鳥羽とば市営しえい定期ていきせん

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鳥羽とば市営しえい定期ていきせんの「かがやき」
鳥羽とば市営しえい定期ていきせん現行げんこう航路こうろ

鳥羽とば市営しえい定期ていきせん(とばしえいていきせん)は、三重みえけん鳥羽とっぱ運航うんこうされている公営こうえい定期ていき航路こうろである。鳥羽とっぱ本土ほんど鳥羽とっぱこう伊勢湾いせわんくちかぶ4つの離島りとうむすぶ。

鳥羽とっぱ人口じんこうの2わり相当そうとうする4,500にん離島りとう住民じゅうみん[1]生活せいかつささえる交通こうつう機関きかんであるとともに、離島りとう訪問ほうもんする観光かんこうきゃく主要しゅよう交通こうつう手段しゅだんでもある。乗船じょうせん客数きゃくすう年間ねんかんおよそ100まんにんで、市営しえい定期ていき航路こうろとしては日本一にっぽんいちであるが、乗客じょうきゃく減少げんしょうとうにより1おくすうせんまんえん赤字あかじしている[2]

この記事きじにおいて「鳥羽とば」とは中之郷なかのごう桟橋さんばし近鉄きんてつ志摩線しません中之郷なかのごうえきまえ)と佐田さたはま桟橋さんばしJR参宮さんぐうせん近鉄きんてつ鳥羽線とばせん志摩線しません鳥羽とっぱえきまえ鳥羽とばマリンターミナル)をすものとする。

概説がいせつ[編集へんしゅう]

愛知あいちけん田原たはら伊良湖岬いらごみさきから神島かみしま観光かんこうせん就航しゅうこうしている神島かみしまのぞき、鳥羽とっぱ離島りとう本土ほんどむす唯一ゆいいつ公共こうきょう交通こうつうである。このため住民じゅうみん観光かんこうきゃくあしとしてだけでなく、食料しょくりょうひん新聞しんぶん郵便ゆうびんぶつなど生活せいかつ必需ひつじゅひんのほとんどがこの定期ていきせん輸送ゆそうされる[3]

かつては鳥羽とば - 浦村うらむら石鏡いじかあいだ本土ほんど同士どうしむす航路こうろもあったが、現在げんざい離島りとう航路こうろのみ運航うんこうしている[4]

現行げんこう航路こうろ[編集へんしゅう]

中之郷なかのごう桟橋さんばし
佐田さたはま桟橋さんばし
鳥羽とば - 神島かみしま航路こうろ

航路こうろ総称そうしょうは「鳥羽とば - 神島かみしまあいだ航路こうろ」である[4]便数びんすう航路こうろは2010ねん4がつ現在げんざい。(かく航路こうろ便数びんすう循環じゅんかん航路こうろふくむ)

鳥羽とば - 坂手さかて航路こうろ[編集へんしゅう]

鳥羽とばはつ15便びん坂手さかてはつ16便びん

  • 佐田さたはま - 坂手さかて
  • 中之郷なかのごう - 坂手さかて
  • 佐田さたはま - 中之郷なかのごう - 坂手さかて

鳥羽とば - 菅島すがしま航路こうろ[編集へんしゅう]

鳥羽とばはつ8便びん菅島すがしまはつ10便びん

  • 中之郷なかのごう - 佐田さたはま - 菅島すがしま
  • 中之郷なかのごう - 坂手さかて - 佐田さたはま - 菅島すがしま
  • 佐田さたはま - 菅島すがしま
  • 佐田さたはま - 坂手さかて - 菅島すがしま

鳥羽とば - 桃取ももとり航路こうろ[編集へんしゅう]

鳥羽とば答志島とうしじま西部せいぶ桃取ももとりまち(ももとりちょう)をむす航路こうろ

鳥羽とばはつ10便びん桃取ももとりはつ10便びん

  • 中之郷なかのごう - 佐田さたはま - 桃取ももとり
  • 中之郷なかのごう - 坂手さかて - 佐田さたはま - 桃取ももとり
  • 佐田さたはま - 桃取ももとり

鳥羽とば - 答志とうし航路こうろ[編集へんしゅう]

