デジタル大辞泉だいじせん 「参与さんよ」の意味いみ・読よみ・例文れいぶん・類語るいご さん‐よ【参与さんよ】 [名な](スル)1 事業じぎょう・計画けいかくなどにかかわること。また、その相談そうだんを受うけること。「開発かいはつ計画けいかくに参与さんよする」「人民じんみんが自家じかの権利けんりを自覚じかくして自みずから国政こくせいに―しようというので」〈魯庵・社会しゃかい百面相ひゃくめんそう〉2 学識がくしき経験けいけん者しゃを行政ぎょうせい事務じむに参加さんかさせる際さいの職名しょくめい。「内閣ないかく参与さんよ」3 慶応けいおう3年ねん12月9日にち(1868年ねん1月がつ3日にち)、王政おうせい復古ふっこの大だい号令ごうれい発布はっぷの際さいに置おかれた官職かんしょく。総裁そうさい・議定ぎていぎじょうとともに三さん職しょくの一いち。明治めいじ2年ねん(1869)廃止はいし。[類語るいご]共同きょうどう・参加さんか・合同ごうどう・協同きょうどう・連携れんけい・提携ていけい・連名れんめい・共有きょうゆう・共用きょうよう・催合もやいもやい・タイアップ・協力きょうりょく・協賛きょうさん・チームワーク・共催きょうさい・関与かんよ・出席しゅっせき・列席れっせき・臨席りんせき・顔出かおだし・参列さんれつ・参会さんかい・出場しゅつじょう・出頭しゅっとう・臨場りんじょう・親臨しんりん・出御しゅつぎょ・列座れつざ・同席どうせき・陪席ばいせき・相席あいせき・同座どうざ・お出でまし・加入かにゅう・加盟かめい・仲間入なかまいり・参入さんにゅう・参画さんかく・入会にゅうかい・飛とび入いり・飛とび込こみ・出でる・加くわわる・名なを連つらねる・列れっする・連つらなる・末席まっせきを汚けがす 出典しゅってん 小学館しょうがくかんデジタル大辞泉だいじせんについて 情報じょうほう | 凡例はんれい
精選せいせん版ばん 日本にっぽん国語こくご大だい辞典じてん 「参与さんよ」の意味いみ・読よみ・例文れいぶん・類語るいご さん‐よ【参与さんよ】 〘 名詞めいし 〙① ( ━する ) ある事ことにかかわり合あうこと。参加さんか。[初出しょしゅつの実例じつれい]「通つう憲けん、参まいり二に与あずか大だい議ぎ一いち、多おおレ所ところ二に釐正一いち」(出典しゅってん:日本にっぽん外史がいし(1827)一いち)「人民じんみんが自家じかの権利けんりを自覚じかくして自みずから国政こくせいに参与さんよしやうといふので」(出典しゅってん:社会しゃかい百面相ひゃくめんそう(1902)〈内田魯庵うちだろあん〉代議士だいぎし)[その他たの文献ぶんけん]〔漢書かんしょ‐高こう五ご王おう・斉ひとし悼恵伝でん〕② 明治めいじ新しん政府せいふの高官こうかんの一ひとつ。総裁そうさい・議定ぎてい(ぎじょう)の位くらいにつぐもので、公卿くぎょうおよび五ご雄藩ゆうはんの藩士はんしをこれにあてた。慶応けいおう三さん年ねん(一いち八はち六ろく七なな)に設置せっちされ、明治めいじ二に年ねん(一いち八はち六ろく九きゅう)廃止はいし。参与さんよ職しょく。→三さん職しょく。③ 学識がくしき経験けいけん者しゃを行政ぎょうせい事務じむにあずからせる時ときの職名しょくめい。〔袖珍しゅうちん新聞しんぶん語ご辞典じてん(1919)〕 出典しゅってん 精選せいせん版ばん 日本にっぽん国語こくご大だい辞典じてん精選せいせん版ばん 日本にっぽん国語こくご大だい辞典じてんについて 情報じょうほう | 凡例はんれい
