(Translated by https://www.hiragana.jp/)
水産業(スイサンギョウ)とは? 意味や使い方 - コトバンク

水産すいさんぎょうみ)スイサンギョウ

デジタル大辞泉だいじせん水産すいさんぎょう」の意味いみみ・例文れいぶん類語るいご

すいさん‐ぎょう〔‐ゲフ〕【水産すいさんぎょう

水産すいさん生物せいぶつ漁獲ぎょかく採取さいしゅ養殖ようしょく冷蔵れいぞう冷凍れいとう加工かこう市場いちば輸送ゆそう販売はんばいかく分野ぶんやにかかわる産業さんぎょう
[類語るいご]漁業ぎょぎょう

出典しゅってん 小学館しょうがくかんデジタル大辞泉だいじせんについて 情報じょうほう | 凡例はんれい

精選せいせんばん 日本にっぽん国語こくごだい辞典じてん水産すいさんぎょう」の意味いみみ・例文れいぶん類語るいご

すいさん‐ぎょう‥ゲフ水産すいさんぎょう

  1. 名詞めいし 水産すいさん動植物どうしょくぶつ加工かこうぞう養殖ようしょくなどの生産せいさん活動かつどうにかかわる営業えいぎょうをいう。ひろ意味いみでは、これら生産せいさんぶつ流通りゅうつう直接的ちょくせつてきにかかわる部門ぶもんふくめられる。
    1. [初出しょしゅつ実例じつれい]「わが邦土ほうど沿海えんかいすう千里せんりもっと魚介ぎょかいむ、かんだい水産すいさんぎょう奨励しょうれいし」(出典しゅってんいちねん有半ゆうはん(1901)〈中江なかえ兆民ちょうみん)

出典しゅってん 精選せいせんばん 日本にっぽん国語こくごだい辞典じてん精選せいせんばん 日本にっぽん国語こくごだい辞典じてんについて 情報じょうほう | 凡例はんれい

日本にっぽんだい百科全書ひゃっかぜんしょ(ニッポニカ)水産すいさんぎょう」の意味いみ・わかりやすい解説かいせつ

水産すいさんぎょう
すいさんぎょう

水産すいさんぎょうは、みずかい動植物どうしょくぶつ採取さいしゅぞう養殖ようしょく、その生産せいさんぶつ加工かこう製造せいぞう、および最終さいしゅう消費しょうひいたるまでの流通りゅうつうかく分野ぶんや担当たんとうする産業さんぎょう総称そうしょうである。だいいち産業さんぎょう漁業ぎょぎょう水産すいさんぞう養殖ようしょくぎょうだい産業さんぎょう水産すいさん加工かこうぎょうだいさん産業さんぎょう水産物すいさんぶつ流通りゅうつうぎょうみっつの産業さんぎょう分野ぶんやからっており、水産すいさん資源しげん人間にんげん生活せいかつのために利用りようする経済けいざい活動かつどう統合とうごうてきなシステムであるといえる。なお、「漁業ぎょぎょう」「水産すいさん増殖ぞうしょく」のこうもあわせ参照さんしょうされたい。

高山たかやま隆三りゅうぞう

システムとしての水産すいさんぎょう

水産物すいさんぶつ、とくにさかな貝類かいるいは、動物どうぶつせいタンパク質たんぱくしつをはじめとして、ビタミン、ミネラルなどの栄養素えいようそ食品しょくひんであり、人類じんるい原始げんしむかしからそれらを食料しょくりょうとしてきた。しかし、さかな貝類かいるい一般いっぱん陸上りくじょう食用しょくよう動物どうぶつくらべると、死後しご硬直こうちょくから自己じこ消化しょうか腐敗ふはいする速度そくどいちじるしくはやい。したがって、さかな貝類かいるいなど水産物すいさんぶつ自己じこ消化しょうか腐敗ふはいからおこるへんはいによって利用りよう価値かち低下ていかしたりうしなわれたりすることを阻止そしする技術ぎじゅつが、漁業ぎょぎょう生産せいさん活動かつどうおとらず、水産すいさん資源しげん有効ゆうこう利用りようにとって重要じゅうようとなる。

 そのような事情じじょうから、鮮度せんど保持ほじする冷蔵れいぞう冷凍れいとう技術ぎじゅつ自己じこ消化しょうか腐敗ふはいふせ加熱かねつ乾燥かんそう塩蔵えんぞうなどの加工かこう製造せいぞう生鮮せいせんぎょ貝類かいるい漁獲ぎょかくから消費しょうひまでの時間じかん短縮たんしゅくするための運輸うんゆ手段しゅだん開発かいはつ整備せいびなどが進展しんてんし、これによってまた、漁業ぎょぎょう生産せいさん自体じたい発展はってんげてきたのである。水産物すいさんぶつへんはい防止ぼうしすることが、生産せいさんから最終さいしゅう消費しょうひいたるまでのかく産業さんぎょう分野ぶんや緊密きんみつむすけ、水産すいさんぎょうというひとつのシステムを形成けいせいするのである。しかし、欧米おうべいでは、国民こくみん食料しょくりょうにおける水産物すいさんぶつ比重ひじゅう日本にっぽんのようにたかくはなく、また水産物すいさんぶつ取扱とりあつかいりょうおおきくないこともあって、実態じったいとしてのシステムは形成けいせいされていても、一般いっぱんてきに、漁業ぎょぎょうfisheryと区別くべつした水産すいさんぎょうということばはもちいられていない。

高山たかやま隆三りゅうぞう

水産すいさんぎょう発展はってん

はらはじめ古代こだい

さかな貝類かいるいは、河川かせん湖沼こしょう海洋かいようひろ生息せいそくし、その鳥獣ちょうじゅうるいより容易ようい危険きけんせいすくなかったから、水産すいさん資源しげん豊富ほうふ地域ちいきでは原始げんし以来いらい重要じゅうよう動物どうぶつせい食料しょくりょうげんであった。同時どうじへんはいすみやかであることから、鮮度せんどかんする知識ちしき経験けいけん必要ひつようであり、その調理ちょうり保存ほぞん方法ほうほうにさまざまのくふうがほどこされてきた。

 紀元前きげんぜん2000ねん以前いぜんといわれる古代こだいエジプトの壁画へきがには各種かくしゅ漁業ぎょぎょうさかな調理ちょうり加工かこう姿すがたえがかれており、どう時代じだい墓石はかいしにはいけちゅうティラピア彫刻ちょうこくされていて、養魚ようぎょはじまっていたことをしめしている。またバビロンのぜん2300ねん以前いぜん文書ぶんしょに50種類しゅるい以上いじょうさかなめいしるされており、ハムラビあさ時代じだいぜん1700)にも市場いちばで18種類しゅるいさかな取引とりひきされていた記録きろくがあり、いけちゅう養魚ようぎょおこなわれていたこともられている。古代こだいギリシアにおいてもさかな貝類かいるい生産せいさんさかんであり、水産物すいさんぶつ取引とりひきひろおこなわれ、その販売はんばいかんする規則きそくもみられる。とはいえ、生鮮せいせんぎょ貝類かいるい市場いちばは、腐敗ふはいせいのゆえにしゅとして生産せいさん周辺しゅうへんかぎられていたし、水産すいさん加工かこうひん塩蔵えんぞうひんおもであった。

 古代こだいローマでは、地中海ちちゅうかいさんさかなかいはほとんど食用しょくようきょうされた。紀元きげん1世紀せいき初頭しょとう(19)にはローマでカキ養殖ようしょくおこなわれ、養魚ようぎょ造成ぞうせいされてそこに海水かいすいれたものもつくられ、ヒラメなどがわれ、えさりょう(じりょう)にもくふうがらされた。またすうせん奴隷どれい漁労ぎょろう使役しえきされた。ローマ時代じだい一般いっぱんてき調味ちょうみりょうは、リクアメンとよばれるさかなひしお(ぎょしょう)で、おもにイワシるいしおをして、素焼すやき容器ようき発酵はっこうさせたものである。さかなひしお現在げんざいでもベトナムニョクマンカンボジアのトクトレなど東南とうなんアジアおよび朝鮮半島ちょうせんはんとうでつくられ、重要じゅうよう調味ちょうみりょうとなっているが、ヨーロッパでは中世ちゅうせいにはもちいられなくなった。

 古代こだい中国ちゅうごくにおいてもおおくの水産物すいさんぶつ食用しょくよう利用りようされ、養魚ようぎょ紀元前きげんぜんすでにおこなわれていた。水産物すいさんぶつ加工かこうほうとしては塩蔵えんぞう乾燥かんそう一般いっぱんてきであるが、古代こだい中国ちゅうごくでは6世紀せいきの『ひとしみんようじゅつ』にしるされているものに、さかなしおをしてこうじ(こうじ)をくわえて発酵はっこうさせたさかなひしお、およびさかなしおをしたものと米飯べいはん交互こうご(かめ)にんだ「なれずし」がある。

 日本にっぽんでは貝塚かいづかから発掘はっくつされるさかな貝類かいるいほねなどから、すでに縄文じょうもん初期しょき今日きょうわれわれが食用しょくようとしているものをほとんど利用りようしていたことがられている。『日本書紀にほんしょき』『風土記ふどき(ふどき)』など古代こだい文献ぶんけんあらわれる魚類ぎょるいは31種類しゅるいで、そのほか、貝類かいるい海藻かいそうるいみつげ納品のうひんのなかにみられる。水産すいさん加工かこうひんにはしあわび、しなまこ、塩蔵えんぞうあゆなどがあげられるが、加工かこうほうとして塩蔵えんぞう乾燥かんそうのほか、なれずしもつくられていた。またカツオを天日てんじつしたけんぎょ(かつお)の煮汁にじるである「せんじじる(いろり)」は調味ちょうみようみつげおさめされている。さかな料理りょうりほうでは、もちいたなます(なます)もつくられている。ところで、さかな貝類かいるい保存ほぞんにとって重要じゅうよう役割やくわりたすしおについては、製塩せいえん土器どき海浜かいひん遺跡いせきからおお出土しゅつどしている。縄文じょうもん後期こうきになると濃縮のうしゅくした海水かいすい土器どき煮沸しゃふつして製塩せいえんしたのである。しお貴重きちょうひんであることはよう東西とうざいわなかった。

高山たかやま隆三りゅうぞう

中世ちゅうせい近世きんせい

漁業ぎょぎょう生産せいさん技術ぎじゅつは、航海こうかい技術ぎじゅつ漁船ぎょせん漁網ぎょもう各面かくめん進歩しんぽげていったが、前代ぜんだいつづ経験けいけん知識ちしきをもつ人々ひとびと生産せいさん主力しゅりょくであった。加工かこうかんしても塩蔵えんぞう乾燥かんそう依然いぜんとして主要しゅよう方法ほうほうであった。しかし、中世ちゅうせいヨーロッパでは、北大西洋きたたいせいよう北海ほっかいバルト海ばるとかいにおける漁業ぎょぎょうが、地中海ちちゅうかいよりきびしい自然しぜんてき条件じょうけん克服こくふくしながら発展はってんした。

 8世紀せいきまつから、バイキングはこれらの海域かいいきにおける沖合おきあい遠洋えんよう漁業ぎょぎょういとなはじめた。漁業ぎょぎょう生産せいさん発展はってんは、保存ほぞん加工かこうようしおたる(たる)よう木材もくざい漁業ぎょぎょうようつなもう素材そざいあさばりようてつ、などの取引とりひき発展はってんさせたし、さかな取引とりひきかんしては、はやくも1154ねんさかなしょうギルドがロンドンで結成けっせいされている。12世紀せいきまでに、バスク地方ちほうやオランダの漁業ぎょぎょうしゃ遠洋えんよう漁業ぎょぎょう進出しんしゅつし、前者ぜんしゃ捕鯨ほげいおこない、後者こうしゃ延縄はえなわ(はえなわ)を開発かいはつした。