鳥羽とば答志島とうしじま東部とうぶにある和具わぐ(わぐ)地区ちくおよび答志とうし地区ちくむす航路こうろ

鳥羽とばはつ10便びん答志とうしはつ9便びん

  • 中之郷なかのごう - 佐田さたはま - 和具わぐ - 答志とうし
  • 中之郷なかのごう - 佐田さたはま - 和具わぐ
  • 中之郷なかのごう - 佐田さたはま - 答志とうし
  • 中之郷なかのごう - 坂手さかて - 佐田さたはま - 和具わぐ - 答志とうし
  • 佐田さたはま - 和具わぐ繁忙はんぼうのみ)

鳥羽とば - 神島かみしま航路こうろ[編集へんしゅう]

鳥羽とばはつ4便びん神島かみしまはつ4便びん

  • 中之郷なかのごう - 佐田さたはま - 菅島すがしま - 神島かみしま
  • 中之郷なかのごう - 佐田さたはま - 神島かみしま

循環じゅんかん便びん[編集へんしゅう]

2009ねん平成へいせい21ねん)より運航うんこう開始かいし[5]

外回そとまわ

  • 1にち1往復おうふく
  • 中之郷なかのごう - 佐田さたはま - 和具わぐ - 神島かみしま

内回うちまわ

  • 1にちかく1便びん
  • 中之郷なかのごう佐田さたはま菅島すがしま答志とうし和具わぐ佐田さたはま中之郷なかのごう
  • 答志とうし菅島すがしま佐田さたはま中之郷なかのごう

歴史れきし[編集へんしゅう]

民営みんえい航路こうろ時代じだい[編集へんしゅう]

鳥羽とば市営しえい定期ていきせん民間みんかん定期ていきせん起源きげんとし、1891ねん明治めいじ24ねん)に就航しゅうこうした鳥羽とっぱこう本浦ほんうらこうむす浦村うらむら航路こうろ先駆さきがけである。以降いこう相次あいついで個人こじん経営けいえいによる民間みんかん航路こうろ就航しゅうこうだい世界せかい大戦たいせん前後ぜんごには企業きぎょう参入さんにゅうはじまった。以下いかにその路線ろせん記述きじゅつする。

就航しゅうこう開始かいしねん 航路こうろ 運航うんこうしゃ 備考びこう
1891ねん明治めいじ24ねん 鳥羽とば - 本浦ほんうら[6] 山崎やまざき徳之助とくのすけ 1921ねん大正たいしょう10ねん)、山崎やまざき藤次郎とうじろう譲渡じょうと[7]
1937ねん昭和しょうわ12ねん)、吉川よしかわ与之助よのすけ浦村うらむら航路こうろ開設かいせつ[8]
1943ねん昭和しょうわ18ねん)、愛知あいち商船しょうせん譲渡じょうと[9]
1952ねん昭和しょうわ27ねん)、伊勢いせ商船しょうせん譲渡じょうと[10]
1892ねん明治めいじ25ねん 鳥羽とば - 石鏡いじか[6] 寺本てらもと久作きゅうさく 1932ねん昭和しょうわ7ねん)12月、木村きむら春之助はるのすけどう区間くかん就航しゅうこう[9]
1946ねん昭和しょうわ21ねん)、寺本てらもと河村かわむら喜之助きのすけ譲渡じょうと[10]
1894ねん明治めいじ27ねん 鳥羽とば - 神島かみしま[6] 天野あまのせんじょう 1922ねん大正たいしょう11ねん)に新船しんふね神通じんずうまる」を導入どうにゅう
1909ねん明治めいじ42ねん 鳥羽とば - 答志とうし[11] 橋本はしもとざいきち 1926ねん大正たいしょう15ねん)、橋本はしもと六蔵ろくぞう浜田はまだそうきち共同きょうどう運航うんこう開始かいし[12]
1946ねん昭和しょうわ21ねん)、どう区間くかん和具わぐ漁業ぎょぎょう協同きょうどう組合くみあい中村なかむらあずかそうきちとの共同きょうどう運航うんこう開始かいし[10]
1952ねん昭和しょうわ27ねん)、答志とうし航路こうろ和具わぐ航路こうろ統合とうごうこたえかずわたるうん合資ごうし会社かいしゃ運航うんこう[13]
1912ねん大正たいしょう元年がんねん 鳥羽とば - 小浜おばま - 桃取ももとり[7] 片山かたやま弥一郎やいちろう
斎藤さいとう米造よねぞう
1915ねん大正たいしょう4ねん)、尾崎おざき岩太郎いわたろう鳥羽とば - 桃取ももとり航路こうろ開設かいせつ[7]
1943ねん昭和しょうわ18ねん)、愛知あいち商船しょうせん株式会社かぶしきがいしゃ譲渡じょうと[9]
1952ねん昭和しょうわ27ねん)、伊勢いせ商船しょうせん株式会社かぶしきがいしゃ譲渡じょうと[10]
1914ねん大正たいしょう3ねん 鳥羽とば中之郷なかのごう - 安楽島あらしま八反田はったんだ[7]
1915ねん大正たいしょう4ねん 鳥羽とば - 坂手さかて[7] 川岸かわぎしまつ四郎しろう 1943ねん昭和しょうわ18ねん)、愛知あいち商船しょうせん共同きょうどう運航うんこう開始かいし[9]
1918ねん大正たいしょう7ねん 鳥羽とば - 菅島すがしま[7] 沢田さわだそう四郎しろう 1にち1往復おうふく
1927ねん昭和しょうわ2ねん)、西村にしむらさいわい十郎じゅうろうおな区間くかん航路こうろ設定せっていはつ競合きょうごう航路こうろとなる[9]

