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『TWILIGHT MADE …HIDEKI 』(トワイライトまで …ヒデキ)は、西城 さいじょう 秀樹 ひでき のオリジナル・アルバム。1985年 ねん 7月 がつ 21日 にち にRCA から発売 はつばい された。
タイトルにある「MADE」は「メイド」との解釈 かいしゃく もあるが、当時 とうじ レギュラー出演 しゅつえん していた『モーニングサラダ 』(日本 にほん テレビ系 けい )や、ラジオの公開 こうかい 番組 ばんぐみ で「まで」と紹介 しょうかい しているほか、ファンクラブ会報 かいほう にも「まで」と表記 ひょうき されている。
1985年 ねん 1月 がつ 、西城 さいじょう 秀樹 ひでき は通算 つうさん 50枚 まい 目 め のシングル「一 いち 万 まん 光年 こうねん の愛 あい 」発売 はつばい 記念 きねん イベントとして、デビュー以来 いらい のシングル50曲 きょく すべて歌唱 かしょう する日本武道館 にほんぶどうかん 公演 こうえん を敢行 かんこう 、これを機 き にシングル中心 ちゅうしん の歌謡 かよう 曲 きょく 路線 ろせん から脱 だっ して、アルバム・アーティスト路線 ろせん へのアプローチを試 こころ みた。そこで白羽 しらは の矢 や が立 た ったのが、前作 ぜんさく のオリジナル・アルバム『GENTLE・A MAN 』に楽曲 がっきょく 提供 ていきょう した(「THROUGH THE NIGHT」作詞 さくし ・作曲 さっきょく ・編曲 へんきょく )角松 かどまつ 敏生 としお であった。当時 とうじ 、角松 かどまつ はブレイクし始 はじ めた時期 じき で、杏里 あんり の大 だい ヒット・シングル「悲 かな しみがとまらない 」などでの音楽 おんがく プロデューサーとしても評価 ひょうか を得 え るようになっていた[1] 。デビューから西城 さいじょう と同 おな じレコード会社 かいしゃ 所属 しょぞく で、同 おな じ担当 たんとう プロデューサー(元 もと パープル・シャドウズ の岡村 おかむら 右 みぎ )という縁 えん があり、なによりも「THROUGH THE NIGHT」レコーディング時 じ に西城 さいじょう が角松 かどまつ の音楽 おんがく 性 せい に触 ふ れて共感 きょうかん したのが決 き め手 て となった[2] 。
アルバム・コンセプトは西城 さいじょう 自身 じしん のアイデアで、「クルマの中 なか で黄昏 たそがれ 時 じ にかかっていて、男性 だんせい が隣 となり (助手 じょしゅ 席 せき )の彼女 かのじょ に言葉 ことば で言 い わなくても口説 くど いていけるものを」というコンセプトをプロデュースした[3] 。西城 さいじょう は同時 どうじ に、角松 かどまつ 同様 どうよう に音楽 おんがく 性 せい を買 か っていた吉田 よしだ 美奈子 みなこ にも協力 きょうりょく を仰 あお いだ[4] 。洗練 せんれん されたファンクやソウル・テイストの角松 かどまつ の作曲 さっきょく ・編曲 へんきょく と、吉田 よしだ の甘 あま くともせつなく、それでいてシニカルな作詞 さくし で、10曲 きょく 中 ちゅう 4曲 きょく が制作 せいさく された(角松 かどまつ と吉田 よしだ のコラボレーションは本 ほん 作 さく が初 はつ となるが、角松 かどまつ はアマチュア時代 じだい から吉田 よしだ を敬愛 けいあい していたため、喜 よろこ んでこれを引 ひ き受 う けた)。それを核 かく にして、旧知 きゅうち の芳野 よしの 藤丸 ふじまる 、岡本 おかもと 朗 あきら 、そして女優 じょゆう から作曲 さっきょく 家 か に転身 てんしん したMAYUMIこと堀川 ほりかわ まゆみ の作曲 さっきょく 陣 じん が配 はい された。
