうしてくると、しょう時代じだいかつ時代じだい週刊しゅうかん新聞しんぶんさかんにきたてられ、ビクターはこの2人ふたり肩入かたいれするようになった。さんきちはそれに反感はんかんち、佐々ささくれないはなさそいもあって昭和しょうわ7ねんの「丸ノ内まるのうち音頭おんど」を最後さいごにコロムビアレコードに移籍いせきした。移籍いせき昭和しょうわ8ねん自身じしんんだ「丸ノ内まるのうち音頭おんど」の替歌かえうた東京とうきょう音頭おんど」がヒットする。コロムビアではそれに対抗たいこうして「東京とうきょうさい」というきょく企画きかく、その吹込ふきこみに起用きようされたのがさんきち松平まつだいらあきらであった。さんきちは、「東京とうきょう音頭おんど」をんだのが勝太郎かつたろうであったこともあり非常ひじょう対抗たいこう意識いしきち、会社かいしゃ主導しゅどうのキャンペーン活動かつどう熱心ねっしんおこなうも、結果けっか惨敗ざんぱいであった。しかし、同年どうねんんだしん民謡みんよう大阪おおさか音頭おんど」が関西かんさいけん人気にんきぶ。これは全国ぜんこくヒットにはおよばなかったが、非常ひじょういきながいヒットとなった。おなきょく使つかいまわしで「広島ひろしま音頭おんど」「盛岡もりおか音頭おんど」「横須賀よこすか音頭おんどとう次々つぎつぎ発表はっぴょう、そのすべてをさんきちみ、両面りょうめんわたってまれたものでは裏面りめん赤坂あかさか小梅こうめとうになった。ほかにも「深川ふかがわ音頭おんどとうおおくのしん民謡みんようみ、それらは地元じもとながしたしまれているものがおおい。しかし、流行りゅうこう分野ぶんやではほかにビクターでんだ「祇園ぎおん小唄こうた」「唐人とうじんきち小唄こうた」の歌詞かしちがい「しん祇園ぎおん小唄こうた」「しん唐人とうじんきち」のほか「祇園ぎおんながし」「恋愛れんあい問答もんどう」「野球やきゅうおどり」とう吹込ふきこむも、ついぞ全国ぜんこくヒットにはいたらなかった。

当時とうじ勝太郎かつたろう市丸いちまる赤坂あかさか小梅こうめまめせんだいひとし日本にっぽん調ちょう歌手かしゅ芸者げいしゃ歌手かしゅ)が次々つぎつぎ登場とうじょう人気にんきはくしていた。40さいだいとなったさんきちわか後輩こうはい歌手かしゅ流行りゅうこうのヒットあらそいをすることからはなれ、はしうた舞踊ぶよう小唄こうた分野ぶんや活路かつろ見出みいだす。はしうたは、ビクター時代じだいんだものをさい吹込ふきこみし、人気にんきんだ。ことに「かっぽれ」「やつさん」「深川ふかがわ」「やりさび」「潮来いたこ出島でじま」「御所車ごしょぐるま」「春雨はるさめ」「うめにもはる」「よどみ川瀬かわせとうのおなじみのきょくのほか、なかには「茄子なすび南瓜かぼちゃとう長年ながねん下火したびになっていたきょくさんきちのレコードによりふたた人気にんきぶようになったれいられた。あいだただしいので日舞にちぶ重宝ちょうほうされ、「さんきちはしうた全集ぜんしゅう」なるアルバム(SPレコードすうまいつづり)も3シリーズ発売はつばいされた。さんきちのあいさつぶんにも「年齢ねんれいかさねてげいしぶみがてきたようにおもう」むね言葉ことばがあり、まさに面目めんぼく躍如やくじょかんがあった。また、舞踊ぶよう小唄こうた旧来きゅうらいはしうた小唄こうた俚謡りようのほか、長唄ながうた常磐津ときわづといったジャンルにわた邦楽ほうがく旋律せんりつをうまくいかしてつくられた舞踊ぶよう伴奏ばんそうようきょくで、「伊達だてやつ」「かれたぬき」「河童かっぱ」「霊峰れいほう富士ふじ」「浦島うらしま」「かれたぬきとう代表だいひょうきょくとしてあげられる。これらはレコード歌謡かようではあるも、まったくもってじゅん邦楽ほうがくからだをなしているため流行りゅうこう比肩ひけんすることはできないが、この分野ぶんやのものとしてはヒットしたものである。赤坂あかさか小梅こうめまめせんだい三島みしま儷子などとともにうたったものもあるほか、ビクターでもおなじような分野ぶんやきょく勝太郎かつたろう市丸いちまるんだが、やはりこの分野ぶんやさんきち独壇場どくだんじょうであった。

