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むしめづる姫君ひめぎみ

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むしめづる姫君ひめぎみ』(むしめづるひめぎみ、えい: The Lady who Loved Insects)は、 社会しゃかい慣習かんしゅうはんし、平安へいあん宮廷きゅうてい婦人ふじん期待きたいされるいをやぶ女性じょせいえがいた、12世紀せいき日本にっぽん物語ものがたり短編たんぺん小説しょうせつしゅうつつみ中納言ちゅうなごん物語ものがたりないの10ある短編たんぺんひとつである[1]

ストーリー

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主人公しゅじんこう昆虫こんちゅう飼育しいくし、彼女かのじょきょうもの昆虫こんちゅう名前なまえけ、どもたちにもむしのアダめいをつけて、手下てしたのようにして、むしをつかまえてこさせる。そして毛皮けがわのような毛虫けむしふくうたえいこのんで、他人たにんにはわらをもたらす。さらに風変ふうがわりなものとして描写びょうしゃされているのは、彼女かのじょなりをにしないことで、かみみみうえげ、眉毛まゆげきもせず[ちゅう 1]くろくすることおこたる、など。そんな姫君ひめぎみたいする世間せけん陰口かげぐちなどがかたられていく。物語ものがたり後半こうはんには上流じょうりゅう貴族きぞく御曹司おんぞうしみぎ馬佐ばさつとめるおとこ姫君ひめぎみ興味きょうみはじめ、リアルなへびつくものをプレゼントしておどろかそうとしたり、ちょっかいを人物じんぶつとして登場とうじょうさくこうじてこっそり姫君ひめぎみ様子ようすのぞき(垣間見かいまみ)にいくと、姫君ひめぎみ当時とうじにあって自分じぶん自身じしん姿すがた男性だんせいせることもいとわない。そんな姫君ひめぎみ姿すがたを覗見ながら「気品きひんがあり器量きりょうはあるが、きちんと化粧けしょうをしたらいいのに残念ざんねんだ」とおもい、「ああ、なんて残念ざんねんだ!なぜ彼女かのじょはそんなわったしんっているのですか?」とのちうたんでつたえ、返事へんじつ。侍女じじょなげくが姫君ひめぎみは、人間にんげんさとってしまえばなにずかしいことなんてない、とわず、わりのもの返歌へんかおとこは、毛虫けむしのような眉毛まゆげはしたれるようなひともいない、とわらってっていき、初期しょき恋愛れんあい関係かんけい物語ものがたりとともにわり、それは第三者だいさんしゃからみてほとんおどろくにたらない [2]が、この物語ものがたり最後さいごは「だいつづく」でめられている。

解釈かいしゃく

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庄野しょうのあやかすみは、姫君ひめぎみ表面ひょうめんてき変化へんかした事物じぶつへの一時いちじてき評価ひょうか忌避きひして、事物じぶつ根源こんげん探究たんきゅうしたうえでの判断はんだんをする信念しんねんっており、ひと事物じぶつという表面ひょうめんてき姿すがたがたではなく、本質ほんしつてき部分ぶぶんによって判断はんだんすることを重視じゅうしする、という信念しんねん実践じっせんしようとしているとべている[3]ドナルド・キーンは、読者どくしゃ彼女かのじょ自立じりつしん魅了みりょうされるかもしれないが、おそらく偏心へんしんてき行動こうどうかたにはまらないあじ人々ひとびと風刺ふうしさせようとしていたと示唆しさしている [4]。ロバート・バッカスは、現代げんだい読者どくしゃ目線めせんで「平安へいあんおんならしい概念がいねん過度かど不自然ふしぜんさ」よりも、彼女かのじょ独立どくりつしん自然しぜんさをこのむと指摘してき [5]かれはまた、物語ものがたり内容ないよう説話せつわ伝承でんしょうとの類似るいじてんから数々かずかず逸話いつわかたられる人物じんぶつはち大臣だいじん(はちかいおとど)としてあしだか(あしたか)、すみたん(つみみじか)、はねまだら(はねだら)などのはち愛称あいしょうあたえてっていたとされる藤原ふじわら宗輔そうすけ(1077ねんから1162ねん)をモデルにえがいているとしている [6] 。Michele Marraはさらに、宗輔そうすけはなし御所ごしょ正統せいとう挑戦ちょうせんする節度せつどむすびつけ、物語ものがたり平安へいあん時代じだい末期まっきには仏教ぶっきょうしん藤原ふじわら貴族きぞく価値かちかんよりもこのましいとおもわれていたのかもしれないことを示唆しさしている[7]

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

  1. ^ 引眉ひきまゆ」を参照さんしょう

出典しゅってん

  1. ^ Backus, Robert L. (1985). The Riverside Counselor's Stories: Vernacular Fiction of Late Heian Japan. Stanford University Press英語えいごばん. pp. xxii. ISBN 0-8047-1260-3 
  2. ^ Backus, Robert L. (1985). The Riverside Counselor's Stories: Vernacular Fiction of Late Heian Japan. Stanford University Press. pp. 41–69, esp. p.63. ISBN 0-8047-1260-3 
  3. ^ むしめづる姫君ひめぎみ」の主題しゅだい”. 弘前大学ひろさきだいがく人文じんぶん社会しゃかい科学かがく. p. 1. 2023ねん10がつ29にち閲覧えつらん。 “「しからず。よろづのこと、もとをたづねて、すえをみればこそ、ことはゆゑあれ。 いとおさなきことなり。がらす毛虫けむしかはむしのちょうとはなるなり」そのさまのなりづるを、でてみせたまへり。 傍線ぼうせんの「もと」と「まつ」はたい言葉ことばであり、「よろづのこと」、つまり万事ばんじにおける根源こんげんとその結果けっかという意味いみで、傍線ぼうせんは「人々ひとびとちょうだけをもてはやすが、ちょうだけをるのではなく、その根源こんげんである毛虫けむし収集しゅうしゅう観察かんさつし、探求たんきゅうしたのちちょうをみることで、毛虫けむしからちょう変化へんかするむし情趣じょうしゅかんじれる」ということになる。この言葉ことばは、結果けっかとしてのちょうのみを賛美さんびする、いちめんてき見方みかたによる評価ひょうかきらい、ものの根源こんげんてきことをこそ探究たんきゅうしてから評価ひょうかすべきという、ひめくん信念しんねんあらわしており、姫君ひめぎみはこの信念しんねんもとづいてむしでていたのである。”
  4. ^ Keene, Donald (1999). Seeds in the Heart: Japanese Literature from Earliest Times to the Late Sixteenth Century英語えいごばん. Columbia University Press. p. 542. ISBN 0-231-11441-9 
  5. ^ Backus, Robert L. (1985). The Riverside Counselor's Stories: Vernacular Fiction of Late Heian Japan. Stanford University Press. p. 43. ISBN 0-8047-1260-3 
  6. ^ Backus, Robert L. (1985). The Riverside Counselor's Stories: Vernacular Fiction of Late Heian Japan. Stanford University Press. pp. 45f.. ISBN 0-8047-1260-3 
  7. ^ Marra, Michele (1991). The Aesthetics of Discontent: Politics and Reclusion in Medieval Japanese Literature. University of Hawaiʻi Press英語えいごばん. pp. 63–69, esp. p. 69. ISBN 0-8248-1364-2 

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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