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外様大名(トザマダイミョウ)とは? 意味や使い方 - コトバンク

外様とざま大名だいみょうみ)トザマダイミョウ

デジタル大辞泉だいじせん外様とざま大名だいみょう」の意味いみみ・例文れいぶん類語るいご

とざま‐だいみょう〔‐ダイミヤウ〕【外様とざま大名だいみょう

江戸えど幕府ばくふで、親藩しんぱん譜代ふだい以外いがい大名だいみょうおも関ヶ原せきがはらたたかののち徳川とくがわ臣従しんじゅうした諸侯しょこう。→譜代ふだい大名だいみょう

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とざま‐だいみょう‥ダイミャウ外様とざま大名だいみょう

  1. 名詞めいし
  2. とざま(外様とざま
    1. [初出しょしゅつ実例じつれい]「供奉ぐぶりゃく外様とざま大名だいみょうよんにん 細川ほそかわ右京大夫うきょうのだいぶ頼元よりもと畠山はたけやまみぎ兵衛ひょうえ基国もとくに京極きょうごく治部じぶしょう輔高かい六角ろっかく備中びっちゅうもりまんだか」(出典しゅってん日吉ひよししゃ室町むろまち殿御とのごしゃさん(1394))
  3. とざま(外様とざま
    1. [初出しょしゅつ実例じつれい]「外様とざま大名だいみょうへの手本てほんにもなりこうさまにと」(出典しゅってん徳川とくがわ禁令きんれいこうぜんしゅうだいよんかんさんはちとおるろくねん(1721)きゅうがつろくにち)

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百科ひゃっか事典じてんマイペディア外様とざま大名だいみょう」の意味いみ・わかりやすい解説かいせつ

外様とざま大名だいみょう【とざまだいみょう】

外様とざま譜代ふだいたいするかたりで,主従しゅうじゅう関係かんけい疎遠そえんなこと,直系ちょっけいたいして傍系ぼうけいをいう。室町むろまち時代ときよには幕府ばくふ疎遠そえん大名だいみょう外様とざましゅとよんだ。外様とざま大名だいみょう江戸えど時代じだい徳川とくがわ譜代ふだいでなく,関ヶ原せきがはらせん以後いご臣従しんじゅうした諸侯しょこうしょう制度せいどてき差別さべつされ幕末ばくまついたるまで幕政ばくせい中枢ちゅうすうから除外じょがいされた。前田まえだ加賀かが),島津しまつ薩摩さつま),毛利もうり長州ちょうしゅう)など遠隔えんかく大藩たいはんおおい。→大名だいみょう譜代ふだい大名だいみょう
関連かんれん項目こうもく出石いずしはん宇和島うわじまはん飫肥おびはん参勤交代さんきんこうたい島津しまつ親藩しんぱん鳥羽とばはん南部なんぶ沼田ぬまたはん松代まつだいはん山形やまがたはん

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外様とざま大名だいみょう (とざまだいみょう)

江戸えど時代じだいにおける大名だいみょう類別るいべつひとつ。徳川とくがわ関ヶ原せきがはらせんによる覇権はけん確立かくりつ以降いこう自己じこ一門いちもん家臣かしんのなかから多数たすう大名だいみょうてたが,これを親藩しんぱん譜代ふだい大名だいみょうとよんだのにたいし,きゅうぞく大名だいみょう豊臣とよとみけい大名だいみょうで,あたらしく徳川とくがわ服属ふくぞくした大名だいみょう外様とざま大名だいみょうしょうした。なかには外様とざま大名だいみょう子弟してい譜代ふだい大名だいみょうになったものもある。外様とざま大名だいみょうはかつて徳川とくがわ同輩どうはいで,前田まえだ102まんせき島津しまつ72まんせき伊達だて62まんせきなどだい大名だいみょうおおく,幕府ばくふのもっとも警戒けいかいするところであった。そのため,幕府ばくふ婚姻こんいんたまものせいによって外様とざま大名だいみょう懐柔かいじゅうする一方いっぽう参勤交代さんきんこうたい普請ふしん助役じょやくなどによって,その経済けいざいりょく削減さくげんし,あるいはわずかなまくほう違反いはんのかどで有力ゆうりょく外様とざま大名だいみょう改易かいえきし,または辺境へんきょう地帯ちたいてんふうした。老中ろうじゅう若年寄わかどしよりなど幕政ばくせい中枢ちゅうすうからも原則げんそくとして排除はいじょされ,江戸城えどじょうちゅう座席ざせき親藩しんぱん譜代ふだい大名だいみょう区別くべつされた。

 こうした幕府ばくふきびしい統制とうせいによって,外様とざま大名だいみょうおおくは辺境へんきょう地帯ちたい位置いちしたのにたいし,譜代ふだい大名だいみょうおおくは関東かんとう東海とうかい近畿きんきなどの中央ちゅうおう地帯ちたい配置はいちされた。しかも,譜代ふだい大名だいみょう所領しょりょう幕府ばくふ天領てんりょうはた本領ほんりょうとのあいだ統廃合とうはいごう切替きりかえがおこなわれたため,いちじるしく分散ぶんさん知行ちぎょう領国りょうごく)したのにたいし,外様とざま大名だいみょう所領しょりょう早期そうき定着ていちゃくによる領国りょうごく固定こていによっていちえんてき知行ちぎょう領国りょうごくがた)をたもった。そのことが外様とざま大名だいみょう領内りょうない統制とうせい容易よういにし,幕末ばくまついたって産業さんぎょう統制とうせい成功せいこうさせた原因げんいんである。明治維新めいじいしんは,そうした産業さんぎょう統制とうせい成功せいこうし,富国強兵ふこくきょうへい体制たいせいきずきあげた西南せいなん雄藩ゆうはん外様とざま大名だいみょうによってみちびされる。
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日本にっぽんだい百科全書ひゃっかぜんしょ(ニッポニカ)外様とざま大名だいみょう」の意味いみ・わかりやすい解説かいせつ

