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TWILIGHT MADE …HIDEKI

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
TWILIGHT MADE …HIDEKI
西城さいじょう秀樹ひできスタジオ・アルバム
リリース
ジャンル J-POP
時間じかん
レーベル RCA / RVC
プロデュース 西城さいじょう秀樹ひでき岡村おかむらみぎ
西城さいじょう秀樹ひでき アルバム 年表ねんぴょう
ブロウアップ ヒデキ
(1985ねん
TWILIGHT MADE …HIDEKI
(1985ねん
HIDEKI SAIJO
(1985ねん
『TWILIGHT MADE …HIDEKI』収録しゅうろくシングル
  1. BEAT STREET
    リリース: 1985ねん9がつ5にち
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TWILIGHT MADE …HIDEKI』(トワイライトまで …ヒデキ)は、西城さいじょう秀樹ひできのオリジナル・アルバム。1985ねん7がつ21にちRCAから発売はつばいされた。

  • タイトルにある「MADE」は「メイド」との解釈かいしゃくもあるが、当時とうじレギュラー出演しゅつえんしていた『モーニングサラダ』(日本にほんテレビけい)や、ラジオの公開こうかい番組ばんぐみで「まで」と紹介しょうかいしているほか、ファンクラブ会報かいほうにも「まで」と表記ひょうきされている。

解説かいせつ[編集へんしゅう]

  • 1985ねん1がつ西城さいじょう秀樹ひでき通算つうさん50まいのシングル「いちまん光年こうねんあい発売はつばい記念きねんイベントとして、デビュー以来いらいのシングル50きょくすべて歌唱かしょうする日本武道館にほんぶどうかん公演こうえん敢行かんこう、これをにシングル中心ちゅうしん歌謡かようきょく路線ろせんからだっして、アルバム・アーティスト路線ろせんへのアプローチをこころみた。そこで白羽しらはったのが、前作ぜんさくのオリジナル・アルバム『GENTLE・A MAN』に楽曲がっきょく提供ていきょうした(「THROUGH THE NIGHT」作詞さくし作曲さっきょく編曲へんきょく角松かどまつ敏生としおであった。当時とうじ角松かどまつはブレイクしはじめた時期じきで、杏里あんりだいヒット・シングル「かなしみがとまらない」などでの音楽おんがくプロデューサーとしても評価ひょうかるようになっていた[1]。デビューから西城さいじょうおなじレコード会社かいしゃ所属しょぞくで、おな担当たんとうプロデューサー(もとパープル・シャドウズ岡村おかむらみぎ)というえんがあり、なによりも「THROUGH THE NIGHT」レコーディング西城さいじょう角松かどまつ音楽おんがくせいれて共感きょうかんしたのがとなった[2]
  • アルバム・コンセプトは西城さいじょう自身じしんのアイデアで、「クルマのなか黄昏たそがれにかかっていて、男性だんせいとなり助手じょしゅせき)の彼女かのじょ言葉ことばわなくても口説くどいていけるものを」というコンセプトをプロデュースした[3]西城さいじょう同時どうじに、角松かどまつ同様どうよう音楽おんがくせいっていた吉田よしだ美奈子みなこにも協力きょうりょくあおいだ[4]洗練せんれんされたファンクやソウル・テイストの角松かどまつ作曲さっきょく編曲へんきょくと、吉田よしだあまくともせつなく、それでいてシニカルな作詞さくしで、10きょくちゅう4きょく制作せいさくされた(角松かどまつ吉田よしだのコラボレーションはほんさくはつとなるが、角松かどまつはアマチュア時代じだいから吉田よしだ敬愛けいあいしていたため、よろこんでこれをけた)。それをかくにして、旧知きゅうち芳野よしの藤丸ふじまる岡本おかもとあきら、そして女優じょゆうから作曲さっきょく転身てんしんしたMAYUMIこと堀川ほりかわまゆみ作曲さっきょくじんはいされた。
  • 西城さいじょうはそれまでのパブリック・イメージをくつがえすため、アルバムのアートワークにおいても「西城さいじょう秀樹ひでき」というパーソナリティーを前面ぜんめんさなかった。ジャケットにははじめて自身じしん写真しゃしんせず、印象派いんしょうはてきなイラストで、かつ匿名とくめいせいびたものが採用さいようされた。ジャケット正面しょうめんせるアーティスト・ネームも「HIDEKI」とだけ記載きさいした。ほんさく発表はっぴょうに「アルバム・アーティスト路線ろせん手法しゅほうのっとり、これからはアルバムからシングルカットしていきたい」と言及げんきゅうしていたとおり、発売はつばいから2ヶ月かげつ同年どうねん9がつほんさくから「BEAT STREET」をシングルカットした。シングル・エディションにきょくがアレンジされてはいたが、すんで発表はっぴょうきょくをシングルにすることも、西城さいじょうにとってははじめてのこころみとなった。
  • ほんさくはヒットにはいたらなかったものの、西城さいじょうはこの路線ろせんをしばらくつづけることになる。つぎのオリジナル・アルバム『FROM TOKYO』(1986ねん6がつ5にち発売はつばい)では角松かどまつ起用きようはなかったものの、吉田よしだ作詞さくし作曲さっきょくで8きょくちゅう3きょくを、MAYUMI(堀川ほりかわまゆみ)による作曲さっきょくを2きょく採用さいようするなど、傾向けいこうがれている[5]