 15世紀せいきには、バスク、フランス、イギリスの漁業ぎょぎょうしゃアイスランド漁場ぎょじょう利用りようするまでになった。14、15世紀せいきにはバルト海域かいいきでニシン漁業ぎょぎょうさかえ、ニシンの流通りゅうつうについては、ドイツのリューネブルクさんしお独占どくせんしていたハンザ商人しょうにん優越ゆうえつした地位ちいめた。ニシンは塩漬しおづけにされだるめられてハンザしょ都市としおくられた。塩蔵えんぞうにしんの消費しょうひ拡大かくだいした社会しゃかいてき背景はいけいには、キリストきょう普及ふきゅうがあった。ローマ・カトリックでは、よんしゅんぶし復活ふっかつさい前夜ぜんやまでの40日間にちかん)や金曜日きんようびには肉食にくしょくつつしんだことから、さかな需要じゅようがこの期間きかん金曜日きんようびにはたかかった。また、ヨーロッパ内陸ないりくでは、塩蔵えんぞう乾燥かんそうかの加工かこうほどこした水産物すいさんぶつでなければ輸送ゆそう日数にっすうからいって、食用しょくようにはかなかったのである。僧院そういんなどでは養魚ようぎょ(いけす)を利用りようして、コイやマスをっていたことがおおかった。14世紀せいき前半ぜんはんにニシンをもとめてイギリス沿岸えんがんまで出漁しゅつぎょしたオランダ漁業ぎょぎょうしゃは、15世紀せいき漁獲ぎょかくぶつ船上せんじょう塩蔵えんぞうすることをはじめた。これによって品質ひんしつ向上こうじょうし、販路はんろ拡大かくだいして、オランダ漁業ぎょぎょうのその発展はってんみちびいた。船上せんじょう加工かこう漁船ぎょせん大型おおがたうながし、それがさらに遠洋えんよう出漁しゅつぎょ促進そくしんしたのである。塩蔵えんぞうにしんとならんで日干ひぼししたらも重要じゅうよう中世ちゅうせい保存ほぞんしょくであり、ノルウェーのストックフィスクstockfiskがひろ消費しょうひされた(しかし、これを調理ちょうりするのはらくではなく、まえもってづち(きづち)で1あいだほどたたく必要ひつようがあった)。

 15世紀せいきまつには、きたアメリカ大陸あめりかたいりく東岸とうがんのニューファンドランドおきのタラ漁場ぎょじょう開発かいはつされ、1580ねんにはヨーロッパ諸国しょこくから300せき以上いじょう帆船はんせん出漁しゅつぎょをみている。しおしたらにたいする需要じゅようはフランス、スペイン、ポルトガルなど南欧なんおうつよく、タラ漁業ぎょぎょう初期しょきアメリカの植民しょくみんしゃにとっても重要じゅうよう産業さんぎょうであった。このことから、イギリスたいフランスのタラ漁場ぎょじょう加工かこう用地ようちをめぐる戦争せんそうが17世紀せいきまつはじまっており、アメリカ独立どくりつは、アメリカたいイギリス・カナダの紛争ふんそうつづき、この決着けっちゃくは1910ねんハーグの国際司法裁判所こくさいしほうさいばんしょ判決はんけつたなければならなかった。以上いじょうのように中世ちゅうせいまつまでに西欧せいおう諸国しょこくは、北海ほっかい北大西洋きたたいせいよう主要しゅよう漁場ぎょじょうをほとんど開発かいはつしたのである。

 日本にっぽんにおいては、中世ちゅうせい後半こうはんだい規模きぼあみ漁業ぎょぎょう漁業ぎょぎょう発展はってんしてきて近世きんせいつらなる。地引網じびきあみひろ使用しようされ、そことげもう(そこさしあみ)もあらわれ、手繰たぐ(たぐり)もう平安へいあんまつ若狭わかさ(わかさ)(福井ふくいけん)でもちいられたとみられる。ニシンが記録きろくあらわれるのは室町むろまち時代じだいわりからであり、東北とうほく北海道ほっかいどう漁業ぎょぎょう近世きんせいはいるとおこってくる。

 江戸えど時代じだいつうじて漁業ぎょぎょういちじるしく発達はったつし、捕鯨ほげいぎょうひろまってくる。人口じんこう増加ぞうか魚肥ぎょひ利用りようによってさかな貝類かいるい需要じゅよう増加ぞうかし、江戸えど後期こうきにはニシン漁業ぎょぎょう発展はってんし、各地かくちでカツオりょうさかんとなり、大型おおがた定置網ていちあみでマグロが漁獲ぎょかくされるようになった。17世紀せいきまつには中国ちゅうごくきよし(しん))への水産物すいさんぶつ輸出ゆしゅつはじまっている。加工かこうひんでは、かつおあらたかし(あらぶし)が紀州きしゅう和歌山わかやまけん)で17世紀せいきまつにつくられるようになったが、現在げんざいのかつおぶし製法せいほうは1758ねんたかられき8)土佐とさ与市よいち(とさよいち)によって考案こうあんされ、安房あわ(あわ)(千葉ちばけん)、伊豆いず焼津やいづ(やいづ)につたえられていった。また、広島ひろしまわんでカキ、浅草あさくさでノリの養殖ようしょくが17世紀せいきまつにははじまっている。かく城下町じょうかまちでは専門せんもんてき魚市場うおいちばさかな問屋とんや営業えいぎょうするようになった。ヨーロッパのように牧畜ぼくちくぎょう発展はってんをみなかった日本にっぽんでは、古代こだいから、仏教ぶっきょう影響えいきょうによって支配しはいしゃから肉食にくしょくきんじられたこととあいまって、日本にっぽん近海きんかい世界せかい有数ゆうすう漁場ぎょじょう開発かいはつして、さかなしょく日常にちじょうするしょく文化ぶんか形成けいせい定着ていちゃくさせていった。この土壌どじょうが、近代きんだいにおいて日本にっぽん漁業ぎょぎょう発展はってんめる基盤きばんとなっていったのである。

高山たかやま隆三りゅうぞう

近代きんだい

産業さんぎょう革命かくめい以降いこう工業こうぎょう発展はってん基礎きそとして、水産すいさんぎょう飛躍ひやくてき発展はってんした。造船ぞうせんぎょう発達はったつによって大型おおがた蒸気じょうきりょく、さらにディーゼルエンジン動力どうりょくとする漁船ぎょせん建造けんぞうされ、綿めん紡績ぼうせき工業こうぎょう発達はったつによってだい規模きぼ綿めんもう生産せいさんされ、漁法ぎょほうでも、トロールもう改良かいりょうされてゆき、動力どうりょくもちいてあみげるようになって、工業こうぎょうてき大量たいりょう漁獲ぎょかく工程こうていととのってくる。水産すいさん加工かこうめんでも、従来じゅうらいからの塩蔵えんぞう乾燥かんそう酢漬すづけ、薫製くんせいくわえて、あらたに缶詰かんづめ製造せいぞう技術ぎじゅつと、製氷せいひょう冷凍れいとう開発かいはつされて、生鮮せいせんぎょ貝類かいるい保存ほぞんほうおおきく変革へんかくされていった。さらに、鉄道てつどうもう展開てんかいは、先進せんしん諸国しょこく内陸ないりくにおける生鮮せいせん冷凍れいとう魚類ぎょるい市場いちばひろめ、水産物すいさんぶつ性格せいかく地方ちほう商品しょうひんから全国ぜんこくてき商品しょうひん転換てんかんしていった。

 真空しんくう密閉みっぺい容器ようき食品しょくひん保存ほぞんする技術ぎじゅつがフランスのニコラ・アペール(1752―1841)によって考案こうあんされ、1804ねん瓶詰びんづめ製造せいぞうされた。この食品しょくひん保存ほぞんほうは、やがてこわれやすいびんからブリキかんにかえられ、1812ねんイギリスに最初さいしょ缶詰かんづめ工場こうじょう設立せつりつされる。1820年代ねんだいはいると、だい規模きぼ缶詰かんづめ製造せいぞうがアメリカで開始かいしされ、1868ねん以降いこう手工業しゅこうぎょうてき生産せいさんから機械きかいてき生産せいさんうつってゆき、大量たいりょう生産せいさん体制たいせいととのっていく。日本にっぽんでは明治めいじ初年しょねん長崎ながさき松田まつだ雅典まさのり(まさのり)がフランスじんから缶詰かんづめ製法せいほう習得しゅうとくして製造せいぞうしたのが最初さいしょであるが、1875ねん明治めいじ8)アメリカ、フィラデルフィア開催かいさいされた万国博覧会ばんこくはくらんかい明治めいじ政府せいふから派遣はけんされた関沢せきざわあきらきよし(せきざわあききよ)が人工じんこう孵化ふか(ふか)事業じぎょう缶詰かんづめぎょう視察しさつし、よく1876ねん北海道ほっかいどう開拓かいたく使缶詰かんづめ製造せいぞうしょ設立せつりつしたことから、缶詰かんづめ生産せいさん普及ふきゅうしてゆく。にちしんにち戦争せんそうによる軍需ぐんじゅ拡大かくだい水産すいさん缶詰かんづめ工業こうぎょう興隆こうりゅうみちびき、だいいち世界せかい大戦たいせんによって欧米おうべい輸出ゆしゅつ増大ぞうだいし、これが、缶詰かんづめ機械きかい設置せっちしたサケ・カニ工船こうせん漁業ぎょぎょう発展はってんさせることになり、だい世界せかい大戦たいせんまえまで水産すいさん缶詰かんづめ重要じゅうよう輸出ゆしゅつ産品さんぴんとなったのである。

 生鮮せいせん食品しょくひん保存ほぞん冷蔵れいぞうてきしていることは古代こだいからられており、天然てんねんごおり利用りようがくふうされてきたが、1873ねんにアンモニア冷凍れいとう実用じつようされ、1874ねん機械きかいせいこおりがイギリスで販売はんばいされはじめた。これは、食品しょくひん保存ほぞん変革へんかくをもたらしてゆく。冷凍れいとう運搬船うんぱんせん運航うんこうしたのは1877ねんのことで、当初とうしょにく輸送ゆそうにのみもちいられた。この製氷せいひょう冷凍れいとう技術ぎじゅつ発展はってん魚類ぎょるい市場いちば拡大かくだいおおきく寄与きよした。1860年代ねんだい以降いこう漁船ぎょせん動力どうりょくは、船足ふなあしはやめ、鉄道てつどう輸送ゆそうあみ形成けいせいとともに、こおりぞうした鮮度せんどたか魚類ぎょるい消費しょうひしゃとどけるまでの時間じかん短縮たんしゅくしていった。日本にっぽんでも天然てんねんごおり製造せいぞう販売はんばい明治めいじ初年しょねんからはじまるが、1883ねん明治めいじ16)に製氷せいひょう輸入ゆにゅうされ、翌年よくねん機械きかい製氷せいひょう営業えいぎょう開始かいしされた。天然てんねんごおりとの競争きょうそうって、機械きかい製氷せいひょう主位しゅいめるのは明治めいじ30年代ねんだいであり、徐々じょじょ漁獲ぎょかく物流ぶつりゅうどおりもちいられるようになった。漁獲ぎょかくぶつよう冷蔵庫れいぞうこ建設けんせつはじまるのはだいいち世界せかい大戦たいせん直後ちょくごの1920ねん大正たいしょう9)からで、アメリカの冷凍れいとう技師ぎし指導しどうによって凍結とうけつ冷凍れいとう工場こうじょうがつくられ、1922ねん冷凍れいとう運搬船うんぱんせん建造けんぞうされ冷凍れいとう食品しょくひん流通りゅうつう形成けいせいされてくるのである。1923ねん政府せいふは「水産すいさん冷蔵れいぞう奨励しょうれい規則きそく」を公布こうふして、その普及ふきゅうつとめた。鉄道てつどうではすでに1908ねん明治めいじ41)に冷蔵れいぞう貨車かしゃ製作せいさくされている。

 低温ていおん流通りゅうつう体系たいけい整備せいびされてくる一方いっぽう、アメリカでは料理りょうり手間てまのかからないフィレ()に加工かこうしたさかな流通りゅうつうが1930年代ねんだいひろまってくる。フィレは水揚みずあ製造せいぞうされるが、これによって、1ひきのままでは消費しょうひしにくいさかな販売はんばい容易よういになった。アメリカの大西洋たいせいようがん大形おおがたのスズキは、1934ねんにフィレに加工かこうされるようになってから、漁獲ぎょかく対象たいしょうとなった。このように加工かこう技術ぎじゅつ開発かいはつは、利用りよう水産すいさん資源しげん利用りよう可能かのうとしていったのである。フィレ加工かこうから、さらにフィッシュスティック製造せいぞうされるようになり、さかな規格きかくされた食品しょくひん素材そざいとなることによって、手軽てがるなフィッシュバーガーなどの食品しょくひん利用りようされるようになった。

 近代きんだい漁獲ぎょかくぶつ利用りよう顕著けんちょになったことは、魚粉ぎょふんフィッシュミール)など食用しょくよう利用りよう増大ぞうだいしたことである。漁獲ぎょかくぶつは、近代きんだい以前いぜんから肥料ひりょう魚油ぎょゆ原料げんりょうとして利用りようされてきたが、にく需要じゅよう増大ぞうだい背景はいけいとした畜産ちくさんぎょう発展はってんが、20世紀せいきはいるとタンパク質たんぱくしつ飼料しりょうとしての魚粉ぎょふん需要じゅようたかめ、欧米おうべい各地かくちでそれを工業こうぎょうてき生産せいさんするようになっていった。日本にっぽんでも1931ねん昭和しょうわ6)に魚粉ぎょふん工船こうせん建造けんぞうされ、北洋ほくよう操業そうぎょうし、生産せいさんぶつ欧米おうべい輸出ゆしゅつするようになった。

