(Translated by https://www.hiragana.jp/)
避病院 - Wikipedia コンテンツにスキップ

避病院ひびょういん

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

避病院ひびょういん(ひびょういん)とは、明治めいじ時代じだいつくられた日本にっぽん伝染でんせんびょう専門せんもん病院びょういんである。昭和しょうわでは「隔離かくり病舎びょうしゃ」(かくりびょうしゃ)として小学校しょうがっこう教科書きょうかしょ記載きさい伝染でんせんびょう予防よぼうほう制定せいていされ「伝染でんせん病院びょういん」に、感染かんせんしょう予防よぼうほう制定せいていされ「感染かんせんしょう指定してい医療いりょう機関きかん」へと、現代げんだいもその役割やくわりになっている。

発足ほっそくいた経緯けいい[編集へんしゅう]

1876ねん明治めいじ9ねん)、きよしアモイから寄港きこうしたアメリカ海軍かいぐん船内せんないからコレラひろまり、国内こくない爆発ばくはつてき流行りゅうこうとなった。日本にっぽんでは、すで江戸えど時代じだい末期まっきより、幾度いくど多数たすう死者ししゃ流行りゅうこうられており、早期そうき対策たいさく重要じゅうようせい認識にんしきしていた明治めいじ政府せいふは、とられつとげびょう(コレラ)予防よぼう心得こころえ内務省ないむしょう)とともに避病院ひびょういんかり規則きそく警視庁けいしちょう[1]ととのえた。実際じっさいには、1878ねん明治めいじ11ねんごろから日本にっぽん各地かくち避病院ひびょういん設置せっちすすめられ、患者かんじゃ収容しゅうよう隔離かくり体制たいせいととのえられた。

江戸えど時代じだいにおいては天然痘てんねんとう発生はっせいした場合ばあい熊本くまもとけんでは天草あまくさ下馬刀島しもまてじま隔離かくりし、死後しごはかてたという[2]

避病院ひびょういん収容しゅうよう患者かんじゃ状況じょうきょう[編集へんしゅう]

病院びょういんという形式けいしきっていたものの、コレラは未知みちやまいであり治療ちりょうほどこ余地よちすくなかった。また、当時とうじ医療いりょう従事じゅうじしゃすくなかったこともあり、現代げんだい医療いりょう水準すいじゅんからすれば感染かんせんしゃ隔離かくりするだけの施設しせつという状況じょうきょうにあった。当時とうじ患者かんじゃがわ意識いしきも、「コレラはたた」という時代じだいであり、加持かじ祈祷きとう回復かいふくこころみたあげく症状しょうじょう悪化あっかさせ、末期まっきてき症状しょうじょうになってからはこばれてくるケースがおおく「きてかえれる場所ばしょではない」という風評ふうひょう拍車はくしゃけた[3]政府せいふは、通達つうたつとう官憲かんけんによる収容しゅうよう可能かのうとするとともに、患者かんじゃ加持かじ祈祷きとう規制きせいした。

避病院ひびょういん設置せっち場所ばしょ[編集へんしゅう]

病院びょういん性格せいかくじょう最初さいしょから郊外こうがいつくられることがおおかったという事情じじょうもあるが、あまりにもおおくの収容しゅうよう患者かんじゃ次々つぎつぎ死亡しぼうすることから、最初さいしょから火葬かそうじょう近隣きんりん避病院ひびょういん設置せっちしたケースもおおい。戦前せんぜん地形ちけいには、一般いっぱん病院びょういん避病院ひびょういん伝染でんせん病院びょういん)の地図ちず記号きごう別々べつべつ記載きさいされており[4]、こうしたケースを追跡ついせきすることができる。

また、いわゆる迷惑めいわく施設しせつであったため、流行りゅうこうおさまるとすみやかにやぶ却されることが前提ぜんていであった。

避病院ひびょういん記録きろく[編集へんしゅう]

青森あおもりけん車力しゃりきむら[編集へんしゅう]

野崎のさき久一ひさいちは「避病院ひびょういん覚書おぼえがき」とだいし、終戦しゅうせん直後ちょくご自分じぶん入院にゅういんした青森あおもりけん車力しゃりきむら赤痢せきり集団しゅうだん発生はっせい避病院ひびょういん記録きろくしている。13まいのスケッチ、小屋こや病者びょうしゃ生活せいかつ火葬かそう記述きじゅつなど貴重きちょう記録きろくである。重症じゅうしょうしゃ家族かぞく粗末そまつ小屋こやでリンゴをこすっている。医師いしは2にちに1かいおとずれる。火葬かそうは300メートルはなれた小屋こやでおこなう[5]

富山とやまけん魚津うおづまち[編集へんしゅう]

富山とやまけん魚津うおづまちげん魚津うおづ)では1886ねん明治めいじ19ねん)にはじめて避病院ひびょういん建設けんせつ以後いご移転いてんを2かいかえしたのち設備せつびが「はなは不完全ふかんぜんである」として、1909ねん明治めいじ42ねん)に建坪たてつぼ150つぼしん病舎びょうしゃを2000えん建設けんせつした。しん病舎びょうしゃない間取まどによれば、玄関げんかんわき炊事すいじじょうがあり、玄関げんかんからびる廊下ろうか両側りょうがわ片側かたがわ5しつずつけい10しつ病室びょうしつあたりをがって便所べんじょがある間取まどりとなっている。病舎びょうしゃないには診察しんさつしつ処置しょちしつはなく、医師いし看護かんごしょられない[6]

