出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
レンタルCDとは、コンパクトディスクなどの音楽ソフトを有料で貸し出すサービス。主に日本国内で行われている。
1980年にアナログレコードを貸し出す専業の店として登場。その後1982年に登場したコンパクトディスクも貸し出すようになった。2000年代には専門店はほぼ姿を消し、レンタルビデオ(後のDVD)やゲーム、漫画の単行本等と共に複合化されている[1]。
小林克也は『The Music』(小学館)1978年2月号のインタビューで「慶應義塾大学在学中に、アメリカで大流行していると聞いた貸しレコード屋を友人と大学の前でやった」と話している[2]。
1980年に東京都三鷹市で「黎紅堂」(れいこうどう)と言う屋号[3]でLPレコードをレンタルするサービスを当時立教大学の学生であった大浦清一が開始したのが第一号[4][5]。
レンタル料金はレコード1枚につき250円から300円程度[4][6]。購入した場合の10分の1という安さだったことから爆発的に大人気となり[4]、レンタルレコード店は急速に拡大[4][7]、"アイデア商法"としてマスコミの反響を呼び、多くの記事が新聞や雑誌を飾った[8]。店によってはレコードということもあってか些細な傷や汚れを入念にチェック、客に警告や弁償金を請求する店も少なくなかった。実際に現在中古で販売されるレンタル落ちレコードはジャケットに巨大なステッカーなどが貼られているものの極めて状態が良い場合が多い。日本レコード協会調べで、1981年6月に約500店だったのが、同年12月に約930店、1982年10月末で1620店[4]、1983年頃に約1700店。そして殆んどの顧客が借りたレコードをカセット・テープに録音(ダビング)、一般のレコード店の売上が2割から3割減少する影響を見せ、権利者団体から問題視されることになった[9][10]。
1981年10月31日、 レコード会社13社と日本レコード協会(正坊地隆美会長)が[7]、黎紅堂、友&愛、レック、ジョイフルといった当時のレンタルレコード店大手4社に対して著作権侵害だとして、東京地裁に貸出差止を求める民事訴訟を起こす[5][7]。民事訴訟だったのは当時の著作権法には貸与権が明文化されておらず、レンタルレコードを法規制できなかったためで、1983年には国会で立法措置の動きが出た[9]。
1984年3月、レンタルレコード店が日本レコードレンタル商業組合(現・日本コンパクトディスク・ビデオレンタル商業組合)を結成[11]。5月、日本レコードレンタル商業組合と日本音楽著作権協会の話し合いと国会での審議により貸与権が設定、権利者の許諾を受けたレンタルレコードが「合法化」。日本レコードレンタル商業組合は日本音楽著作権協会に著作権使用料を支払っていくことになった[12]。6月に貸レコード暫定措置法が施行[13]。この頃から「友&愛」が首都圏でチェーン展開をし、深夜にTVコマーシャルを放送。
1984年に著作権法が改正され、レコード制作者に貸与権と報酬請求権が認められる。これによって、無断レンタルレコードが違法であることが明文化。翌1985年1月に改正著作権法が施行[13]。当時の黎紅堂の会員数は約180万人、友&愛の会員数は約80万人[3]。
1991年、著作権法改正により、新譜のレンタル禁止期間が1年間に延長。
国内アーティスト(J-POP・歌謡曲・演歌など)に関しては、各レコード会社との話し合いにより例外はあるがアルバム及びカップリング曲が2曲以上のシングルは、当初(1992年10月より)は発売後1週間がレンタル禁止期間であったが1995年頃から主に発売日から翌々週の土曜日にあたる発売後17日間に変更となり2021年現在もその日数で続いている。海外アーティストのいわゆる洋楽に関しては殆んど1年間レンタル禁止となり、レンタルCDの取扱を廃止する店舗が増えたとされている。シングルCDのレンタルは、カップリング曲なし、もしくは1曲のシングルは発売日当日からレンタルできる[14]。
しかし、邦楽でもアーティスト側の諸事情によりレンタルが一切禁止されている作品もある一方で[15]、レーベル側の意向で2001年発売、愛内里菜の1stアルバム『Be Happy』とGARNET CROWのメジャー1stアルバム『first soundscope 〜水のない晴れた海へ〜』の2作は発売日にレンタル解禁されている稀有なケース。
レンタルによる著作権の支払いは一説にレンタル市場売上約600億円のうちの15%(90億円)程度に過ぎず、新品CD店(売上の70%程度がレコード会社への原価に消える)よりも有利な競争条件であるとされる[16]。また、需要期を過ぎたCDについては中古市場へ売却を行うことが通常認められており、中古CDや新品CDも含めた複合店舗が増加している。2000年のカルチュア・コンビニエンス・クラブ(TSUTAYA)のマザーズ上場に見られるような大規模調達による財務面の安定化、また規模の経済が働くこともあり、一部ビッグプレーヤーによる大型化[17]・寡占化が進行している。