 以上いじょうのように水産すいさんぎょうは、近代きんだい工業こうぎょう発展はってん基礎きそとして発達はったつしてきた漁業ぎょぎょう中心ちゅうしんに、その大量たいりょう漁獲ぎょかくぶつ加工かこう流通りゅうつう過程かてい革新かくしんによって、システムとして確立かくりつされてきた。だい世界せかい大戦たいせん勃発ぼっぱつ(ぼっぱつ)前年ぜんねんの1938ねん世界せかいそう漁獲ぎょかくりょうは2100まんトンにたっした。

高山たかやま隆三りゅうぞう

世界せかい漁業ぎょぎょう生産せいさん

だい世界せかい大戦たいせん特徴とくちょう

世界せかい漁業ぎょぎょう生産せいさんは、だい世界せかい大戦たいせん綿めんもうよりかる耐久たいきゅうせいのある化学かがく合成ごうせい繊維せんいもう普及ふきゅうさかなぐん探知たんち実用じつよう自動じどう航行こうこう装置そうちをはじめ急速きゅうそく冷凍れいとう施設しせつそなえた近代きんだいした大型おおがた漁船ぎょせんによる操業そうぎょう、などによって一段いちだん生産せいさんりょく向上こうじょうさせ、漁獲ぎょかくりょう増大ぞうだいした。

 ぜん世界せかい漁獲ぎょかくりょう海藻かいそうるいふくむ)は、1950ねんやく2100まんトンと戦前せんぜん水準すいじゅん回復かいふくしたあと、1980ねんまでの30年間ねんかんに3ばい以上いじょう伸長しんちょうした。とくに1970ねんまでの20年間ねんかん年率ねんりつで5.7%のびをげ、農業のうぎょう生産せいさんりつ2%をおおきくえて、世界せかい食料しょくりょう飼料しりょう供給きょうきゅう貢献こうけんしたが、生産せいさんりょうは1970ねんにほぼ7000まんトンにたっしながら、1970年代ねんだい前半ぜんはんには生産せいさんりょう減少げんしょうさせる不安定ふあんてい状況じょうきょうおちいった。1970年代ねんだい後半こうはんからふたたび漁獲ぎょかくりょう増加ぞうかさせていくが、1980年代ねんだい前半ぜんはんにおいても8000まんトンじゃく水準すいじゅんにとどまっており、1970ねんから1982ねんまでのりつ年率ねんりつ0.9%とそれ以前いぜんしておおきく低下ていかした。この低下ていか原因げんいんには、だいいちに、1970ねんまでに開発かいはつされた優良ゆうりょう漁場ぎょじょうにおける水産すいさん資源しげん利用りよう限界げんかいたっし、一部いちぶ漁場ぎょじょうでは水産すいさん資源しげん枯渇こかつがもたらされたこと、だいに、一部いちぶ水産すいさん資源しげんが、水温すいおん海流かいりゅうなど自然しぜん変化へんか影響えいきょうけておおきく減少げんしょうしたこと、だいさんに、1970年代ねんだい後半こうはんの、世界せかいてきな200海里かいり排他はいたてき経済けいざい水域すいいき設定せっていというあたらしい海洋かいよう利用りよう秩序ちつじょによって、漁業ぎょぎょう先進せんしんこく生産せいさんせいたか漁船ぎょせんによる自由じゆう操業そうぎょう制約せいやくされてきたこと、があげられる。

 だい世界せかい大戦たいせん世界せかい漁業ぎょぎょう生産せいさんひとつの特徴とくちょうは、歴史れきしてき漁業ぎょぎょう先進せんしんこくであったヨーロッパ諸国しょこく生産せいさん停滞ていたいたいし、日本にっぽんをはじめ、きゅうソ連それんなどの社会しゃかい主義しゅぎ諸国しょこく一部いちぶ開発かいはつ途上とじょうこくなかすすむこく生産せいさん増大ぞうだいしたことであった。1983ねん世界せかい漁獲ぎょかくりょうやく50%を開発かいはつ途上とじょうこくなかすすむこくめている(1960ねんには42%であった)。同年どうねん生産せいさんりょう10までのくには、日本にっぽん筆頭ひっとうとして、きゅうソ連それん中国ちゅうごく、チリ、アメリカ、ノルウェー、韓国かんこく、インド、タイ、インドネシアで、開発かいはつ途上とじょうこくなかすすむこくが6かこくのぼる。また、これら10かこくそう生産せいさんりょうの62%をめる。漁業ぎょぎょう生産せいさん特定とくてい諸国しょこく集中しゅうちゅうしているのである。このなかには、1977ねん海洋かいよう分割ぶんかつおこなわれ、世界せかいてきに200海里かいり体制たいせい移行いこうしたあとでもたか生産せいさんりょう維持いじし、さらには生産せいさん上昇じょうしょう傾向けいこうをみせているくにもある。これら10かこくは、おおむね、ひろい200海里かいり水域すいいき占有せんゆうしているか、または200海里かいり水域すいいきないこう漁場ぎょじょうをもっているか、あるいは両者りょうしゃそなえているくにである。アメリカ、ロシア、中国ちゅうごく、インドのような大国たいこくひろい200海里かいり水域すいいき占有せんゆうすることになり、また、インドネシアのようにおおくの群島ぐんとうからなるくにひろ水域すいいき確保かくほした。日本にっぽん国土こくどせまいが200海里かいり水域すいいき面積めんせきでは世界せかいだい7である。

 日本にっぽん漁業ぎょぎょうだい世界せかい大戦たいせんによる生産せいさん低下ていかを1952ねんまでに回復かいふくし、その漁船ぎょせん漁法ぎょほう近代きんだい漁港ぎょこう水産物すいさんぶつ加工かこう流通りゅうつう設備せつび整備せいびおおきな需要じゅようささえられて生産せいさんばし、ほぼ漁獲ぎょかくりょう世界せかいだい1位置いち確保かくほしてきた。200海里かいり体制たいせいは、他国たこくの200海里かいり水域すいいきにおける遠洋えんよう漁業ぎょぎょう操業そうぎょう撤退てったい余儀よぎなくしているが、他方たほうでは日本にっぽん近海きんかいのイワシ資源しげん増大ぞうだいによって沖合おきあい漁業ぎょぎょう生産せいさんびるという結果けっかをもたらし、生産せいさんりょうは1984ねんにははじめて1200まんトンだい記録きろくした。海面かいめん養殖ようしょくぎょう生産せいさんも1983ねんに100まんトンをえるにいたった。日本にっぽん漁業ぎょぎょうは、欧米おうべい先進せんしんこくくらべて、経営けいえいたいすう漁業ぎょぎょう従事じゅうじしゃすうともにはるかにおおい。漁業ぎょぎょう従事じゅうじしゃは、EC最大さいだい漁業ぎょぎょうこくスペインのやく10まんにんたいし、日本にっぽんは44まんにんである。20まん7000の経営けいえいたいのうち、おもに自家じか労働ろうどうりょくによって沿岸えんがん漁業ぎょぎょう従事じゅうじする経営けいえいたいが95%。一方いっぽう戦前せんぜんから北洋ほくよう漁業ぎょぎょうトロール漁業ぎょぎょうそこ引漁ぎょう捕鯨ほげいぎょう資本しほん蓄積ちくせきすすめてきた資本しほんきん10おくえん以上いじょうだい資本しほん企業きぎょう活動かつどうしており、だいちゅうしょう経営けいえい並存へいそんしているのである。1983ねん海面かいめん漁業ぎょぎょう養殖ようしょくぎょうそう生産せいさんりょうのうち、遠洋えんよう漁業ぎょぎょう18%、沖合おきあい漁業ぎょぎょう55%、沿岸えんがん養殖ようしょく漁業ぎょぎょう27%のシェアであるが、生産せいさんがく割合わりあいでは、それぞれ24%、30%、46%となっており、沿岸えんがん養殖ようしょく漁業ぎょぎょう比重ひじゅうたかいことが特徴とくちょうである。遠洋えんよう漁業ぎょぎょう生産せいさんりょうは1973ねんの400まんトンじゃく最高さいこう減少げんしょうをたどり、1979ねんには半減はんげんし、以後いご、200まんトンきょう維持いじされているが、国際こくさいてき規制きせい強化きょうかによってさらに生産せいさん減退げんたい見込みこまれる。遠洋えんよう漁業ぎょぎょう依存いぞんしてきただい漁業ぎょぎょう資本しほん経営けいえい転換てんかんはかり、漁業ぎょぎょう部門ぶもんから、輸出入ゆしゅつにゅう魚類ぎょるい取引とりひきなどの商業しょうぎょう部門ぶもん活動かつどう重点じゅうてんうつしてきており、その売上うりあげは1980年代ねんだいはいってぜん売上うりあげの70%前後ぜんこうというたか割合わりあいめるようになった。

 だい世界せかい大戦たいせんソ連それん漁業ぎょぎょう生産せいさんびは日本にっぽんをしのぎ、1950ねんの162まんトンから、1976ねんには1000まんトンといちじるしい。ソ連それん遠洋えんよう漁業ぎょぎょう増強ぞうきょうつとめ、大型おおがたトロとろル船るせんなどを計画けいかくてき新造しんぞうし、加工かこう設備せつび船内せんないもうけた1まんトン以上いじょうのトロール工船こうせん建造けんぞうして生産せいさん急速きゅうそくばしてきた。ソ連それん水産すいさんぎょうは、国内こくない農業のうぎょう畜産ちくさんぎょう不振ふしんおぎない、国民こくみん動物どうぶつせいタンパク質たんぱくしつ供給きょうきゅうすることを目的もくてきとして1960年代ねんだいにさらに振興しんこうはかられた。水産物すいさんぶつ輸出ゆしゅつ外貨がいか獲得かくとく一助いちじょにすることも目的もくてきとしていた。サケ、マス、カニなどのぞう養殖ようしょく事業じぎょうにも努力どりょくしている。しかし、日本にっぽん同様どうようソ連それんも200海里かいり体制たいせいへの移行いこうともな遠洋えんよう漁業ぎょぎょう制約せいやくされ、1978ねん以降いこう生産せいさんりょうも900まんトンだい低迷ていめいしており、100トン以上いじょう大型おおがた漁船ぎょせんを1980ねんから削減さくげんし、とくに100トンから499トンの規模きぼ漁船ぎょせんは1980ねんの2000せきから1984ねんには1100せきへと半減はんげんさせている。しかし500トン以上いじょう漁船ぎょせんでは、1984ねんにおいても隻数せきすうトン数とんすうともに世界せかいの500トン以上いじょう漁船ぎょせん総数そうすうの50%、58%をめている。ちなみに日本にっぽんのそれは、2.5%、3.4%である。

 中国ちゅうごく漁業ぎょぎょう生産せいさんびもいちじるしく、1950ねんの91まんトンから1983ねんには670まんトンへと上昇じょうしょうした。中国ちゅうごく漁業ぎょぎょうでは内水うすいめん漁業ぎょぎょう海藻かいそう生産せいさん比重ひじゅうたかく、両者りょうしゃ生産せいさんの4わりめており、伝統でんとうてき内水うすいめん養殖ようしょく発展はってんげている。また海面かいめん養殖ようしょくではコンブの生産せいさんびている。海面かいめん漁業ぎょぎょうも1960年代ねんだい漁船ぎょせん漁具ぎょぐへの国家こっか投資とうしおこなわれ、漁獲ぎょかくりょう増大ぞうだいしてきたが、乱獲らんかく現象げんしょうがみられて1970年代ねんだい生産せいさん停滞ていたい、1980年代ねんだいはいって漸増ぜんぞうしてきている。

 戦後せんご生産せいさんりょうおおきく変動へんどうしたのはペルーである。ペルーは1950ねんに11まんトンの漁獲ぎょかくりょうであったが、沖合おきあいのカタクチイワシ漁場ぎょじょう開発かいはつ魚粉ぎょふん生産せいさん設備せつび整備せいびがおもにアメリカ資本しほんによってすすめられ、1962ねん日本にっぽん生産せいさんりょういて世界一せかいいちとなり、以後いご1971ねんまでそれを維持いじし、1970ねんには1260まんトンを記録きろくした。しかしそれを最高さいこうとして、1972ねんから漁獲ぎょかく大幅おおはば減少げんしょうし、これが1973ねん世界せかいてき飼料しりょう穀物こくもつ価格かかく高騰こうとう一因いちいんとなった。その減退げんたい傾向けいこうをたどり、1983ねんには150まんトンじゃく漁獲ぎょかくりょう低下ていかした。このような変動へんどう自然しぜん条件じょうけん変化へんかによる水産すいさん資源しげん自然しぜんてき増減ぞうげんによってもたらされたものである。

