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かんたね

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かん たね(かん いん、? - 197ねん)は、中国ちゅうごくこうかん時代じだい末期まっき政治せいじ

正史せいし事跡じせき[編集へんしゅう]

姓名せいめい かんたね
時代じだい こうかん時代じだい
なま没年ぼつねん 生年せいねんしょう - 197ねんたてやすし2ねん
べつごう しょう
出身しゅっしん しょう
しょくかん しょう
爵位しゃくいごうとう -
陣営じんえい所属しょぞくとう 袁術
家族かぞく一族いちぞく しょう

袁術配下はいかたてやすし2ねん(197ねん)、みかど僭称せんしょうした袁術はりょぬのとの同盟どうめいかんがえ、かんたね使者ししゃとして派遣はけんした。かんたねは、袁術がみかど僭称せんしょうした経緯けいいりょぬの説明せつめいし、あわせてりょぬのむすめを袁術のよめむかれたいともうれた。

当初とうしょりょぬのはこれにおうじてむすめおくした。しかし、りょぬのと袁術の同盟どうめいおそれるちんが「袁術と同盟どうめいしてはならない」とりょぬの説得せっとくしたため、ついにりょぬのはその説得せっとくしたがってむすめもどし、かんたね曹操そうそうわたしてしまった。かんたね曹操そうそういのちにより斬首ざんしゅされ、もと市場いちば梟首きょうしゅされた。

物語ものがたりちゅうかんたね[編集へんしゅう]

小説しょうせつ三国志さんごくし演義えんぎ』では、かんたねりょぬのぐんちんみやこと次第しだいげ、事前じぜん同盟どうめい承諾しょうだくて、十分じゅうぶんしも準備じゅんびをしたうえりょぬの縁談えんだんすすめている。しかし結局けっきょくは、ちん珪の蠢動しゅんどうによりりょぬの変心へんしんしたため、その目論見もくろみ失敗しっぱいすることになる。そのかんたねはしばらくりょぬのしたかれる。しかし、曹操そうそうりょぬの懐柔かいじゅうしようと使者ししゃおくひらひがし将軍しょうぐんふうじたときわるくそこに袁術から督促とくそく使者ししゃ到着とうちゃくしてしまう。このためりょぬのいかり、督促とくそく使者ししゃ斬首ざんしゅしたうえで、かんたねにも首枷くびかせをはめて曹操そうそうわたすことになっている。最後さいご史実しじつどおりである。

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]