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駱秉あきら

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駱秉あきら

駱 秉章(らく へいしょう、Luo Bingzhang1793ねん - 1867ねん)は、きよし官僚かんりょう籲門ごう儒斎広東かんとんしょうはなけん出身しゅっしん

1832ねん進士しんしとなって翰林院かんりんいん庶吉となる。1848ねん湖北こほく按察使となり、1850ねんにはしゅうぬのせい使から湖南こなんめぐなで昇進しょうしんした。1852ねん太平たいへい天国てんごくぐん湖南こなんはいると駱秉あきらへいひきいて抵抗ていこうし、ちょうすなを80日間にちかんにわたって包囲ほういされたがついにまもりきった。1853ねんこくはんだんねり結成けっせいするのを支持しじし、ひだりはじめ幕僚ばくりょうまねいた。

1861ねん四川しせん総督そうとく任命にんめいされ雲南うんなんしょうあいちょうかなえ蜂起ほうきぐん鎮圧ちんあつした。1863ねんだい渡河とか進軍しんぐん太平たいへい天国てんごくいしたちひらく退路たいろことわった。いしたちひらく包囲ほういされ、部下ぶかいのちたすけるために投降とうこう成都せいと処刑しょけいされた。1867ねん四川しせん総督そうとく在任ざいにんのまま死去しきょ文忠ふみただ諡号しごうおくられた。

先代せんだい
馮徳かおる
湖南こなんめぐなで
1850-1852
次代じだい
ちょうあきらもと
先代せんだい
はん
湖南こなんめぐなで
1853-1860
次代じだい
翟誥
先代せんだい
たかし(チュンシ)
四川しせん総督そうとく
1861-1867
次代じだい