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しょかずらゆたか

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

しょかずら ゆたか(しょかつ ほう、なま没年ぼつねんしょう)は、前漢ぜんかん政治せいじしょう琅邪ぐんひとさんこく時代じだい活躍かつやくしたしょかずらあきらしょかずららの先祖せんぞとされている[1]

略歴りゃくれき

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経書けいしょつうじていたことでぐん文学ぶんがくとなり、剛直ごうちょく評判ひょうばんになった。みつぎ大夫たいふとなると、しょかずらゆたかぞくとし、さむらい推挙すいきょした。もとみかどしょかずらゆたかつかさ隷校じょう抜擢ばってきした。しょかずらゆたかだれであっても忌避きひすることなく監察かんさつ弾劾だんがいし、では「ながいことわずにいたのは、しょかずら遭遇そうぐうしたからだ」とわれるようになった。もとみかどかれり、ひかりろく大夫たいふの秩禄をあたえた。

当時とうじもとみかど外戚がいせきであるさむらいちゅうもとしょう賓客ひんきゃくつみおかし、もとあきら調しらべの対象たいしょうとなった。しょかずらゆたかもとしょう弾劾だんがいしようとしていたが、もとしょう外出がいしゅつするのに偶然ぐうぜんくわすと、しょかずらゆたかくるまめ、つかさ隷校じょうふしかかげてもとしょうに「くるまりろ」とみことのりくだ逮捕たいほしようとした。もとあきらくるまはしらせてげ、宮殿きゅうでんんでもとみかどたすけをもとめた。しょかずらゆたかいかけ、もとみかど上奏じょうそうしたが、もとみかどしょかずらゆたかからふしげた。つかさ隷校じょうふしたなくなったのはこのいちけん由来ゆらいする。

それ以降いこうもとみかどしょかずらゆたか言葉ことばげなくなった。また朝廷ちょうていではしょかずらゆたかはるなつひとごくくだ調しらべていると欠点けってんべるものおおく、もとみかどしょかずらゆたか城門じょうもんこうじょう転任てんにんさせた。

そのしょかずらゆたかひかりろくくんしゅうこらえひかりろく大夫たいふちょうたけし悪事あくじ上書うわがきしたが、かつてはしゅうこらえちょうたけしめていたことからもとみかど不信ふしんって罷免ひめんされ、無官むかんのままんだ。

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ しょしょかずら瑾伝がく『風俗ふうぞくどおり』によると、しょかずらゆたかちょうすわえちんまさる配下はいかかずら末裔まつえいしるされている。それによるとかずら嬰はひねしょうによって処刑しょけいされたが、前漢ぜんかんぶんみかどだいかずら嬰のまごさがし、祖父そふ功績こうせきしょけんこうふうじられた。以降いこうからかずらは「しょかずら」に改姓かいせいしたとある。

参考さんこう文献ぶんけん

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