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徳冨蘆花(トクトミロカ)とは? 意味や使い方 - コトバンク

とくとみ蘆花ろかみ)トクトミロカ

デジタル大辞泉だいじせんとくとみ蘆花ろか」の意味いみみ・例文れいぶん類語るいご

とくとみ‐ろか〔‐ロクワ〕【とくとみ蘆花ろか

[1868~1927]小説しょうせつ熊本くまもとまれ。本名ほんみょう徳富とくとみ健次郎けんじろう蘇峰そほうおとうと同志社どうししゃ中退ちゅうたいみんともしゃ記者きしゃとなり、小説しょうせつ不如帰ふじょき」、随筆ずいひつ小品しょうひんしゅう自然しぜん人生じんせい」を発表はっぴょうして作家さっかてき地位ちい確立かくりつ。のちトルストイ心酔しんすい晩年ばんねんキリストしゃとして求道きゅうどうてき生涯しょうがいおくった。に「おもえ」「みみずのたはこと」「黒潮くろしお」「富士ふじ」など。

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日本にっぽんだい百科全書ひゃっかぜんしょ(ニッポニカ)とくとみ蘆花ろか」の意味いみ・わかりやすい解説かいせつ

とくとみ蘆花ろか
とくとみろか
(1868―1927)

小説しょうせつ本名ほんな健次郎けんじろう明治めいじ元年がんねん10がつ25にち新暦しんれきでは12月8にち)、肥後ひごこく水俣みなまた(みなまた)(げん水俣みなまた)のまれ。徳富とくどみ代々だいだい郷士ごうし家柄いえがら親戚しんせき(しんせき)には傑物けつぶつおおく、あに蘇峰そほう(そほう)には終生しゅうせい劣等れっとうかんいた。16さい受洗じゅせん同志社どうししゃげん同志社大学どうししゃだいがく)では新島にいじまじょう(にいじまじょう)のめい(ぎてつ)とこいをし、反対はんたいされて出奔しゅっぽん熊本くまもとかえった。20さい上京じょうきょうあにみんともしゃはい記者きしゃとなる。結婚けっこん立身りっしんできないいらだちから生活せいかつはすさんだが、29さい神奈川かながわけん逗子ずし(ずし)へ転居てんきょし、自然しぜんしたしみ、しんはほぐれていく。評伝ひょうでん『トルストイ』(1897)のだつ稿こう新生しんせいへの足掛あしがかとなった。1900ねん明治めいじ33)、『不如帰ふじょき(ほととぎす)』と清新せいしん自然しぜん文集ぶんしゅう自然しぜん人生じんせい』の刊行かんこうによって注目ちゅうもくされ、翌年よくねんの『おもえ(おもいで)の』ともどもロングセラーとなり、作家さっかてき地位ちい確立かくりつ当時とうじ蘆花ろか汎神論はんしんろん(はんしんろん)てき傾向けいこうにあり、自然しぜんすなわちかみによる人生じんせい解脱げだつ(げだつ)が作品さくひん共通きょうつうする主題しゅだいであった。日本にっぽんという国家こっか解脱げだつざした社会しゃかい小説しょうせつ黒潮くろしお(くろしお)』はだい1へん刊行かんこう(1903)だけで中絶ちゅうぜつしたが、そのさいあに決別けつべつ。この中絶ちゅうぜつあしはな文学ぶんがくかんえる。

