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高市黒人たけちのくろひと

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高市黒人たけちのくろひと
三河みかわそうしゃにある高市黒人たけちのくろひと歌碑かひ
時代じだい 飛鳥あすか時代ときよ
生誕せいたん 不明ふめい
死没しぼつ 不明ふめい
主君しゅくん もちすべ天皇てんのう文武ぶんぶ天皇てんのう
氏族しぞく 高市たかいちれん
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高市たかいち 黒人こくじん(たけち の くろひと)は、飛鳥あすか時代ときよかんじん歌人かじんせいれん

出自しゅつじ

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高市たかいちは(高市たかいちけんぬし高市たかいちれん天津てんしん彦根ひこね曾孫そうそん・彦伊賀いが後裔こうえいとされる天孫てんそんけい氏族しぞく[1]本拠地ほんきょち大和やまとこく高市たかいちけん現在げんざい奈良ならけん高市たかいちぐんおよび橿原かしはら一部いちぶ)で、その首長しゅちょうとして管掌かんしょうした[2]天武天皇てんむてんのう12ねん683ねん)にれんせい改姓かいせいしている。

経歴けいれき

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もちみつる文武ぶんぶ両朝りょうちょう下級かきゅうかんじんつとめたらしいが、かんれきつたわらない。『万葉集まんようしゅう』に短歌たんか18しゅ採録さいろくされているが、大宝たいほう元年がんねん701ねん)のもちすべ上皇じょうこう吉野よしのみや行幸ぎょうこう[3]よく大宝たいほう2ねん702ねん)の三河みかわこく行幸ぎょうこう同行どうこうしたさい詠歌えいかはじ[4]、「羈旅のうたはちしゅ」など[5]すべたびちゅうんだ作品さくひんである。その足跡あしあとは、大和やまと山城やましろ摂津せっつ近江おうみ畿内きないくわえ、尾張おわり三河みかわ越中えっちゅう諸国しょこくにまでおよんでいる。

また、『たま和歌集わかしゅう』『しん拾遺しゅうい和歌集わかしゅう』に1しゅずつにゅうしゅうする勅撰ちょくせん歌人かじんでもある[6]

うたふう

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脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 新撰しんせん姓氏せいしろく右京うきょうかみべつ
  2. ^ 佐伯さえき[1994: 294]
  3. ^ 万葉集まんようしゅうまき1-70
  4. ^ 万葉集まんようしゅうまき1-58
  5. ^ 万葉集まんようしゅうまき3-270~277
  6. ^ 勅撰ちょくせん作者さくしゃ部類ぶるい

参考さんこう文献ぶんけん

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