135フィルム。このフィルムは35mm幅 はば で、各 かく 画像 がぞう は一般 いっぱん 的 てき なフルサイズで24×36mmとなる。またこのサイズは35mm映像 えいぞう 用 よう フォーマットの『シングルフレーム』との対比 たいひ で『ダブルフレーム』と呼 よ ばれることもある。
135 (ISO 1007)は、写真 しゃしん フィルム の一種 いっしゅ 。36mm(1.4in )幅 はば のサイズを有 ゆう する。
カール・ツァイス財団 ざいだん からライツ社 しゃ へ移籍 いせき した技術 ぎじゅつ 者 しゃ のオスカー・バルナック が、1914年 ねん に映画 えいが 用 よう の35mmフィルムを転用 てんよう した試作 しさく 機 き の「ウルライカ」を開発 かいはつ したことから、ライカ判 ばん とも呼 よ ばれるほか、単 たん に35mm(さんじゅうごミリ )とも。
その後 ご の1934年 ねん に、コダック が35mm幅 はば のスチル写真 しゃしん 用 よう カートリッジ式 しき フィルム用 よう として初 はじ めて使用 しよう し[ 1] 、135という用語 ようご で呼 よ びならわしたが、この呼称 こしょう は定着 ていちゃく しなかった。
1960年代 ねんだい 後期 こうき には120フィルム を凌駕 りょうが し写真 しゃしん フィルムのフォーマットとして最 もっと も一般 いっぱん 的 てき なものになった。828 、126 、110 、APS との競合 きょうごう を経 へ ながら現存 げんそん する。
135のフレームとパーフォレーション
135フィルムの各 かく ロールは、パトローネ と呼 よ ばれる、シングルスプール(一軸 いちじく )で軽量 けいりょう の金属 きんぞく 製 せい カセットに納 おさ められ、昼 ひる 光 こう の下 した でカメラに装 そう てんできる。フィルムはスプールにクリップ止 と めまたはテープで留 と められビロード張 ば りのスロットから出 で る。フィルム端 はし は片側 かたがわ を切 き ってリーダーとし、ここをカメラの巻上 まきあ げスプールのスロットに差 さ し込 こ む。フィルムには35mm映画 えいが プリントフィルム と同 おな じ位置 いち ・大 おお きさのパーフォレーション があいている。
標準 ひょうじゅん 画像 がぞう フォーマットは24×36mmである。パーフォレーション のサイズとピッチはKS-1870*** である。フレーム毎 ごと にフィルムはパーフォレーション8穴 あな ずつ進 すす む。これは1.4960インチ(約 やく 38.00mm)にあたる。フレームの間 あいだ に2mmの隙間 すきま があく。フィルムを巻 ま き上 あ げるスプロケット の位置 いち はカメラごとに異 こと なる。そこで各 かく カメラのフレームはパーフォレーションに対 たい して異 こと なる位置 いち になる。フィルムにはおよそ0.14mmの厚 あつ みがある。
他 た の画像 がぞう フォーマットとしては、標準 ひょうじゅん 画像 がぞう フォーマットの半分 はんぶん の大 おお きさでハーフ判 ばん と呼 よ ばれる18×24mmや、オットー・ベルニング が製造 せいぞう したロボット、ツァイス・イコン が製造 せいぞう したテナックス 、マミヤ光 こう 機 き (現 げん マミヤ・オーピー )が製造 せいぞう したマミヤスケッチが採用 さいよう した24×24mmもある。
変 か わったフォーマットとしては、初期 しょき のニコンレンジファインダー の24×32mmと24×34mm、ある種 しゅ のステレオカメラ の24×23mmもある。1967年 ねん にソ連 それん のKMZ工場 こうじょう は24×58mmのパノラマフォーマット をホリゾントカメラに採用 さいよう した。1998年 ねん にハッセルブラッド は24×65mmのパノラマフォーマットをXP型 がた カメラに採 と り入 い れた。スイスのザイツが製造 せいぞう していたパノラカメラ、ラウンドショット35の画面 がめん サイズは24×224mmであった。テッシナの小型 こがた カメラに使用 しよう した14×21mmのフォーマットもある。
フィルムは撮影 さつえい コマ数 すう に応 おう じて異 こと なる長 なが さで供給 きょうきゅう される。標準 ひょうじゅん の最長 さいちょう ロールは36コマ撮 と り(標準 ひょうじゅん 24×36mmフォーマットと仮定 かてい )であった。1980年 ねん ごろまではこれより短 みじか いのは20コマ撮 と りだったが、以後 いご ネガフィルムでは24コマ撮 と りと12コマ撮 と りが普及 ふきゅう するにつれ市場 いちば ではあまり見 み られなくなった。暗室 あんしつ でカメラにフィルムを装填 そうてん すると、多 おお くのカメラでは公称 こうしょう のコマ数 すう より3コマ多 おお く撮 と ることができる[ 2] 。27コマ撮 と り使 つか いきりカメラは、24コマ撮 と りのカセットを暗 くら 所 ところ で装填 そうてん したものである。