 1905ねん明治めいじ38)8がつ富士ふじ山頂さんちょう人事不省じんじふせいおちいり、これをかみによる警鐘けいしょうめて回心かいしん翌年よくねん聖地せいち巡礼じゅんれい、トルストイをたずねて『順礼じゅんれい紀行きこう』をあらわし、1907ねんからは粕谷あらや(かすや)(東京とうきょう世田谷せたがや)にうつり、「美的びてき百姓ひゃくしょう」をはじめた。随筆ずいひつしゅう『みゝずのたはこと』(1913)はその所産しょさん。そのあいだ伝記でんき小説しょうせつ寄生木やどりぎ(やどりぎ)』(1909)をき、大逆だいぎゃく事件じけんでは旧制きゅうせいいちだかでの講演こうえん謀叛ぼうほんろん(むほんろん)』(1911)などで被告ひこく弁護べんごした。失恋しつれん体験たいけんえがいた『くろ(め)と茶色ちゃいろ』(1914)以後いご虚偽きょぎのない「生活せいかつそく芸術げいじゅつ」の文学ぶんがくこころざす。紀行きこうかげ(かげ)に』刊行かんこうよく1918ねん大正たいしょう7)、自分じぶんつまアダムとイブと自覚じかくし、それを告白こくはくした随筆ずいひつしゅう新春しんしゅん』をし、夫妻ふさいでの世界せかい周遊しゅうゆう紀行きこう日本にっぽんから日本にっぽんへ』(1921)では、再臨さいりんのキリストと自認じにんするまでになる。夫妻ふさい結婚けっこん生活せいかつ告白こくはく小説しょうせつ冨士ふじ(ふじ)』をいたが、昭和しょうわ2ねん9がつ18にち群馬ぐんまけん伊香保いかほ(いかほ)で病死びょうし同書どうしょは4かん(1925~1928)で中絶ちゅうぜつした。晩年ばんねん文壇ぶんだんから孤立こりつ文学ぶんがくてき位置いち確定かくていである。墓地ぼち旧居きゅうきょ粕谷あらや蘆花ろか公園こうえんにある。

吉田よしだ正信まさのぶ

『『蘆花ろか全集ぜんしゅうぜん20かん(1928~30・同書どうしょ刊行かんこうかい)』『『明治めいじ文学ぶんがく全集ぜんしゅう42 とくとみ蘆花ろかしゅう』(1966・筑摩書房ちくましょぼう)』中野なかの好夫よしおちょあし花徳けどくとみ健次郎けんじろうぜん3(1972~74・筑摩書房ちくましょぼう)』蘆花ろかかいへんとくとみ蘆花ろか 検討けんとう追想ついそう』(1936・岩波書店いわなみしょてん)』


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改訂かいてい新版しんぱん 世界せかいだい百科ひゃっか事典じてんとくとみ蘆花ろか」の意味いみ・わかりやすい解説かいせつ

とくとみ蘆花ろか (とくとみろか)
なま没年ぼつねん:1868-1927(明治めいじ1-昭和しょうわ2)

小説しょうせつ本名ほんな健次郎けんじろう熊本くまもとけん水俣みなまたうまれ。そう庄屋しょうやけん代官だいかんいえいの一郎いちろう蘇峰そほう)のおとうととしてまれた。少年しょうねん京都きょうと同志社どうししゃまなび,熊本くまもとキリスト教きりすときょう受洗じゅせんののちふたた同志社どうししゃ復学ふくがくしたが,新島にいじまじょうめいとのこい反対はんたいされて出奔しゅっぽん。1889ねん上京じょうきょうして蘇峰そほう経営けいえいするみんともしゃはいり,《国民こくみんとも》《国民こくみん新聞しんぶん》《家庭かてい雑誌ざっし》に種々しゅじゅ文章ぶんしょういたが,本領ほんりょういだしたのはのちに《自然しぜん人生じんせい》(1900)などにまとめられる自然しぜん描写びょうしゃ小品しょうひんであった。98ねんから《不如帰ふじょき(ほととぎす)》を連載れんさい小説しょうせつとしてみとめられ,精神せいしんてき経済けいざいてきあにから自立じりつした。《おもえ(おもいで)の》(1900-01)をて,みんともしゃ決別けつべつし《黒潮くろしおこくちよう)》のだい1へん(1903)を自費じひ出版しゅっぱん独自どくじ自然しぜんかん社会しゃかいかん根底こんていいた当時とうじ創作そうさくは,木下きのした尚江なおえ(なおえ)らに影響えいきょうあたえた。1905ねんしんてき革命かくめい経験けいけん翌年よくねんパレスティナ順礼じゅんれいたび帰途きとトルストイを訪問ほうもん。07ねん東京とうきょう府下ふかせんさい(ちとせ)むら粕谷あらやげん世田谷せたがや粕谷かすや)に移転いてんはんのう生活せいかつ開始かいしした。その記録きろくが《みゝずのたはこと》(1913)である。そのあいだ小笠原おがさわらよしたいらノートにもとづいた《寄生木やどりぎ(やどりぎ)》をいたが,〈しんなる自己じこ〉をもとめてまず《くろ茶色ちゃいろ》(1914)をき,さらに生活せいかつそく芸術げいじゅつという信条しんじょう実践じっせんとして《新春しんしゅん》(1918),《日本にっぽんから日本にっぽんへ》2かん(1921)をて,膨大ぼうだい自伝じでん冨士ふじ》4かん(1925-28)をいた。やがてやまい伊香保いかほおもむき,長年ながねん不和ふわであったあに和解わかいしたのちぼっした。
執筆しっぴつしゃ

