高谷たかやそうあきら

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高谷たかや そうあきら
個人こじん情報じょうほう
国籍こくせき日本の旗 日本にっぽん
生誕せいたん (1989-04-05) 1989ねん4がつ5にち(35さい
京都きょうと竹野たかのぐん網野あみのまちげんきょう丹後たんご
身長しんちょう178 cm (5 ft 10 in)
スポーツ
競技きょうぎ男子だんしレスリング・フリースタイル
種目しゅもく74kgきゅう→79kgきゅう→86kgきゅう
獲得かくとくメダル
男子だんし レスリング・フリースタイル
レスリング世界せかい選手権せんしゅけん
ぎん 2014 タシュケント 74kgきゅう

高谷たかや そうあきら(たかたに そうすけ、1989ねん4がつ5にち - )は、京都きょうと竹野たかのぐん網野あみのまちげんきょう丹後たんご出身しゅっしんレスリング選手せんしゅ(フリースタイル)。ALSOK所属しょぞく現在げんざい階級かいきゅうは86kgきゅう

全日本ぜんにほん選手権せんしゅけんにおいては74・79・86・92kgきゅうの4かいきゅう制覇せいはわせて12ねん連続れんぞく優勝ゆうしょうげた。(大会たいかい史上しじょう2タイの記録きろく)12度目どめ優勝ゆうしょうは、歴代れきだい5記録きろく[1]

2012ねんロンドンオリンピック2016ねんリオデジャネイロオリンピックのオリンピック2大会たいかいに74kgきゅう出場しゅつじょうし、2020ねん東京とうきょうオリンピックには86kgきゅう出場しゅつじょうした。2014ねんレスリング世界せかい選手権せんしゅけんでは74kgきゅうぎんメダルを獲得かくとくした。するどいタックルが武器ぶきであり、「タックル王子おうじ」のニックネームを[2]

経歴けいれき[編集へんしゅう]

小学校しょうがっこうてい学年がくねんには空手からてならっていが、小学校しょうがっこう6ねんつぎにレスリングをはじめた[2]中学校ちゅうがっこうまでは地元じもと網野あみのまち少年しょうねんレスリング教室きょうしつかよい、2004ねん平成へいせい16ねん)には全国ぜんこく中学生ちゅうがくせいレスリング選手権せんしゅけん大会たいかい男子だんし59kgきゅう優勝ゆうしょうした[2]京都きょうと府立ふりつ網野あみの高等こうとう学校がっこう入学にゅうがくは66kgきゅうだったが、高校こうこう2ねんつぎに74kgきゅう転向てんこうした[2]網野あみの高校こうこう在学ざいがくちゅうの2007ねん平成へいせい19ねん)、全日本ぜんにほんレスリング選手権せんしゅけん大会たいかいじゅん優勝ゆうしょうして一躍いちやく注目ちゅうもくされた。網野あみの高校こうこう卒業そつぎょうには拓殖大学たくしょくだいがく進学しんがくし、2008ねん平成へいせい20ねん)の北京ぺきんオリンピックさいには代表だいひょう候補こうほとなったが、最終さいしゅう予選よせん敗退はいたいしてオリンピック出場しゅつじょうたせなかった。

2011ねん平成へいせい23ねん)の全日本ぜんにほんレスリング選手権せんしゅけん大会たいかいはつ優勝ゆうしょう[2]。2012ねん平成へいせい24ねん)3がつカザフスタン開催かいさいされたロンドンオリンピックアジア予選よせんじゅん優勝ゆうしょうし、74kgきゅうほん大会たいかい出場しゅつじょうけん獲得かくとくした。ロンドンオリンピックほん大会たいかいでは初戦しょせん敗退はいたいだった。

2014ねん平成へいせい26ねん)の世界せかい選手権せんしゅけん74kgきゅうでは決勝けっしょう進出しんしゅつし、決勝けっしょうではロシアのデニス・ツァルグシュに2-8でやぶれてぎんメダルを獲得かくとくした[3]。3回戦かいせんでベラルーシのムラト・ガイダロフ対戦たいせんし、相手あいてにパンチをされるなどの反則はんそく攻撃こうげきけたものの4-0でやぶったが、準決勝じゅんけっしょうまえにはガイダロフが高谷たかやあたま熱湯ねっとうをかける事件じけんこった。ガイダロフは敗者はいしゃ復活ふっかつせんでもラフプレーの反則はんそくおかして反則はんそくけとなり順位じゅんい剥奪はくだつされた。それだけにとどまらず、べつ試合しあい判定はんていにも抗議こうぎするため審判しんぱんせきんで、世界せかいレスリング連合れんごう(UWW)の事務じむ総長そうちょう審判しんぱんいん暴行ぼうこうはたらくなど傍若無人ぼうじゃくぶじん態度たいどってた。ガイダロフは2004ねん平成へいせい16ねん)のアテネオリンピックにおいても、ブバイサ・サイティエフやぶれたのちなぐりかかる事件じけんこしていた。日本にっぽんレスリング協会きょうかい書面しょめん世界せかいレスリング連合れんごう厳重げんじゅう抗議こうぎ[4][5][6][7]世界せかいレスリング連合れんごうはガイダロフに3年間ねんかん出場しゅつじょう停止ていし処分しょぶん罰金ばっきん1まんスイス・フランやく135まんえん)をした[8][9]