 このペルーの生産せいさん減少げんしょうたいして、隣接りんせつするチリでは1970年代ねんだい後半こうはんからイワシ・アジ資源しげん増加ぞうか漁場ぎょじょう開発かいはつによって生産せいさんりょうきゅうさせ、1983ねんには400まんトンだいたっして、世界せかい漁獲ぎょかくりょう4となった。

 アメリカは、自国じこくの200海里かいりないこう漁場ぎょじょうにおける外国がいこく漁船ぎょせん操業そうぎょう制限せいげんしたことを契機けいきとして漁業ぎょぎょう生産せいさん活性かっせいし、1970年代ねんだい前半ぜんはんまで200まんトンだい生産せいさんであったものが、1983ねんには400まんトンだいたっし、100トン以上いじょう大型おおがた漁船ぎょせん隻数せきすうも1980ねんから1984ねんあいだに24%増加ぞうかさせ、200海里かいり体制たいせい先進せんしんこく大型おおがた漁船ぎょせんいちじるしく増加ぞうかさせてきている数少かずすくないくにひとつである。

 200海里かいり体制たいせいは、アメリカにしめされるように自国じこく水域すいいきない水産すいさん資源しげん利用りよう刺激しげきする作用さようたしてきており、遠洋えんよう漁業ぎょぎょうへの依存いぞんたかめていたくにでも自国じこく水域すいいき操業そうぎょうする100トン以下いか漁船ぎょせん漸増ぜんぞうしてきている。

高山たかやま隆三りゅうぞう

さかな種別しゅべつ生産せいさん

世界せかい主要しゅようぎょ種別しゅべつ生産せいさんを、海面かいめん漁業ぎょぎょう生産せいさん内水うすいめん漁業ぎょぎょう生産せいさんけてみると、前者ぜんしゃ生産せいさんりょうが1970年代ねんだいにほぼ90%をめているが、後者こうしゃもそのシェアをこの10年間ねんかんにわずかながら上昇じょうしょうさせてきている。1983ねんそう生産せいさんりょうのうち、魚類ぎょるいが84%をめており、その86%、そう生産せいさんりょうたいしては72%が海水かいすい魚類ぎょるいである。したがって、海水かいすい魚類ぎょるい資源しげん状況じょうきょう世界せかい漁業ぎょぎょう生産せいさんりょうおおきな影響えいきょうあたえることになる。その生産せいさんでは、そう生産せいさんりょうたいし、カニ・エビなどの甲殻こうかくるいが4%じゃく貝類かいるいやイカ・タコなどの軟体るいが7%、藻類そうるいそのが4%、ウナギるい、サケ・マスるいなどの回遊かいゆうせい魚類ぎょるいが2%きょうとなっている。

 海水かいすい魚類ぎょるいのなかでは、暖流だんりゅう水域すいいきだい回遊かいゆうするカツオ、マグロの生産せいさん微増びぞうしているが、需要じゅようつよいマグロるい資源しげんはほぼ限界げんかいたっするまで開発かいはつされており、生産せいさん増加ぞうかしているのはカツオるいである。沿岸えんがん沖合おきあいを大量たいりょうれをつくって回遊かいゆうするニシン、イワシ、アジ、サバなどの沿岸えんがんせい浮魚うきうお(うきうお)るい海水かいすい魚類ぎょるい生産せいさんやく50%をめ、これら魚類ぎょるい生産せいさん世界せかい生産せいさんりょうおおきな変動へんどうあたえる。これら魚類ぎょるい生産せいさんりょうは、1950ねんには500まんトンであったが、ペルーおきのイワシ生産せいさんりょう急伸きゅうしんもあって、1970ねんには2100まんトンと4ばいきょう増加ぞうかした。しかし、その自然しぜん条件じょうけん影響えいきょうけて資源しげん減少げんしょうし、1973ねんには1100まんトンに急減きゅうげんした。しかしそれをそことして、徐々じょじょ生産せいさんばして、1982ねん、1983ねんには1700まんトンだいまで回復かいふく、1970年代ねんだい後半こうはんからのそう生産せいさんりょう増加ぞうかおおきく寄与きよしてきている。カレイ、ヒラメ、タラなど、海底かいてい生息せいそくして、浮魚うきうおのようにおおきく回遊かいゆうしないそこぎょ(そこうお)るい生産せいさんも、1970ねんまで急増きゅうぞうしたが、その1200まんトン前後ぜんこう生産せいさんりょう停滞ていたいしている。エビるい生産せいさんは、日本にっぽん・アメリカなどの先進せんしんこく需要じゅようつよく、熱帯ねったいさんのエビ資源しげん開発かいはつすすみ、また養殖ようしょく開発かいはつ途上とじょうこくにおいても1970年代ねんだい後半こうはんからおこなわれるようになり、生産せいさんりょう漸増ぜんぞうしてきている。イカ・タコるいは1970年代ねんだい後半こうはん以降いこうにも生産せいさん増加ぞうかさせてきている。アルプス以北いほくのヨーロッパ諸国しょこくやアメリカではイカ・タコるい消費しょうひしょく習慣しゅうかん歴史れきしてき普及ふきゅうしてこなかったこともあって、資源しげん開発かいはつ余地よちのこされているものとみられる。

 だい世界せかい大戦たいせん世界せかいさかな種別しゅべつ生産せいさん推移すいいをみると、全体ぜんたいとして1970ねん以降いこう生産せいさんりょうびがおおきくんだが、とくに底魚そこうおるい生産せいさん一部いちぶ乱獲らんかくあらわ資源しげん状況じょうきょう悪化あっかし、マグロ資源しげん限界げんかいたっした。一部いちぶのクジラ資源しげんには減少げんしょうから絶滅ぜつめつひん(ひん)するものもてきたことから捕鯨ほげい禁止きんし主張しゅちょうつよまり、1982ねん国際こくさい捕鯨ほげい委員いいんかいで、沿岸えんがん捕鯨ほげいは1986ねん南氷洋なんぴょうよう捕鯨ほげいは1985ねんあきから商業しょうぎょう捕鯨ほげい全面ぜんめんてき禁止きんしする決定けっていがなされた。このように水産すいさん資源しげん一部いちぶには、需要じゅようつよさから、資源しげん自然しぜんてきさい生産せいさん限度げんどえた漁獲ぎょかくおこなわれ、資源しげん劣化れっかさせている状況じょうきょうがある。

 他方たほう海洋かいようには開発かいはつてい開発かいはつ漁場ぎょじょう水産すいさん資源しげんがあり、たとえば5000まんトンから1おく5000まんトンあるといわれるオキアミるい資源しげん有効ゆうこう利用りよう技術ぎじゅつ開発かいはつされれば、漁業ぎょぎょう生産せいさん飛躍ひやくてき増加ぞうかする可能かのうせいめている。それはスケトウダラのすり加工かこう技術ぎじゅつ開発かいはつが1960年代ねんだい日本にっぽん北洋ほくようにおけるスケトウダラ漁場ぎょじょう開発かいはつをもたらし、その漁獲ぎょかく急上昇きゅうじょうしょうさせたれいからもられるところである。しかし、そのような技術ぎじゅつ開発かいはつ今日きょうなお出現しゅつげんしていないとすれば、現在げんざい利用りようしている水産すいさん資源しげん自然しぜんてき限界げんかい前提ぜんていとしながら、それを合理ごうりてき開発かいはつ利用りようすることが、食料しょくりょう生産せいさん産業さんぎょうである世界せかい漁業ぎょぎょう課題かだいであり、そのためには各国かっこくあいだにおける協調きょうちょう生産せいさん調整ちょうせい必要ひつようとなる。200海里かいり水域すいいき設定せってい以後いご、ECでは、本格ほんかくてき水産すいさん資源しげん保存ほぞん合理ごうりてき利用りよう企図きとして、共通きょうつう漁業ぎょぎょう政策せいさく策定さくてい調整ちょうせいおこなわれているのである。

高山たかやま隆三りゅうぞう

水産物すいさんぶつ利用りよう

だい世界せかい大戦たいせん漁業ぎょぎょう生産せいさん増大ぞうだいささえたのは、世界せかいてき人口じんこう増加ぞうか基礎きそとする食料しょくりょうとしての水産物すいさんぶつ需要じゅようつよさであった。世界せかい漁獲ぎょかくりょうのうち食用しょくようとして利用りようされるものの割合わりあいは、1960年代ねんだい、70年代ねんだい初頭しょとうでは60%だい前半ぜんはんであったものが、1970年代ねんだい後半こうはんには70%前後ぜんこうとなり、1980年代ねんだいには74%程度ていどまで上昇じょうしょうし、年率ねんりつで3%きょうびをしめしている。もっとも、先進せんしん諸国しょこくでは食用しょくよう需要じゅようはほとんど停滞ていたいしており、そのびはしゅとして開発かいはつ途上とじょうこくにおける消費しょうひ拡大かくだいによるものである。

 1960年代ねんだい前半ぜんはんまでは、食用しょくようけられる漁獲ぎょかくぶつのうち生鮮せいせんひん供給きょうきゅうされるものの比率ひりつは50%であり、保存ほぞん方法ほうほうとしては旧来きゅうらいからの塩蔵えんぞう乾燥かんそう薫製くんせいなどの比率ひりつが20%以上いじょう冷凍れいとうが15%前後ぜんこうのこりは缶詰かんづめであった。しかし、冷凍れいとう施設しせつ整備せいびすすんでくるにしたがって冷凍れいとうひん比率ひりつたかまり、1983ねんには31%となり、生鮮せいせんひんは32%に低下ていかした。すなわち、世界せかいてきにみた場合ばあい漁獲ぎょかくりょうの3ぶんの1が生鮮せいせん供給きょうきゅうされ、3ぶんの2が加工かこうけられ、そのなかでも、冷凍れいとうけられるものが旧来きゅうらい加工かこう缶詰かんづめ仕向しむけられるものを上回うわまわる。魚類ぎょるい保存ほぞん方法ほうほうとしては冷凍れいとうおもとなっており、とくに先進せんしんこくではその傾向けいこういちじるしい。1980ねんにイギリスでは、食用しょくようけのうち塩蔵えんぞうなどにけられたものは1.4%にすぎず、43%が冷凍れいとうけられている。しかしフランスでは、83%が生鮮せいせんけで、冷凍れいとうけは3%にすぎない。日本にっぽんでは、生鮮せいせんけが46%、冷凍れいとうけが32%となっており、1970ねんから1984ねんまでに冷蔵れいぞう能力のうりょくは37%びている。アメリカでは生鮮せいせんひん冷凍れいとうひんとの区別くべつがなく、質的しつてき同一どういつのものとしてあつかわれている。生鮮せいせん冷凍れいとうけの比率ひりつやく67%、缶詰かんづめけは31%。缶詰かんづめけのシェアがたかいことが特徴とくちょうである。

 食料しょくりょうとしての水産物すいさんぶつ消費しょうひのされかたは、各国かっこく漁業ぎょぎょう生産せいさん歴史れきしと、そこで形成けいせいされてきた魚類ぎょるい消費しょうひ習慣しゅうかんによってことなっており、先進せんしん諸国しょこく国民こくみん1にん1にちあた供給きょうきゅう栄養えいようぎょ貝類かいるいタンパク質たんぱくしつりょうをみると、1978ねんにイギリス、アメリカ、カナダ、きゅう西にしドイツで2グラムだい、フランスで5グラムじゃく、デンマークが10グラム前後ぜんこう日本にっぽんが17グラムで、日本にっぽんいちじるしくたかく、供給きょうきゅう栄養えいよう動物どうぶつせいタンパク質たんぱくしつのうちさかな貝類かいるいめる割合わりあいは、イギリス・アメリカで3%だい、フランスで6%、日本にっぽんは45%前後ぜんこうとなっている。このような相違そういはあるにしても、先進せんしん諸国しょこくでは、生鮮せいせんあるいは冷凍れいとうひんという形態けいたい漁獲ぎょかくぶつ流通りゅうつうする傾向けいこうが、冷蔵れいぞう冷凍れいとう施設しせつ運輸うんゆ手段しゅだん整備せいびによってつよまってきている。こうしたなかで1980年代ねんだい欧米おうべい先進せんしんこくにおいて、水産物すいさんぶつ健康けんこう食品しょくひんとしての価値かちさい評価ひょうかされてきたこともあって、魚類ぎょるい需要じゅようたかまる兆候ちょうこうがみられる。アメリカにおけるずし(すし)の普及ふきゅうはそのいちれいとしてあげられるであろう。