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百科ひゃっか事典じてんマイペディアとくとみ蘆花ろか」の意味いみ・わかりやすい解説かいせつ

とくとみ蘆花ろか【とくとみろか】

小説しょうせつ本名ほんな健次郎けんじろう肥後ひごこくうまれ。徳富とくとみ蘇峰そほうおとうと。1885ねん受洗じゅせん同志社大どうししゃだい中退ちゅうたい蘇峰そほうみんともしゃはいり《国民こくみんとも》《国民こくみん新聞しんぶん》に執筆しっぴつ,1898ねん長編ちょうへん小説しょうせつ不如帰ふじょき(ほととぎす)》でつづいて《おもえ》,随筆ずいひつ自然しぜん人生じんせい》を名声めいせいた。トルストイ傾倒けいとう,1906ねんロシアをおとずれ,帰国きこく後半こうはんのう生活せいかつはいって《みゝずのたはこと》をき,宗教しゅうきょうてき生活せいかつ沈潜ちんせんした。全集ぜんしゅうがある。長年ながねんけい蘇峰そほう不和ふわであったが直前ちょくぜん和解わかいした。
関連かんれん項目こうもく社会しゃかい小説しょうせつ徳富とくとみ蘇峰そほう前田河まえだがわ広一郎ひろいちろう武蔵野むさしの矢島やじま楫子かじこ

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ちょうにち日本にっぽん歴史れきし人物じんぶつ事典じてんとくとみ蘆花ろか」の解説かいせつ

