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遠山とおやまサキ

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とおやま サキ

遠山とおやま サキ
生誕せいたん 1928ねん6月12にち
北海道ほっかいどう浦河うらかわぐん浦河うらかわまち
死没しぼつ (2018-12-15) 2018ねん12月15にち(90さいぼつ
死因しいん 敗血症はいけつしょう
住居じゅうきょ 北海道ほっかいどう浦河うらかわぐん浦河うらかわまち
国籍こくせき 日本の旗 日本にっぽん
民族みんぞく アイヌ
出身しゅっしんこう 野深のぶか小学校しょうがっこう
時代じだい 昭和しょうわ - 平成へいせい
団体だんたい 姉茶あねちゃ民芸みんげいひん研究けんきゅうかい
影響えいきょうけたもの 浦川うらかわタレ
肩書かたが 姉茶あねちゃ民芸みんげいひん研究けんきゅうかい理事りじ
浦河うらかわウタリ文化ぶんか保存ほぞんかいふく会長かいちょう理事りじ
浦河うらかわ町立ちょうりつ郷土きょうど博物館はくぶつかん主催しゅさいアイヌ文化ぶんかセミナー講師こうし
子供こども ゆみ恵子けいこゆかみどり、ほり悦子えつこ
受賞じゅしょう 浦河うらかわまち文化ぶんか奨励しょうれいしょう(1988ねん
アイヌ民芸みんげいひんコンクール どう教育きょういくちょうしょう(1992ねん
北海道ほっかいどう文化財ぶんかざい保護ほご功労賞こうろうしょう(2001ねん
アイヌ文化ぶんか奨励しょうれいしょう(2004ねん
アイヌ文化ぶんかしょう(2008ねん
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遠山とおやま サキ(とおやま サキ、1928ねん昭和しょうわ3ねん6月12にち[1][2] - 2018ねん平成へいせい30ねん12月15にち[3])は、日本にっぽんのアイヌ文化ぶんか伝承でんしょうしゃ北海道ほっかいどう浦河うらかわまちでアイヌ文化ぶんか全般ぜんぱん知識ちしき技能ぎのう技術ぎじゅつ体得たいとくした伝承でんしょうしゃであり、日本にっぽん国内外こくないがい活躍かつやくしたアイヌ文化ぶんか伝承でんしょうしゃ第一人者だいいちにんしゃとされる[4]

経歴けいれき

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北海道ほっかいどう浦河うらかわまち姉茶あねちゃ地区ちく誕生たんじょうした[1]。8さいのときに姉茶あねちゃ尋常じんじょう小学校しょうがっこう入学にゅうがく[5]小学しょうがく3ねん野深のぶか小学校しょうがっこう転入てんにゅうしたが[6]、アイヌのまれであることを理由りゆうにいじめにい、あまり学校がっこうにはかよわずに少女しょうじょ時代じだいごした[7][6]

結婚けっこん子供こどもたちが独立どくりつしたころより、アイヌの衣装いしょう製作せいさくはじめた[8]。さらに、浦河うらかわ代表だいひょうする伝承でんしょうしゃ1人ひとりである浦川うらかわタレからアイヌ文化ぶんかおしえをけて[9]次第しだいにアイヌ文化ぶんか傾倒けいとうしていった[10]

1960ねん昭和しょうわ35ねん)より、浦河うらかわウタリ文化ぶんか保存ほぞんかい前身ぜんしんとなる姉茶あねちゃ民芸みんげいひん研究けんきゅうかい設立せつりつ参画さんかくした[11]以来いらい、アイヌ古式こしき舞踊ぶよう伝承でんしょう保存ほぞん活動かつどう従事じゅうじするとともに、みずからもアイヌ文化ぶんか振興しんこう伝承でんしょう保存ほぞん尽力じんりょくした[11]。1962ねん昭和しょうわ37ねん)には姉茶あねちゃ民芸みんげいひん研究けんきゅうかい理事りじ就任しゅうにん、2000ねん平成へいせい12ねん)までに浦河うらかわウタリ文化ぶんか保存ほぞんかいふく会長かいちょう理事りじ浦河うらかわ町立ちょうりつ郷土きょうど博物館はくぶつかん主催しゅさいアイヌ文化ぶんかセミナー講師こうしなどを歴任れきにんした[11]

1994ねん平成へいせい6ねん)には、東京とうきょう新宿しんじゅく小田急おだきゅうデパートで開催かいさいされた北海道ほっかいどう物産ぶっさんてんで、アイヌ民俗みんぞく芸能げいのう実演じつえん参加さんかした[12]。1998ねん平成へいせい10ねん)には、オーストリアで開催かいさいされた世界せかい口琴こうきん大会たいかいに、次女じじょゆかみどり、さんじょほり悦子えつこともに、ムックリ(アイヌの楽器がっき奏者そうしゃとして参加さんかした[13][14]。2003ねん平成へいせい15ねん)からは、子供こどもたちとまごたちによる手製てせい作品さくひんった「おや子孫しそん3世代せだいてん」を、名古屋なごやはじめとして日本にっぽん各地かくち開催かいさいした[15]