ほかに、これより短 みじか いものも製造 せいぞう されてきた。6、8、10、15コマ撮 と りのロールもサンプル用 よう 、または使 つか いきりカメラ用 もちい 、損害 そんがい 保険 ほけん 会社 かいしゃ の文書 ぶんしょ 作成 さくせい 用 よう などに使用 しよう されてきた。カメラマンはフィルムを自分 じぶん で装填 そうてん すると自由 じゆう な長 なが さにでき、フィルムの材質 ざいしつ が薄 うす い場合 ばあい は最大 さいだい 45コマ撮 と りが可能 かのう である。
イルフォード が一時 いちじ 製造 せいぞう したHP5白黒 しろくろ フィルムは薄 うす いポリエステルベースで、フィルムカセットひとつで72コマの撮影 さつえい が可能 かのう だった。
通常 つうじょう 、フィルムはカメラを開 あ ける前 まえ に巻 まき 戻 もど す。モータードライブ付 づけ カメラのなかには装填 そうてん 時 じ にフィルムをすべて巻 ま き上 あ げ、露光 ろこう ごとにフィルムを巻 まき 戻 もど すものがあるが、これには撮影 さつえい 済 ず みのコマをパトローネにすぐ巻 まき 戻 もど して使用 しよう 中 ちゅう の裏 うら 蓋 ぶた 開放 かいほう といった不慮 ふりょ の事態 じたい に映像 えいぞう を保護 ほご する目的 もくてき がある。使 つか いきりカメラでも同様 どうよう に最初 さいしょ にフィルムを巻 ま き上 あ げてあり、撮影 さつえい ごとにフィルムを巻 まき 戻 もど す仕組 しく みになっているが、こちらは使用 しよう 中 ちゅう の不慮 ふりょ の裏 うら 蓋 ぶた 解放 かいほう は通常 つうじょう あり得 え ず、カメラ構造 こうぞう の簡略 かんりゃく 化 か (手動 しゅどう の一方 いっぽう 向 こう 巻 ま き上 あ げ機構 きこう だけで済 す ませる)と、現像 げんぞう 所 しょ でのパトローネ取出 とりだ し作業 さぎょう を迅速 じんそく 化 か するのが目的 もくてき である。
1980年代 ねんだい 以後 いご 、フィルムカセットにはDXコード のパターンが記 しる され、フィルム感度 かんど をカメラが感知 かんち するようにした。フィルムにより感度 かんど は異 こと なるが、このフィルム感度 かんど をISO規格 きかく で標準 ひょうじゅん 化 か した。今日 きょう 、一般 いっぱん 的 てき なフィルム感度 かんど はISO100/21°からISO800/30°だが、これより高 こう 感度 かんど ・低 てい 感度 かんど のものがプロ用 よう に供 きょう されている。
富士 ふじ フイルム製 せい ISO400、135カラーフィルム
動画 どうが 用 よう 35mmフィルム の標準 ひょうじゅん はトーマス・エジソン の研究所 けんきゅうじょ でウィリアム・ケネディ・ローリー・ディクソン が確立 かくりつ した。ディクソンはジョージ・イーストマン のイーストマン・コダック 社 しゃ が供給 きょうきゅう する70mmフィルムを使用 しよう し、このフィルムを長 なが さ方向 ほうこう に同 おな じ幅 はば (35mm)で2等分 とうぶん し、フィルムの端 はし と端 はし を貼 は り付 づ けて長 なが くし、フィルムの両側 りょうがわ に巻 ま き上 あ げ用 よう の穴 あな を開 あ けた。はじめの画像 がぞう サイズは18×24mmで、現在 げんざい スチル写真 しゃしん の『ハーフ判 ばん 』とされているものである。動画 どうが の1フレームにつき両側 りょうがわ に4つのパーフォレーション がある。
ライカ以前 いぜん にもこの穴 あな あき動画 どうが 用 よう フィルムを使 つか う35mmスチルカメラが数多 かずおお くあった。これ用 よう の初 はつ の特許 とっきょ は1908年 ねん にイングランドのLeo, Audobard and Baradatが取得 しゅとく した。最初 さいしょ の量産 りょうさん カメラは1913年 ねん にジュール・リシャール が生産 せいさん を始 はじ めたホメオスというステレオカメラ だった。これはテッサーレンズ2本 ほん を装備 そうび し18×24mmのステレオ写真 しゃしん 一 いち 組 くみ を撮 と るもので、1920年 ねん まで販売 はんばい された。
