デジタル大辞泉だいじせん 「刈田かりた狼藉ろうぜき」の意味いみ・読よみ・例文れいぶん・類語るいご かりた‐ろうぜき〔‐ラウゼキ〕【刈田かりた×狼おおかみ×藉】 中世ちゅうせい、他人たにんの田たの稲いねを不法ふほうに刈かり取とること。 出典しゅってん 小学館しょうがくかんデジタル大辞泉だいじせんについて 情報じょうほう | 凡例はんれい
精選せいせん版ばん 日本にっぽん国語こくご大だい辞典じてん 「刈田かりた狼藉ろうぜき」の意味いみ・読よみ・例文れいぶん・類語るいご かりた‐ろうぜき‥ラウゼキ【刈田かりた狼藉ろうぜき】 〘 名詞めいし 〙 鎌倉かまくら・室町むろまち・戦国せんごく時代じだい、他人たにんあるいは敵てき方かたの田たの稲いねを不法ふほうに刈かり取とること。刈田かりたばたらき。刈田かりた。[初出しょしゅつの実例じつれい]「狛江こまえ入道にゅうどう増ぞう西にし去月きょげつ廿にじゅう六ろく日にち率りつ二に五ご十じゅう余人よにん悪党あくとう一いち、乱らん二に入にゅう寺領じりょう一いち、及二に苅田かりた狼藉ろうぜき一いち云々うんぬん」(出典しゅってん:吾妻あづま鏡きょう‐承うけたまわ元もと二に年ねん(1208)七なな月がつ一いち五ご日にち)「押がいしらんばうし、ここかしこの田畠たばたに至いたりて苅田かりたらうぜきし」(出典しゅってん:御伽草子おとぎぞうし・鴉からす鷺さぎ合戦かっせん物語ものがたり(室町むろまち中ちゅう)) 出典しゅってん 精選せいせん版ばん 日本にっぽん国語こくご大だい辞典じてん精選せいせん版ばん 日本にっぽん国語こくご大だい辞典じてんについて 情報じょうほう | 凡例はんれい
日本にっぽん大だい百科全書ひゃっかぜんしょ(ニッポニカ) 「刈田かりた狼藉ろうぜき」の意味いみ・わかりやすい解説かいせつ 刈田かりた狼藉ろうぜきかりたろうぜき 刈田かりたともいう。他者たしゃの知行ちぎょう(ちぎょう)する田畑たはたの作さく毛げを実力じつりょくで刈かり取とる行為こういをいう。この前提ぜんていには、その作さく毛げが自己じこに権利けんりありとする暗黙あんもくの主張しゅちょうがあったといえる。平安へいあん末期まっきから戦国せんごく期きにかけて行おこなわれ、とくに鎌倉かまくら・南北なんぼく朝あさ期きに多おおい。形態けいたいとしては、作さく毛げ獲得かくとくを目的もくてきとした窃盗せっとう行為こうい、境さかい相しょう論ろん(そうろん)における威嚇いかく、所領しょりょう裁判さいばん中ちゅうでの中間ちゅうかん狼藉ろうぜきなど種々しゅじゅに及およぶ。こうした行為こういを鎌倉かまくら幕府ばくふは重視じゅうしし、1310年ねん(延のべ慶けい3)には検けん断だん沙汰さた(けんだんざた)の対象たいしょうとして守護しゅごにその鎮圧ちんあつを命めいじた。その後ご、室町むろまち幕府ばくふにより1346年ねん(正平しょうへい1・貞和さだかず2)には刈田かりた狼藉ろうぜきは所領しょりょう3分ぶんの1の召放(めしはなち)と定さだめられ、やがて取締とりしまりが守護しゅごの専権せんけんとされるようになると、守護しゅごはそれを契機けいきに国内こくないの支配しはい強化きょうかを進すすめていった。[久保田くぼた昌あきら希まれ] 出典しゅってん 小学館しょうがくかん 日本にっぽん大だい百科全書ひゃっかぜんしょ(ニッポニカ)日本にっぽん大だい百科全書ひゃっかぜんしょ(ニッポニカ)について 情報じょうほう | 凡例はんれい
百科ひゃっか事典じてんマイペディア 「刈田かりた狼藉ろうぜき」の意味いみ・わかりやすい解説かいせつ 刈田かりた狼藉ろうぜき【かりたろうぜき】 鎌倉かまくら時代ときよ,訴訟そしょうの未済みさい中ちゅうの田地たじの稲いねを一方いっぽう的てきに刈かり取とる実力じつりょく行使こうしを,社会しゃかい秩序ちつじょを乱みだす行為こういとして狼藉ろうぜきと呼よんだ。以降いこう刈田かりた行為こういは単たんなる暴力ぼうりょく行為こういと混同こんどうされるようになる。室町むろまち時代じだい足利尊氏あしかがたかうじ(たかうじ)はこれを取とり締しまる権限けんげんを守護しゅごに与あたえて,守護しゅごの権限けんげんを拡大かくだいした。戦国せんごく期きには敵てきに対たいする兵へい粮攻ぜめや味方みかたの兵へい粮米のために刈田かりたが行おこなわれた。→関連かんれん項目こうもく大だい犯はん三さん箇条かじょう 出典しゅってん 株式会社かぶしきがいしゃ平凡社へいぼんしゃ百科ひゃっか事典じてんマイペディアについて 情報じょうほう
山川やまかわ 日本にっぽん史し小しょう辞典じてん 改訂かいてい新版しんぱん 「刈田かりた狼藉ろうぜき」の解説かいせつ 刈田かりた狼藉ろうぜきかりたろうぜき ある所領しょりょうを知行ちぎょうする正当せいとうな権限けんげんをもつと称しょうして,他人たにんの知行ちぎょうしている土地とちの作物さくもつを実力じつりょくで刈かりとる行為こうい。これは刈田かりた・刈かり畠ばたけとよばれ,鎌倉かまくら前期ぜんきの裁判さいばんでは知行ちぎょうの権利けんりを争あらそう所ところ務つとむ沙汰さた訴訟そしょうに含ふくめ,刈田かりた自体じたいは刑事けいじ罰ばつの対象たいしょうとされなかった。文ぶん永なが~弘安ひろやす年間ねんかんから刈田かりた狼藉ろうぜきと称しょうして特別とくべつな制裁せいさいの対象たいしょうにされるようになり,1310年ねん(延のべ慶けい3)以降いこう刑事けいじ訴訟そしょうである検けん断だん沙汰ざたに移管いかんされ,侍さむらい所しょ・六ろく波は羅ら検けん断だん方かたから諸国しょこく守護しゅごという系列けいれつで処置しょちされた。刈田かりた狼藉ろうぜきが発生はっせいすると,守護しゅごはただちに現場げんばに赴おもむいて抗こう争そうを鎮圧ちんあつするとともに,実情じつじょうを調査ちょうさして中央ちゅうおうに報告ほうこくする義務ぎむがあった。室町むろまち幕府ばくふも46年ねん(貞和さだかず2・正平しょうへい元もと)に検けん断だん沙汰ざたに含ふくめ,使節しせつ遵行(じゅんぎょう)とともに大だい犯はん三さん箇条かじょうに加くわえて守護しゅごの職務しょくむとした。 出典しゅってん 山川やまかわ出版しゅっぱん社しゃ「山川やまかわ 日本にっぽん史し小しょう辞典じてん 改訂かいてい新版しんぱん」山川やまかわ 日本にっぽん史し小しょう辞典じてん 改訂かいてい新版しんぱんについて 情報じょうほう