晩年ばんねんには2013ねん平成へいせい25ねん)に病気びょうきわずらうまで、地元じもとでアイヌやアイヌ文化ぶんかおしつづけた[16]。2018ねん平成へいせい30ねん)12月に敗血症はいけつしょうにより、90さい死去しきょした[3][16]没後ぼつごの2019ねん平成へいせい31ねん)3がつ生前せいぜん長女ちょうじょゆみ恵子えこが7ねんをかけてききした書籍しょせきアネサㇻ シネウㇷ゚ソㇿ』が出版しゅっぱんされた[17]

受賞じゅしょうれき

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  • 1988ねん - 浦河うらかわまち文化ぶんか奨励しょうれいしょう[2]
  • 1992ねん - アイヌ民芸みんげいひんコンクール どう教育きょういくちょうしょう[18]
  • 2001ねん - 北海道ほっかいどう文化財ぶんかざい保護ほご功労賞こうろうしょう[2]
  • 2004ねん - アイヌ文化ぶんか奨励しょうれいしょう[2]
  • 2008ねん - アイヌ文化ぶんかしょう[11]

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ a b 遠山とおやまサキ(かたり)ゆみ恵子けいこ(きき)『アネサㇻ シネウㇷ゚ソㇿ アイヌとしてきた遠山とおやまサキの生涯しょうがいゆうしゃ、2019ねん3がつ20日はつか、8-9ぺーじISBN 978-4-88503-249-3 
  2. ^ a b c d 平成へいせい16年度ねんど アイヌ文化ぶんか奨励しょうれいしょう個人こじん遠山とおやまサキ(76さい”. アイヌ民族みんぞく文化ぶんか財団ざいだん. 2022ねん3がつ8にち閲覧えつらん
  3. ^ a b 遠山とおやま & ゆみ 2019, p. 222
  4. ^ 尾田おだひろし「〈ピヤラ アイヌアートの世界せかいゆかみどりさんさく アイヌ民族みんぞく木綿こわたころも 明治あきはる大正たいしょう幾何きかがく文様もんよう」『北海道新聞ほっかいどうしんぶん北海道新聞社ほっかいどうしんぶんしゃ、2020ねん7がつ6にちゆうひがし夕刊ゆうかん、4めん
  5. ^ 遠山とおやま & ゆみ 2019, p. 28
  6. ^ a b 遠山とおやま & ゆみ 2019, p. 41
  7. ^ 遠山とおやま & ゆみ 2019, p. 30
  8. ^ 遠山とおやま & ゆみ 2019, p. 180
  9. ^ 遠山とおやま & ゆみ 2019, p. 182
  10. ^ だい16かい アイヌのかた 遠山とおやまサキ「アイヌのしんいで」”. 日本にっぽん列島れっとう 知恵ちえプロジェクト. 2024ねん3がつ8にち閲覧えつらん
  11. ^ a b c d 平成へいせい21年度ねんど アイヌ文化ぶんかしょう 遠山とおやまサキ”. アイヌ民族みんぞく文化ぶんか財団ざいだん. 2022ねん3がつ8にち閲覧えつらん
  12. ^ 「アイヌ民芸みんげいって 遠山とおやまサキさん」『北海道新聞ほっかいどうしんぶん』1994ねん11月14にち夕日ゆうひ夕刊ゆうかん、10めん
  13. ^ うみやまうつくしい浦河うらかわそして荒波あらなみ表現ひょうげんしたい 世界せかい口琴こうきん大会たいかい出場しゅつじょう遠山とおやまさん、ほりさん親子おやこ 町長ちょうちょう出発しゅっぱつあいさつ」『北海道新聞ほっかいどうしんぶん』1998ねん6がつ20日はつか日高ひだか朝刊ちょうかん、24めん
  14. ^ 小坂こさか洋右ようすけ家族かぞくつむぐアイヌ文化ぶんか 浦河うらかわ遠山とおやまさんら13にん「3世代せだいてん札幌さっぽろできょうから 衣類いるい木彫きぼりなど200てん」『北海道新聞ほっかいどうしんぶん』2009ねん11月24にちさつA朝刊ちょうかん、22めん
  15. ^ 小坂こさか洋右ようすけ哀惜あいせき 遠山とおやまサキさん アイヌ文化ぶんか伝承でんしょうしゃ 12がつ15にち死去しきょ 90さい 活動かつどう 人柄ひとがらひろげる」『北海道新聞ほっかいどうしんぶん』2019ねん3がつ30にちぜんみち夕刊ゆうかん、2めん
  16. ^ a b 今泉いまいずみそう「アイヌ文化ぶんか伝承でんしょう遠山とおやまサキさん死去しきょ」『朝日新聞あさひしんぶん朝日新聞社あさひしんぶんしゃ、2018ねん12月17にち北海道ほっかいどう朝刊ちょうかん、26めん
  17. ^ 細川ほそかわ智子さとこ「アイヌ文化ぶんか 浦河うらかわ伝承でんしょう 遠山とおやまさんの生涯しょうがい いちさつ長女ちょうじょ、7ねんかけききとり」『北海道新聞ほっかいどうしんぶん』2019ねん5がつ16にち日高ひだか朝刊ちょうかん、16めん
  18. ^ 受賞じゅしょうしゃ拍手はくしゅ! みちアイヌ民芸みんげいひんコンクール」『北海道新聞ほっかいどうしんぶん』1992ねん3がつ1にちぜんみち朝刊ちょうかん、25めん