公営こうえい[編集へんしゅう]

公営こうえいによる定期ていきせん最初さいしょ運航うんこうは、1934ねん昭和しょうわ9ねん)6がつ鳥羽とば - 小浜おばまあいだ就航しゅうこうした「鳥羽とば町営ちょうえい小浜おばま渡船とせん」である[9]。1950ねん昭和しょうわ25ねん)から鳥羽とば - 坂手さかてあいだ公営こうえいされ「鳥羽とば町営ちょうえい定期ていきせん」となり、よく1951ねん昭和しょうわ26ねん)8がつ16にち愛知あいち商船しょうせんからどう航路こうろ譲受ゆずりうけし、鳥羽とっぱまち単独たんどく運航うんこうとなった[10]。1954ねん昭和しょうわ29ねん)11月1にち鳥羽とっぱまち周辺しゅうへん町村ちょうそん合併がっぺいして鳥羽とっぱ発足ほっそくしたことにともない、鳥羽とば町営ちょうえい定期ていきせん坂手さかて航路こうろ)と神島かみしま村営そんえい定期ていきせん神島かみしま航路こうろ)がしん移管いかん、「鳥羽とば市営しえい定期ていきせん」が開業かいぎょうした[10]。(神島かみしま航路こうろ免許めんきょりたのはよく1955ねん昭和しょうわ30ねん)1がつ28にちで、正式せいしき運航うんこう同年どうねん3がつ3にちからである[14]。)

こののち中村なかむら幸吉こうきち市長しちょうした航路こうろ買収ばいしゅうによる市営しえいながれが加速かそくし、1957ねん昭和しょうわ32ねん)には答志とうし航路こうろ(1がつ5にち市営しえい、3月13にちこたえかずわたるうん合資ごうし会社かいしゃから移管いかん)、菅島すがしま航路こうろ(4がつ1にち沢田さわだ三郎さぶろう西村にしむら幸三こうぞうから移管いかん)、石鏡いじか航路こうろ(9がつ1にち市営しえい、10月14にち木村きむら春之助はるのすけ河村かわむら喜之助きのすけから移管いかん)が、1958ねん昭和しょうわ33ねん)2がつ14にちには桃取ももとり航路こうろ浦村うらむら航路こうろ移管いかんされ、鳥羽とば市内しない各地かくちむすぶすべての定期ていきせん市営しえい完了かんりょうした[15]。これをけて鳥羽とっぱ定期ていきせん運航うんこう担当たんとうする部署ぶしょとして「おおやけ企業きぎょう」を1957ねん昭和しょうわ32ねん)に設置せっち[16]業務ぎょうむ内容ないようかりやすくしめすため1967ねん昭和しょうわ42ねん)「定期ていきせん」に改称かいしょうした[17]。また鳥羽とっぱ三重みえけん鳥羽とっぱこうてを実施じっしし、定期ていきせん桟橋さんばし整備せいびおこなわれた。(詳細しょうさいこちら参照さんしょう。)

昭和しょうわ後期こうきには航路こうろ合理ごうりはかられ、1969ねん昭和しょうわ44ねん)8がつ浦村うらむら航路こうろ石鏡いじか航路こうろ統合とうごうして「鏡浦かがみうら航路こうろ」とした[4]航行こうこう経路けいろ以下いかとおり。この航路こうろは1973ねん昭和しょうわ48ねん)にパールロード当時とうじ有料ゆうりょう道路どうろ現在げんざい無料むりょう)が開通かいつうし、路線ろせんバス設定せっていされたことにより役目やくめえたとして1975ねん昭和しょうわ50ねん)4がつ廃止はいしされた[4]

