(Translated by https://www.hiragana.jp/)
東洋太平洋ボクシング連盟 - Wikipedia コンテンツにスキップ

東洋とうよう太平洋たいへいようボクシング連盟れんめい

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
OPBFから転送てんそう
東洋とうよう太平洋たいへいようボクシング連盟れんめい
Oriental and Pacific Boxing Federation
略称りゃくしょう OPBF
設立せつりつ 1952ねん
設立せつりつしゃ 真鍋まなべ八千代やちよ
種類しゅるい ボクシング組織そしき
本部ほんぶ 日本にっぽん
貢献こうけん地域ちいき アジア・オセアニア地域ちいき
会員かいいんすう
16ヵ国かこく・3地域ちいき
重要じゅうよう人物じんぶつ やす河内かわうちつよし共同きょうどう会長かいちょう
関連かんれん組織そしき 世界せかいボクシング評議ひょうぎかい(WBC)
ウェブサイト http://www.opbf.info
特記とっき事項じこう 1963ねん、WBC創設そうせつ参加さんか
1977ねん組織そしきめい改称かいしょう
かつての
東洋とうようボクシング連盟れんめい(OBF)
テンプレートを表示ひょうじ

東洋とうよう太平洋たいへいようボクシング連盟れんめいえい: Oriental and Pacific Boxing Federation, OPBF)は、アジアオセアニア地域ちいき統括とうかつするボクシング団体だんたい世界せかいボクシング評議ひょうぎかい(WBC)傘下さんか組織そしき本部ほんぶ加盟かめいこくまわりとなっており、2018ねんから本部ほんぶ日本にっぽんにある。

歴史れきし[編集へんしゅう]

1952ねん日本にっぽんフィリピンタイ王国おうこくなどが中心ちゅうしんとなって東洋とうようボクシング連盟れんめいOBF)としてはじまる。本部ほんぶはフィリピンにかれ、マヌエル・ニエトが初代しょだい会長かいちょう就任しゅうにん。なお、戦前せんぜん存在そんざいした東洋とうようボクシング連盟れんめい(OBF)とのつながりはない。

1963ねんにWBC創設そうせつ参加さんか1977ねん11月にオーストラリアおよびニュージーランド加盟かめい承認しょうにんされ、東洋とうよう太平洋たいへいようボクシング連盟れんめい(OPBF)と改称かいしょうされる。

2008ねん11月3にちに、中国ちゅうごく成都せいと開催かいさいされた世界せかいボクシング評議ひょうぎかい(WBC)の年次ねんじ総会そうかいで、OPBFの本部ほんぶをオーストラリアから日本にっぽん移動いどうさせることが決定けっていされた。その、2015ねんよりOPBF本部ほんぶはフィリピンに移動いどう、さらに2017ねん10がつのWBC年次ねんじ総会そうかいにおいて、2018ねんよりふたたびOPBF本部ほんぶ日本にっぽん移動いどうすることが決定けっていした。

女子じょし認定にんてい[編集へんしゅう]

2009ねん日本にっぽんへの本部ほんぶ移動いどう同時どうじ女子じょし部門ぶもん設置せっち決定けっていした。

2009ねん1がつランキングからは女子じょし部門ぶもん創設そうせつされ、アトムきゅうからウェルターきゅうまで(スーパーライトきゅうのぞく)11かいきゅうのランカーが発表はっぴょうされた。それと同時どうじに2008ねん11月29にちおこなわれたスージー・ラマダン(オーストラリア)vsミッシェル・プレストン英語えいごばん(ニュージーランド)の無敗むはい対決たいけつスーパーバンタムきゅう王座おうざ決定けっていせん認定にんていし、これに勝利しょうりしたラマダンがOPBFはつ女子じょし王者おうじゃとなった。当初とうしょOPBFの女子じょしタイトルマッチは10回戦かいせん規定きていされていたが、10回戦かいせんたたかえる女子じょしプロボクサーがOPBF域内いきないでは絶対ぜったいすうすくないため、2011ねんまつのOPBF総会そうかいにより 2012ねんからは8回戦かいせん短縮たんしゅくすることがまった(以降いこうまれに10回戦かいせんとなる場合ばあいもある)。創設そうせつ当初とうしょ日本にっぽん国内こくないでは日本にっぽん女子じょしランキングはまだ創設そうせつされていなかったため、女子じょしボクサーはまず東洋とうよう太平洋たいへいようでランキングりを目指めざすことになっていた(2017ねんより日本にっぽん女子じょし育成いくせいランキングが始動しどう)。

2016ねん以降いこう東洋とうよう太平洋たいへいよう女子じょし王座おうざには空位くういとなっているスーパーフェザーきゅう以上いじょう階級かいきゅうのぞきほぼ日本にっぽん選手せんしゅいている[1]

なお、それ以前いぜんにあった東洋とうよう女子じょし王座おうざ(OPFBA)はOPBFとは無関係むかんけいべつ王座おうざである。

シルバー王座おうざ創設そうせつ[編集へんしゅう]

2016ねん3がつ30にちから3日間にちかんわたりフィリピンでひらかれた総会そうかいでシルバー王座おうざ創設そうせつ発表はっぴょうした[2]

当初とうしょ、フィリピンGABよりOPBFせん活性かっせいなどを理由りゆう正規せいき王者おうじゃ活動かつどうじょうきょうにかかわらず「暫定ざんてい王座おうざ」として設立せつりつ意向いこうしめ[2]総会そうかい期間きかんちゅうたる4がつ1にちに3かいきゅうの「暫定ざんてい王座おうざ決定けっていせん」という名目めいもく試合しあいまれていた(1試合しあいけ)[3]

しかし、これにたいしてJBCより「権威けんいがなくなる」とう意見いけん提出ていしゅつし、さらにWBC会長かいちょうとしてOPBF総会そうかいはじめて出席しゅっせきしたマウリシオ・スライマンからの助言じょげんもあったため、暫定ざんてい王座おうざからWBCでも採用さいようしている「シルバー王座おうざ」にわることになった[2]

なお、JBCはOPBFシルバー王座おうざせん国内こくない開催かいさいみとめない方針ほうしんしている[2]。また、2017ねん10がつよりJBCライセンスを保持ほじする選手せんしゅがシルバー王座おうざ獲得かくとく返上へんじょうなどにより空位くういとなった正規せいき王座おうざ昇格しょうかくした場合ばあい世界せかいタイトル挑戦ちょうせん資格しかくとして指名しめい試合しあいのクリアを義務付ぎむづけた[4]

設立せつりつ当初とうしょ運用うんよう曖昧あいまいだったが、2018ねんよりルールが明確めいかくになった。また、OPBF共同きょうどう会長かいちょうつとめるやす河内かわうちつよしによると、2017ねんまで80%が日本にっぽん挙行きょこうされたOPBFタイトルせんが2018ねんにはタイ、台湾たいわん中国ちゅうごくなどでシルバー王座おうざ導入どうにゅうされたことによりその比率ひりつが60%までがったという[5]

ナショナル王座おうざ創設そうせつ[編集へんしゅう]

2018ねん11月、国内こくないタイトルを認定にんていするコミッションのないくににOPBFが出向でむき、わりにナショナル王座おうざ認定にんていする「OPBFナショナル王座おうざ」の創設そうせつ発表はっぴょうした。

12月9にちにベトナムにてはつのOPBFナショナル王座おうざ決定けっていせんおこなわれ、ダオ・グエン・アイン・トゥアンがOPBFベトナムスーパーライトきゅう王座おうざ獲得かくとくした[6]

加盟かめいコミッション[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]