知 し られている限 かぎ りで初 はつ の35mm判 ばん (画面 がめん サイズ=24×36mm)カメラを試作 しさく したのは、1912年 ねん アメリカのジョージ・P・スミス(George P. Smith)である[ 3] 。初 はつ の市販 しはん 35mmスチルカメラは、1913年 ねん に市場 いちば に現 あらわ れたアメリカン・ツーリスト・マルチプルで、画面 がめん サイズはハーフ判 ばん 、価格 かかく は当時 とうじ 175ドル(現在 げんざい の貨幣 かへい 価値 かち に換算 かんさん すれば今 いま の3000ドルのライカとほぼ等価 とうか )だった。24×36mmのフルフレームを使 つか った初 はつ の市販 しはん カメラは1914年 ねん にアメリカ市場 いちば に投入 とうにゅう されたシンプレックスだったと思 おも われる。このカメラは50フィート(15.2m)のロールフィルムを使 つか いハーフ判 ばん 800コマまたはフルフレーム400コマを撮 と った。
ベルリンのLevy-Roth社 しゃ が発売 はつばい したミニグラフもハーフ判 ばん の小型 こがた カメラで1915年 ねん にドイツで販売 はんばい が始 はじ まった。35mm判 ばん のスチルと動画 どうが 両用 りょうよう のDebrie Septカメラの特許 とっきょ は1918年 ねん に下 お りたが、市場 いちば 投入 とうにゅう は1922年 ねん になった。
1923年 ねん よりフランスで製造 せいぞう 販売 はんばい されたFuretカメラは、24×36mmのネガ写真 しゃしん 用 よう で現在 げんざい のカメラと似 に た姿 すがた の初 はつ の安価 あんか な小型 こがた の35mm判 ばん カメラとなった。
オスカー・バルナック は1913年 ねん 頃 ごろ にカメラ試作 しさく 機 き (後 のち にウル・ライカと呼 よ ばれる)を設計 せっけい したが、ヌル・ライカ(製造 せいぞう 番号 ばんごう 100から130)の初 はつ の試験 しけん 生産 せいさん は1923年 ねん を待 ま たねばならなかった。ライカのフル生産 せいさん は1925年 ねん に始 はじ まった。この時点 じてん で入手 にゅうしゅ 可能 かのう な35mm判 ばん カメラには1ダースほどの種類 しゅるい があった。ライカの成功 せいこう には流行 りゅうこう に乗 の った写真 しゃしん ライターの貢献 こうけん も大 おお きく、さらにレンズの品質 ひんしつ 、小 ちい さなサイズ、組立 くみたて の精密 せいみつ さばかりか、価格 かかく の高 たか さも写真 しゃしん 家 か やファッションを追 お う人 ひと の『プレステージ』としてこれに寄与 きよ した。
ライカ カメラはオスカー・バルナックの設計 せっけい で35mmフィルムを使用 しよう し、24mm×36mmという小 ちい さなフォーマットがプロの写真 しゃしん に必要 ひつよう な品質 ひんしつ を提供 ていきょう することを実証 じっしょう した。
ライカは当初 とうしょ 40枚 まい 撮 と りで企画 きかく されていた(ヌル・ライカの初期 しょき 製品 せいひん まではカウンターが40まで設定 せってい されている)が、検討 けんとう 過程 かてい でその長 なが さのフィルムをボディに収納 しゅうのう するのが難 むずか しいと判断 はんだん され、10%短縮 たんしゅく した36枚 まい 撮 と り仕様 しよう となったという[ 4] 。この「36枚 まい 撮 と り」は後年 こうねん 、パトローネ装填 そうてん 済 ず み35mmフィルムが市販 しはん 化 か された際 さい にもフィルム最大 さいだい 延長 えんちょう の基本 きほん として踏襲 とうしゅう された。
フィルム装填 そうてん 済 ず みパトローネとコダック・レチナ[ 編集 へんしゅう ]
コダック・レチナIb
かつて写真 しゃしん 家 か は再 さい 使用 しよう 可能 かのう なカセットに暗室 あんしつ であらかじめフィルムを装填 そうてん しなければならず、カメラの種類 しゅるい によってはフィルムリーダー部 ぶ を切 き らなければならなかった。1934年 ねん にコダック は135の日 にち 中 ちゅう 装填 そうてん 用 よう 使 つか いきりカセットを発売 はつばい した。このカセットはライカ とコンタックス に使 つか え、かつ新 しん 開発 かいはつ のレチナ にも使 つか えるように設計 せっけい されていた。レチナとこの日 にち 中 ちゅう 装填 そうてん 用 よう パトローネはドイツ・シュトゥットガルト にあったナーゲル のアウグスト・ナーゲル博士 はかせ の開発 かいはつ したものである。コダックは同 どう 博士 はかせ の会社 かいしゃ を1931年 ねん 12月に傘下 さんか に収 おさ めており、1934年 ねん 夏 なつ にレチナ の販売 はんばい 活動 かつどう を開始 かいし した。コダック・レチナの第 だい 1世代 せだい はTyp. 117だった。以後 いご このシリーズは1969年 ねん まで生産 せいさん された。コダックは135フォーマットのコダクローム (Kodachrome ) ・カラーフィルムを1935年 ねん に市場 いちば 投入 とうにゅう した。アグフア がこれに続 つづ き1936年 ねん にアグファカラー・ノイを投入 とうにゅう した。