 漁獲ぎょかくぶつのうち、魚粉ぎょふん魚油ぎょゆ原料げんりょうという食用しょくようけには、食用しょくよう需要じゅようえた部分ぶぶんがあてられてきた。だい世界せかい大戦たいせん、とくに1970ねんまでの漁業ぎょぎょう生産せいさん急速きゅうそくびは、食用しょくようけの魚粉ぎょふん生産せいさんりょう増大ぞうだいさせてきたが、1970年代ねんだい前半ぜんはん漁業ぎょぎょう生産せいさん低迷ていめいと、漁獲ぎょかくぶつ食用しょくようとしての需要じゅようたかまってきたことから、1970年代ねんだい後半こうはんから、世界せかい魚粉ぎょふん魚油ぎょゆ原料げんりょうけの総量そうりょうは、漁獲ぎょかくりょう増大ぞうだいしてきたにもかかわらず、1900まんトン前後ぜんこう推移すいいしており、したがって、そう漁獲ぎょかくりょうちゅうめる割合わりあいは、1975ねんの30%前後ぜんこうから、1983ねんには25%へと低下ていかしている。ただし、日本にっぽんは、イワシの生産せいさんりょう増加ぞうかと、飼料しりょう養殖ようしょく漁業ぎょぎょうようえさりょう需要じゅよう増大ぞうだいによって、食用しょくよう水産物すいさんぶつりょうは1975ねんの236まんトンから1984ねんの455まんトンに増加ぞうかし、その割合わりあいも23%から38%へとたかまっている。

高山たかやま隆三りゅうぞう

水産物すいさんぶつ貿易ぼうえき動向どうこう

だい世界せかい大戦たいせん水産物すいさんぶつ貿易ぼうえきは、先進せんしん諸国しょこく、なかでも、アメリカ、日本にっぽんのエビ、マグロ、サケ、マスなどこう価格かかくぎょしゅへの需要じゅよう背景はいけいとする、開発かいはつ途上とじょうこくなどからのそれらの輸入ゆにゅうと、一方いっぽうにおける先進せんしんこくから開発かいはつ途上とじょうこくへのイワシ・サバ缶詰かんづめなどてい価格かかくぎょしゅ加工かこうひん輸出ゆしゅつとを中心ちゅうしんびてきた。

 水産物すいさんぶつ国際こくさいてき取引とりひきは、すでに中世ちゅうせいヨーロッパの塩蔵えんぞうにしん、乾燥かんそうたらをはじめ、しお干物ひものおもであり、日本にっぽん江戸えど時代じだいにおける清国きよくにへの輸出ゆしゅつ水産物すいさんぶつも、しあわび、ふかひれ、しなまこのいわゆるたわらぶつさんひんをはじめとして、昆布こぶ、するめなどの干物ひものであった。水産物すいさんぶつ貿易ぼうえきにおいても、その拡大かくだいうながしたのは、近代きんだいにおける缶詰かんづめおよび冷凍れいとう技術ぎじゅつ発達はったつであった。だいいち世界せかい大戦たいせん契機けいきとする日本にっぽん欧米おうべい水産すいさん缶詰かんづめ輸出ゆしゅつ増大ぞうだいは、北洋ほくようにおけるカニ、サケ・マス工船こうせん漁業ぎょぎょう発達はったつ促進そくしんし、1935ねん昭和しょうわ10)前後ぜんこうには、缶詰かんづめに、魚粉ぎょふん鯨油げいゆ冷凍れいとうまぐろ、真珠しんじゅ輸出ゆしゅつくわわって、水産物すいさんぶつ日本にっぽん五大ごだい輸出ゆしゅつひん一角いっかくめるにいたったのである。

 だい世界せかい大戦たいせん世界せかい水産物すいさんぶつ貿易ぼうえきでは、冷凍れいとうひん主要しゅよう形態けいたいとなり、腐敗ふはいせいたかいエビを冷凍れいとう技術ぎじゅつによって国際こくさいてき商品しょうひん仕立したてていった。日本にっぽん戦後せんご高度こうど成長せいちょうによる所得しょとく増大ぞうだいによって、エビ、マグロ、サケなどの特定とくてい水産物すいさんぶつ需要じゅよう増加ぞうかさせ、欧米おうべいだい部分ぶぶんくに同様どうように、1971ねんには水産物すいさんぶつ輸入ゆにゅうこくとなり、以後いご急速きゅうそく輸入ゆにゅうりょうがくとも増加ぞうかさせた。がくでは、1971ねん以降いこうアメリカに世界せかいだい輸入ゆにゅうこくとなり、1970年代ねんだい後半こうはんにはアメリカをえる場合ばあいもあるほどの、アメリカとならんだ水産物すいさんぶつ輸入ゆにゅう大国たいこくとなった。この急激きゅうげき輸入ゆにゅう拡大かくだいには、1977ねん世界せかいの200海里かいり水域すいいき設定せっていという、水産すいさん資源しげん国際こくさいてきさい分割ぶんかつという事情じじょう作用さようしている。1984ねんには、ドル表示ひょうじで1970ねん輸入ゆにゅうがくやく20ばいになった。他方たほう輸出ゆしゅつは、同期どうきあいだに4ばいびたにとどまっている。水産物すいさんぶつ輸入ゆにゅうりょうは、1977ねんに100まんトンをし、また輸入ゆにゅう金額きんがくも1982ねんには1ちょうえんだいたっした。1984ねん水産物すいさんぶつ輸入ゆにゅう数量すうりょうの82%が生鮮せいせん冷蔵れいぞう冷凍れいとうひんで、加工かこう調製ちょうせいひん割合わりあい数量すうりょう金額きんがくともにひくい。水産物すいさんぶつ輸入ゆにゅう金額きんがくのうちエビのみで3000おくえんえ、水産物すいさんぶつ輸入ゆにゅう品目ひんもくの1であるだけでなく、1980年代ねんだいはいって、その輸入ゆにゅうがくは、日本にっぽん食用しょくよう小麦こむぎ輸入ゆにゅうがく上回うわまわるものとなってきている。

 アメリカは、輸入ゆにゅうがく増大ぞうだいしてきたが、それ以上いじょう輸出ゆしゅつりつたかく、輸出ゆしゅつがくは1970年代ねんだい後半こうはんには日本にっぽんかたならべるようになり、カナダに有数ゆうすう輸出ゆしゅつこくとなってきている。アメリカは200海里かいり体制たいせい以降いこうたいにち水産物すいさんぶつ輸出ゆしゅつ急増きゅうぞうさせ、1984ねんには、日本にっぽん水産物すいさんぶつ輸入ゆにゅうにおいては、数量すうりょう金額きんがくえん表示ひょうじ)とも、韓国かんこくいてだい1めるにいたった。アメリカは戦前せんぜんから日本にっぽん水産物すいさんぶつ主要しゅよう輸入ゆにゅうこくであったが、1977ねん以後いごたいにち輸出ゆしゅつ日本にっぽんからの輸入ゆにゅう上回うわまわり、農産物のうさんぶつはもちろんのこと水産物すいさんぶつでもたいにち輸出ゆしゅつこくとなったのである。その品目ひんもくでも、かつて日本にっぽんからの輸入ゆにゅうひんであったサケ・マスを、冷凍れいとう冷蔵れいぞうひんとして大量たいりょう日本にっぽんけに輸出ゆしゅつするようになり、1984ねん日本にっぽん冷凍れいとうサケ・マス輸入ゆにゅうりょうの86%がアメリカからのもので、その金額きんがくはアメリカの水産物すいさんぶつ輸出ゆしゅつがくやく3ぶんの1をめる重要じゅうようなものである。このようなアメリカのサケ・マスたいにち輸出ゆしゅつ増加ぞうかは、ははかわこく主義しゅぎつよめ、ロシア連邦れんぽう同様どうように、日本にっぽん北洋ほくよう公海こうかいにおけるサケ・マスの漁獲ぎょかくつよ規制きせいしているのである。

高山たかやま隆三りゅうぞう

水産すいさんぎょう現況げんきょう

現代げんだいにおける水産すいさんぎょうは、200海里かいり体制たいせい以降いこう、200海里かいり水域すいいきないへの他国たこく漁船ぎょせん入漁にゅうぎょ関係かんけい漁業ぎょぎょう合弁ごうべん企業きぎょう設立せつりつなど国際こくさいてき関係かんけいふかめてきている。また先進せんしん諸国しょこく内部ないぶでは、漁業ぎょぎょう生産せいさん加工かこう製造せいぞう流通りゅうつう消費しょうひかく過程かてい緊密きんみつ複雑ふくざつ関連かんれん発展はってんし、たとえばEC諸国しょこくにおいては、海上かいじょうにおける1人ひとり職場しょくばが、陸上りくじょうにおける5にん職場しょくばをつくりだすと見積みつもられている。これには、漁船ぎょせん建造けんぞう修理しゅうり漁網ぎょもう漁具ぎょぐ生産せいさんから、水産すいさん加工かこう製造せいぞう冷凍れいとう冷蔵れいぞう機器きき製造せいぞう冷凍れいとう冷蔵庫れいぞうこ建設けんせつ水産物すいさんぶつ運搬うんぱんようのトラック製造せいぞう卸売おろしうり小売こうりぎょう等々とうとうひろ分野ぶんやふくまれている。

 日本にっぽんでは、1983ねん水産すいさん食料しょくりょうひん製造せいぞうぎょう従事じゅうじしゃ4にん以上いじょう事業じぎょうしょすうは1まん1000、従業じゅうぎょうしゃすうは20まん1000にん生鮮せいせんぎょかい卸売おろしうりぎょうが1まん3000てん従業じゅうぎょうしゃすう11まん6000にん鮮魚せんぎょ乾物かんぶつ小売こうりぎょうが6まん5000てん従業じゅうぎょうしゃすう17まん1000にんとなっており、漁業ぎょぎょう直接的ちょくせつてき関連かんれんをもつこれらの分野ぶんや従業じゅうぎょうしゃだけで、漁業ぎょぎょう就業しゅうぎょうしゃやく4まんにん上回うわまわっている。しかし、鮮魚せんぎょ乾物かんぶつ小売こうりぎょうみせすう従業じゅうぎょうしゃすうともに1976ねん以降いこう減少げんしょう傾向けいこうをみせている。これは、家庭かていない調理ちょうり簡便かんべん共働ともばたら家庭かてい増加ぞうか背景はいけいすすんできたことの反映はんえいとみられる。さかな貝類かいるい摂取せっしゅりょうそのものは、外食がいしょく高次こうじ加工かこうひんへの消費しょうひ移行いこうもあって、ほとんど変化へんかをみせていない。水産すいさん食料しょくりょうひん製造せいぞうぎょうは、事業じぎょうしょ従業じゅうぎょうしゃ4にん以上いじょう)の総数そうすうにはおおきな変化へんかがみられないが、冷凍れいとう水産すいさん食品しょくひん製造せいぞうぎょう事業じぎょうしょが1975ねんから1983ねんあいだに2ばい以上いじょう増加ぞうかしめしている。水産物すいさんぶつ輸送ゆそうについては、1960年代ねんだいから、鉄道てつどうにかわって、荷積にづみ・ろしが容易よういで、配送はいそう便利べんり時間じかん短縮たんしゅくはかれるトラックが主役しゅやくえんじるようになり、主要しゅよう漁港ぎょこうから消費しょうひ市場いちばへの出荷しゅっかは1982ねんにはトラック輸送ゆそうによるものが90%をえるにいたった。また一部いちぶこう価格かかく生鮮せいせんぎょ貝類かいるいなどが、国内こくないで、あるいは海外かいがいから空輸くうゆされるようになってきている。

高山たかやま隆三りゅうぞう

水産すいさんぎょう役割やくわり課題かだい

水産物すいさんぶつは、食料しょくりょうとして、歴史れきしてき動物どうぶつせいタンパク質たんぱくしつ供給きょうきゅうおおきな役割やくわりたしてきた。だい大戦たいせんだけをみても、水産すいさんぎょうは、世界せかいてき人口じんこう増加ぞうかささえる食料しょくりょう供給きょうきゅう一端いったんになってきた。食料しょくりょうとしての水産物すいさんぶつへの需要じゅようは、世界せかい各地かくち歴史れきしてき形成けいせいされてきたしょく習慣しゅうかんによっておおきくことなり、先進せんしん諸国しょこくにおいても、ヨーロッパ諸国しょこく日本にっぽんくらべれば、さかな貝類かいるいからの動物どうぶつせいタンパク質たんぱくしつ摂取せっしゅりょうすくなく、また畜産ちくさんぶつくらべても量的りょうてきすくない。そのヨーロッパでさえ、さかな貝類かいるいタンパク質たんぱくしつ供給きょうきゅうりょうをすべて畜産ちくさんぶつ供給きょうきゅうするとすれば、ヨーロッパの耕地こうち面積めんせきの40%にあたる6000まんヘクタールを必要ひつようとするという試算しさんおこなわれている。