エピソード[編集へんしゅう]

  • ほんさく発売はつばい直前ちょくぜんの1985ねん7がつ10日とおかに『よるのヒットスタジオDELUXE』(フジテレビけい)にて、まだ発表はっぴょう状態じょうたいだった「BEAT STREET」と「リアル・タイム」を披露ひろうしている。
  • 角松かどまつほんさく発売はつばいされた1985ねんあきからふゆにかけてのライブツアーで、「BEAT STREET」をセルフカバーした。また、同年どうねん11がつ21にち発売はつばいした自身じしんのバラード・アルバム『T's BALLAD』と、同時どうじ発売はつばいの7インチ・12インチシングル「初恋はつこい」に、吉田よしだ美奈子みなこをコーラス起用きようしている。角松かどまつ吉田よしだ直接的ちょくせつてきなコラボレーションはこれで最後さいごとなるが、のちにプロデュースをった若手わかて女性じょせい歌手かしゅ今井いまい優子ゆうこに「あい彼方かなた」を、米光よねみつ美保みほには「こい流星りゅうせい」をと、吉田よしだ楽曲がっきょくをカバーさせている。

収録しゅうろくきょく[編集へんしゅう]

#タイトル作詞さくし作曲さっきょく編曲へんきょく
A1.「SWEET SURRENDER」吉田よしだ美奈子みなこ角松かどまつ敏生としお角松かどまつ敏生としお
かずはらすすむ(ブラス編曲へんきょく
吉田よしだ美奈子みなこ(コーラス編曲へんきょく
A2.BEAT STREET吉田よしだ美奈子みなこ角松かどまつ敏生としお角松かどまつ敏生としお
かずはらすすむ(ブラス編曲へんきょく
吉田よしだ美奈子みなこ(コーラス編曲へんきょく
A3.「HALATION」森田もりた由美ゆみ芳野よしの藤丸ふじまる芳野よしの藤丸ふじまる
大谷おおや和夫かずお(ブラス編曲へんきょく・コーラス編曲へんきょく
A4.「ワインカラーの衝撃しょうげき大津おおつあきらMAYUMI(堀川ほりかわまゆみ)大谷おおや和夫かずお
吉田よしだ美奈子みなこ(コーラス編曲へんきょく
A5.「PLATINUMのあめ吉田よしだ美奈子みなこ角松かどまつ敏生としお角松かどまつ敏生としお
かずはらすすむ(ブラス編曲へんきょく
瀬尾せお一三かずみ(ストリングス編曲へんきょく
吉田よしだ美奈子みなこ(コーラス編曲へんきょく
B1.「リアル・タイム」有川ありかわただし沙子いさご岡本おかもとあきら大谷おおや和夫かずお
B2.「オリーブのウェンズディ」大津おおつあきらMAYUMI(堀川ほりかわまゆみ)大谷おおや和夫かずお
吉田よしだ美奈子みなこ(コーラス編曲へんきょく
B3.「BEAUTIFUL RHAPSODY」大津おおつあきら芳野よしの藤丸ふじまる芳野よしの藤丸ふじまる
大谷おおや和夫かずお(ブラス編曲へんきょく・コーラス編曲へんきょく
B4.「TELEVISION」吉田よしだ美奈子みなこ角松かどまつ敏生としお芳野よしの藤丸ふじまる