発展はってんてき解消かいしょう[編集へんしゅう]

明治めいじ時代じだい中期ちゅうきはいると、1883ねん明治めいじ16ねん)、ロベルト・コッホがコレラきん発見はっけんし、予防よぼう治療ちりょうへの道筋みちすじ徐々じょじょてられるようになったこと、近代きんだいてき教育きょういくシステムにより医師いし看護かんご充足じゅうそくられた。避病院ひびょういんは、徐々じょじょ医療いりょう機関きかんとしての機能きのう発揮はっきするようになり、赤痢せきりちょうチフスなど伝染でんせんびょう守備しゅび範囲はんいおさめて常設じょうせつしていった。

東京とうきょう本所ほんじょ[7]駒込こまごめ[8][9]大久保おおくぼ[10][11]の3病院びょういんは1886ねん11月にそれぞれ東京とうきょう○○病院びょういんかたち常設じょうせつうえ改称かいしょうされたが、これは東京とうきょうべんでは避病院ひびょういんびょういん)が「病院びょういんびょういん)」になってしまい、まぎらわしいことも一因いちいんであったとわれる[12]熊本くまもと場合ばあい1879ねん明治めいじ12ねん)8がつ5にち飽田あきたぐん古町ふるまちげん 熊本くまもと二本木にほんぎ)に病院びょういん設立せつりつ二本木にほんき避病院ひびょういんしょうしたが、1896ねん明治めいじ29ねん)に熊本くまもと九品寺くほんじ(くほんじ)に熊本くまもと市立しりつ避病院ひびょういん設立せつりつ1914ねん大正たいしょう3ねん)に熊本くまもと市立しりつ白川しらかわ病院びょういん改称かいしょう実質じっしつ伝染でんせんびょう病院びょういんであった。[13]

1897ねん明治めいじ30ねん)3がつ伝染でんせんびょう予防よぼうほう制定せいていされると、避病院ひびょういん法的ほうてき伝染でんせん病院びょういん(でんせんびょういん)として位置いちづけられる法律ほうりつ庇護ひごけられるようになったが、避病院ひびょういん俗称ぞくしょうとしてながもちいられた。その伝染でんせん病院びょういんは、スペイン風邪かぜなどの流行りゅうこうにも機能きのうせ、徐々じょじょ総合そうごう病院びょういんしてく。だい世界せかい大戦たいせんわり、公衆こうしゅう衛生えいせい飛躍ひやくてき向上こうじょうすると伝染でんせんびょう患者かんじゃ激減げきげん1960年代ねんだいまでにおおくの伝染でんせん病院びょういんは、隔離かくり病棟びょうとう廃止はいししたり一般いっぱん病棟びょうとう拡充かくじゅうするなどして総合そうごう病院びょういんとなり発展はってんてき解消かいしょうげた。

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ 改正かいせい類聚るいじゅう京都きょうと衛生えいせい要覧ようらん.1887ねん明治めいじ20ねん)11がつ国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション)
  2. ^ 朝日新聞あさひしんぶん熊本くまもとばん 2011ねん平成へいせい23ねん)5がつ8にち p29
  3. ^ 巷間こうかんではをとられて絵具えのぐにされるといわれていた更紗さらさ絵具えのぐ避病院ひびょういん生血なまち」1882ねん明治めいじ15ねん)6がつ16にち 東京とうきょうにゅう新聞しんぶん新聞しんぶん集成しゅうせい明治めいじ編年史へんねんし. だいかん国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション)
  4. ^ 1999ねん平成へいせい11ねん)までは隔離かくり病舎びょうしゃ地図ちず記号きごう存在そんざいした。
  5. ^ 近代きんだい庶民しょみん生活せいかつ 20 病気びょうき衛生えいせい さんいち書房しょぼう*』「避病院ひびょういん覚書おぼえがき野崎のさき久一ひさいち 1995ねん平成へいせい7ねん
  6. ^ 避病院ひびょういん魚津うおづまち 復刻ふっこくばん』p892 新興しんこう出版しゅっぱんしゃ 1982ねん昭和しょうわ57ねん)1がつ10日刊にっかん
  7. ^ 告示こくじだい60ごう」『官報かんぽう』1886ねん7がつ10日とおか国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション)
  8. ^ 告示こくじだい68ごう」『官報かんぽう』1886ねん8がつ7にち国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション)
  9. ^ 告示こくじだい105ごう」『官報かんぽう』1886ねん11月2にち国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション)
  10. ^ 告示こくじだい71ごう」『官報かんぽう』1886ねん8がつ17にち国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション)
  11. ^ 告示こくじだい102ごう」『官報かんぽう』1886ねん10がつ29にち国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション)
  12. ^ *『東京とうきょう都立とりつ広尾ひろお病院びょういん100ねんあゆみ』東京とうきょう都立とりつ広尾ひろお病院びょういん、1995ねん、20ぺーじ
  13. ^ しん熊本くまもと 通史つうしへん だいかん近代きんだい 1』PP.998-999