(Translated by https://www.hiragana.jp/)
135フィルム - Wikipedia コンテンツにスキップ

135フィルム

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
ISO 1007から転送てんそう
135フィルム。このフィルムは35mmはばで、かく画像がぞう一般いっぱんてきなフルサイズで24×36mmとなる。またこのサイズは35mm映像えいぞうようフォーマットの『シングルフレーム』との対比たいひで『ダブルフレーム』とばれることもある。

135ISO1007)は、写真しゃしんフィルム一種いっしゅ。36mm(1.4inはばのサイズをゆうする。 カール・ツァイス財団ざいだんからライツしゃ移籍いせきした技術ぎじゅつしゃオスカー・バルナックが、1914ねん映画えいがようの35mmフィルムを転用てんようした試作しさくの「ウルライカ」を開発かいはつしたことから、ライカばんともばれるほか、たんに35mm(さんじゅうごミリ)とも。

その1934ねんに、コダックが35mmはばのスチル写真しゃしんようカートリッジしきフィルムようとしてはじめて使用しよう[1]、135という用語ようごびならわしたが、この呼称こしょう定着ていちゃくしなかった。

1960年代ねんだい後期こうきには120フィルム凌駕りょうが写真しゃしんフィルムのフォーマットとしてもっと一般いっぱんてきなものになった。828126110APSとの競合きょうごうながら現存げんそんする。

特徴とくちょう

[編集へんしゅう]
135のフレームとパーフォレーション

135フィルムのかくロールは、パトローネばれる、シングルスプール(一軸いちじく)で軽量けいりょう金属きんぞくせいカセットにおさめられ、ひるこうしたでカメラにそうてんできる。フィルムはスプールにクリップめまたはテープでめられビロードりのスロットからる。フィルムはし片側かたがわってリーダーとし、ここをカメラの巻上まきあげスプールのスロットにむ。フィルムには35mm映画えいがプリントフィルムおな位置いちおおきさのパーフォレーションがあいている。

標準ひょうじゅん画像がぞうフォーマットは24×36mmである。パーフォレーションのサイズとピッチはKS-1870***である。フレームごとにフィルムはパーフォレーション8あなずつすすむ。これは1.4960インチ(やく38.00mm)にあたる。フレームのあいだに2mmの隙間すきまがあく。フィルムをげるスプロケット位置いちはカメラごとにことなる。そこでかくカメラのフレームはパーフォレーションにたいしてことなる位置いちになる。フィルムにはおよそ0.14mmのあつみがある。

画像がぞうフォーマットとしては、標準ひょうじゅん画像がぞうフォーマットの半分はんぶんおおきさでハーフばんばれる18×24mmや、オットー・ベルニング製造せいぞうしたロボット、ツァイス・イコン製造せいぞうしたテナックス、マミヤこうげんマミヤ・オーピー)が製造せいぞうしたマミヤスケッチが採用さいようした24×24mmもある。

わったフォーマットとしては、初期しょきニコンレンジファインダーの24×32mmと24×34mm、あるしゅステレオカメラの24×23mmもある。1967ねんソ連それんKMZ工場こうじょうは24×58mmのパノラマフォーマットをホリゾントカメラに採用さいようした。1998ねんハッセルブラッドは24×65mmのパノラマフォーマットをXPがたカメラにれた。スイスのザイツが製造せいぞうしていたパノラカメラ、ラウンドショット35の画面がめんサイズは24×224mmであった。テッシナの小型こがたカメラに使用しようした14×21mmのフォーマットもある。

フィルムは撮影さつえいコマすうおうじてことなるながさで供給きょうきゅうされる。標準ひょうじゅん最長さいちょうロールは36コマり(標準ひょうじゅん24×36mmフォーマットと仮定かてい)であった。1980ねんごろまではこれよりみじかいのは20コマりだったが、以後いごネガフィルムでは24コマりと12コマりが普及ふきゅうするにつれ市場いちばではあまりられなくなった。暗室あんしつでカメラにフィルムを装填そうてんすると、おおくのカメラでは公称こうしょうのコマすうより3コマおおることができる[2]。27コマ使つかいきりカメラは、24コマりのカセットをくらところ装填そうてんしたものである。