日本にっぽん大だい百科全書ひゃっかぜんしょ(ニッポニカ) 「参与さんよ」の意味いみ・わかりやすい解説かいせつ 参与さんよさんよ 明治めいじ初年しょねんの中央ちゅうおう政府せいふの役職やくしょく名めい。1867年ねん(慶応けいおう3)12月、王政おうせい復古ふっこの政変せいへんによって新設しんせつされた三さん職しょくの一ひとつ。議定ぎてい(ぎじょう)が親王しんのう、諸侯しょこう、上級じょうきゅう廷臣ていしんから任命にんめいされたのに対たいして、参与さんよは下級かきゅう廷臣ていしん、藩士はんしにより構成こうせいされていた。また、議定ぎていの会議かいぎは上うえ議院ぎいんないし上じょうの議事ぎじ所しょ、参与さんよの会議かいぎは下しも議院ぎいんないし下したの議事ぎじ所しょとよばれていた。なお同おなじく参与さんよでも、廷臣ていしん出身しゅっしんのそれは上うえの参与さんよ、藩士はんしいいかえれば徴ちょう士し(ちょうし)からなる参与さんよは下したの参与さんよとよばれた。しかし、下したの参与さんよは西南せいなん雄藩ゆうはん出身しゅっしんの有力ゆうりょく藩士はんしたちであったから、維新いしん政府せいふの実質じっしつ的てきな指導しどう部ぶはここにあった。1868年ねん(慶応けいおう4)閏うるう(うるう)4月がつ21日にち、政体せいたい書しょに基もとづく太政官だじょうかん(だじょうかん)の復興ふっこうにより三さん職制しょくせいは廃止はいしされたが、議定ぎてい、参与さんよは議ぎ政官せいかん上うえ局きょくの構成こうせい員いんとして翌年よくねん5月がつまで存続そんぞくした。[井上いのうえ 勲くん][参照さんしょう項目こうもく] | 三さん職しょく 出典しゅってん 小学館しょうがくかん 日本にっぽん大だい百科全書ひゃっかぜんしょ(ニッポニカ)日本にっぽん大だい百科全書ひゃっかぜんしょ(ニッポニカ)について 情報じょうほう | 凡例はんれい
山川やまかわ 日本にっぽん史し小しょう辞典じてん 改訂かいてい新版しんぱん 「参与さんよ」の解説かいせつ 参与さんよさんよ 明治めいじ初年しょねんの高位こういの官職かんしょく。1867年ねん(慶応けいおう3)12月9日にちに王政おうせい復古ふっこの大だい号令ごうれいで設置せっちされた三さん職しょくの一ひとつ。倒幕とうばく派はの公家くげ,雄藩ゆうはんの諸侯しょこう・藩士はんしから任命にんめいされた。初期しょきの七なな科か八はち局きょくの制せいでは,事務じむを参議さんぎし各課かくかを分ぶん務つとむするものとされ,一部いちぶは各科かっかの事務じむ掛かけや各局かくきょくの輔・判事はんじを兼任けんにんした。翌年よくねん閏うるう4月がつ21日にちの政体せいたい書しょ公布こうふにより,議ぎ政官せいかん上うえ局きょくに属ぞくして諸事しょじを議ぎした。69年ねん(明治めいじ2)7月がつの官制かんせい改革かいかくで廃止はいしされ,職務しょくむは参議さんぎに引ひき継つがれた。 出典しゅってん 山川やまかわ出版しゅっぱん社しゃ「山川やまかわ 日本にっぽん史し小しょう辞典じてん 改訂かいてい新版しんぱん」山川やまかわ 日本にっぽん史し小しょう辞典じてん 改訂かいてい新版しんぱんについて 情報じょうほう