戦後せんごはレコードのみはすくなくなったが、小唄こうたはしうた俗曲ぞっきょく江戸えどげいまもって活躍かつやく。NHKラジオの邦楽ほうがく番組ばんぐみ出演しゅつえんしていたほか、戦前せんぜんんだはしうたのレコードが戦後せんごになってもよくれた。昭和しょうわ21ねん1947ねん)に再発さいはつされた「うめにもはる春雨はるさめ」「青柳あおやぎ夕暮ゆうぐれ」「やつさん/かっぽれ」の3まいのレコードは、再発さいはつされてから昭和しょうわ35ねん1960ねん)までに30まんまい売上うりあげ記録きろくし、小唄こうたはしうたブームにってげをばした[3]。また「ろくだんくずし」も戦後せんごから昭和しょうわ35ねんまでに9まんまいげた[3]昭和しょうわ43ねん1968ねん)11月、古典こてん芸能げいのう伝承でんしょうこうにより紫綬褒章しじゅほうしょう受章じゅしょう同時どうじ芸道げいどう生活せいかつ60周年しゅうねん記念きねんした「藤本ふじもとさんきち全集ぜんしゅう」50まいぐみレコードを発売はつばい昭和しょうわ50ねん1975ねん)4がつにもくんよんとう瑞宝章ずいほうしょう受章じゅしょうした。そのさい、「ガラではない」といって面映おもはであったという。弟子でしらないことでも有名ゆうめいで、作曲さっきょく町田まちだ嘉章よしあきが「家元いえもと名乗なのったら」とすすめたときでも「ガラではありません」とことわっている。またあい三味線しゃみせんであった藤本ふじもと琇丈自身じしん弟子でしさんきちから名取なとりしてほしいと相談そうだんしたが、「あんたが丹精たんせいした弟子でしじゃないか。あんたの名前なまえしておやりよ」とことわったという。

声量せいりょうゆたかで、むかしはステージでマイクを使つかわないのは、藤原ふじわら義江よしえ三浦みうらたまき藤本ふじもとさんきちだといわれたくらいである。江戸前えどまえ歯切はぎ発音はつおん芸者げいしゃ時代じだい常磐津ときわづつちかったげい素養そよう晩年ばんねんまでおとろえず、はしうた大家たいかとして現在げんざいでも最高さいこう模範もはんとされる歌唱かしょうであった。昭和しょうわ50ねん(1975ねん)10がつより、26ねんぶりにはしうた俗曲ぞっきょく十八番じゅうはちばんげいをステレオで録音ろくおんし、そのおとろえぬ至芸しげい健在けんざいしめした。住居じゅうきょ長年ながねん日本橋にほんばし浜町はまちょうんでいたが、晩年ばんねん渋谷しぶや引越ひっこし、最期さいごむすめとつさきである兵庫ひょうごけん西宮にしのみや病院びょういんむかえた。昭和しょうわ51ねん(1976ねん)10がつ29にち脳出血のうしゅっけつにより死去しきょ享年きょうねん79。

むすめには吉田よしだただし門下もんかとして活躍かつやくした藤本ふじもと二三代ふみよがいる。さんだいむすめではなく、さんきちおっとであったが、母子ぼし以上いじょうなかいと週刊しゅうかんなどにかれるほどであった。さんだい歌手かしゅになりたいとけたとき、さんきち芸能げいのうかいきびしさをくしているとしていったんは反対はんたいしたが、さんだい熱意ねついれ、積極せっきょくてきにサポートした。さんきちは、さんだいがただのおや七光ななひかりとおもわれないようにレッスンにかよわせるほか、みずからもアドバイスをおこなった。その結果けっかさんだい無事ぶじデビューすることができ、「はな大理石だいりせきどおり」などがヒット。また、まご藤本ふじもとじゅり平成へいせい11ねん1999ねん)に「水鏡みずかがみ」でデビューしている。芸能げいのうかいでは稀有けう親子おやこさんだい歌手かしゅである。