ほかに、これよりみじかいものも製造せいぞうされてきた。6、8、10、15コマりのロールもサンプルよう、または使つかいきりカメラもちい損害そんがい保険ほけん会社かいしゃ文書ぶんしょ作成さくせいようなどに使用しようされてきた。カメラマンはフィルムを自分じぶん装填そうてんすると自由じゆうながさにでき、フィルムの材質ざいしつうす場合ばあい最大さいだい45コマりが可能かのうである。

イルフォード一時いちじ製造せいぞうしたHP5白黒しろくろフィルムはうすいポリエステルベースで、フィルムカセットひとつで72コマの撮影さつえい可能かのうだった。

通常つうじょう、フィルムはカメラをけるまえまきもどす。モータードライブづけカメラのなかには装填そうてんにフィルムをすべてげ、露光ろこうごとにフィルムをまきもどすものがあるが、これには撮影さつえいみのコマをパトローネにすぐまきもどして使用しようちゅううらぶた開放かいほうといった不慮ふりょ事態じたい映像えいぞう保護ほごする目的もくてきがある。使つかいきりカメラでも同様どうよう最初さいしょにフィルムをげてあり、撮影さつえいごとにフィルムをまきもど仕組しくみになっているが、こちらは使用しようちゅう不慮ふりょうらぶた解放かいほう通常つうじょうありず、カメラ構造こうぞう簡略かんりゃく手動しゅどう一方いっぽうこう機構きこうだけでませる)と、現像げんぞうしょでのパトローネ取出とりだ作業さぎょう迅速じんそくするのが目的もくてきである。

1980年代ねんだい以後いご、フィルムカセットにはDXコードのパターンがしるされ、フィルム感度かんどをカメラが感知かんちするようにした。フィルムにより感度かんどことなるが、このフィルム感度かんどをISO規格きかく標準ひょうじゅんした。今日きょう一般いっぱんてきなフィルム感度かんどはISO100/21°からISO800/30°だが、これよりこう感度かんどてい感度かんどのものがプロようきょうされている。

富士ふじフイルムせいISO400、135カラーフィルム

歴史れきし

[編集へんしゅう]

最初さいしょの35mmばんスチルカメラ

[編集へんしゅう]

動画どうがよう35mmフィルム標準ひょうじゅんトーマス・エジソン研究所けんきゅうじょウィリアム・ケネディ・ローリー・ディクソン確立かくりつした。ディクソンはジョージ・イーストマンイーストマン・コダックしゃ供給きょうきゅうする70mmフィルムを使用しようし、このフィルムをなが方向ほうこうおなはば(35mm)で2等分とうぶんし、フィルムのはしはしけてながくし、フィルムの両側りょうがわようあなけた。はじめの画像がぞうサイズは18×24mmで、現在げんざいスチル写真しゃしんの『ハーフばん』とされているものである。動画どうがの1フレームにつき両側りょうがわに4つのパーフォレーションがある。

ライカ以前いぜんにもこのあなあき動画どうがようフィルムを使つかう35mmスチルカメラが数多かずおおくあった。これようはつ特許とっきょは1908ねんにイングランドのLeo, Audobard and Baradatが取得しゅとくした。最初さいしょ量産りょうさんカメラは1913ねんジュール・リシャール生産せいさんはじめたホメオスというステレオカメラだった。これはテッサーレンズ2ほん装備そうびし18×24mmのステレオ写真しゃしんいちくみるもので、1920ねんまで販売はんばいされた。