 このような観点かんてんにたつと、水産すいさんぎょうは、食料しょくりょうとしての動物どうぶつせいタンパク質たんぱくしつ供給きょうきゅうにとって重要じゅうようであるだけではなく、地球ちきゅうじょう陸地りくちの、さらにかぎられた農用地のうようち代替だいたいという重要じゅうよう役割やくわりたしていることになる。日本にっぽんは1984ねん飼料しりょう穀物こくもつを2000まんトン輸入ゆにゅうし、くわえて70まんトンのにく輸入ゆにゅうしているが、さかな貝類かいるいによる動物どうぶつせいタンパク質たんぱくしつ供給きょうきゅうをかりに畜産ちくさんぶつおこなうとすれば、さらに2000まんトンの飼料しりょう穀物こくもつ輸入ゆにゅう必要ひつようとなると見積みつもられるし、このためには最低さいていでも、日本にっぽん耕地こうち面積めんせきをはるかに上回うわまわる1000まんヘクタールの農用地のうようち必要ひつようとすることになるのである。

 今後こんご人口じんこう増加ぞうかかぎられた農用地のうようち見通みとおすとき、食料しょくりょう供給きょうきゅうげんとしての海洋かいようと、食料しょくりょうとしての水産物すいさんぶつ効率こうりつてき利用りようがいっそうつよもとめられることになる。水産すいさん資源しげん開発かいはつてい開発かいはつがある一方いっぽう歴史れきしてきはやくから開発かいはつされた漁場ぎょじょうでは、水産すいさん資源しげん自然しぜんてき限界げんかいえる過度かど利用りようが、近代きんだい以降いこう漁業ぎょぎょう生産せいさんりょく発展はってん漁業ぎょぎょう経営けいえいあいだ過当かとう競争きょうそうによってこされてきた。乱獲らんかくによる資源しげん枯渇こかつふせぐため、各国かっこくにおいて漁業ぎょぎょう生産せいさん規制きせいはかられ、国際こくさいてきにも漁業ぎょぎょう条約じょうやくによって水産すいさん資源しげん適正てきせい利用りようはか努力どりょくはらわれてきたが、その効果こうか十分じゅうぶんなものではなかった。

 1977ねんの200海里かいり体制たいせいという海洋かいよう利用りよう秩序ちつじょさい編成へんせいは、水産すいさん資源しげん利用りよう秩序ちつじょあらたに形成けいせいさせる契機けいきとなったのであるが、各国かっこくかこんだ200海里かいり水域すいいき水産すいさん資源しげん合理ごうりてき利用りよう管理かんりすることは各国かっこく課題かだいであり、利益りえきであるだけではなく、人類じんるい存続そんぞくにとっての責務せきむということになろう。そのためには、水産すいさん資源しげん管理かんり有効ゆうこう利用りよう、その技術ぎじゅつ開発かいはつくわえて、海洋かいよう汚染おせん防止ぼうしが、それぞれのくに水産すいさん資源しげん維持いじにとっても必要ひつようであり、国際こくさいてき汚染おせん防止ぼうし協調きょうちょう体制たいせい確立かくりつ要請ようせいされるのである。

高山たかやま隆三りゅうぞう

高山たかやま隆三りゅうぞう編著へんちょ現代げんだい水産すいさん経済けいざいろん』(1982・北斗ほくと書房しょぼう)』谷川たにがわ英一ひでかず田村たむらただしちょ新編しんぺん水産すいさんがく通論つうろん』(1977・恒星こうせいしゃ厚生こうせいかく)』網野あみの善彦よしひこへんしおぎょう漁業ぎょぎょう』(『講座こうざ日本にっぽん技術ぎじゅつ社会しゃかい だい2かん』1985・日本にっぽん評論ひょうろんしゃ)』『レイ・タナヒルちょ小野村おのむら正敏まさとしやく食物しょくもつ歴史れきし』(1980・評論ひょうろんしゃ)』篠田しのだみつるちょ中国ちゅうごく食物しょくもつ』(1974・柴田しばた書店しょてん)』『European Communities-CommissionThe European Community's Fishery Policy (1985, Office for Official Publications of the European Communities, Luxemburg)』

出典しゅってん 小学館しょうがくかん 日本にっぽんだい百科全書ひゃっかぜんしょ(ニッポニカ)日本にっぽんだい百科全書ひゃっかぜんしょ(ニッポニカ)について 情報じょうほう | 凡例はんれい

改訂かいてい新版しんぱん 世界せかいだい百科ひゃっか事典じてん水産すいさんぎょう」の意味いみ・わかりやすい解説かいせつ

水産すいさんぎょう (すいさんぎょう)

みずかい動植物どうしょくぶつ生産せいさん対象たいしょうとしておこなわれる漁業ぎょぎょう養殖ようしょく,その生産せいさんぶつ原料げんりょうとする水産すいさん加工かこう生鮮せいせんおよび加工かこう水産物すいさんぶつ輸送ゆそう保管ほかん流通りゅうつう以上いじょうかく事業じぎょう分野ぶんや包括ほうかつするものとして水産すいさんぎょうという用語ようごがある。漁業ぎょぎょう養殖ようしょくぎょうのいずれも,その生産せいさんぶつ生物せいぶつであるところから,品質ひんしつ変化へんかおおきくかつ急速きゅうそくであり,品質ひんしつ劣化れっか腐敗ふはいによって商品しょうひんとしての使用しよう価値かちそこないやすい性質せいしつをもっている。このため,加工かこう輸送ゆそう保管ほかん過程かてい漁業ぎょぎょう養殖ようしょく生産せいさん過程かていおとらずおおきな経済けいざいてき意味いみをもち,かつ相互そうご緊密きんみつ関係かんけいむすんで全体ぜんたいとして産業さんぎょうから独立どくりつしたひとつの産業さんぎょうシステムを形成けいせいしているめんがある。漁業ぎょぎょう一般いっぱん養殖ようしょくぎょうふく名称めいしょうにもなる)という用語ようごのほかに,とくに水産すいさんぎょうという総称そうしょうもちいられるゆえんである。漁業ぎょぎょう発展はってん歴史れきし(とくにだい2大戦たいせんまえまで)については〈漁業ぎょぎょう〉のこうくわしいので参照さんしょうされたい。
水産すいさん加工かこう

FAO統計とうけいは1938ねん世界せかいそう漁業ぎょぎょう生産せいさんりょうを2110まんtとしており,この程度ていどだい2大戦たいせんまえ最高さいこう水準すいじゅん推定すいていされる(ひょう)。戦争せんそう影響えいきょう生産せいさん停滞ていたいさらには低下ていかこるが,その回復かいふく比較的ひかくてきはやく,50ねんには戦前せんぜん水準すいじゅんの2110まんt,55ねん2890まんt,そして60ねんには4020まんtになり,そのもほとんど直線ちょくせんてき生産せいさん増加ぞうかつづけて70ねん生産せいさんりょうは6558まんtにたっする。世界せかい生産せいさんりょう戦後せんごはじめて減少げんしょうをみせたのは1969ねんで,これ以降いこう長期ちょうきてきには増勢ぞうせい維持いじしているとはいえ非常ひじょうゆるやかなものになり,かつ不規則ふきそくとし変動へんどうしめ不安定ふあんていなものにわってきている。1960年代ねんだい生産せいさんりょう平均へいきんりつは5.3%と非常ひじょうたかかったのが,70年代ねんだいには1.2%に低下ていかし,世界せかい人口じんこうりつ1.8%を下回したまわるものになってしまった。ひとつには,すんで開発かいはつ水産すいさん資源しげん自然しぜんてき限界げんかいせい発現はつげんによるが,同時どうじ資源しげん利用りようたいする国際こくさい規制きせい強化きょうか国際こくさい通貨つうか不安ふあんや73ねん,79ねんと2にわたる石油せきゆ危機きき発生はっせい,さらには200カイリ水域すいいきせい国際こくさいてき定着ていちゃくといった社会しゃかい経済けいざい環境かんきょう激変げきへんが,漁業ぎょぎょう生産せいさん成長せいちょう世界せかいてき規模きぼ抑制よくせいし,かつ変動へんどうさせるようになったためである。

 世界せかい漁業ぎょぎょうこくのなかで際立きわだって生産せいさんりょうおおくに日本にっぽんソ連それんである。81ねんそう生産せいさんりょう7476まんtのうち日本にっぽん1066まんt,ソ連それん955まんtで,両国りょうこくだけで全体ぜんたいの27.1%をめる。3中国ちゅうごくで461まんt,以下いか10まではアメリカ377まんt,チリ339まんt,ペルー275まんt,ノルウェー255まんt,インド242まんt,韓国かんこく237まんt,インドネシア186まんtというじゅんになる。日本にっぽん漁業ぎょぎょう生産せいさんりょうは,だい2大戦たいせんちゅう大幅おおはば減産げんさん状態じょうたいからさい出発しゅっぱつして急速きゅうそくかつ持続じぞくてき増加ぞうかをみせ,1976ねんには1066まんtにたっしたが,ソ連それん生産せいさんりつはそれ以上いじょうおおきく,1948ねんの149まんtから76ねんの1013まんt(同国どうこく最高さいこう記録きろく)へと日本にっぽんとほぼ同等どうとう水準すいじゅんまで増大ぞうだいした。70年代ねんだい増勢ぞうせいからみて,77ねんの200カイリせいへの移行いこうがなければ,ソ連それんはおそらく日本にっぽんいて世界せかいだい1水産すいさんこくになっていたにちがいない。日本にっぽん世界せかい有数ゆうすう遠洋えんよう漁業ぎょぎょうこくであり,1976ねんそう生産せいさんりょうの33%を外国がいこくの200カイリ水域すいいきにおける漁獲ぎょかく依存いぞんしていた。しかしソ連それん日本にっぽん以上いじょうにその傾向けいこうつよく,世界せかい漁場ぎょじょうけての遠洋えんよう漁業ぎょぎょう拡大かくだいつうじて同国どうこく急速きゅうそく生産せいさん増加ぞうかはかってきたのである。100トン以上いじょう大型おおがた漁船ぎょせんについてみると,ソ連それん保有ほゆう隻数せきすう日本にっぽんを2,3わり上回うわまわ程度ていどであるが,トン数とんすうのほうは3ばい以上いじょう規模きぼであり,世界せかい総トン数そうとんすうやく4わりめる。しかも200カイリせい以降いこうもその態勢たいせいえていない。

 戦後せんご日本にっぽんはおおむね世界せかいだい1漁業ぎょぎょう生産せいさんつづけてきたが,1962ねんから71ねんまでの10年間ねんかんはペルーが700まんtから1000まんtだい生産せいさんをあげ,日本にっぽんした。これは同国どうこく沿岸えんがん水域すいいきのカタクチイワシ資源しげんちょぞうによるもので,日本にっぽんソ連それんにおける近代きんだいてき生産せいさん技術ぎじゅつ大量たいりょう漁獲ぎょかく手段しゅだん投入とうにゅうによって構成こうせいされた生産せいさんりょくとはしつことにする。したがって,漁況ぎょきょう変化へんかによってどうさかなしゅ資源しげん減退げんたいすると,漁業ぎょぎょう生産せいさんのほうも72ねん以降いこう急激きゅうげき減少げんしょうしてしまった。だい3中国ちゅうごくは,その広大こうだい内陸ないりくにおける淡水魚たんすいぎょ生産せいさん(129まんt,1981),および海藻かいそう生産せいさん(139まんt,どう)の比重ひじゅうおおきいてん特徴とくちょうがある。同国どうこく自然しぜん条件じょうけん人口じんこうすうからかんがえて将来しょうらい飛躍ひやく予想よそうされるが,FAO統計とうけいるかぎり,80年代ねんだい前半ぜんはんまではまだその明確めいかく兆候ちょうこうあらわしていない。上記じょうきくに以外いがいは,各国かっこくそれぞれの年次ねんじ変動へんどうせながら,そうじて発展はってん途上とじょうこく生産せいさん先進せんしんこくびを上回うわまわかたち推移すいいし,ことに1970年代ねんだいは,デンマークをのぞいてアメリカ,カナダ,ノルウェー,スペインといった先進せんしん資本しほん主義しゅぎこく漁業ぎょぎょう生産せいさんはいずれも停滞ていたい状態じょうたいおちいった。

