(Translated by https://www.hiragana.jp/)
試衛館 - Wikipedia コンテンツにスキップ

ためしまもるかん

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
市谷柳いちがややなぎまち25番地ばんちにあるためしまもるかんあと記念きねんばしら

ためしまもるかん(しえいかん)は、江戸えど時代じだい末期まっき幕末ばくまつ)に江戸えど市中しちゅうにあった、天然てんねんしんりゅう剣術けんじゅつ道場どうじょうである。

歴史れきし

[編集へんしゅう]

天保てんぽう10ねん1839)、近藤こんどういさむ養父ようふである天然てんねんしんりゅう3代目だいめ近藤こんどう周助しゅうすけ(?-1867)が創設そうせつした。

文久ぶんきゅう元年がんねん1861)、4代目だいめいさむ(1834-1868)がぐが、いさむ上洛じょうらくにより、佐藤さとう彦五ろう(1827-1902)と幕臣ばくしん寺尾てらお安次郎やすじろう留守るすあずかり、慶応けいおう3ねん1867)まで存続そんぞくした。

この道場どうじょうには、すでにのちの新選しんせんぐみ中核ちゅうかくをなすメンバーがかおつらねており、門弟もんていとして土方ひじかた歳三としぞう沖田おきた総司そうし井上いのうえ源三郎げんざぶろう山南さんなん敬助けいすけ食客しょっきゃくとして永倉ながくら新八しんぱち原田はらだひだりすけ藤堂とうどう平助へいすけ斎藤さいとうはじめ(『浪士ろうし文久ぶんきゅう報国ほうこく記事きじ』による。ただし、斎藤さいとうについては不明ふめいてんがある)とうがいたとされる。

名称めいしょうについて

[編集へんしゅう]

名称めいしょう根拠こんきょは、小島こじま鹿之助しかのすけ1873ねん明治めいじ6ねん)にしるした『両雄りょうゆうでん』の近藤こんどうあまねとき割注わりちゅうに「構場(ごうためしまもる市谷柳いちがややなぎがい…」とあるのみで、江戸えど時代じだい記録きろくこころみまもるかんさん文字もじ記述きじゅつされた史料しりょうはない。新選しんせんぐみたいが「まこと」であったことから、まことまもるかんあやまりと推測すいそくするせつもある。さらに、大石おおいしまなぶも『新選しんせんぐみ ―「最後さいご武士ぶし」の実像じつぞう―』(中公新書ちゅうこうしんしょちゅうで“史料しりょうにはためしまもるという名称めいしょうしかしめされていない、ためしまもるかん確認かくにんできない”としている。

場所ばしょをめぐる問題もんだい

[編集へんしゅう]

ためしまもるかん江戸えど市谷甲良いちがやこうら屋敷やしき作事さくじ奉行ぶぎょう配下はいか幕府ばくふだい棟梁とうりょうきのえりょう所領しょりょう現在げんざい東京とうきょう新宿しんじゅく市谷柳いちがややなぎまち25番地ばんち)にあり[1]近藤こんどう住居じゅうきょねていた。『佐藤さとう彦五ろう日記にっき』の万延まんえん元年がんねん1860)のこうには、同所どうしょにおいて練兵れんぺいかん神道しんとう無念むねんりゅう剣術けんじゅつ)と交流こうりゅう試合しあいおこなったとされている。

市谷甲良いちがやこうら屋敷やしきは、きのえりょう幕府ばくふから拝領はいりょうした土地とち町人ちょうにん賃貸ちんたいしていたにぎやかな商店しょうてんがいであった。その商店しょうてんがいにあって、近藤こんどう周助しゅうすけ身元みもと保証人ほしょうにんである山田やまだ権兵衛ごんべえ所有しょゆうするくら裏手うらてこころみまもるかんがあった、と山田やまだ子孫しそんである田畑たはたではいいつたえられている。

一説いっせつには、ためしまもるかん現在げんざい市谷甲良いちがやこうらまち1番地ばんち市谷柳いちがややなぎまちのすぐとなり)にあったともされているが、同地どうちには文政ぶんせい年間ねんかんより明治めいじ10年代ねんだいまでよし野元のもとじゅんという医師いし代々だいだい回春かいしゅんじゅく」というじゅく開業かいぎょうしていたことが確認かくにんされている[2]

平成へいせい16ねん2004)3がつ東京とうきょう新宿しんじゅく教育きょういく委員いいんかいが「市谷甲良いちがやこうら屋敷やしき市谷柳いちがややなぎまち25番地ばんち」というせつもとづき、25番地ばんちない記念きねん建立こんりゅうしている。ただし、25番地ばんちないでの詳細しょうさい位置いちためしまもるかん名称めいしょうとも今後こんご研究けんきゅう課題かだいである。

ためしまもるかん舞台ぶたいにした作品さくひん

[編集へんしゅう]
小説しょうせつ
新選しんせんぐみ ためしまもるかん青春せいしゅん松本まつもとただしだいちょ - 土方ひじかた歳三としぞう沖田おきた総司そうし斎藤さいとういちら、わかたいたちの青春せいしゅんぐんぞうえがぜん40のオムニバスたん編集へんしゅう
漫画まんが
あさぎしょく伝説でんせつ和田わだ慎二しんじ - 新選しんせんぐみ題材だいざいとした作品さくひん未完みかん京都きょうと旅立たびだつまではためしまもるかん時代じだいのエピソードが主体しゅたいとなる。

脚注きゃくちゅう

[編集へんしゅう]
  1. ^ 東京とうきょう名所めいしょ図会ずえ』、『牛込うしごめ区史くし
  2. ^ 東京とうきょう学事がくじ開業かいぎょう調書ちょうしょ

参考さんこう文献ぶんけん

[編集へんしゅう]
  • 月刊げっかん剣道けんどう日本にっぽん』1978ねん9がつごう 特集とくしゅう天然てんねんしんりゅう近藤こんどういさむ、スキージャーナル
  • 永倉ながくら新八しんぱち浪士ろうし文久ぶんきゅう報国ほうこく記事きじちゅうけい出版しゅっぱん、2013ねん

関連かんれん項目こうもく

[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク

[編集へんしゅう]