デジタル大辞泉
「参与」の意味・読み・例文・類語
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さん‐よ【参与】
- 〘 名詞 〙
- ① ( ━する ) ある事にかかわり合うこと。参加。
- [初出の実例]「通憲、参二与大議一、多レ所二釐正一」(出典:日本外史(1827)一)
- 「人民が自家の権利を自覚して自ら国政に参与しやうといふので」(出典:社会百面相(1902)〈内田魯庵〉代議士)
- [その他の文献]〔漢書‐高五王・斉悼恵伝〕
- ② 明治新政府の高官の一つ。総裁・議定(ぎじょう)の位につぐもので、公卿および五雄藩の藩士をこれにあてた。慶応三年(一八六七)に設置され、明治二年(一八六九)廃止。参与職。→三職。
- ③ 学識経験者を行政事務にあずからせる時の職名。〔袖珍新聞語辞典(1919)〕
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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参与
さんよ
明治初年の中央政府の役職名。1867年(慶応3)12月、王政復古の政変によって新設された三職の一つ。議定(ぎじょう)が親王、諸侯、上級廷臣から任命されたのに対して、参与は下級廷臣、藩士により構成されていた。また、議定の会議は上議院ないし上の議事所、参与の会議は下議院ないし下の議事所とよばれていた。なお同じく参与でも、廷臣出身のそれは上の参与、藩士いいかえれば徴士(ちょうし)からなる参与は下の参与とよばれた。しかし、下の参与は西南雄藩出身の有力藩士たちであったから、維新政府の実質的な指導部はここにあった。1868年(慶応4)閏(うるう)4月21日、政体書に基づく太政官(だじょうかん)の復興により三職制は廃止されたが、議定、参与は議政官上局の構成員として翌年5月まで存続した。
[井上 勲]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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参与
さんよ
明治初年の高位の官職。1867年(慶応3)12月9日に王政復古の大号令で設置された三職の一つ。倒幕派の公家,雄藩の諸侯・藩士から任命された。初期の七科八局の制では,事務を参議し各課を分務するものとされ,一部は各科の事務掛や各局の輔・判事を兼任した。翌年閏4月21日の政体書公布により,議政官上局に属して諸事を議した。69年(明治2)7月の官制改革で廃止され,職務は参議に引き継がれた。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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参与
さんよ
1867(慶応3)年,王政復古により設置された官職。明治新政府の三職の一つ
初め公卿と尾張・越前・薩摩・安芸 (あき) ・土佐藩士各3人で,つぎに公卿・諸侯・徴士で構成された。翌1868年政体書による官制で議定とともに議政官上局に属し,事務を分担した。'69年の官制改革で廃止され,職務は参議に継承された。
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
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参与
さんよ
慶応3年 12月9日 (1868年1月3日) の王政復古の大号令とともに設けられた「三職」の一つ。朝政にあずかり,事務を分担した。翌同4年閏4月 21日の「七官両局の制」の採用により廃止された。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
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世界大百科事典(旧版)内の参与の言及
【三職】より
…明治初年,政府により制定され,太政官制の布告によって廃止されるまで,約6ヵ月間存続した官制。1867年(慶応3)12月,王政復古の大号令により,明治政府が成立するとともに,総裁,議定,参与の三職が設置された。総裁には有栖川宮熾仁(たるひと)親王が任ぜられて,国政を総理した。…
※「参与」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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