西城 さいじょう はそれまでのパブリック・イメージを覆 くつがえ すため、アルバムのアートワークにおいても「西城 さいじょう 秀樹 ひでき 」というパーソナリティーを前面 ぜんめん に出 だ さなかった。ジャケットには初 はじ めて自身 じしん の写真 しゃしん を載 の せず、印象派 いんしょうは 的 てき なイラストで、かつ匿名 とくめい 性 せい を帯 お びたものが採用 さいよう された。ジャケット正面 しょうめん に載 の せるアーティスト・ネームも「HIDEKI」とだけ記載 きさい した。本 ほん 作 さく 発表 はっぴょう 時 じ に「アルバム・アーティスト路線 ろせん の手法 しゅほう に則 のっと り、これからはアルバムからシングルカットしていきたい」と言及 げんきゅう していたとおり、発売 はつばい から2ヶ月 かげつ 後 ご の同年 どうねん 9月 がつ に本 ほん 作 さく から「BEAT STREET 」をシングルカットした。シングル・エディションに曲 きょく がアレンジされてはいたが、既 すんで 発表 はっぴょう 曲 きょく をシングルにすることも、西城 さいじょう にとっては初 はじ めての試 こころ みとなった。
本 ほん 作 さく はヒットには至 いた らなかったものの、西城 さいじょう はこの路線 ろせん をしばらく続 つづ けることになる。次 つぎ のオリジナル・アルバム『FROM TOKYO 』(1986年 ねん 6月 がつ 5日 にち 発売 はつばい )では角松 かどまつ の起用 きよう はなかったものの、吉田 よしだ の作詞 さくし ・作曲 さっきょく で8曲 きょく 中 ちゅう 3曲 きょく を、MAYUMI(堀川 ほりかわ まゆみ) による作曲 さっきょく を2曲 きょく 採用 さいよう するなど、傾向 けいこう が引 ひ き継 つ がれている[5] 。
本 ほん 作 さく 発売 はつばい 直前 ちょくぜん の1985年 ねん 7月 がつ 10日 とおか に『夜 よる のヒットスタジオDELUXE 』(フジテレビ系 けい )にて、まだ未 み 発表 はっぴょう 状態 じょうたい だった「BEAT STREET」と「リアル・タイム」を披露 ひろう している。
角松 かどまつ は本 ほん 作 さく が発売 はつばい された1985年 ねん の秋 あき から冬 ふゆ にかけてのライブツアーで、「BEAT STREET」をセルフカバーした。また、同年 どうねん 11月 がつ 21日 にち に発売 はつばい した自身 じしん のバラード・アルバム『T's BALLAD 』と、同時 どうじ 発売 はつばい の7インチ・12インチシングル「初恋 はつこい 」に、吉田 よしだ 美奈子 みなこ をコーラス起用 きよう している。角松 かどまつ と吉田 よしだ の直接的 ちょくせつてき なコラボレーションはこれで最後 さいご となるが、後 のち にプロデュースを請 う け負 お った若手 わかて 女性 じょせい 歌手 かしゅ の今井 いまい 優子 ゆうこ に「愛 あい は彼方 かなた 」を、米光 よねみつ 美保 みほ には「恋 こい は流星 りゅうせい 」をと、吉田 よしだ の楽曲 がっきょく をカバーさせている。
# タイトル 作詞 さくし 作曲 さっきょく 編曲 へんきょく A1. 「SWEET SURRENDER」 吉田 よしだ 美奈子 みなこ 角松 かどまつ 敏生 としお 角松 かどまつ 敏生 としお 数 かず 原 はら 晋 すすむ (ブラス編曲 へんきょく )吉田 よしだ 美奈子 みなこ (コーラス編曲 へんきょく )A2. 「BEAT STREET 」 吉田 よしだ 美奈子 みなこ 角松 かどまつ 敏生 としお 角松 かどまつ 敏生 としお 数 かず 原 はら 晋 すすむ (ブラス編曲 へんきょく )吉田 よしだ 美奈子 みなこ (コーラス編曲 へんきょく )A3. 「HALATION」 森田 もりた 由美 ゆみ 芳野 よしの 藤丸 ふじまる 芳野 よしの 藤丸 ふじまる 大谷 おおや 和夫 かずお (ブラス編曲 へんきょく ・コーラス編曲 へんきょく )A4. 「ワインカラーの衝撃 しょうげき 」 大津 おおつ あきらMAYUMI(堀川 ほりかわ まゆみ) 大谷 おおや 和夫 かずお 吉田 よしだ 美奈子 みなこ (コーラス編曲 へんきょく )A5. 「PLATINUMの雨 あめ 」 吉田 よしだ 美奈子 みなこ 角松 かどまつ 敏生 としお 角松 かどまつ 敏生 としお 数 かず 原 はら 晋 すすむ (ブラス編曲 へんきょく )瀬尾 せお 一三 かずみ (ストリングス編曲 へんきょく )吉田 よしだ 美奈子 みなこ (コーラス編曲 へんきょく )B1. 「リアル・タイム」 有川 ありかわ 正 ただし 沙子 いさご 岡本 おかもと 朗 あきら 大谷 おおや 和夫 かずお B2. 