235 ・435 という呼称 こしょう は、ライカまたはコンタックスに装填 そうてん 可能 かのう な暗室 あんしつ 不要 ふよう の再 さい 使用 しよう 可能 かのう なフィルムカセットの、日 にち 中 ちゅう 装填 そうてん スプールの35mmフィルムに用 もち いられる。335 は日 にち 中 ちゅう 装填 そうてん スプールの24×23mmステレオフォーマット用 よう である。
1959年 ねん 3月 がつ 登場 とうじょう のニコンF 一眼 いちがん レフシステムカメラ (system camera ) 以来 いらい 、35mm判 ばん カメラの質 しつ は格段 かくだん に向上 こうじょう し、使 つか い道 みち は大 おお きく広 ひろ がった。パトローネに印刷 いんさつ された電気 でんき 接点 せってん でフィルム感度 かんど や撮影 さつえい 可能 かのう 枚数 まいすう をカメラに設定 せってい できるDXコード システムが1980年代 ねんだい に導入 どうにゅう された。
1990年代 ねんだい から現在 げんざい まで:APSとデジタルカメラの未来 みらい [ 編集 へんしゅう ]
1996年 ねん に135フィルムに替 か わるものとして写真 しゃしん 関連 かんれん 企業 きぎょう のコンソーシアムが新 あたら しいフォーマットAPS (Advanced Photo System)を導入 どうにゅう した。24mmという小 ちい さなサイズのネガフィルムということもあり、APS用 よう 一 いち 眼 め レフカメラが生産 せいさん されたもののAPSはプロ用 よう フォーマットとしては相手 あいて にされなかった。このフォーマットのターゲットとなった一般 いっぱん 用 よう カメラの市場 いちば ではそこそこの成功 せいこう を収 おさ めたが、135の市場 いちば を切 き り崩 くず すには至 いた らなかった。市場 いちば 投入 とうにゅう から5年 ねん で安価 あんか なデジタルコンパクトカメラ が普及 ふきゅう し、APSの販売 はんばい は不振 ふしん になった。
このようなデジタルコンパクトカメラは、35mmコンパクトカメラ の市場 いちば をも侵食 しんしょく してきた。しかし、デジタル一 いち 眼 め レフカメラ が35mm一 いち 眼 め レフカメラと値段 ねだん と質 しつ において比較 ひかく 可能 かのう になったのはその後 ご のことである。
初期 しょき のデジタル一 いち 眼 め レフカメラ はイメージングセンサーの生産 せいさん や価格 かかく 的 てき な優位 ゆうい 性 せい から、当初 とうしょ これらの多 おお くがAPS-C にやや近 ちか いサイズの17×23mmのセンサを使用 しよう していた。
2022年 ねん には、デジタル一 いち 眼 め レフカメラに置 お いてはミラーレスカメラに台頭 たいとう と共 とも に135フィルム同様 どうよう 35mmフルサイズ とも言 い われる24×36mmのセンサを使用 しよう している機種 きしゅ が主流 しゅりゅう となりつつあり、またプロフェッショナルな業界 ぎょうかい ではほぼデジタルカメラに移行 いこう している。
こうした写真 しゃしん のデジタルへの移行 いこう や、映画 えいが のフィルムでの撮影 さつえい の減少 げんしょう 、映画 えいが 上映 じょうえい のデジタル化 か による上映 じょうえい 用 よう のフィルム需要 じゅよう の減少 げんしょう 、生産 せいさん 時 じ に使用 しよう する化学 かがく 薬品 やくひん の環境 かんきょう 負荷 ふか がもたらす原材料 げんざいりょう の変更 へんこう やコスト高 だか などにより、全 すべ てのフォーマットのフィルム販売 はんばい そのものが激減 げきげん したことで、135フィルムも銘柄 めいがら の整理 せいり や生産 せいさん の停止 ていし 、メーカーの撤退 てったい 、現像 げんぞう 所 しょ の減少 げんしょう や廃業 はいぎょう などに繋 つな がった。
現在 げんざい はフィルムの高 こう 価格 かかく 化 か などにより、フィルムカメラでの撮影 さつえい は、デジタルカメラより趣味 しゅみ 性 せい の高 たか いものとなった。
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