られているかぎりではつの35mmばん画面がめんサイズ=24×36mm)カメラを試作しさくしたのは、1912ねんアメリカのジョージ・P・スミス(George P. Smith)である[3]はつ市販しはん35mmスチルカメラは、1913ねん市場いちばあらわれたアメリカン・ツーリスト・マルチプルで、画面がめんサイズはハーフばん価格かかく当時とうじ175ドル(現在げんざい貨幣かへい価値かち換算かんさんすればいまの3000ドルのライカとほぼ等価とうか)だった。24×36mmのフルフレームを使つかったはつ市販しはんカメラは1914ねんにアメリカ市場いちば投入とうにゅうされたシンプレックスだったとおもわれる。このカメラは50フィート(15.2m)のロールフィルムを使つかいハーフばん800コマまたはフルフレーム400コマをった。

ベルリンのLevy-Rothしゃ発売はつばいしたミニグラフもハーフばん小型こがたカメラで1915ねんにドイツで販売はんばいはじまった。35mmばんのスチルと動画どうが両用りょうようのDebrie Septカメラの特許とっきょは1918ねんりたが、市場いちば投入とうにゅうは1922ねんになった。

1923ねんよりフランスで製造せいぞう販売はんばいされたFuretカメラは、24×36mmのネガ写真しゃしんよう現在げんざいのカメラと姿すがたはつ安価あんか小型こがたの35mmばんカメラとなった。

オスカー・バルナックは1913ねんごろにカメラ試作しさくのちにウル・ライカとばれる)を設計せっけいしたが、ヌル・ライカ(製造せいぞう番号ばんごう100から130)のはつ試験しけん生産せいさんは1923ねんたねばならなかった。ライカのフル生産せいさんは1925ねんはじまった。この時点じてん入手にゅうしゅ可能かのうな35mmばんカメラには1ダースほどの種類しゅるいがあった。ライカの成功せいこうには流行りゅうこうった写真しゃしんライターの貢献こうけんおおきく、さらにレンズの品質ひんしつちいさなサイズ、組立くみたて精密せいみつさばかりか、価格かかくたかさも写真しゃしんやファッションをひとの『プレステージ』としてこれに寄与きよした。

ライカカメラはオスカー・バルナックの設計せっけいで35mmフィルムを使用しようし、24mm×36mmというちいさなフォーマットがプロの写真しゃしん必要ひつよう品質ひんしつ提供ていきょうすることを実証じっしょうした。

ライカは当初とうしょ40まいりで企画きかくされていた(ヌル・ライカの初期しょき製品せいひんまではカウンターが40まで設定せっていされている)が、検討けんとう過程かていでそのながさのフィルムをボディに収納しゅうのうするのがむずかしいと判断はんだんされ、10%短縮たんしゅくした36まい仕様しようとなったという[4]。この「36まいり」は後年こうねん、パトローネ装填そうてんみ35mmフィルムが市販しはんされたさいにもフィルム最大さいだい延長えんちょう基本きほんとして踏襲とうしゅうされた。

フィルム装填そうてんみパトローネとコダック・レチナ

[編集へんしゅう]
コダック・レチナIb

かつて写真しゃしんさい使用しよう可能かのうなカセットに暗室あんしつであらかじめフィルムを装填そうてんしなければならず、カメラの種類しゅるいによってはフィルムリーダーらなければならなかった。1934ねんコダックは135のにちちゅう装填そうてんよう使つかいきりカセットを発売はつばいした。このカセットはライカコンタックス使つかえ、かつしん開発かいはつレチナにも使つかえるように設計せっけいされていた。レチナとこのにちちゅう装填そうてんようパトローネはドイツ・シュトゥットガルトにあったナーゲルのアウグスト・ナーゲル博士はかせ開発かいはつしたものである。コダックはどう博士はかせ会社かいしゃを1931ねん12月に傘下さんかおさめており、1934ねんなつレチナ販売はんばい活動かつどう開始かいしした。コダック・レチナのだい1世代せだいはTyp. 117だった。以後いごこのシリーズは1969ねんまで生産せいさんされた。コダックは135フォーマットのコダクローム (Kodachrome・カラーフィルムを1935ねん市場いちば投入とうにゅうした。アグフアがこれにつづき1936ねんにアグファカラー・ノイを投入とうにゅうした。