  • 鳥羽とば - 浦村うらむら本浦ほんうら - 今浦いまうら) - 石鏡いじか

1978ねん昭和しょうわ53ねん)には、離島りとう航路こうろ5路線ろせんを「鳥羽とば - 神島かみしまあいだ航路こうろ」に再編さいへんした[4]。これにより、一部いちぶ便びんで2つのしま寄港きこうするものが登場とうじょうしたが、基本きほんてきにはとりと1つのしまむす路線ろせんおもであった。

近年きんねん課題かだい[編集へんしゅう]

離島りとう過疎かそ少子しょうし高齢こうれいながれをけ、1980年度ねんど昭和しょうわ55年度ねんど)に記録きろくした161まんにんをピークに乗客じょうきゃく減少げんしょう一途いっとをたどり、2006年度ねんど平成へいせい18年度ねんど)には94まんにんまでんだ[1]さらに2008ねん平成へいせい20ねん)の原油げんゆ価格かかく高騰こうとうちをかけ、経営けいえい圧迫あっぱくした[1]。これにたい日本にっぽん政府せいふ三重みえけん多額たがく補助ほじょきん投入とうにゅう鳥羽とっぱ停泊ていはくちゅう船舶せんぱくアイドリングをやめるなどの対策たいさくをしているが、いまだに決定けっていとなる解決かいけつさくつかっていない[1]

こうしたなか三重みえ県議会けんぎかい議員ぎいん木田きだひさ主一しゅいちはたらきかけもあり[2]三重みえけん補助ほじょけて2せき高速艇こうそくてい建造けんぞうされた[18]木田きだのち市営しえい定期ていきせん改革かいかくうったえて鳥羽とば市長しちょう当選とうせんし、は2009ねん平成へいせい21ねん)3がつに「鳥羽とっぱ地域ちいき公共こうきょう交通こうつう総合そうごう連携れんけい計画けいかく」を策定さくていした[19]。この計画けいかくでは、市営しえい定期ていきせん路線ろせんバス連携れんけいさせた鳥羽とっぱコミュニティ交通こうつうシステムとして結合けつごうすること、鳥羽とば本土ほんどがわ港湾こうわん機能きのう佐田さたはま桟橋さんばし集中しゅうちゅうさせることなどがされた[19]。ほかにも2009ねん平成へいせい21ねん)5がつ1にちには観光かんこうきゃくけに離島りとうあいだ循環じゅんかんする便びん試験しけんてき導入どうにゅう、2010ねん平成へいせい22ねん)4がつ1にちから2便びん増便ぞうびん決定けっていした[5]。また、さんとお伊勢いせ連絡れんらく道路どうろ伊勢いせ湾口わんこう道路どうろ)の早期そうき着工ちゃっこう開通かいつう[20]離島りとう架橋かきょう[2]により定期ていきせん廃止はいししすべきとのこえもある。

事務所じむしょ[編集へんしゅう]

  • 鳥羽とっぱ定期ていきせん - 三重みえけん鳥羽とっぱ鳥羽とっぱさん丁目ちょうめ1ばん1ごう鳥羽とば市役所しやくしょない)⇒鳥羽とっぱ鳥羽とっぱいち丁目ちょうめ2383ばん51ごう鳥羽とっぱマリンターミナルない
  • 中之郷なかのごう事務所じむしょ - 三重みえけん鳥羽とっぱ鳥羽とっぱよん丁目ちょうめ2360番地ばんち1(中之郷なかのごう桟橋さんばしまえ

利用りようじょうきょう[編集へんしゅう]

2007ねん平成へいせい19ねん以降いこう大人おとな1人ひとり小人こどもは0.5にん計算けいさんしている[21]

ひょうちゅうさい高値たかね赤色あかいろで、さい高値たかね記録きろくした年度ねんど以降いこう最低さいてい青色あおいろで、さい高値たかね記録きろくした年度ねんど以前いぜん最低さいてい緑色みどりいろ表記ひょうきしている。*は暦年れきねん統計とうけいによる。1957ねん昭和しょうわ32ねん)と1960ねん昭和しょうわ35ねん)の合計ごうけいには鏡浦かがみうら航路こうろふくむ。

