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近衛 教基(このえ のりもと)は、室町時代中期の公卿。関白・近衛房嗣の一男。官位は従一位・右大臣。後九条と号する。官位は右大臣に至ったが、摂関に昇ることなく早世した。
永享12年(1440年)10月、18歳で元服。6代将軍・足利義教から偏諱を受け、教基と名乗る[1]。同13年(1441年)1月従三位に叙されて公卿に列し、2月右近衛中将に転じる。
以後は文安元年(1444年)11月権大納言、同3年(1446年)1月従二位、同6年(1449年)1月正二位と累進した。宝徳4年(1452年)3月右近衛大将となり、康正元年(1455年)8月内大臣、同3年(1457年)9月右大臣に任じられる。
長禄3年(1459年)1月、従一位に叙されたが、寛正3年(1462年)8月1日悪腫を患って現職のまま薨去。享年40。これは春日大明神の神罰によるものと噂された[2]。教基には男子がおらず、家督は弟・政家が継いだ。
- 父:近衛房嗣(1402-1488)
- 母:家女房播磨局 - 播磨守某女
- 妻:不詳
- 生母不明の子女
- 女子:某[3](御霊殿・浄心仁、1459-1487)