「オリーブのウェンズディ」 大津 おおつ あきらMAYUMI(堀川 ほりかわ まゆみ) 大谷 おおや 和夫 かずお 吉田 よしだ 美奈子 みなこ (コーラス編曲 へんきょく )B3. 「BEAUTIFUL RHAPSODY」 大津 おおつ あきら芳野 よしの 藤丸 ふじまる 芳野 よしの 藤丸 ふじまる 大谷 おおや 和夫 かずお (ブラス編曲 へんきょく ・コーラス編曲 へんきょく )B4. 「TELEVISION」 吉田 よしだ 美奈子 みなこ 角松 かどまつ 敏生 としお 芳野 よしの 藤丸 ふじまる 大谷 おおや 和夫 かずお (ブラス編曲 へんきょく )吉田 よしだ 美奈子 みなこ (コーラス編曲 へんきょく )B5. 「レイク・サイド」 有川 ありかわ 正 ただし 沙子 いさご 岡本 おかもと 朗 あきら 芳野 よしの 藤丸 ふじまる 大谷 おおや 和夫 かずお (コーラス編曲 へんきょく )
^ 角松 かどまつ は当時 とうじ デビュー5年 ねん 目 め で24歳 さい 。本 ほん 作 さく 発売 はつばい 時 じ の最新 さいしん 作 さく で通算 つうさん 5作 さく 目 め のアルバム『GOLD DIGGER〜with true love〜 』(1985年 ねん 5月 がつ 21日 にち 発売 はつばい )が自身 じしん 初 はつ のオリコンチャート10位 い 圏内 けんない に入 はい り込 こ み、最高 さいこう 位 い 7位 い を記録 きろく 。また、本 ほん 作 さく 近辺 きんぺん での他 た アーティストへのプロデュース業 ぎょう として、中森 なかもり 明菜 あきな のアルバム『BITTER AND SWEET 』(1985年 ねん 4月 がつ 3日 にち 発売 はつばい )や杏里 あんり のアルバム『WAVE』(1985年 ねん 6月 がつ 21日 にち 発売 はつばい )などへの一部 いちぶ 参加 さんか がある。
^ 『オリコン・ウィークリー』1985年 ねん 5月 がつ 20日 にち 号 ごう 「音楽 おんがく こだわり派 は 対談 たいだん 西城 さいじょう 秀樹 ひでき vs角松 かどまつ 敏生 としお 」より
^ FM東京 とうきょう 『ライブ・コンサート』1985年 ねん 6月 がつ 29日 にち 出演 しゅつえん 時 じ のインタビューより
^ 吉田 よしだ は1983年 ねん にアルファレコード との契約 けいやく を完了 かんりょう し、当時 とうじ はレコード会社 かいしゃ とプロダクションに所属 しょぞく しないフリーの立場 たちば でのマイペースな活動 かつどう 期 き であった。本 ほん 作 さく の翌 よく 1986年 ねん に絶頂 ぜっちょう 期 き だった中森 なかもり 明菜 あきな のアルバム『不思議 ふしぎ 』に作詞 さくし ・作曲 さっきょく で2曲 きょく 、作詞 さくし で1曲 きょく 提供 ていきょう し、その印税 いんぜい 収入 しゅうにゅう で作 つく った自主 じしゅ 製作 せいさく アルバム『BELLS』が後々 あとあと にまで話題 わだい となった。なお、本 ほん 作 さく 近辺 きんぺん での他 た アーティストへのプロデュース業 ぎょう として、田原 たはら 俊彦 としひこ のシングル「銀河 ぎんが の神話 しんわ 」(1985年 ねん 2月 がつ 1日 にち 発売 はつばい )の作詞 さくし (ちなみに作曲 さっきょく は呉田 くれた 刈穂 かりほ こと松任谷 まつとうや 由実 ゆみ )、薬師丸 やくしまる ひろ子 こ のアルバム『夢 ゆめ 十 じゅう 話 わ 』(1985年 ねん 8月 がつ 8日 にち 発売 はつばい )で2曲 きょく を作詞 さくし 。
^ 吉田 よしだ はこれら二 に 枚 まい のアルバム以外 いがい でも、この間 あいだ の通算 つうさん 53枚 まい 目 め のシングルで、バリー・マニロウ とのデュエットが話題 わだい を呼 よ んだ「腕 うで の中 なか へ -In Search of Love- 」(1985年 ねん 11月21日 にち 発売 はつばい )ならびに同 どう シングルのカップリング曲 きょく 「愛 あい の翼 つばさ -It's All Behind Us Now-」の日本語 にほんご 詞 し で起用 きよう されている。
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