年度ねんど 鳥羽とば-坂手さかて 鳥羽とば-答志とうし 鳥羽とば-桃取ももとり 鳥羽とば-神島かみしま 鳥羽とば-菅島すがしま 循環じゅんかん便びん けい
1927ねん昭和しょうわ2ねん)*[22] 25,179 9,396 16,825 10,100
1957ねん昭和しょうわ32ねん)*[23] 1,230,405 55,368 49,392 13,971 14,835 1,399,124
1960ねん昭和しょうわ35ねん)*[23] 262,710 104,190 68,781 17,669 34,958 545,270
1979ねん昭和しょうわ54ねん)*[23] 426,319 480,729 311,257 102,245 260,299 1,580,849
1983ねん昭和しょうわ58ねん)*[23] 349,200 357,700 249,237 80,109 210,870 1,247,116
1987ねん昭和しょうわ62ねん)*[23] 336,204 399,771 251,777 92,136 216,351 1,296,239
2007ねん平成へいせい19ねん[21] 183,277.0 284,939.5 247,046.5 60,684.5 148,353.0 924,300.5
2008ねん平成へいせい20ねん[21] 172,285.5 290,612.0 241,180.0 58,864.5 151,337.5 914,279.5
2009ねん平成へいせい21ねん[21] 161,201.5 284,656.5 240,485.0 58,755.0 149,710.5 565.0 895,373.5
2010ねん平成へいせい22ねん[21] 149,891.0 274,619.0 238,671.5 54,659.5 149,258.0 877.0 867,976.0
2011ねん平成へいせい23ねん[21] 137,925.0 263,597.5 224,606.0 52,148.0 151,345.5 1,138.0 830,760.0
2012ねん平成へいせい24ねん[21] 132,138.5 268,489.0 222,180.5 54,730.0 154,477.0 1,152.0 833,167.0
2013ねん平成へいせい25ねん[21] 128,582.0 285,517.5 227,096.0 52,863.5 157,039.5 3,603.0 854,701.5
2014ねん平成へいせい26ねん[21] 111,108.0 251,224.5 199,831.0 45,403.0 134,018.5 2,743.0 744,328.0
2015ねん平成へいせい27ねん[21] 104,095.0 254,576.0 205,046.0 47,211.0 132,185.5 3,373.0 746,486.5
2016ねん平成へいせい28ねん[21] 101,130.5 250,306.0 192,892.0 51,088.5 133,844.0 1,573.0 730,834.0
2017ねん平成へいせい29ねん[21] 98,746.0 246,342.0 183,772.5 47,617.5 122,080.0 1,828.0 700,386.0

船舶せんぱく[編集へんしゅう]

そうどう高速こうそくせん3せきおよび従来じゅうらいがた旅客船りょかくせん3せき在籍ざいせきしている。

運航うんこうちゅう船舶せんぱく[編集へんしゅう]

 • しおさい
たいしょくアルミニウム合金ごうきんせいそうどう高速こうそくせんツネイシクラフト&ファシリティーズ建造けんぞう、2016ねん3がつ進水しんすいふねめい公募こうぼにより決定けっていした。
75.00そうトン、ディーゼル2最大さいだい出力しゅつりょく1,468 ps航海こうかい速力そくりょく17.00ノット、旅客りょかく定員ていいん186めい
 • かがやき
たいしょくアルミニウム合金ごうきんせいそうどう高速こうそくせん
常石つねいし林業りんぎょう建設けんせつ建造けんぞう、2009ねん3がつ進水しんすい
 • きらめき
たいしょくアルミニウム合金ごうきんせいそうどう高速こうそくせん
常石つねいし林業りんぎょう建設けんせつ建造けんぞう、2008ねん3がつ進水しんすい
 • だいじゅうちょうまる
1985ねん3がつ竣工しゅんこうはや造船ぞうせん建造けんぞう繊維せんい強化きょうかプラスチック(FRP)せい
65.00そうトン、登録とうろくちょう23.02 mかたはば5.60 mかたふか2.18 m、ディーゼル1機関きかん出力しゅつりょく1,000 ps旅客りょかく定員ていいん330めい
 • だいじゅうななちょうまる[24]
1997ねん3がつ竣工しゅんこう、ニュージャパンマリン建造けんぞう、FRPせい予備よびせん
74そうトン、全長ぜんちょう24.6 m登録とうろくちょう22.90 mかたはば5.98 mかたふか2.35 m、ディーゼル22じく機関きかん出力しゅつりょく1,240 ps航海こうかい速力そくりょく17ノット、旅客りょかく定員ていいん250めい
 • だいじゅうはちちょうまる
2001ねん2がつ竣工しゅんこう、ニュージャパンマリン建造けんぞう、FRPせい
64.00そうトン、登録とうろくちょう22.28 mかたはば5.38 mかたふか2.38 m旅客りょかく定員ていいん260めい