とくとみ蘆花ろか

没年ぼつねん昭和しょうわ2.9.18(1927)
生年せいねん明治めいじ1.10.25(1868.12.8)
明治めいじ大正たいしょう小説しょうせつ健次郎けんじろう肥後ひごこく(熊本くまもとけん)葦北いほくぐん水俣みなまたに,徳富とくとみ一敬かずたか,久子ひさこ次男じなんとしてまれる。徳富とくどみ代々だいだいそう庄屋しょうや,代官だいかんなどをつとめた旧家きゅうかで,あに蘇峰そほう(いの一郎いちろう)はみんともしゃおこし,『国民こくみんとも』『国民こくみん新聞しんぶん』を創刊そうかんしたジャーナリスト。母方ははかた叔父おじには幕末ばくまつ開国かいこくろんしゃ横井よこい小楠しょうなん,叔母おば婦人ふじん矯風きょうふうかい創立そうりつしゃ女子学院じょしがくいん初代しょだい院長いんちょう矢島やじま楫子かじこなど,近親きんしん知名ちめいじんおおい。あしはなには賢兄けんけいいの一郎いちろうたいする「いぬ意識いしきがあり,徳富とくとみとみあにとはことなる「とみ」の生涯しょうがいとおした。同志社どうししゃ入学にゅうがく,キリストきょう受洗じゅせん,伝道でんどう従事じゅうじしたが,さい入学にゅうがくした同志社どうししゃ失恋しつれんにより中退ちゅうたい。その事情じじょうをのちに「くろ茶色ちゃいろ」(1914)でえがいた。明治めいじ22(1889)ねん上京じょうきょうしてあにみんともしゃ入社にゅうしゃ,翻訳ほんやくなどに従事じゅうじどう33(1900)年刊ねんかんぎょう長編ちょうへん小説しょうせつ不如帰ふじょき』の成功せいこうによりあにから自立じりつ同年どうねん自然しぜん人生じんせい』を刊行かんこうするとともに「おもひ」(単行本たんこうぼんで『おもえ』に改題かいだい)を発表はっぴょう,なが青少年せいしょうねん魅了みりょうしたこの自伝じでんてき長編ちょうへんは150かい以上いじょうかえんだ読者どくしゃもいたという。さらに「黒潮くろしお」(1902)で政界せいかい批判ひはんしてあに決別けつべつにち戦争せんそうにトルストイ訪問ほうもんたび帰国きこく,東京とうきょう郊外こうがいはんのう生活せいかつをはじめ,随筆ずいひつしゅう『みゝずのたはごと』やいち青年せいねん士官しかん悲劇ひげき乃木のぎ将軍しょうぐんえがいた長編ちょうへん寄生木やどりぎ』(1909)を刊行かんこう晩年ばんねん自伝じでん小説しょうせつ富士ふじ』があり,伊香保いかほあに再会さいかいしてぼっした。<参考文献>中野なかの好夫よしおあし花徳けどくとみ健次郎けんじろうぜん3かん

(平岡ひらおか敏夫としお)

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とくとみ蘆花ろか
とくとみろか

[せい]明治めいじ1 (1868).10.25. 肥後ひご水俣みなまた
[ぼつ]1927.9.18. 群馬ぐんま伊香保いかほ
小説しょうせつ本名ほんな健次郎けんじろう熊本くまもとよう学校がっこう同志社どうししゃえい学校がっこう(→同志社大学どうししゃだいがく)をあにいの一郎いちろう徳富とくとみ蘇峰そほう)の経営けいえいする大江おおえよしじゅくまなんだ。1889ねん上京じょうきょうして蘇峰そほうはじめたみんともしゃ入社にゅうしゃ,10年間ねんかん雑文ざつぶんきや翻訳ほんやく下積したづ生活せいかつののち,家族かぞく制度せいど悲劇ひげきあつかった家庭かてい小説しょうせつ不如帰ふじょき』(1898~99)で一躍いちやく文名ぶんめいをあげた。散文さんぶんしゅう自然しぜん人生じんせい』(1900),はん自伝じでん長編ちょうへんおもえ』(1900~01)の成功せいこうによりみんともしゃ退社たいしゃ,1903ねん未完みかん長編ちょうへん小説しょうせつ黒潮くろしおだい1へん刊行かんこうした。以後いご国粋こくすい主義しゅぎ傾斜けいしゃした蘇峰そほうとの対立たいりつふかめつつ,社会しゃかいせい伝記でんき小説しょうせつ寄生木やどりぎ(やどりぎ)』(1909),宗教しゅうきょう文学ぶんがく傑作けっさくとされる『新春しんしゅん』(1918)をて,つまとの共著きょうちょのかたちで自伝じでんてき長編ちょうへん冨士ふじ』(1925~28)をいた。ほかに『順礼じゅんれい紀行きこう』(1906),『みゝずのたはこと』(1913),『くろ茶色ちゃいろ』(1914)などがある。

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デジタルばん 日本人にっぽんじんめいだい辞典じてん+Plusとくとみ蘆花ろか」の解説かいせつ

