鳥居 敏文
人物 [編集 ]
2004
経歴 [編集 ]
- 1908
年 、新潟 県 村上 市 に生 まれる[3]。。 - 1931
年 、東京 外国 語 学校 独語 科 卒業 [3]。 - 1932
年 、ヨーロッパに渡 る。パリ・アカデミー・グランドショーミエル、シャルル・ブラン教室 で学 ぶ[4]。 - 1935
年 、帰国 [3]。 - 1937
年 、第 7回 独立 展 に出品 、以後 展覧 会 のたびに出品 [3]。 - 1939
年 、第 9回 独立 展 で独立 美術 協会 賞 を受賞 [3]。 - 1943
年 、第 13回 独立 展 で岡田 賞 を受賞 [3]。 - 1946
年 、独立 美術 協会 会員 に推挙 される。同年 4月 、日本 美術 会 の結成 に参加 [3]。 - 1947
年 、日本 美術 会 主催 の第 1回 日本 アンデパンダン展 に出品 [3]。 - 1952
年 、美術家 懇話 会 (翌年 美術家 平和 会議 と改称 )の結成 に参加 、平和 美術 展 を開催 。 - 1960
年 、アメリカ合衆国 ・サクラメント市 のクロッカー美術館 で開催 された「独立 6人 展 」に出品 [4]。 - 1963
年 、第 31回 独立 展 で独立 G賞 を受賞 [4]。 - 1964
年 、林 武 門下生 によるグループ「欅会 」を結成 する[4]。 - 1967
年 、アメリカ合衆国 カリフォルニア州 サンノゼ市 ロシクルーシャン美術館 の「日本 現代 作家 招待 展 」に出品 。同年 、具象 画家 の集 まり「新 具象 研究 会 」を結成 [3]。 - 1971
年 、社団 法人 日本 美術家 連盟 委員 に就任 [3]。 - 1978
年 、日本 美術家 連盟 監事 就任 [4]。 - 1979
年 、日本 美術家 連盟 代表 として韓国 美術家 協会 の招 きで韓国 に親善 訪問 。 - 1981
年 、ソ連 文化 省 招待 によるソビエトスケッチ旅行 に参加 [3]。 - 1982
年 、モスクワとレニングラードで開催 された「日本人 画家 によるソビエト風物 展 」に出品 [3]。 - 1987
年 、新潟 市 美術館 で「鳥居 敏文 展 」が開催 。 - 1989
年 、東京 セントラル美術館 で「鳥居 敏文 自選 展 」が開催 [3]。 - 1991
年 、『鳥居 敏文 画集 』(鳥居 敏文 画集 刊行 会 )刊行 。 - 1996
年 、練馬 区立 美術館 で、「ねりまの美術 ’96楢 原 健三 ・鳥居 敏 文展 」が開催 される[3]。 - 2002
年 7月 12日 、熊谷 榧 、滝平 二郎 、紺野 修司 、永井 潔 らとともに「『有事 法制 』に反対 する美術家 の声明 」を発表 [5]。 - 2004
年 6月 、窪島 誠一郎 、佐藤 忠良 、野見山 暁 治 らとともに、『九 条 の会 』アピールを広 げる美術 の会 」(略称 ・九条 美術 の会 )発起人 [6]。 - 2006
年 8月 15日 、死去 [7]。
著書 [編集 ]
- 『
人物 画 入門 』(保育 社 カラーブックス、1979年 ) - 『
鳥居 敏文 画集 』(鳥居 敏文 画集 刊行 会 、1991年 )
挿画 ・装画 を描 いた出版 物 [編集 ]
- 『
気象 のはなし』(坪川 光義 、小峰 書店 、1941年 ) - 『チュウリップのまち』(
与田 準一 、国民 図書 刊行 会 、1949年 ) - 『
愛 の学校 . 1〜6年生 』(塚原 健二郎 、東洋 書 館 、1951年 ) - 『
四 年生 の世界 童話 』(浜田 広介 、金 の星 社 、世界 童話 名作 選 、1953年 ) - 『
偉人 の少年 時代 . 1〜6年生 』(児童 文学 者 協会 、実業之日本社 、1953年 ) - 『おはなしどうぶつえん. 1
年生 』(関 英雄 、泰光 堂 、1954年 ) - 『
新 日本 少年 少女 文学 全集 』(田中 豊太郎 、ポプラ社 、1957年 ) - 『シューベルト』(
久保 喬 、金 の星 社 、1958年 ) - 『グリム
名作 集 2』(金 の星 社 、1960年 ) - 『
家 なき子 』(マロー、あかね書房 、世界 児童 文学 全集 、1960年 ) - 『
嵐 が丘 』(E.ブロンテ、金 の星 社 、ジュニア版 世界 の文学 、1960年 ) - 『ガリバーのぼうけん』(
小出 正吾 、金 の星 社 、世界 の幼年 文庫 、1970年 )
紙芝居 [編集 ]
- 『コウノトリになった
王様 』(教育 画 劇 、世界 名作 童話 紙芝居 全集 、 1953年 ) - 『
雪 うさぎ』(日下 喜美子 、教育 画 劇 、伝承 童話 紙芝居 シリーズ、1955年 )