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きむよしやすし

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獲得かくとくメダル
大韓民国の旗 大韓民国だいかんみんこく
柔道じゅうどう
オリンピック
どう 1964 東京とうきょう ちゅうりょうきゅう
世界せかい柔道じゅうどう選手権せんしゅけん
どう 1965 リオデジャネイロ ちゅうりょうきゅう
どう 1961 パリ 差別さべつ

きむ よしやすし(キム・ウィテ、あさ: 김의태えい: Kim Ui-Tae1941ねん6月2にち-)は韓国かんこく柔道じゅうどう選手せんしゅ日本にっぽんめい山本やまもと よしやすし(やまもと よしやす)。兵庫ひょうごけん神戸こうべ長田ながた出身しゅっしん[1]階級かいきゅうちゅうりょうきゅう身長しんちょう174cm[2]

人物じんぶつ[編集へんしゅう]

在日ざいにち韓国かんこくじんとしてまれて、かみこう学園がくえん高校こうこうから天理大学てんりだいがくすすみ、主将しゅしょうつとめるなどして活躍かつやくした[3]、1961ねん世界せかい選手権せんしゅけん(無差別むさべつ)では韓国かんこく代表だいひょう出場しゅつじょうして、準決勝じゅんけっしょう曽根そね康治こうじ判定はんてい、3決定けっていせん古賀こがたけしはらいこしやぶれたが4となった。また、1963ねんのプレオリンピック大会たいかいちゅうりょうきゅうでは決勝けっしょう中央大学ちゅうおうだいがく岡野おかのいさおやぶれた[1]

その、1964ねんには東京とうきょうオリンピックちゅうりょうきゅう代表だいひょうえらばれて韓国かんこく練習れんしゅうしていたが、コーチがいなかったのでなにもかも自分じぶんでこなさなければならなかった。さらには、韓国かんこくはなせず、在日ざいにち裕福ゆうふくであるとおもわれていたこともあって、周囲しゅういからやっかみをけて孤立こりつしていたが、ちから突出とっしゅつしていたのでめんかってなにわれたことはなかった。また、大会たいかいまでの半年はんとしあいだ生活せいかつまずしい家庭かていでありながら両親りょうしん捻出ひねりだしてくれたことにおおいに感謝かんしゃしたという[4]

東京とうきょうオリンピックのちゅうりょうきゅうでは準決勝じゅんけっしょう岡野おかの対戦たいせんして優勢ゆうせいけするが、どうメダルを獲得かくとくした。1965ねん世界せかい選手権せんしゅけんでも3となった。引退いんたい天理大学てんりだいがく指導しどうしゃとなり、すうおおくの選手せんしゅ育成いくせいした。また、1976ねんモントリオールオリンピックでは韓国かんこく柔道じゅうどう代表だいひょうチームの監督かんとくった[1]

おも戦績せんせき[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]