 1977ねんの200カイリせいへの移行いこうは,そうした各国かっこく漁業ぎょぎょう推移すいいのなかで,水産すいさん資源しげん国際こくさいてきさい分割ぶんかつという様相ようそう色濃いろこあらわしている。すなわち,77ねん以降いこう顕著けんちょ減産げんさんしめしたのがソ連それん筆頭ひっとうにノルウェー,スペイン,イギリスといった遠洋えんよう漁業ぎょぎょうこくであり,ぎゃく顕著けんちょ増産ぞうさんしめしているのはアメリカ,カナダ,メキシコ,アイスランド,フィリピン,インドネシアといった沿岸えんがん漁業ぎょぎょうこくである。他方たほう世界せかいそう漁業ぎょぎょう生産せいさんりょうは1970-75ねん平均へいきん年率ねんりつ-0.32%の停滞ていたいから,75-81ねんには平均へいきん3.55%のびにてんじているから,結局けっきょく200カイリせいはそれが漁業ぎょぎょう生産せいさん抑制よくせいてきはたらいためんよりも,沿岸えんがん近海きんかい漁業ぎょぎょうあらたな条件じょうけん刺激しげきあた促進そくしんてき作用さようしためんのほうが,世界せかい全体ぜんたいとしてはよりおおきかったといえるであろう。

世界せかい漁業ぎょぎょう生産せいさんだい部分ぶぶん海面かいめんからの漁獲ぎょかくである。中国ちゅうごくのようにうち水面すいめん漁業ぎょぎょう比重ひじゅうおおきなくにもあるが,世界せかい全体ぜんたいうち水面すいめん漁業ぎょぎょう生産せいさんは11%(1981)にすぎない。また,養殖ようしょく生産せいさん比重ひじゅうは,日本にっぽんのようにさかんなくにでも数量すうりょうで9%,金額きんがくで19%である。なお日本にっぽん漁業ぎょぎょう種類しゅるいべつ生産せいさんだかをみると,1973ねん以降いこう遠洋えんよう漁業ぎょぎょう激減げきげんし,沖合おきあい漁業ぎょぎょうびている()。海面かいめん漁業ぎょぎょう主要しゅよう生産せいさん水域すいいききた半球はんきゅうであり,太平洋たいへいようおよび大西洋たいせいよう北部ほくぶ水域すいいき生産せいさんりょう世界せかい総量そうりょうの49%にたっする。とくに日本にっぽん周辺しゅうへん水域すいいき漁場ぎょじょうゆたか際立きわだってたか水域すいいきで,ソ連それん韓国かんこく中国ちゅうごくふく太平洋たいへいよう北西ほくせいいき海面かいめん漁業ぎょぎょう生産せいさんりょうぜん世界せかいの30%をめる。これにぐのが,ヨーロッパ諸国しょこく伝統でんとうてき漁場ぎょじょう北海ほっかいをはじめとする大西洋たいせいよう北東ほくとういきで,その生産せいさん割合わりあいは17%である。以上いじょうの2水域すいいき以外いがいでは,太平洋たいへいよう南東なんとう(10%)とどう中西部ちゅうせいぶ(9%)の生産せいさんおおきい。前者ぜんしゃはチリ,ペルーにおけるマイワシ,カタクチイワシ,アジの特定とくていぎょしゅ集中しゅうちゅうした大量たいりょう漁獲ぎょかくによるものであり,後者こうしゃはインドネシア(187まんt),フィリピン(174まんt),タイ(165まんt),ベトナム(80まんt)といった比較的ひかくてき生産せいさん規模きぼのそろった多数たすうくにが,多種たしゅ資源しげん対象たいしょうにこの水域すいいき集約しゅうやくてき利用りようしているところに特徴とくちょうがある。

 漁業ぎょぎょうによる資源しげん開発かいはつ度合どあいかく水域すいいきによってさまざまであるが,世界せかい全体ぜんたいとして将来しょうらいどの程度ていどまで漁獲ぎょかくばすことができるかを推定すいていしたおおくの試算しさんがある。それらの推定すいていは,理論りろん方法ほうほうちがいにより,5000まんt程度ていどから20おくtまで非常ひじょうおおきな差異さいがあるが,そのなかのひとつ,FAOが計測けいそくした1976ねん基準きじゅん漁獲ぎょかく増加ぞうか可能かのうりょうつぎのとおりである。すなわち,そこ魚類ぎょるい1500まんt,小型こがた表層ひょうそうぎょ(とくにカタクチイワシ資源しげん回復かいふく関係かんけいする)2500まん~3000まんt,そのぎょしゅしゅとしてカツオなどの大型おおがた表層ひょうそうぎょ)200まんt,あたまあしるいしゅとして外洋がいようせいのイカるい)1000まん~1おくtあまり中層ちゅうそう魚類ぎょるい(ハダカイワシなど)おそらく1おくt,オキアミるい5000まん~1.5おくtあまり,その甲殻こうかくるい100まんt,淡水魚たんすいぎょるい500まんt,養殖ようしょく2000まん~4000まんtあまりであり,以上いじょう合計ごうけいすると2.3おく~4.45おくtあまりになる。

 この推定すいていからわかるように,漁獲ぎょかくあるいは利用りよう加工かこうじょう技術ぎじゅつてき限界げんかい経済けいざいてき条件じょうけんとう捨象しゃしょうし,かつたんなる物量ぶつりょう(つまり人間にんげん生存せいぞんのための栄養えいようりょう)として水産すいさん資源しげんからの生産せいさん可能かのうりょうをとらえるのであれば,現在げんざい食用しょくよう数量すうりょうが5000まんtだいであることからみて,当面とうめんはまだ漁業ぎょぎょう生産せいさん絶対ぜったいてき限界げんかい問題もんだいにしなくてもよいであろう。しかし,現在げんざい消費しょうひ技術ぎじゅつ経済けいざいしょ条件じょうけんのもとで生産せいさん対象たいしょうとなりうるさかなしゅ漁場ぎょじょうかぎられており,漁獲ぎょかく努力どりょくがそれら特定とくてい資源しげん集中しゅうちゅうするため,その自然しぜんてき限界げんかいからこる乱獲らんかく問題もんだい世界せかい各地かくち発生はっせいしている。一方いっぽうにおける資源しげん開発かいはつないしてい開発かいはつと,他方たほうにおける過大かだい開発かいはつとが混在こんざいしているのである。そうした乱獲らんかくによる資源しげん壊滅かいめつ漁業ぎょぎょう経営けいえい破綻はたん(はたん)をふせぐため,おおくの国際こくさい漁業ぎょぎょう条約じょうやく国家こっかあいだむすばれ,それにもとづく資源しげん管理かんり機関きかん設置せっちされてきた(〈国際こくさい漁業ぎょぎょう〉のこう参照さんしょう)。国際こくさい捕鯨ほげい委員いいんかい(IWC),きた太平洋たいへいようオットセイ委員いいんかい(NPFSC),太平洋たいへいようオヒョウ国際こくさい委員いいんかい(IPHC),北西ほくせい大西洋たいせいよう漁業ぎょぎょう国際こくさい委員いいんかい(ICNAF,1979ねん北西ほくせい大西洋たいせいよう漁業ぎょぎょう機構きこうNAFOに改組かいそ),全米ぜんべい熱帯ねったいマグロるい委員いいんかい(IATTC),大西洋たいせいようマグロるい保存ほぞん国際こくさい委員いいんかい(ICCAT)とうである。しかし少数しょうすう例外れいがいてき成功せいこうがあるだけで,おおくの場合ばあい資源しげん適正てきせい利用りよう実現じつげんにはいたらなかった。1977ねんからの200カイリせいによって,それらの国際こくさいてき機構きこうはほとんどみな事実じじつじょう変質へんしつせまられ,世界せかいいまあたらしい資源しげん利用りよう秩序ちつじょ形成けいせいする過渡かとにある。
水産すいさん資源しげん

漁業ぎょぎょう生産せいさんぶつ利用りよう形態けいたいのうち魚粉ぎょふん魚油ぎょゆとう食用しょくよう数量すうりょうは,1970年代ねんだいはじめにペルーのカタクチイワシ減産げんさん影響えいきょうして2000まんtの水準すいじゅん低下ていかしたのち,72ねん以降いこうおおくても2300まんtとまりで10年間ねんかんにわたりよこばいをつづけている。資源しげん自然しぜんてき増大ぞうだいによる漁獲ぎょかくぞう食用しょくよう需要じゅようえたぶんだけ食用しょくようまわるといっためんつよく,その数量すうりょう変動へんどう多分たぶん自然しぜん依存いぞん受動じゅどうてきである。それとは対照たいしょうてき食用しょくよう数量すうりょうは,1960年代ねんだい,70年代ねんだいとも年率ねんりつで3%ちかくの増大ぞうだいつづけた。もっともその内訳うちわけくにべつると,先進せんしんこく場合ばあい微増びぞう,とくに70年代ねんだいはほとんどよこばいで,全体ぜんたいりょう拡大かくだい傾向けいこうささえたのは,60年代ねんだい3%つよし,70年代ねんだい5%きょうという発展はってん途上とじょうこくにおける顕著けんちょ食用しょくよう水産物すいさんぶつ仕向しむけの増大ぞうだいである。また食品しょくひん形態けいたいべつでは生鮮せいせんひんよこばいにたいし,しおかおる製品せいひん缶詰かんづめ冷凍れいとうひん加工かこう水産物すいさんぶつ増加ぞうかしており,とくに冷凍れいとうひん増加ぞうか傾向けいこう目立めだつ。

 途上とじょうこくにおける食用しょくよう水産物すいさんぶつ生産せいさん増加ぞうかは,ひとつには国内こくない消費しょうひ増加ぞうかによるけれども,よりおおきな要因よういんとして先進せんしんこくへの輸出ゆしゅつ増加ぞうかがある。国際こくさい貿易ぼうえきながれとしては,途上とじょうこくから先進せんしんこくへのこう価格かかくぎょ(エビ,イカ,タコなどの冷凍れいとうひん)の輸出ゆしゅつ先進せんしんこくから途上とじょうこくへのてい価格かかくぎょ(サバ,イワシ缶詰かんづめとう)の輸出ゆしゅつびてきた。このことをもっと典型てんけいてき展開てんかいしたのが日本にっぽんである。日本にっぽん高度こうど成長せいちょうのなかでされたたか国際こくさいてき購買こうばいりょくと,水産物すいさんぶつたいする強度きょうど選択せんたくてき需要じゅようとを背景はいけい水産物すいさんぶつ輸入ゆにゅうを70年代ねんだい急激きゅうげき拡大かくだいし,さらに200カイリせいによる資源しげん国際こくさいてきさい分割ぶんかつがその傾向けいこう助長じょちょうした。ためにその輸入ゆにゅうがく世界せかいだい1つづけてきたアメリカにいつき,それを凌駕りょうが(りようが)するほどとなった。82ねん水産物すいさんぶつ輸入ゆにゅうがく(FAO統計とうけい)は日本にっぽん40おくドル,アメリカ32おくドルであり,2こくだけで世界せかい総額そうがくの44%をめる。他方たほう輸出ゆしゅつがくのほうはもうすこ分散ぶんさんてきで,カナダ13おくドル,アメリカ10おくドル,デンマーク9おくドル,ノルウェー9おくドル,日本にっぽん8おくドル,アイスランド5おくドルという順位じゅんいになる。このうちアメリカとカナダは,200カイリせい以降いこうたいにち輸出ゆしゅつによってその実績じっせき急激きゅうげきばしてきたものである。なお日本にっぽん水産物すいさんぶつ輸入ゆにゅうは,その規模きぼおおきく,かつさかなたまご刺身さしみ材料ざいりょうしおサケといった他国たこくにない独特どくとく商品しょうひん需要じゅようおおいことから,相手あいてこく水産すいさんぎょう特殊とくしゅつよくかつ不安定ふあんてい影響えいきょうおよぼしかねないところがある(以上いじょうについては〈水産物すいさんぶつ貿易ぼうえき〉のこう参照さんしょう)。