過去かこ船舶せんぱく[編集へんしゅう]

 • 伊勢いせまる[25]
1954ねん1がつ竣工しゅんこう橋本はしもと造船ぞうせんしょ建造けんぞう木造もくぞうせん
20.60そうトン、登録とうろくちょう15.00 mはば3.37 mふか1.50 m焼玉やきだま機関きかん機関きかん出力しゅつりょく50 ps最大さいだい速力そくりょく8ノット、旅客りょかく定員ていいん58めい
 • だいさんとうまる[25]
1954ねん12月竣工しゅんこう出口いでぐち造船ぞうせんしょ建造けんぞう木造もくぞうせん
21.97そうトン、登録とうろくちょう15.20 mはば3.23 mふか1.58 m焼玉やきだま機関きかん機関きかん出力しゅつりょく50 ps最大さいだい速力そくりょく8.3ノット、旅客りょかく定員ていいん41めい
 • だいさんちょうまる[25]
1957ねん7がつ竣工しゅんこう池田いけだ造船ぞうせんしょ建造けんぞう木造もくぞうせん
31.57そうトン、登録とうろくちょう18.79 mはば3.62 mふか1.58 m、ディーゼル1機関きかん出力しゅつりょく90 ps最大さいだい速力そくりょく9.5ノット、旅客りょかく定員ていいん63めい
 • だいろくちょうまる[25]
1959ねん12月竣工しゅんこう長谷川はせがわ造船ぞうせんしょ建造けんぞう木造もくぞうせん
21.75そうトン、登録とうろくちょう17.20 mはば3.20 mふか1.50 m、ディーゼル1機関きかん出力しゅつりょく75 ps最大さいだい速力そくりょく9.7ノット、旅客りょかく定員ていいん50めい
 • だいななちょうまる[25]
1960ねん7がつ竣工しゅんこう長谷川はせがわ造船ぞうせんしょ建造けんぞう木造もくぞうせん
21.15そうトン、登録とうろくちょう15.85 mはば3.12 mふか1.45 m、ディーゼル1機関きかん出力しゅつりょく60 ps最大さいだい速力そくりょく8.5ノット、旅客りょかく定員ていいん48めい
 • だいはちちょうまる[25]
1963ねん11月竣工しゅんこう出口いでぐち造船ぞうせんしょ建造けんぞう木造もくぞうせん
39.96そうトン、登録とうろくちょう18.12 mはば4.14 mふか1.65 m、ディーゼル1機関きかん出力しゅつりょく120 ps航海こうかい速力そくりょく9ノット、旅客りょかく定員ていいん130めい
 • だいじゅうさんちょうまる[26]
1969ねん竣工しゅんこう長谷川はせがわ造船ぞうせん建造けんぞう
43そうトン、垂線すいせんあいだちょう19.2 mかたはば4.5 mかたふか1.7 m、ディーゼル1機関きかん出力しゅつりょく120 ps航海こうかい速力そくりょく8.2ノット、旅客りょかく定員ていいん189めい
 • しらとり[26]
1970ねん竣工しゅんこう長谷川はせがわ造船ぞうせん建造けんぞう木造もくぞうせん
29そうトン、垂線すいせんあいだちょう15.0 mかたはば3.9 mかたふか1.3 m、ディーゼル1機関きかん出力しゅつりょく260 ps航海こうかい速力そくりょく12ノット、旅客りょかく定員ていいん100めい
 • だいじゅうちょうまる[26]
1971ねん竣工しゅんこう橋本はしもと造船ぞうせん建造けんぞう
107そうトン、垂線すいせんあいだちょう21.9 mかたはば4.6 mかたふか1.9 m、ディーゼル1機関きかん出力しゅつりょく200 ps航海こうかい速力そくりょく9.8ノット、旅客りょかく定員ていいん250めい
 • だいじゅうろくちょうまる[26]
1972ねん竣工しゅんこう吉長よしなが造船ぞうせん建造けんぞう木造もくぞうせん
51そうトン、垂線すいせんあいだちょう18.4 mかたはば4.0 mかたふか1.8 m、ディーゼル1機関きかん出力しゅつりょく200 ps航海こうかい速力そくりょく9.5ノット、旅客りょかく定員ていいん120めい
 • だいじゅうななちょうまる[27]
1976ねん2がつ竣工しゅんこう長谷川はせがわ萬吉まんきち建造けんぞう、FRPせい