とくとみ蘆花ろか とくとみ-ろか

1868-1927 明治めいじ-大正たいしょう時代じだい小説しょうせつ
明治めいじ元年がんねん10がつ25にちまれ。あに徳富とくとみ蘇峰そほうみんともしゃにはいる。明治めいじ33ねん不如帰ふじょき(ほととぎす)」で作家さっかとして自立じりつ社会しゃかい小説しょうせつ黒潮くろしお」であに対立たいりつし,みんともしゃをさる。エルサレム巡礼じゅんれい,トルストイ訪問ほうもんののち東京とうきょう郊外こうがいはんのう生活せいかつをおくり,「みゝずのたはこと」などをかいた。昭和しょうわ2ねん9がつ18にち死去しきょ。60さい肥後ひご(熊本くまもとけん)出身しゅっしん墓所はかしょ東京とうきょう蘆花ろかつね春園はるその同志社どうししゃ中退ちゅうたい本名ほんみょう健次郎けんじろう作品さくひんに「自然しぜん人生じんせい」「おもえ」など。
格言かくげんなど】肉体にくたいなんでもない。おそれるべきは霊魂れいこんである(明治めいじ44ねん,いちだかでの講演こうえん)

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山川やまかわ 日本にっぽんしょう辞典じてん 改訂かいてい新版しんぱんとくとみ蘆花ろか」の解説かいせつ

とくとみ蘆花ろか
とくとみろか

1868.10.25~1927.9.18

明治めいじ大正たいしょう小説しょうせつ本名ほんみょう徳富とくとみ健次郎けんじろう熊本くまもとけん出身しゅっしん同志社どうししゃ中退ちゅうたい上京じょうきょうしてあに蘇峰そほう経営けいえいするみんともしゃはいり,「不如帰ふじょき(ほととぎす)」によってベストセラー作家さっかとなる。以後いご自然しぜん人生じんせい」や自伝じでんてき長編ちょうへん小説しょうせつおもえ」「黒潮くろしお(こくちょう)」などで地位ちい確立かくりつした。社会しゃかいてき関心かんしんつよく,大逆だいぎゃく事件じけんさいして政府せいふ処置しょち批判ひはんする講演こうえん(「謀叛ぼうほんろん」)をおこなうなど独自どくじのヒューマニズムを実践じっせんしたり,聖地せいち巡礼じゅんれいとトルストイ訪問ほうもんなどもおこなった。つまとの共著きょうちょ自伝じでん小説しょうせつ富士ふじ」がある。

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とくとみ蘆花ろか
とくとみろか

1868〜1927
明治めいじ大正たいしょう時代じだい小説しょうせつ
本名ほんみょう健次郎けんじろう熊本くまもとけんまれ。蘇峰そほうおとうとで,みんともしゃ参加さんか。『不如帰ふじょき (ほととぎす) 』を『国民こくみん新聞しんぶん』に連載れんさいし,文名ぶんめいをあげた。熱心ねっしんキリスト教徒きりすときょうととなり,トルストイに心酔しんすいした。代表だいひょうさくに『自然しぜん人生じんせい』『おもえ』など。

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世界せかいだい百科ひゃっか事典じてん旧版きゅうばんうちとくとみ蘆花ろか言及げんきゅう

おもえ】より

とくとみ蘆花ろか長編ちょうへん小説しょうせつ。1900ねん(明治めいじ33)から01ねんにかけて《国民こくみん新聞しんぶん》に《おもひ》として連載れんさい,《おもえ》と改題かいだいして刊行かんこう。…

自然しぜん人生じんせい】より

とくとみ蘆花ろか随筆ずいひつ小品しょうひんしゅう。1900ねん(明治めいじ33),みんともしゃかん。…

不如帰ふじょき】より

とくとみ蘆花ろか長編ちょうへん小説しょうせつ。1898ねんから99ねんにかけて《国民こくみん新聞しんぶん》に連載れんさい改稿かいこうして1900ねん刊行かんこう。…

※「とくとみ蘆花ろか」について言及げんきゅうしている用語ようご解説かいせつ一部いちぶ掲載けいさいしています。

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