235435 という呼称こしょうは、ライカまたはコンタックスに装填そうてん可能かのう暗室あんしつ不要ふようさい使用しよう可能かのうなフィルムカセットの、にちちゅう装填そうてんスプールの35mmフィルムにもちいられる。335にちちゅう装填そうてんスプールの24×23mmステレオフォーマットようである。

1960年代ねんだい以後いご

[編集へんしゅう]

1959ねん3がつ登場とうじょうニコンF一眼いちがんレフシステムカメラ  (system camera以来いらい、35mmばんカメラのしつ格段かくだん向上こうじょうし、使つかみちおおきくひろがった。パトローネに印刷いんさつされた電気でんき接点せってんでフィルム感度かんど撮影さつえい可能かのう枚数まいすうをカメラに設定せっていできるDXコードシステムが1980年代ねんだい導入どうにゅうされた。

1990年代ねんだいから現在げんざいまで:APSとデジタルカメラの未来みらい

[編集へんしゅう]

1996ねんに135フィルムにわるものとして写真しゃしん関連かんれん企業きぎょうのコンソーシアムがあたらしいフォーマットAPS(Advanced Photo System)を導入どうにゅうした。24mmというちいさなサイズのネガフィルムということもあり、APSよういちレフカメラが生産せいさんされたもののAPSはプロようフォーマットとしては相手あいてにされなかった。このフォーマットのターゲットとなった一般いっぱんようカメラの市場いちばではそこそこの成功せいこうおさめたが、135の市場いちばくずすにはいたらなかった。市場いちば投入とうにゅうから5ねん安価あんかデジタルコンパクトカメラ普及ふきゅうし、APSの販売はんばい不振ふしんになった。

このようなデジタルコンパクトカメラは、35mmコンパクトカメラ市場いちばをも侵食しんしょくしてきた。しかし、デジタルいちレフカメラが35mmいちレフカメラと値段ねだんしつにおいて比較ひかく可能かのうになったのはそののことである。 初期しょきデジタルいちレフカメラはイメージングセンサーの生産せいさん価格かかくてき優位ゆういせいから、当初とうしょこれらのおおくがAPS-Cにややちかいサイズの17×23mmのセンサを使用しようしていた。 2022ねんには、デジタルいちレフカメラにいてはミラーレスカメラに台頭たいとうともに135フィルム同様どうよう35mmフルサイズともわれる24×36mmのセンサを使用しようしている機種きしゅ主流しゅりゅうとなりつつあり、またプロフェッショナルな業界ぎょうかいではほぼデジタルカメラに移行いこうしている。 こうした写真しゃしんのデジタルへの移行いこうや、映画えいがのフィルムでの撮影さつえい減少げんしょう映画えいが上映じょうえいのデジタルによる上映じょうえいようのフィルム需要じゅよう減少げんしょう生産せいさん使用しようする化学かがく薬品やくひん環境かんきょう負荷ふかがもたらす原材料げんざいりょう変更へんこうやコストだかなどにより、すべてのフォーマットのフィルム販売はんばいそのものが激減げきげんしたことで、135フィルムも銘柄めいがら整理せいり生産せいさん停止ていし、メーカーの撤退てったい現像げんぞうしょ減少げんしょう廃業はいぎょうなどにつながった。 現在げんざいはフィルムのこう価格かかくなどにより、フィルムカメラでの撮影さつえいは、デジタルカメラより趣味しゅみせいたかいものとなった。

脚注きゃくちゅう

[編集へんしゅう]
  1. ^ 『コダックのロールフィルムの歴史れきし”. 2004ねん4がつ9にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2007ねん11がつ10日とおか閲覧えつらん
  2. ^ コニカ ヘキサーRFなど
  3. ^ 酒井さかい修一しゅういち『ライカとその時代じだい朝日新聞社あさひしんぶんしゃ、1997ねん、169ページ。
  4. ^ 白松しらまつせい『カメラの歴史れきし散歩道さんぽみち朝日あさひソノラマ、2004ねん、80ページ。

関連かんれん項目こうもく

[編集へんしゅう]