デジタル大辞泉だいじせん 「後こう鑑かん」の意味いみ・読よみ・例文れいぶん・類語るいご のちかがみ【後こう鑑かん】 江戸えど後期こうきの歴史れきし書しょ。本編ほんぺん347巻かん、付録ふろく20巻かん。成島なりしま良りょう譲ゆずるら編へん。嘉よしみ永ひさし6年ねん(1853)成立せいりつ。江戸えど幕府ばくふの命いのちにより編集へんしゅうした室町むろまち幕府ばくふ13代だいの編年体へんねんたい史書ししょ。将軍しょうぐん1代だいごとに事績じせきを記述きじゅつし、その典拠てんきょを明示めいじしている。 出典しゅってん 小学館しょうがくかんデジタル大辞泉だいじせんについて 情報じょうほう | 凡例はんれい
精選せいせん版ばん 日本にっぽん国語こくご大だい辞典じてん 「後こう鑑かん」の意味いみ・読よみ・例文れいぶん・類語るいご こう‐かん【後こう鑑かん・後こう鑒・後こう監かん】 〘 名詞めいし 〙 のちのちの手本てほん。後日ごじつの亀鑑きかん(きかん)。[初出しょしゅつの実例じつれい]「有ゆう二に懸紙かけがみ一いち無む二に裏うら紙し一いち、入いれレ筥、留とめレ文ぶん返かえし二に給きゅう筥一いち了りょう、為ため二に後こう鑒一いち続つづけレ之これ」(出典しゅってん:山やま槐えんじゅ記き‐仁じん安やす二に年ねん(1167)三さん月がつ一いち日にち) のちかがみ【後こう鑑かん】 江戸えど後期こうきの歴史れきし書しょ。三さん四よん七なな巻かん、付録ふろく二に〇巻かん。成島なりしま良りょう譲ゆずる(筑山)らの編へん。嘉よしみ永なが六ろく年ねん(一いち八はち五ご三さん)成立せいりつ。江戸えど幕府ばくふの修史しゅうし事業じぎょうの一環いっかんとしてなされたもの。室町むろまち幕府ばくふの歴史れきしを中心ちゅうしんに、元弘もとひろ元年がんねん(一いち三さん三さん一いち)から慶長けいちょう二に年ねん(一いち五ご九きゅう七なな)までの史実しじつを歴代れきだい将軍しょうぐんごとに編年体へんねんたいで示しめし、各かく条じょうに重要じゅうよう史料しりょうを収載しゅうさいする。 出典しゅってん 精選せいせん版ばん 日本にっぽん国語こくご大だい辞典じてん精選せいせん版ばん 日本にっぽん国語こくご大だい辞典じてんについて 情報じょうほう | 凡例はんれい
改訂かいてい新版しんぱん 世界せかい大だい百科ひゃっか事典じてん 「後こう鑑かん」の意味いみ・わかりやすい解説かいせつ 後こう鑑かん (のちかがみ) 室町むろまち幕府ばくふに関かんする記録きろく。江戸えど幕府ばくふの修史しゅうし事業じぎょうの一環いっかんとして,奥おく儒者じゅしゃ成島なりしま良りょう譲ゆずる(筑山)が足利あしかが将軍しょうぐんの事跡じせきや室町むろまち幕府ばくふの関係かんけい者しゃの活動かつどうを中心ちゅうしんに編集へんしゅうした歴史れきし書しょ。1853年ねん(嘉よしみ永なが6)完成かんせい。1331-1597年ねん(元弘もとひろ1-慶長けいちょう2)を将軍しょうぐんにより区分くぶんし,〈某ぼう将軍しょうぐん記き〉と題だいする本編ほんぺん347巻かんと同どう記きの付録ふろく20巻かんよりなる。編年体へんねんたいで日ひごとに綱つな文ぶんを立たて記録きろく,戦記せんき,古文書こもんじょを掲載けいさいする。引用いんよう史料しりょうは正確せいかくで,現在げんざい散逸さんいつし本書ほんしょのみが伝つたえるものもある。《新しん訂てい増補ぞうほ国史こくし大系たいけい》所収しょしゅう。執筆しっぴつ者しゃ:鳥居とりい 和之かずゆき 出典しゅってん 株式会社かぶしきがいしゃ平凡社へいぼんしゃ「改訂かいてい新版しんぱん 世界せかい大だい百科ひゃっか事典じてん」改訂かいてい新版しんぱん 世界せかい大だい百科ひゃっか事典じてんについて 情報じょうほう
日本にっぽん大だい百科全書ひゃっかぜんしょ(ニッポニカ) 「後こう鑑かん」の意味いみ・わかりやすい解説かいせつ 後こう鑑かんのちかがみ 江戸えど幕府ばくふが編纂へんさん(へんさん)した足利あしかが(あしかが)将軍家しょうぐんけに関かんする歴史れきし書しょ。鎌倉かまくら幕府ばくふの『吾妻あづま鏡きょう(あづまかがみ)』に倣ならって奥おく儒者じゅしゃ成島なりしま良りょう譲ゆずる(なるしまりょうじょう)(筑山(ちくざん))が編集へんしゅうにあたった。1853年ねん(嘉よしみ永なが6)成立せいりつ。原本げんぽんは旧きゅう内務省ないむしょう地理ちり課かに伝来でんらいしたが関東大震災かんとうだいしんさいで焼失しょうしつ。『徳川とくがわ実紀みき』の影響えいきょうを受うけ、将軍しょうぐん一いち代だいごとに事績じせきを編年体へんねんたいで掲示けいじし、あわせてその典拠てんきょを明示めいじする編集へんしゅう方針ほうしんをとっている。