旺文社おうぶんしゃ日本にっぽん史し事典じてん 三さん訂てい版ばん 「参与さんよ」の解説かいせつ 参与さんよさんよ 1867(慶応けいおう3)年ねん,王政おうせい復古ふっこにより設置せっちされた官職かんしょく。明治めいじ新しん政府せいふの三さん職しょくの一ひとつ初はじめ公卿くぎょうと尾張おわり・越前えちぜん・薩摩さつま・安芸あき (あき) ・土佐とさ藩士はんし各かく3人にんで,つぎに公卿くぎょう・諸侯しょこう・徴ちょう士しで構成こうせいされた。翌よく1868年ねん政体せいたい書しょによる官制かんせいで議定ぎていとともに議ぎ政官せいかん上うえ局きょくに属ぞくし,事務じむを分担ぶんたんした。'69年ねんの官制かんせい改革かいかくで廃止はいしされ,職務しょくむは参議さんぎに継承けいしょうされた。 出典しゅってん 旺文社おうぶんしゃ日本にっぽん史し事典じてん 三さん訂てい版ばん旺文社おうぶんしゃ日本にっぽん史し事典じてん 三さん訂てい版ばんについて 情報じょうほう
ブリタニカ国際こくさい大だい百科ひゃっか事典じてん 小しょう項目こうもく事典じてん 「参与さんよ」の意味いみ・わかりやすい解説かいせつ 参与さんよさんよ 慶応けいおう3年ねん 12月9日にち (1868年ねん1月がつ3日にち) の王政おうせい復古ふっこの大だい号令ごうれいとともに設もうけられた「三さん職しょく」の一ひとつ。朝政ちょうせいにあずかり,事務じむを分担ぶんたんした。翌よく同どう4年ねん閏うるう4月がつ 21日にちの「七なな官かん両りょう局きょくの制せい」の採用さいようにより廃止はいしされた。 出典しゅってん ブリタニカ国際こくさい大だい百科ひゃっか事典じてん 小しょう項目こうもく事典じてんブリタニカ国際こくさい大だい百科ひゃっか事典じてん 小しょう項目こうもく事典じてんについて 情報じょうほう
改訂かいてい新版しんぱん 世界せかい大だい百科ひゃっか事典じてん 「参与さんよ」の意味いみ・わかりやすい解説かいせつ 参与さんよ (さんよ) →三さん職しょく 出典しゅってん 株式会社かぶしきがいしゃ平凡社へいぼんしゃ「改訂かいてい新版しんぱん 世界せかい大だい百科ひゃっか事典じてん」改訂かいてい新版しんぱん 世界せかい大だい百科ひゃっか事典じてんについて 情報じょうほう
普及ふきゅう版ばん 字じ通どおり 「参与さんよ」の読よみ・字形じけい・画数かくすう・意味いみ 【参与さんよ】さんよ 参さん預あずか。字じ通どおり「参まいり」の項目こうもくを見みる。 出典しゅってん 平凡社へいぼんしゃ「普及ふきゅう版ばん 字じ通どおり」普及ふきゅう版ばん 字じ通どおりについて 情報じょうほう
世界せかい大だい百科ひゃっか事典じてん(旧版きゅうばん)内うちの参与さんよの言及げんきゅう 【三さん職しょく】より …明治めいじ初年しょねん,政府せいふにより制定せいていされ,太政官だじょうかん制せいの布告ふこくによって廃止はいしされるまで,約やく6ヵ月かげつ間あいだ存続そんぞくした官制かんせい。1867年ねん(慶応けいおう3)12月,王政おうせい復古ふっこの大だい号令ごうれいにより,明治めいじ政府せいふが成立せいりつするとともに,総裁そうさい,議定ぎてい,参与さんよの三さん職しょくが設置せっちされた。総裁そうさいには有栖川ありすがわ宮みや熾おき仁じん(たるひと)親王しんのうが任にんぜられて,国政こくせいを総理そうりした。… ※「参与さんよ」について言及げんきゅうしている用語ようご解説かいせつの一部いちぶを掲載けいさいしています。 出典しゅってん|株式会社かぶしきがいしゃ平凡社へいぼんしゃ「世界せかい大だい百科ひゃっか事典じてん(旧版きゅうばん)」