外様とざま大名だいみょう
とざまだいみょう

江戸えど時代じだいにおける大名だいみょう類別るいべつひとつ。外様とざま呼称こしょうは、鎌倉かまくら時代じだい以降いこう武士ぶしあいだもちいられ、譜代ふだい(ふだい)の関係かんけいなくしんれいをとる大名だいみょう外様とざましゅしょうした。江戸えど時代じだいにおいては、きゅうぞく大名だいみょうゆたか(しょくほう)大名だいみょうで、関ヶ原せきがはらたたか以降いこうあたらしく徳川とくがわ帰属きぞくした大名だいみょうをいう。前田まえだ金沢かなざわはん)の102まんせき島津しまつ鹿児島かごしまはん)の72まんせき伊達だて(だて)仙台せんだいはん)の62まんせきなどだい大名だいみょうおおい。そのため、幕府ばくふのもっとも警戒けいかいするところとなり、婚姻こんいんたまものせいによって懐柔かいじゅうする一方いっぽう参勤交代さんきんこうたい普請ふしん(ふしん)の助役じょやく(すけやく)によって、その財力ざいりょく消耗しょうもうし、あるいは改易かいえき(かいえき)・うたてふうじ(てんぽう)によって、つぶせ(とりつぶ)し、または辺境へんきょう地帯ちたいうつした。外様とざま大名だいみょう所領しょりょういちえん知行ちぎょう(いちえんちぎょう)がおおく、中期ちゅうき以降いこう藩政はんせい改革かいかくにおいて、領内りょうない産業さんぎょう統制とうせい成功せいこうし、富国強兵ふこくきょうへいあいまって明治維新めいじいしん推進すいしんりょくとなった。

藤野ふじの 

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山川やまかわ 日本にっぽんしょう辞典じてん 改訂かいてい新版しんぱん外様とざま大名だいみょう」の解説かいせつ

外様とざま大名だいみょう
とざまだいみょう

江戸えど時代じだい大名だいみょう家格かかく将軍しょうぐんとの関係かんけい中心ちゅうしんとして分類ぶんるいする場合ばあいのまとまりのひとつ。関ケ原せきがはらせん以降いこう徳川とくがわ服属ふくぞくした大名だいみょうをさし,それ以前いぜんから徳川とくがわぞくしていた譜代ふだい(ふだい)大名だいみょう区別くべつされる。おおくは戦国せんごく以前いぜんからのきゅうぞく大名だいみょう織田おだ豊臣とよとみりょう政権せいけんのときにとりたてられたものであり,関ケ原せきがはら以前いぜん徳川とくがわ同格どうかく有力ゆうりょく大名だいみょうであった。幕府ばくふかれらの統制とうせいもっと注意ちゅういはらい,おお関東かんとう畿内きないからはなれた遠隔えんかく配置はいち初期しょきには人質ひとじちもとった。原則げんそくてき幕府ばくふ役職やくしょくくことはなかった。

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外様とざま大名だいみょう
とざまだいみょう

江戸えど時代じだい大名だいみょう家格かかく
親藩しんぱん譜代ふだい大名だいみょうたいし,もと家康いえやす同僚どうりょう関ケ原せきがはらたたかいののち臣従しんじゅうした大名だいみょうをいう。前田まえだ島津しまつ伊達だて毛利もうりなど大藩たいはんではあっても辺境へんきょう地帯ちたいふうぜられ,幕府ばくふ要職ようしょくからはずされ,冷遇れいぐう警戒けいかいされた。幕末ばくまつ討幕とうばく運動うんどう島津しまつ毛利もうりなどの西南せいなん雄藩ゆうはんからおこった。

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世界せかいだい百科ひゃっか事典じてん旧版きゅうばんうち外様とざま大名だいみょう言及げんきゅう

改易かいえき】より

当時とうじ改易かいえきとは,士分しぶん以上いじょうのもののせきのぞいて,その知行ちぎょう,俸禄,いえ屋敷やしき没収ぼっしゅうすることをいい,ほかにげんふうじうたてふうじ役儀やくぎ召放などにも併用へいようされた。大名だいみょう改易かいえきだい1の理由りゆう軍事ぐんじてき理由りゆうによるもので,家康いえやす関ヶ原せきがはらせん徳川とくがわ反抗はんこうした外様とざま大名だいみょう88めい改易かいえきによってりつぶし,ほかに5めい外様とざま大名だいみょうげんころがした。両者りょうしゃわせると,没収ぼっしゅう総高そうだかは93めいの632まん4194せきとなる。…

外様とざま】より

室町むろまち時代じだい以後いご大名だいみょう家格かかくしめ呼称こしょうとしてもちいられ,外様とざましゅうとは幕府ばくふ疎遠そえん関係かんけいにある大名だいみょう称号しょうごうとなった。江戸えど時代じだいになると,親藩しんぱん譜代ふだい大名だいみょうたいして外様とざま大名だいみょうがあり,一般いっぱん関ヶ原せきがはらせんのち徳川とくがわしんぞくした大名だいみょう呼称こしょうとなった。【五味ごみ 克夫かつお】。…

※「外様とざま大名だいみょう」について言及げんきゅうしている用語ようご解説かいせつ一部いちぶ掲載けいさいしています。

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