66.08そうトン、登録とうろくちょう19.94 mかたはば4.80 mかたふか2.07 m、ディーゼル1機関きかん出力しゅつりょく160 ps航海こうかい速力そくりょく10.1ノット[28]旅客りょかく定員ていいん200めい[29]
 • だいじゅうはちちょうまる[27]
1979ねん3がつ竣工しゅんこう浜地はまち造船ぞうせん建造けんぞう、FRPせい
94.55そうトン、登録とうろくちょう21.98 mかたはば5.20 mかたふか2.25 m、ディーゼル1機関きかん出力しゅつりょく230 ps航海こうかい速力そくりょく11.7ノット[28]旅客りょかく定員ていいん300めい[29]
 • だいじゅういちちょうまる[27]
1980ねん10がつ竣工しゅんこう浜地はまち造船ぞうせん建造けんぞう、FRPせい
88.96そうトン、登録とうろくちょう22.00 mかたはば5.20 mかたふか2.15 m、ディーゼル1機関きかん出力しゅつりょく250 ps航海こうかい速力そくりょく10.7ノット[28]旅客りょかく定員ていいん300めい[29]
 • だいじゅうちょうまる[27]
1982ねん10がつ竣工しゅんこう浜地はまち造船ぞうせん建造けんぞう、FRPせい
87.98そうトン、登録とうろくちょう22.22 mかたはば5.20 mかたふか2.15 m、ディーゼル1機関きかん出力しゅつりょく230 ps航海こうかい速力そくりょく10.5ノット[28]旅客りょかく定員ていいん284めい[30]
 • だいいちちょうまる[28]
1977ねん竣工しゅんこう、1978ねん客船きゃくせん改造かいぞう、1983ねんかいせん就航しゅうこう鈴木すずき造船ぞうせん建造けんぞうはがねせん
59.29そうトン[29]登録とうろくちょう18.5 mかたはば5.0 mかたふか2.3 m、ディーゼル2機関きかん出力しゅつりょく700 ps航海こうかい速力そくりょく13.8ノット、旅客りょかく定員ていいん160めい
 • だいじゅうさんちょうまる[27]
1983ねん12月竣工しゅんこう、ニュージャパンマリン建造けんぞう、FRPせい
51そうトン、登録とうろくちょう20.81 mかたはば5.00 mかたふか2.13 m、ディーゼル1機関きかん出力しゅつりょく600 ps航海こうかい速力そくりょく13.4ノット[28]旅客りょかく定員ていいん220めい[30]
 • だいじゅうろくちょうまる[27]
1990ねん5がつ竣工しゅんこう、ニュージャパンマリン建造けんぞう、FRPせい
56そうトン、登録とうろくちょう21.29 mかたはば5.18 mかたふか2.32 m、ディーゼル1旅客りょかく定員ていいん255めい[30]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ a b c d 読売新聞よみうりしんぶん三重みえ)「島民とうみんあし鳥羽とば市営しえい定期ていきせん:どうなる どうする[リンク]』2008ねん7がつ5にち(2010ねん4がつ2にち閲覧えつらん。)
  2. ^ a b c 答志島とうしじま架橋かきょう建設けんせつ促進そくしん協議きょうぎかい平成へいせい13ねん2がつだい1かい県議会けんぎかい定例ていれいかい平成へいせい13ねん2がつ(2010ねん3がつ31にち閲覧えつらん。)
  3. ^ 三重みえけん社会しゃかい教育きょういく研究けんきゅうかい、34ページ
  4. ^ a b c d e 鳥羽とっぱへんさんしつ、1991、445ページ
  5. ^ a b 遠藤えんどう健司けんじ鳥羽とば市営しえい定期ていきせん 和具わぐを浮桟きょう高速こうそくせんれも可能かのう中日新聞ちゅうにちしんぶん、2010ねん4がつ1にち朝刊ちょうかん、36pp.(伊勢いせ志摩しまばん16ページより)
  6. ^ a b c 鳥羽とっぱ観光かんこう(2007):3ページ
  7. ^ a b c d e f 鳥羽とっぱへんさんしつ、1991、228ページ
  8. ^ 鳥羽とっぱ観光かんこう(2007)9ページ
  9. ^ a b c d e f 鳥羽とっぱへんさんしつ、1991、304ページ
