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F・ロス・ジョンソン

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F・ロス・ジョンソン
F. Ross Johnson
生誕せいたん Frederick Ross Johnson
(1931-12-13) 1931ねん12月13にち
カナダの旗 カナダ マニトバしゅうウィニペグ
死没しぼつ 2016ねん12月29にち(2016-12-29)(85さいぼつ
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく フロリダしゅうジュピター
国籍こくせき カナダの旗 カナダ
教育きょういく トロント大学だいがく (MBA)
マニトバ大学だいがく (B.Com.英語えいごばん)
職業しょくぎょう 実業じつぎょうRJRナビスコ社長しゃちょうけんCEO
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フレデリック・ロス・ジョンソン(Frederick Ross Johnson, OC1931ねん12月13にち - 2016ねん12月29にち)は、カナダ出身しゅっしんアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく実業じつぎょうである。1980年代ねんだいRJRナビスコ社長しゃちょうけんCEOつとめていたことでられる[1]

若年じゃくねん教育きょういく[編集へんしゅう]

1931ねん12月13にちマニトバしゅうウィニペグ中流ちゅうりゅう階級かいきゅう家庭かていまれた[2]士官しかん候補こうほせい奨学しょうがくきん制度せいど利用りようしてマニトバ大学だいがく入学にゅうがくして商学しょうがく専攻せんこうし、1952ねん卒業そつぎょうした。1965ねんトロント大学だいがく経営けいえい学修がくしゅう(MBA)の資格しかく取得しゅとくした。

キャリア[編集へんしゅう]

大学だいがく卒業そつぎょうゼネラル・エレクトリックモントリオール工場こうじょう会計かいけい仕事しごとをした。カナダのデパートチェーン、イートンズ英語えいごばんマーチャンダイジング担当たんとうヴァイスプレジデントて、スタンダード・ブランズ社長しゃちょう就任しゅうにんした[3]

ジョンソンは、ナビスコのCEO、ロバート・シェバーリを相手あいて自社じしゃとの合併がっぺい交渉こうしょうおこない、1981ねん合併がっぺいしてナビスコブランドとなった。しん会社かいしゃ社長しゃちょう就任しゅうにんしたジョンソンは、ナビスコ出身しゅっしん幹部かんぶをスタンダード出身しゅっしんしゃ交代こうたいさせた。1985ねん、ジョンソンはR・J・レイノルズ・タバコとの合併がっぺい交渉こうしょうおこない、しん会社かいしゃRJRナビスコ社長しゃちょうけんCEOに就任しゅうにんした。

1987ねん株式かぶしき市場いちば暴落ぼうらくブラックマンデー)ののち、ジョンソンは会社かいしゃ手放てばなすことにした。投資とうし銀行ぎんこうシアーソン・リーマン・ハットン英語えいごばん共同きょうどう経営けいえいじん主導しゅどうによるレバレッジド・バイアウト(LBO)をおこな予定よていだったが、はげしい買収ばいしゅう合戦かっせん発展はってんした。最終さいしゅうてきには、コールバーグ・クラビス・ロバーツ(KKR)によって買収ばいしゅうされることになった。ジョンソンは、この買収ばいしゅうにより6せんまんドルをにした。

この買収ばいしゅう顛末てんまつは、ブライアン・バーロウ英語えいごばんジョン・ヘルヤー英語えいごばんによるドキュメンタリー『野蛮やばん来訪らいほうしゃ―RJRナビスコの陥落かんらく英語えいごばん』(Barbarians at the Gate: The Fall of RJR Nabisco)としてまとめられた。このほんは、HBOによりテレビ映画えいが日本語にほんごやくだい企業きぎょう買収ばいしゅう/250おくドルのけ』)され、ジョンソンのやくジェームズ・ガーナーえんじた。『タイムは、1988ねん12がつごう表紙ひょうしにジョンソン社長しゃちょう肖像しょうぞう掲載けいさいし、"A Game of Greed: This man could pocket $100 million from the largest corporate takeover in history. Has the buyout craze gone too far?"(強欲ごうよくのゲーム: このおとこ史上しじょう最大さいだい企業きぎょう買収ばいしゅうで1おくドルをれた。バイアウトの熱狂ねっきょうはやりぎだったのか?)という見出みだしをつけた[4]

RJRナビスコを売却ばいきゃくしたのち、ジョンソンは、ジョージアしゅうアトランタ(RJRナビスコの本社ほんしゃかれていた)で個人こじん投資とうし会社かいしゃのRJMグループ(RJM Group, Inc.)を設立せつりつした。また、2009ねん3がつまでオーセンティデート・ホールディングしゃ会長かいちょうつとめたほか、ベントリー・ファーマシューティカルズ(げん テバ・ファーマシューティカル・インダストリーズ)などいくつかの企業きぎょう取締役とりしまりやくつとめた。このほか、パワー・コーポレーション英語えいごばん諮問しもん委員いいんつとめた。

私生活しせいかつ[編集へんしゅう]

ジョンソンは、カリフォルニアしゅうラホヤフロリダしゅうジュピターいえっていた[5]

デューク大学だいがく評議ひょうぎいんや、いくつかの大学だいがく諮問しもん委員いいんつとめた。2001ねん、ジョンソンの寄付きふにより、トロント大学だいがくアメリカ研究けんきゅうセンターに特別とくべつ客員きゃくいんプログラムがもうけられた。

2016ねん12月29にち、フロリダしゅうジュピターの自宅じたく肺炎はいえんにより85さい死去しきょした[1]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ a b Hagerty, James. “Former RJR Nabisco CEO F. Ross Johnson Dies at Age 85”. The Wall Street Journal. https://www.wsj.com/articles/former-rjr-nabisco-ceo-f-ross-johnson-dies-at-age-85-1483160303 
  2. ^ F. Ross Johnson, Symbol of '80s Corporate Excess, Dies at 85”. The New York Times (2016ねん12月31にち). 2016ねん12月31にち閲覧えつらん
  3. ^ Doron P. Levin (1988ねん10がつ21にち). “F. Ross Johnson. A Chief Willing to Gamble”. The New York Times. https://www.nytimes.com/1988/10/21/business/man-in-the-news-f-ross-johnson-a-chief-willing-to-gamble.html 
  4. ^ “A Game of Greed”. Time Magazine. (December 5, 1988). オリジナルのMarch 13, 2005時点じてんにおけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20050313123621/http://www.time.com/time/magazine/0,9263,7601881205,00.html. 
  5. ^ Parker, Charles Whatley; and Greene, Barnet M. "F. Ross Johnson", Who's Who in Canada: An Illustrated Biographical Record of Men and Women of the Time, Volume 73, p. 421, International Press Limited., 1982. ISBN 0-919339-02-6. Accessed June 28, 2011. "Residence: 210 East Mountain Road, Sparta, New Jersey 07871".