代表だいひょうきょく

[編集へんしゅう]
  • しん民謡みんよう龍峡りゅうきょう小唄こうた』(昭和しょうわ4ねん2がつ
  • しん民謡みんよう三朝みささ小唄こうた』(昭和しょうわ4ねん4がつ
  • しん民謡みんよう浪花なにわ小唄こうた』(昭和しょうわ4ねん7がつ
  • しん民謡みんよう『サッテモぶし十日町とおかまち小唄こうた)』(昭和しょうわ4ねん8がつ
  • 流行りゅうこう『モダンぶし』(昭和しょうわ4ねん11月)
  • 流行りゅうこう祇園ぎおん小唄こうた』(昭和しょうわ5ねん1がつ
  • 流行りゅうこう唐人とうじんきちうた明烏あけがらすへん)』(昭和しょうわ5ねん2がつ
  • 流行りゅうこう『アラその瞬間しゅんかんよ』(昭和しょうわ5ねん3がつ
  • しん民謡みんよう所沢ところざわ小唄こうた』(昭和しょうわ5ねん5がつ
  • 流行りゅうこう『この太陽たいよう』(昭和しょうわ5ねん6がつ
  • しん民謡みんよう草津くさつ小唄こうた』(昭和しょうわ5ねん9がつ
  • 流行りゅうこう女給じょきゅううた』(昭和しょうわ6ねん1がつ
  • しん民謡みんよう鹿児島かごしま小唄こうた』(昭和しょうわ6ねん5がつ
  • 流行りゅうこうさむらいニッポン』(昭和しょうわ6ねん3がつ
  • しん民謡みんよう日光にっこう小唄こうた』(昭和しょうわ6ねん10がつ
  • しん民謡みんよう久留くるべい小唄こうた』(昭和しょうわ6ねん11月)
  • 流行りゅうこう『トコちょうさん』(昭和しょうわ6ねん12がつ
  • 流行りゅうこう満州まんしゅう行進曲こうしんきょく』(昭和しょうわ7ねん1がつ
  • しん民謡みんよう丸ノ内まるのうち音頭おんど』(昭和しょうわ7ねん8がつ
  • しん民謡みんよう大阪おおさか音頭おんど』(昭和しょうわ8ねん12がつ
  • 流行りゅうこう祇園ぎおんながし』(昭和しょうわ9ねん5がつ
  • 流行りゅうこうしん祇園ぎおん小唄こうた』(昭和しょうわ9ねん5がつ
  • しん民謡みんよう深川ふかがわ音頭おんど』(昭和しょうわ9ねんがつ) ※きょう唱:筑波つくば一郎いちろう
  • 流行りゅうこう大阪おおさかかっぽれ』(昭和しょうわ9ねん12がつ
  • 流行りゅうこう恋愛れんあい問答もんどう』(昭和しょうわ11ねん2がつ
  • 舞踊ぶよう小唄こうた伊達だてやつ』(昭和しょうわ11ねん9がつ
  • 舞踊ぶよう小唄こうた『うかれたぬき』(昭和しょうわ11ねん10がつ
  • 舞踊ぶよう小唄こうた聚楽じゅらくまい』(昭和しょうわ12ねん8がつ) ※きょう唱:ぶん山田やまだ和香わか
  • 舞踊ぶよう小唄こうた両国りょうこく夜景やけい』(昭和しょうわ12ねん9がつ
  • 舞踊ぶよう小唄こうた『おでんじょう』(昭和しょうわ12ねん9がつ
  • 舞踊ぶよう小唄こうた初出しょしゅつ姿すがた』(昭和しょうわ12ねん9がつ
  • 舞踊ぶよう小唄こうた東京とうきょう三番叟さんばそう』(昭和しょうわ13ねん8がつ) ※きょう唱:赤坂あかさか小梅こうめ
  • 舞踊ぶよう小唄こうた浦島うらしま』(昭和しょうわ13ねん8がつ
  • 舞踊ぶよう小唄こうた霊峰れいほう富士ふじ』(昭和しょうわ13ねん8がつ
  • 舞踊ぶよう小唄こうた正行まさゆき』(昭和しょうわ13ねん8がつ
  • 舞踊ぶよう小唄こうたおうぎかざして』(昭和しょうわ14ねん9がつ) ※きょう唱:三島みしま儷子
  • 舞踊ぶよう小唄こうた河童かっぱ』(昭和しょうわ15ねん11月)
※このほか「やつさん」「かっぽれ」「うめにもはる」「米山よねやま甚句じんく」、「神奈川かながわ音頭おんど」などといったすうおおくのはしうた小唄こうた俗曲ぞっきょく民謡みんよう音頭おんど

関連かんれん項目こうもく

[編集へんしゅう]

参考さんこう文献ぶんけん

[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう

[編集へんしゅう]
  1. ^ https://merurido.jp/item.php?ky=VICL65110
  2. ^ a b 藤本ふじもと さんきちコトバンク
  3. ^ a b 「かくれたベスト・セラーレコード」『読売新聞よみうりしんぶん』1960ねん3がつ12にちづけ夕刊ゆうかん、5めん
  4. ^ 桑田くわた佳祐けいすけのやさしい夜遊よあそび 2009ねん4がつ TOKYO FM
  5. ^ サザンオールスターズ会報かいほう代官山だいかんやま通信つうしん vol.161』p3