  10. ^ a b c d e f 鳥羽とっぱへんさんしつ、1991、348ページ
  11. ^ 鳥羽とっぱ観光かんこう(2007):5ページ
  12. ^ 鳥羽とっぱ観光かんこう(2007):7 ページ
  13. ^ 鳥羽とっぱ観光かんこう(2007):12ページ
  14. ^ 鳥羽とっぱへんさんしつ、1991、444ページ
  15. ^ 鳥羽とっぱへんさんしつ 1991, p. 444, 1084.
  16. ^ 鳥羽とっぱへんさんしつ、1991、363ページ
  17. ^ 鳥羽とっぱへんさんしつ、1991、364ページ
  18. ^ 三重みえ県庁けんちょう2007年度ねんど離島りとう航路こうろ船舶せんぱく新造しんぞう事業じぎょう補助ほじょきん12がつ補正ほせい予算よさん新規しんき事務じむ新規しんき事務じむ事業じぎょう目的もくてき評価ひょうかひょう』(2010ねん4がつ2にち閲覧えつらん。)
  19. ^ a b 鳥羽とば市営しえい定期ていき航路こうろ路線ろせんバスとの連携れんけい促進そくしん”. 運輸うんゆ総合そうごう研究所けんきゅうじょ. 2019ねん11月24にち閲覧えつらん
  20. ^ 伊勢いせ湾口わんこう道路どうろ建設けんせつ促進そくしん期成きせい同盟どうめいつながるひろがるわくわくロード 伊勢いせ湾口わんこう道路どうろ』(2010ねん4がつ2にち閲覧えつらん。)
  21. ^ a b c d e f g h i j k l 市営しえい定期ていき航路こうろ乗客じょうきゃく状況じょうきょう”. 鳥羽とっぱ定期ていきせん. 2018ねん10がつ4にち閲覧えつらん
  22. ^ 鳥羽とっぱへんさんしつ へん(1991):304ページ
  23. ^ a b c d e 鳥羽とっぱへんさんしつ へん(1991):451ページ
  24. ^ 世界せかい艦船かんせん だい526しゅう 1997ねん7がつごう P.119 (海人あましゃ)
  25. ^ a b c d e f 日本にっぽん旅客船りょかくせんせんめいろく昭和しょうわ39年版ねんばん,日本にっぽん旅客船りょかくせん協会きょうかい,1964. 国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2504820 (参照さんしょう 2023-03-04)
  26. ^ a b c d 池田いけだ良穂よしほへん 日本にっぽん旅客船りょかくせん PP.47-48 (日本にっぽんないこう客船きゃくせん資料しりょう編纂へんさんかい 1976)
  27. ^ a b c d e f 日本にっぽん船舶せんぱく明細めいさいしょ 1999Ⅱ (日本にっぽん海運かいうん集会しゅうかいしょ 1998)
  28. ^ a b c d e f 森田もりた裕一ひろいち 日本にっぽん客船きゃくせん総覧そうらん PP.124-126 (1989)
  29. ^ a b c d 全国ぜんこくフェリー・旅客船りょかくせんガイド 1987ねん上期かみきごう (日刊にっかん海事かいじ通信つうしんしゃ 1986)
  30. ^ a b c フェリー・旅客船りょかくせんガイド 2006ねん春季しゅんきごう (日刊にっかん海事かいじ通信つうしんしゃ 2006)

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • 鳥羽とっぱ観光かんこう鳥羽とっぱ観光かんこう基本きほん計画けいかく資料しりょうへん別冊べっさつとり観光かんこうりゃく年表ねんぴょう平成へいせい19ねん、42pp.
  • 鳥羽とっぱへんさんしつ鳥羽とっぱ 下巻げかん鳥羽とば市役所しやくしょ平成へいせい3ねん3がつ25にち、1347pp.
  • 三重みえけん社会しゃかい教育きょういく研究けんきゅうかい三重みえのすがた』ムツミ企画きかく発行はっこう不明ふめい、70pp.

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]