江戸えど時代じだいの考証こうしょう学がくの発展はってんを背景はいけいとし、古記こき録ろく・古文書こもんじょなどの史料しりょう自体じたいを掲載けいさいしているため、現在げんざい散逸さんいつした古文書こもんじょ多数たすうを含ふくみ、史料しりょう集しゅうとしても貴重きちょう。編集へんしゅう材料ざいりょうには、国立こくりつ公文書こうぶんしょ館かん所蔵しょぞうの古記こき録ろく・古文書こもんじょが多おおく利用りようされている。『国史こくし大系たいけい』所収しょしゅう。[今谷いまだに 明あきら]『羽下はねした徳彦とくひこ「後こう鑑かん――その史料しりょう的てき価値かち」(『日本にっぽん歴史れきし』194号ごう所収しょしゅう・1964・吉川弘文館よしかわこうぶんかん)』 出典しゅってん 小学館しょうがくかん 日本にっぽん大だい百科全書ひゃっかぜんしょ(ニッポニカ)日本にっぽん大だい百科全書ひゃっかぜんしょ(ニッポニカ)について 情報じょうほう | 凡例はんれい
ブリタニカ国際こくさい大だい百科ひゃっか事典じてん 小しょう項目こうもく事典じてん 「後こう鑑かん」の意味いみ・わかりやすい解説かいせつ 後こう鑑かんのちかがみ 室町むろまち幕府ばくふの通史つうし。本編ほんぺん 347巻かん,付録ふろく 20巻かん。江戸えど幕府ばくふの命いのちを受うけた幕府ばくふの奥おく儒者じゅしゃ成島なりしま良りょう譲ゆずる (1803~54) の編へん。嘉よしみ永なが6 (53) 年ねん成立せいりつ。初代しょだい将軍しょうぐん足利尊氏あしかがたかうじの元もと弘ひろ1 (1331) 年ねんから 15代だい将軍しょうぐん足利あしかが義昭よしあきの慶長けいちょう2 (1597) 年ねんまでの幕府ばくふ関係かんけいの事柄ことがらを編へん年ねん順じゅんに並ならべ,各かく事柄ことがらごとに内容ないようを要約ようやくして記しるし,次つぎに史料しりょうを掲かかげ,必かならず引用いんよう史料しりょうを明記めいきしている。『本朝ほんちょう通どおり鑑かん』『徳川とくがわ実紀みき』などとともに,江戸えど幕府ばくふの代表だいひょう的てきな修史しゅうし事業じぎょう。原本げんぽんは 1923年ねんの震災しんさいで焼失しょうしつ。 出典しゅってん ブリタニカ国際こくさい大だい百科ひゃっか事典じてん 小しょう項目こうもく事典じてんブリタニカ国際こくさい大だい百科ひゃっか事典じてん 小しょう項目こうもく事典じてんについて 情報じょうほう
山川やまかわ 日本にっぽん史し小しょう辞典じてん 改訂かいてい新版しんぱん 「後こう鑑かん」の解説かいせつ 後こう鑑かんのちかがみ 江戸えど幕府ばくふが編纂へんさんした室町むろまち時代じだいを扱あつかった歴史れきし書しょ。本ほん記き347巻かん・付録ふろく20巻かん。1853年ねん(嘉よしみ永なが6)成立せいりつ。成島なりしま良りょう譲ゆずる編へん。1331年ねん(元弘もとひろ元もと)から1597年ねん(慶長けいちょう2)の歴代れきだい足利あしかが将軍しょうぐんの事績じせきを中心ちゅうしんに,室町むろまち幕府ばくふ関連かんれんの史実しじつを編年体へんねんたいで記しるす。日次にちじ(ひなみ)にかけた綱つな文ぶんを立たて,典拠てんきょとなる旧記きゅうきや古文書こもんじょなどを引用いんようするという編纂へんさん方針ほうしんがとられ,多おおくの未刊みかん史料しりょうを含ふくむ。室町むろまち時代じだいを研究けんきゅうする際さいの基本きほん史料しりょう。「新しん訂てい増補ぞうほ国史こくし大系たいけい」所収しょしゅう。 出典しゅってん 山川やまかわ出版しゅっぱん社しゃ「山川やまかわ 日本にっぽん史し小しょう辞典じてん 改訂かいてい新版しんぱん」山川やまかわ 日本にっぽん史し小しょう辞典じてん 改訂かいてい新版しんぱんについて 情報じょうほう
旺文社おうぶんしゃ日本にっぽん史し事典じてん 三さん訂てい版ばん 「後こう鑑かん」の解説かいせつ 後こう鑑かんのちかがみ 江戸えど末期まっき,幕命ばくめいにより成島なりしま良りょう譲ゆずる (なるしまりようじよう) が編集へんしゅうした室町むろまち幕府ばくふ関係かんけいの史書ししょ1853年ねん完成かんせい。本編ほんぺん347巻かん,付録ふろく20巻かん。『本朝ほんちょう通どおり鑑かん』『徳川とくがわ実紀みき』に続つづく江戸えど幕府ばくふの修史しゅうし事業じぎょうで,『吾妻あづま鏡きょう』の体裁ていさいにならい,1331〜1597年ねんに至いたる間あいだの室町むろまち幕府ばくふ関係かんけいの史料しりょうを編年体へんねんたいに編纂へんさんしたもの。 出典しゅってん 旺文社おうぶんしゃ日本にっぽん史し事典じてん 三さん訂てい版ばん旺文社おうぶんしゃ日本にっぽん史し事典じてん 三さん訂てい版ばんについて 情報じょうほう