大谷おおや和夫かずお(ブラス編曲へんきょく
吉田よしだ美奈子みなこ(コーラス編曲へんきょく
B5.「レイク・サイド」有川ありかわただし沙子いさご岡本おかもとあきら芳野よしの藤丸ふじまる
大谷おおや和夫かずお(コーラス編曲へんきょく

参加さんかミュージシャン[編集へんしゅう]

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ 角松かどまつ当時とうじデビュー5ねんで24さいほんさく発売はつばい最新さいしんさく通算つうさん5さくのアルバム『GOLD DIGGER〜with true love〜』(1985ねん5がつ21にち発売はつばい)が自身じしんはつのオリコンチャート10圏内けんないはいみ、最高さいこう7記録きろく。また、ほんさく近辺きんぺんでのアーティストへのプロデュースぎょうとして、中森なかもり明菜あきなのアルバム『BITTER AND SWEET』(1985ねん4がつ3にち発売はつばい)や杏里あんりのアルバム『WAVE』(1985ねん6がつ21にち発売はつばい)などへの一部いちぶ参加さんかがある。
  2. ^ 『オリコン・ウィークリー』1985ねん5がつ20にちごう音楽おんがくこだわり対談たいだん 西城さいじょう秀樹ひできvs角松かどまつ敏生としお」より
  3. ^ FM東京とうきょう『ライブ・コンサート』1985ねん6がつ29にち出演しゅつえんのインタビューより
  4. ^ 吉田よしだ1983ねんアルファレコードとの契約けいやく完了かんりょうし、当時とうじはレコード会社かいしゃとプロダクションに所属しょぞくしないフリーの立場たちばでのマイペースな活動かつどうであった。ほんさくよく1986ねん絶頂ぜっちょうだった中森なかもり明菜あきなのアルバム『不思議ふしぎ』に作詞さくし作曲さっきょくで2きょく作詞さくしで1きょく提供ていきょうし、その印税いんぜい収入しゅうにゅうつくった自主じしゅ製作せいさくアルバム『BELLS』が後々あとあとにまで話題わだいとなった。なお、ほんさく近辺きんぺんでのアーティストへのプロデュースぎょうとして、田原たはら俊彦としひこのシングル「銀河ぎんが神話しんわ」(1985ねん2がつ1にち発売はつばい)の作詞さくし(ちなみに作曲さっきょく呉田くれた刈穂かりほこと松任谷まつとうや由実ゆみ)、薬師丸やくしまるひろのアルバム『ゆめじゅう』(1985ねん8がつ8にち発売はつばい)で2きょく作詞さくし
  5. ^ 吉田よしだはこれらまいのアルバム以外いがいでも、このあいだ通算つうさん53まいのシングルで、バリー・マニロウとのデュエットが話題わだいんだ「うでなかへ -In Search of Love-」(1985ねん11月21にち発売はつばい)ならびにどうシングルのカップリングきょくあいつばさ -It's All Behind Us Now-」の日本語にほんご起用きようされている。