2016ねん平成へいせい28ねん)3がつにはリオデジャネイロオリンピックのアジア予選よせんみぎひざじんたい損傷そんしょうのケガをかかえながらも出場しゅつじょうして、決勝けっしょうすすんだことで出場しゅつじょうけん獲得かくとくすることになり、オリンピック代表だいひょうまった[10]。リオデジャネイロオリンピックほん大会たいかいでは7となった。

2017ねん世界せかい選手権せんしゅけんでは初戦しょせんでアルメニアのグリゴール・グレゴリヤンと対戦たいせんしたが、あたまとっきをらったのみならず脇腹わきばらかれて反則はんそくちとなった。高谷たかやはその試合しあいやぶ[11]、8となった。2017ねん平成へいせい29ねん)には五輪ごりん種目しゅもくの79kgきゅう転向てんこうし、2018ねん平成へいせい30ねん)には86kgきゅう転向てんこうした[2]

コロナにより延期えんきとなった五輪ごりんアジア予選よせんでは準決勝じゅんけっしょう中国ちゅうごく選手せんしゅやぶれ、五輪ごりん出場しゅつじょうわく獲得かくとく出来できなかった。その開催かいさいされた世界せかい最終さいしゅう予選よせん出場しゅつじょうし、2回戦かいせんで2018ねん世界せかい選手権せんしゅけん選手せんしゅ勝利しょうり準決勝じゅんけっしょうではワールドカップ個人こじんのポーランドの選手せんしゅ勝利しょうりし、2021ねんれい3ねん)に開催かいさいされる2020ねん東京とうきょうオリンピック出場しゅつじょうけん獲得かくとく[12]

2021ねん8がつ東京とうきょうオリンピックでは初戦しょせんでオスマン・ゴシェン(トルコ)にやぶ[13]、その敗者はいしゃ復活ふっかつせんまわれなかったため敗退はいたいした[14]

大会たいかい連続れんぞく出場しゅつじょう目指めざし、2023ねん天皇てんのうはい出場しゅつじょうしたが、決勝けっしょう石黒いしぐろ隼人はやと(自衛隊じえいたい)に接戦せっせんやぶれ、五輪ごりん出場しゅつじょうかなわなかった。

家族かぞく[編集へんしゅう]

さんにん兄弟きょうだい次男じなんであり、長兄ちょうけい高谷たかやとも三男さんなん高谷たかや大地だいちもレスリング選手せんしゅである。長兄ちょうけい高谷たかやとも網野あみの高校こうこうから徳山大学とくやまだいがく進学しんがく三男さんなん高谷たかや大地だいちは、次男じなんそうあきらおなじく網野あみの高校こうこうから拓殖大学たくしょくだいがく進学しんがくし、2013ねん全日本ぜんにほん選抜せんばつレスリング選手権せんしゅけん優勝ゆうしょうしている[15]。 2023ねんセルビアでおこなわれた世界せかい選手権せんしゅけんにおいてどうメダルを獲得かくとくし、おとうと大地だいちもオリンピアンとなっている。 既婚きこんしゃであり、2022ねん9がつだいいちである息子むすこ誕生たんじょうしている。

成績せいせき[編集へんしゅう]

国際こくさい大会たいかい[編集へんしゅう]

オリンピック
レスリング世界せかい選手権せんしゅけん
  • 2022ねん 92kgきゅう 10
  • 2019ねん 86kgきゅう 10
  • 2018ねん 79kgきゅう 11
  • 2017ねん 74kgきゅう 8
  • 2015ねん 74kgきゅう 14
  • 2014ねん 74kgきゅう じゅん優勝ゆうしょう
  • 2013ねん 74kgきゅう 7

国内こくない大会たいかい[編集へんしゅう]

