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1896年アテネオリンピックの陸上競技・男子砲丸投 - Wikipedia コンテンツにスキップ

1896ねんアテネオリンピックの陸上りくじょう競技きょうぎ男子だんし砲丸ほうがんとう

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
1896夏季かき
男子だんし砲丸ほうがんとう
会場かいじょう2パナシナイコスタジアム
開催かいさい4がつ7にち
参加さんか選手せんしゅすう4かこく 7にん
Winning distance11.22 Template:OlyR
メダリスト
金メダル 
銀メダル 
銅メダル 
 1900 »
ロバート・ギャレット

1896ねんアテネオリンピックの陸上りくじょう競技きょうぎ男子だんし砲丸ほうがんとうは4がつ7にちおこなわれ、7にん選手せんしゅ参加さんかした。ギリシャの2人ふたり選手せんしゅはどちらもメダルを獲得かくとくし、2のゴウスコスは1のギャレットに肉薄にくはくした[1]。15にん選手せんしゅがエントリーしたが、出場しゅつじょうしたのは7にんであった。世界せかい記録きろく保持ほじしゃはジョージ・グレイ(George Gray)であったが、出場しゅつじょうしなかった。1896ねん最高さいこう選手せんしゅであったアイルランドのデニス・ホーガン英語えいごばん出場しゅつじょうしなかった。この競技きょうぎは「ギリシャで非常ひじょう人気にんきがあり」、開催かいさいこくつチャンスがあった[2][3][4]

競技きょうぎ形式けいしき

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砲丸投ほうがんな

1ラウンドせいおこなわれたが、どのような形式けいしきおこなわれたかはあきらかでない。かく選手せんしゅが3かいとうてきし、その上位じょうい4にんがさらに3かいとうてきしたようである。しかし、公式こうしきレポートには「5にん選手せんしゅがしばらくしたのちめたが・・・ゴウスコスとギャレットはかなりの時間じかんスポーツをつづけた」とかれている[2][3]

とうてきをおこなうステージは2.13平方へいほうメートルであった。ジョージ・S・ロバートソンはここは「競技きょうぎはイギリスの規則きそくした開催かいさいされるとされていたが、既知きち規則きそくはない」とった。ロバートソンは、記録きろくされた距離きょりみじかいのはこの競技きょうぎじょう奇妙きみょうさによるものであるとかんがえた[2]

結果けっか

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詳細しょうさい結果けっか不明ふめいである。トップ3にんとその最高さいこうとうてきは明確めいかくであるが、競技きょうぎしゃだれであるかは情報じょうほうげんによりことなる。IOCは7にん競技きょうぎしゃをリストし、上位じょうい4にんをランクけしている。公式こうしきレポートではギャレットの記録きろくは11.22mであり、ゴウスコスは「すうセンチメートル」けている。IOCウェブページではゴウスコスの記録きろくは11.20mであるが、情報じょうほうげんでは様々さまざま記録きろくである(Klugeでは11.20であるが、Olympediaでは11.03であり、zur Megedeでは11.15である)。パパシデリスの記録きろくである10.36mは一致いっちしている。4から7の4にん競技きょうぎしゃには、まったことなる2つのパターンがある。IOCとOlympediaではJensenが4であり、クラーク、ホフマン、シューマンが5-7としているが、Klugeやzur Megedeはロバートソン, Adler, ソティリオス・ヴェルシス, Winckler(Versisをのぞく3にんはOlympediaではDNSとされている)が4から7とされている。それらではロバートソンのとうてきを9.95mとしている。IOCは3以降いこう選手せんしゅ記録きろくのこしていないが、Olympediaはシューマンの記録きろくを10.00mとしている[5][4][6][2]

とうてきの順番じゅんばんはほとんど不明ふめいであるが、2人ふたり最高さいこう記録きろく具体ぐたいてき記録きろくされている。ギャレットの最高さいこう記録きろく最初さいしょとうてきであった。ゴウスコスの最高さいこう記録きろく最後さいごとうてきであった。最後さいごのゴウスコスのとうてきは非常ひじょうにギャレットの記録きろくちかかったため、母国ぼこく観客かんきゃくつのに十分じゅうぶん記録きろくおもい「公式こうしきのスコアはあやまり、最初さいしょはゴウスコスを勝者しょうしゃとした」。しかし、あやまりが修正しゅうせいされ、ギャレットが勝者しょうしゃとして発表はっぴょうされた[2][3]

Olympediaには12にん出場しゅつじょうしゃげられているが、(公式こうしきレポートと一致いっちして)「15にん最終さいしゅうエントリーのうち7にん出場しゅつじょうした」とべている[2][3]

順位じゅんい 選手せんしゅ くに 記録きろく(m) 備考びこう
1位 ロバート・ギャレット アメリカ合衆国 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく 11.22 Template:OlyR
2位 ミルティアデス・ゴウスコス ギリシャ ギリシャ 11.20
3位 ゲオルギオス・パパシデリス ギリシャ ギリシャ 10.36
4 Viggo Jensen デンマーク デンマーク 不明ふめい
5—7 エラリー・クラーク アメリカ合衆国 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく 不明ふめい
フリッツ・ホフマン ドイツ ドイツ 10.00
カール・シューマン ドイツ ドイツ 不明ふめい
Louis Adler フランス フランス DNS
コンラート・ブッカー ドイツ ドイツ DNS
アルフレート・フラトー ドイツ ドイツ DNS
アルファーンス・グリセル フランス フランス DNS
Holger Nielsen デンマーク デンマーク DNS
Pál Péthy ハンガリー ハンガリー DNS
ジョージ・S・ロバートソン イギリス イギリス DNS
Momčilo Tapavica ハンガリー ハンガリー DNS
Charles Vanoni アメリカ合衆国 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく DNS
Desiderius Wein ハンガリー ハンガリー DNS
ヘルマン・ヴァインゲルトナー ドイツ ドイツ DNS
Charles Winckler デンマーク デンマーク DNS

出典しゅってん

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  1. ^ Athletics at the 1896 Athens Summer Games: Men's Shot Put”. sports-reference.com. 2020ねん4がつ17にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2018ねん1がつ5にち閲覧えつらん
  2. ^ a b c d e f Shot Put, Men”. Olympedia. 2020ねん9がつ29にち閲覧えつらん
  3. ^ a b c d Official Report, p. 69.
  4. ^ a b Ekkehard zur Megede (1970). Die Geschichte der olympischen Leichtathletik, Band 1: 1896–1936 (2nd ed.). Berlin: Verlag Bartels & Wernitz KG 
  5. ^ Volker Kluge (1997). Olympische Sommerspiele – Die Chronik I. Berlin. ISBN 3-328-00715-6 
  6. ^ Shot Put Men”. IOC. 2020ねん9がつ29にち閲覧えつらん