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2K1 マルス
種類 しゅるい
自 じ 走 はし 式 しき ロケットシステム 原 はら 開発 かいはつ 国 こく
ソビエト連邦 れんぽう 諸 しょ 元 もと 最大 さいだい 射程 しゃてい
18 km (11 mi)
エンジン
3R1 誘導 ゆうどう 方式 ほうしき
弾道 だんどう テンプレートを表示 ひょうじ
2K1 マルス (NATOコードネーム :FROG-2 、GRAUインデックス :2K1 )は、射程 しゃてい 7-18kmのソビエト連邦 れんぽう の固体 こたい 燃料 ねんりょう 戦術 せんじゅつ ミサイル システムである。
主任 しゅにん 設計 せっけい 者 しゃ はN.P.マズール。
ランチャーの重量 じゅうりょう :15トン PT-76 戦車 せんしゃ がベース
ロケットエンジン:3R1
ミサイルの直径 ちょっけい :1.75 m
誘導 ゆうどう :ランチャーによる
ランチャーの最 さい 高速度 こうそくど :35 km/h
長 なが さ3m、直径 ちょっけい 0.7-1.5m、重 おも さ4-5tの最初 さいしょ 期 き の核兵器 かくへいき はとても大 おお きくて重 おも く、アメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく のボーイング B-29 、コンベア のB-36 、ソ連 それん のツポレフ Tu-4 などの戦略 せんりゃく 爆撃 ばくげき 機 き でなければ搭載 とうさい できなかった[1] 。しかし、1950年代 ねんだい には、軍事 ぐんじ 作戦 さくせん の場面 ばめん で敵 てき 陣地 じんち 前方 ぜんぽう への核 かく 攻撃 こうげき にこれらの航空機 こうくうき を使用 しよう することは現実 げんじつ 的 てき ではなかった[2] 。
1950 年代 ねんだい 半 なか ばになると、核兵器 かくへいき の発展 はってん により、威力 いりょく と技術 ぎじゅつ 的 てき 特性 とくせい が向上 こうじょう する一方 いっぽう で、直径 ちょっけい と質量 しつりょう が小 ちい さくなったため、様々 さまざま な輸送 ゆそう 手段 しゅだん への搭載 とうさい が可能 かのう となった。特 とく に戦術 せんじゅつ 攻撃 こうげき 機 き は航空 こうくう 母艦 ぼかん に適 てき したものとなったが、その使用 しよう は時間 じかん 帯 たい や気象 きしょう 条件 じょうけん 、敵 てき の防空 ぼうくう 力 りょく の強 つよ さなどに依存 いぞん した[3] 。また、戦術 せんじゅつ 攻撃 こうげき 機 き の反応 はんのう 時間 じかん は非常 ひじょう に大 おお きい。このような状況 じょうきょう では、核弾頭 かくだんとう の輸送 ゆそう 手段 しゅだん を陸軍 りくぐん 部隊 ぶたい が持 も つことが望 のぞ まれるようになった。1950 年代 ねんだい には、これらの手段 しゅだん には、従来 じゅうらい の砲兵 ほうへい 、無 む 反動 はんどう ライフル、無 む 誘導 ゆうどう 戦術 せんじゅつ ミサイルが含 ふく まれていた。アメリカで、そしてやや遅 おく れてソ連 それん でもこれら3つの選択肢 せんたくし に関 かん する作業 さぎょう が行 おこな われた。
利用 りよう 可能 かのう な核兵器 かくへいき 技術 ぎじゅつ では、十分 じゅうぶん にコンパクトな爆 ばく 弾 だん を作 つく れなかったため、アメリカのT131砲 ほう 、ソビエトのSM-54(2A3)ライフル砲 ほう 、SM-58 420mm砲 ほう (2B1)滑 すべり 腔迫撃 げき 砲 ほう などの大砲 たいほう の解決 かいけつ 法 ほう は、2A3が 55トン、T131が 75.5トンと、重 おも くて不格好 ぶかっこう になってしまった。これらは橋 はし の上 うえ を牽引 けんいん もできず、農村 のうそん や都市 とし 部 ぶ を移動 いどう もできず、発射 はっしゃ 準備 じゅんび に多 おお くの時間 じかん を要 よう した。
アメリカとソ連 それん では、これらの重 おも すぎる砲弾 ほうだん の代替 だいたい 兵器 へいき は、核兵器 かくへいき のキャリアとしての無 む 誘導 ゆうどう 戦術 せんじゅつ ロケット弾 だん だった。主 おも な利点 りてん は以下 いか の通 とお り。
1950-60年代 ねんだい の慣性 かんせい 誘導 ゆうどう システムは、射程 しゃてい 約 やく 30kmでは500-1000m(CEP)程度 ていど の精度 せいど しか得 え られず、無 む 誘導 ゆうどう ロケットの精度 せいど と同等 どうとう であった。
無線 むせん 誘導 ゆうどう は干渉 かんしょう を受 う けやすいため好 この ましくなかった。また、地上 ちじょう や空中 くうちゅう に誘導 ゆうどう 物 ぶつ を設置 せっち する必要 ひつよう があった。
海洋 かいよう および航空 こうくう 目標 もくひょう 用 よう のアクティブホーミングシステムは、地上 ちじょう 目標 もくひょう 用 よう に設計 せっけい されたシステムはおろか、1950年代 ねんだい 初頭 しょとう にはまだ開発 かいはつ されていなかった。
^ Knaack, Marcelle Size (1978). Encyclopedia of US Air Force Aircraft and Missile Systems . Volume 1. Post-World War II Fighters 1945-1973. Washington DC: Office of Air Force History. doi :10.21236/ada057002
^ “Secret Understandings on the Use of Nuclear Weapons, 1950-1974 ”. nsarchive2.gwu.edu . 2020年 ねん 1月 がつ 22日 にち 閲覧 えつらん 。
^ Green, William C. (2019-07-11), “Theater and Tactical Nuclear Weapons Policy” , Soviet Nuclear Weapons Policy (Routledge): 195–243, doi :10.4324/9780429307065-5 , ISBN 978-0-429-30706-5 , https://www.taylorfrancis.com/books/9780429307065/chapters/10.4324/9780429307065-5 2020年 ねん 1月 がつ 22日 にち 閲覧 えつらん 。