全日本ぜんにほんレスリング選手権せんしゅけん大会たいかい
  • 2023ねん 86kgきゅう
  • 2022ねん 92kgきゅう 優勝ゆうしょう
  • 2021ねん 92kgきゅう 優勝ゆうしょう
  • 2020ねん 92kgきゅう 優勝ゆうしょう
  • 2019ねん 86kgきゅう 優勝ゆうしょう
  • 2018ねん 86kgきゅう 優勝ゆうしょう
  • 2017ねん 79kgきゅう 優勝ゆうしょう
  • 2016ねん 74kgきゅう 優勝ゆうしょう
  • 2015ねん 74kgきゅう 優勝ゆうしょう
  • 2014ねん 74kgきゅう 優勝ゆうしょう
  • 2013ねん 74kgきゅう 優勝ゆうしょう
  • 2012ねん 74kgきゅう 優勝ゆうしょう
  • 2011ねん 74kgきゅう 優勝ゆうしょう
  • 2010ねん 74kgきゅう 3
  • 2007ねん 74kgきゅう じゅん優勝ゆうしょう
全日本ぜんにほん選抜せんばつレスリング選手権せんしゅけん大会たいかい
  • 2023ねん 86kgきゅう
  • 2022ねん 92kgきゅう 優勝ゆうしょう
  • 2019ねん 86kgきゅう 優勝ゆうしょう
  • 2018ねん 79kgきゅう 優勝ゆうしょう
  • 2017ねん 74kgきゅう 優勝ゆうしょう
  • 2015ねん 74kgきゅう 優勝ゆうしょう
  • 2014ねん 74kgきゅう 優勝ゆうしょう
  • 2013ねん 74kgきゅう 優勝ゆうしょう
  • 2011ねん 74kgきゅう 3
  • 2008ねん 74kgきゅう じゅん優勝ゆうしょう
その大会たいかい

おもなメディア出演しゅつえん[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ Japan Wrestling Federation – 日本にっぽんレスリング協会きょうかい公式こうしきサイト – JWF :::高谷たかたにそうあきら(ALSOK)が大会たいかい2タイの12ねん連続れんぞく優勝ゆうしょう達成たっせい…2022ねん天皇杯てんのうはい全日本ぜんにほん選手権せんしゅけんだい1にち(1) |”. www.japan-wrestling.jp. 2024ねん3がつ15にち閲覧えつらん
  2. ^ a b c d e f めまい、不眠ふみん恐怖きょうふしん…それでも“過酷かこく減量げんりょう”は必要ひつようか レスリング・高谷たかたにそうあきらの「あまえではない」たたかかた Number Web、2021ねん2がつ5にち
  3. ^ 高谷たかやそう 男子だんし2大会たいかいぶりぎん リオのエースだ!スポーツニッポン 2014ねん9がつ10日とおか
  4. ^ 帰国きこくしたぎんメダリスト衝撃しょうげき告白こくはく! 高谷たかたにそう 熱湯ねっとうかけられる暴挙ぼうきょスポーツニッポン、2014ねん9がつ12にち
  5. ^ 高谷たかやそうあきら(ALSOK)がベラルーシ選手せんしゅから暴行ぼうこうける日本にっぽんレスリング協会きょうかい、2014ねん9がつ11にち
  6. ^ レスリング熱湯ねっとうかけおとこ札付ふだつきのワルだった」The PAGE、2014ねん9がつ12にち
  7. ^ 高谷たかや熱湯ねっとう被害ひがい男子だんしレスリングの反則はんそく行為こういはなんでもあり日刊にっかんゲンダイ
  8. ^ レスリングだかたにあたま熱湯ねっとう、ベラルーシ選手せんしゅ処分しょぶん読売新聞よみうりしんぶん、2015ねん1がつ19にち
  9. ^ ムラド・ガイダロフ(ベラルーシ)の処分しょぶんは「3年間ねんかん出場しゅつじょう停止ていし罰金ばっきん135まんえん日本にっぽんレスリング協会きょうかい、2015ねん1がつ20日はつか[リンク]
  10. ^ レスリング高谷たかたにおとうととタッグでリオきんデイリースポーツ、2016ねん3がつ22にち
  11. ^ レスリング世界せかい選手権せんしゅけんき、あたまとっきのプロレスわざ反則はんそく暴挙ぼうきょ」The PAGE、2017ねん8がつ27にち
  12. ^ レスリングの高谷たかたにそうあきら東京とうきょう五輪ごりん代表だいひょう内定ないてい 3大会たいかい連続れんぞく読売新聞よみうりしんぶん、2021ねん5がつ7にち
  13. ^ 初戦しょせん敗退はいたい高谷たかたにそうあきら敗者はいしゃ復活ふっかつ可能かのうせいはもうほぼない…もうぼくのオリンピックはここでわり」【東京とうきょう五輪ごりんレスリング】”. 中日ちゅうにちスポーツ. https://www.chunichi.co.jp/article/304444?rct=othersports 2021ねん8がつ4にち閲覧えつらん 
  14. ^ “オリンピック レスリング 高谷たかたにそうあきら 1回戦かいせん敗退はいたい. 日本にっぽん放送ほうそう協会きょうかい. https://web.archive.org/web/20210804042126/https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210804/k10013180011000.html 2021ねん8がつ4にち閲覧えつらん 
  15. ^ 高谷たかや大地だいちフリー60キロきゅうV レスリング日刊にっかんスポーツ、2013ねん6がつ16にち
  16. ^ Maezono, Yuichi (2015). “Tokyo Olympics and I”. Zairyo-to-Kankyo 64 (3): 65–65. doi:10.3323/jcorr.64.65. ISSN 0917-0480. http://dx.doi.org/10.3323/jcorr.64.65. 

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]