日本にっぽん漁業ぎょぎょうだい2大戦たいせん戦後せんごインフレと食糧しょくりょう増産ぞうさん政策せいさくのもとでいちはやく生産せいさんりょく回復かいふくし,外地がいち引揚資本しほん転換てんかん資本しほん参入さんにゅうもあって,漁船ぎょせんすうは1948ねんはやくも戦前せんぜん最高さいこう水準すいじゅんにもどったとされている。しかし,この敗戦はいせん直後ちょくごの〈漁村ぎょそんブーム〉は,〈経済けいざい安定あんていきゅう原則げんそく〉にもとづく49ねんからのデフレ政策せいさく強行きょうこう大衆たいしゅう購買こうばいりょく抑制よくせいするなかで,たちまち消滅しょうめつする。さらに50ねん朝鮮ちょうせん戦争せんそう勃発ぼっぱつ資材しざい価格かかく高騰こうとうこし,魚価ぎょか低迷ていめいあいまって漁業ぎょぎょう経営けいえいつよ圧迫あっぱくした。〈以西いせい底引網そこびきあみ漁業ぎょぎょうさんわりげんせん整理せいり〉(1949)や小型こがた底引網そこびきあみ漁業ぎょぎょうげんせん整理せいりをねらった〈ポイント計画けいかく〉(1951)に代表だいひょうされる漁業ぎょぎょう縮小しゅくしょうさい編成へんせい水産すいさん政策せいさく基調きちょうおおきく転換てんかんしていく。漁村ぎょそん封建ほうけんせい打破だはをねらった〈漁業ぎょぎょう制度せいど改革かいかく〉(しん漁業ぎょぎょうほう施行しこうは1950ねん)もひとつにはそうした経済けいざい状況じょうきょう拘束こうそくされて,そうじてあたらしい飛躍ひやくてき漁業ぎょぎょう生産せいさんりょくすようにははたらかなかった。1950ねん前後ぜんこう漁業ぎょぎょう停滞ていたいからの脱出だっしゅつは,講和こうわ発効はっこう(1952)による操業そうぎょう禁止きんしライン(いわゆるマッカーサー・ライン)の撤廃てっぱい北洋ほくようをはじめとする漁場ぎょじょう外延がいえんてき拡大かくだいによってもたらされた。沿岸えんがん沖合おきあい漁業ぎょぎょうにおける労働ろうどう資本しほん過剰かじょう投入とうにゅう経営けいえい窮迫きゅうはくを,〈沿岸えんがんから沖合おきあいへ,沖合おきあいから遠洋えんようへ〉という玉突たまつがた漁業ぎょぎょう生産せいさんりょく展開てんかいによって解決かいけつするという政策せいさく導入どうにゅうされ,同時どうじ沿岸えんがん漁業ぎょぎょうについては養殖ようしょくぎょう発展はってんさせて集約しゅうやくてき漁場ぎょじょう利用りよう実現じつげんはかる,いわゆる〈構造こうぞう改善かいぜん政策せいさく〉が実施じっしされた。漁業ぎょぎょう生産せいさんりょうは,敗戦はいせんとしの1945ねんに182まんtまで減少げんしょうし,戦前せんぜん最高さいこうりょう(433まんt,1936)の1/2以下いかになったが,51ねんには429まんtとほぼ戦前せんぜん最高さいこう水準すいじゅん回復かいふく,52ねんには463まんtと上回うわまわった。上記じょうき遠洋えんよう養殖ようしょくじくとする展開てんかいは,戦後せんごあらたな生産せいさんりょく段階だんかい意味いみするもので,以降いこう漁業ぎょぎょう生産せいさんりょうは1973ねんだい1石油せきゆ危機ききとしの1000まんt水準すいじゅんまで,ほとんど直線ちょくせんてきびをしめす。

 戦後せんご水産物すいさんぶつ市場いちばは,食用しょくよう水産物すいさんぶつ消費しょうひりょうめんではじつは1950ねんはやくも戦前せんぜん最高さいこう水準すいじゅんえていた。戦後せんご農地のうち改革かいかくした農村のうそんにおける食用しょくよう水産物すいさんぶつ市場いちば拡大かくだいがその背景はいけいになっており,その増勢ぞうせいは60年代ねんだい後半こうはんまでつづく。高度こうど成長せいちょう水産すいさんぎょう展開てんかいにおいて,農村のうそん市場いちば役割やくわり相対そうたいてきおおきいのは,その前期ぜんきである。そのぜん期間きかんにわたり,かつ後期こうきになるほどおおきな影響えいきょうあたえたのは,人口じんこう過密かみつすすめた都市とし水産物すいさんぶつ市場いちばであった。都市とし家庭かていにおける生活せいかつ様式ようしき急激きゅうげき変化へんかもとになって,水産物すいさんぶつ消費しょうひ形態けいたいえ,流通りゅうつう輸送ゆそう加工かこうから,さらには生産せいさん過程かていにわたる水産すいさんぎょう全体ぜんたい構造こうぞうてき変化へんかにかかわっていった。そうした変化へんか主要しゅようめん列記れっきすればつぎのとおりである。(1)個人こじん単位たんい選択せんたくてき消費しょうひ進展しんてんおよび家庭かていない調理ちょうり省略しょうりゃくする簡便かんべん追求ついきゅう。その結果けっかとして,購入こうにゅう水産物すいさんぶつ多様たようこう価格かかく。(2)商品しょうひん流通りゅうつうにおける冷凍れいとうぎょ増加ぞうかろく大都市だいとし中央ちゅうおう卸売おろしうり市場いちばにおいて生鮮せいせんひん入荷にゅうかりょうがしだいに減少げんしょうし,1972ねん以後いご冷凍れいとうひん加工かこうひんのほうがおおくなる),および中央ちゅうおう卸売おろしうり市場いちば以外いがいのいわゆる〈場外じょうがい流通りゅうつう増大ぞうだい。(3)輸入ゆにゅうぎょ急増きゅうぞう(1971ねんからは輸入ゆにゅうがく輸出ゆしゅつがく上回うわまわるようになった)。(4)鉄道てつどう輸送ゆそうからトラック輸送ゆそうへの転換てんかん東京とうきょう市場いちばへの入荷にゅうかりょうのうち,トラックによるものが鉄道てつどうによるものよりも1965ねん以降いこうおおくなり,81ねんには94%にたっする)。(5)だい部分ぶぶん食用しょくようぎょ生産せいさんしゃ価格かかく高率こうりつ上昇じょうしょう,およびそれとは対照たいしょうてき特定とくていぎょ価格かかく低位ていい安定あんていした推移すいい(この価格かかく経済けいざいてき動機どうきとして,1960年代ねんだい後半こうはんから給餌きゅうじ養殖ようしょくぎょう発達はったつする)。

 2にわたる石油せきゆ高騰こうとうてい成長せいちょう経済けいざいへの移行いこう,そして200カイリせい定着ていちゃくは,高度こうど成長せいちょう漁業ぎょぎょう発展はってんささえてきたみっつの主要しゅよう条件じょうけん魚価ぎょか高騰こうとうひく安定あんていした燃料ねんりょう価格かかく,そして世界せかい漁場ぎょじょうへの外延がいえんてき拡大かくだいをすべて消滅しょうめつさせた。日本にっぽん場合ばあいソ連それんことなり,200カイリせい以降いこうも1000まんtだい生産せいさん水準すいじゅん保持ほじしつづけているとはいえ,それはマイワシ資源しげん増大ぞうだい偶然ぐうぜんかさなり,銚子ちょうし北海道ほっかいどう海域かいいき中心ちゅうしんに300まんtもの漁獲ぎょかくをなしえているからであって,安定あんていした生産せいさん持続じぞく将来しょうらいとも保証ほしょうされているわけではすこしもない。石油せきゆ危機きき以降いこう慢性まんせいしている漁業ぎょぎょう全体ぜんたい経営けいえい窮迫きゅうはくからすために,長期ちょうき政策せいさく課題かだいとして,日本にっぽん周辺しゅうへん水域すいいき合理ごうりてき資源しげん管理かんり基礎きそとする,漁業ぎょぎょう構造こうぞう縮小しゅくしょうさい編成へんせいせまられている。
執筆しっぴつしゃ


出典しゅってん 株式会社かぶしきがいしゃ平凡社へいぼんしゃ改訂かいてい新版しんぱん 世界せかいだい百科ひゃっか事典じてん改訂かいてい新版しんぱん 世界せかいだい百科ひゃっか事典じてんについて 情報じょうほう

百科ひゃっか事典じてんマイペディア水産すいさんぎょう」の意味いみ・わかりやすい解説かいせつ

水産すいさんぎょう【すいさんぎょう】

水中すいちゅう生息せいそくする動植物どうしょくぶつなどを資源しげんとして利用りようする産業さんぎょう漁業ぎょぎょう水産すいさん加工かこうぎょう大別たいべつされ,零細れいさい経営けいえいおおいのが特徴とくちょうである。しかし遠洋えんよう漁業ぎょぎょう母船ぼせんしき漁業ぎょぎょうにはだい資本しほん進出しんしゅつし,冷凍れいとう加工かこう技術ぎじゅつ発達はったつ船舶せんぱく大型おおがたなどによる船内せんない加工かこう,また主要しゅよう漁港ぎょこうでのだい規模きぼ加工かこう工場こうじょう設置せっちなど,漁業ぎょぎょう工業こうぎょうとの一体化いったいかすすんでいる。水産すいさん生物せいぶつみずか増殖ぞうしょくできる天然てんねん資源しげんであるが,需要じゅよう増大ぞうだいにより一方いっぽうてき採取さいしゅでは資源しげんりょうかぎりがあるため,現在げんざいでは養殖ようしょく栽培さいばい漁業ぎょぎょうなどもおこなわれている。なお,200カイリ水域すいいき問題もんだいや,公海こうかいじょうでの規制きせいなど日本にっぽんにとってきびしい状況じょうきょうにある。世界せかい主要しゅよう水産すいさんこく日本にっぽん,ロシア,米国べいこく,ノルウェー,ペルー,中国ちゅうごくなど,近年きんねん東南とうなんアジア諸国しょこく進出しんしゅつしつつある。→水産すいさん会社かいしゃ
関連かんれん項目こうもく水産すいさん資源しげん

出典しゅってん 株式会社かぶしきがいしゃ平凡社へいぼんしゃ百科ひゃっか事典じてんマイペディアについて 情報じょうほう

ブリタニカ国際こくさいだい百科ひゃっか事典じてん しょう項目こうもく事典じてん水産すいさんぎょう」の意味いみ・わかりやすい解説かいせつ

水産すいさんぎょう
すいさんぎょう
marine products industry

有用ゆうよう水産すいさん資源しげん人間にんげん生活せいかつのために開発かいはつ利用りようする産業さんぎょう形態けいたいとしては,生産せいさんかんし,おもとする漁業ぎょぎょう育成いくせい繁殖はんしょくおもとする水産すいさん養殖ようしょくぎょう加工かこうかんし,水産すいさん原料げんりょう加工かこうおもとする水産すいさん製造せいぞう工業こうぎょう,さらに販売はんばいかんし,水産すいさん商品しょうひん取引とりひききをおもとする水産すいさん流通りゅうつうぎょうとに区分くぶんされる。社会しゃかい発展はってんとともに水産すいさんぎょう国民こくみん経済けいざいてき重要じゅうようせい食用しょくよう食用しょくようなど多面ためんてきとなってきた。加工かこう技術ぎじゅつ進歩しんぽもあいまって用途ようと拡大かくだいされ,食用しょくようとしてはもちろんのこと,食料しょくりょうひん (魚肥ぎょひ飼料しりょうなど) としても生活せいかつふかをおろしている。しかし近年きんねん地球ちきゅう規模きぼによる資源しげん問題もんだい漁業ぎょぎょう専管せんかん水域すいいき規則きそくなど複数ふくすう問題もんだいをかかえ,日本にっぽん漁業ぎょぎょうへの制約せいやくはますますきびしくなってきている。水産すいさんぎょう今後こんご課題かだいは,拡大かくだいする水産すいさん資源しげん利用りよう目的もくてき調整ちょうせいし,かぎられた資源しげんから有効ゆうこう経済けいざい効果こうか達成たっせいすることであり,とく漁業ぎょぎょうたいしては,漁業ぎょぎょう経営けいえい安定あんていをはかる施策しさく漁業ぎょぎょう以外いがい海洋かいよう利用りようとの調整ちょうせい水産物すいさんぶつ輸入ゆにゅう調整ちょうせいといった漁業ぎょぎょう取巻とりま環境かんきょう整備せいび改善かいぜんや,栽培さいばい漁業ぎょぎょう振興しんこうなどの積極せっきょくてき施策しさくおこなっていくことが必要ひつようである。

出典しゅってん ブリタニカ国際こくさいだい百科ひゃっか事典じてん しょう項目こうもく事典じてんブリタニカ国際こくさいだい百科ひゃっか事典じてん しょう項目こうもく事典じてんについて 情報じょうほう

関連かんれんをあわせて調しらべる

今日きょうのキーワード

期日きじつぜん投票とうひょう

期日きじつぜん投票とうひょう制度せいどは、2003ねん6がつ11にち公布こうふ同年どうねん12がつ1にち施行しこう改正かいせい公職こうしょく選挙せんきょほうによって創設そうせつされた。投票とうひょう原則げんそくとして投票とうひょうおこなわれるものであるが、この制度せいどによって、選挙せんきょ公示こうじ(告示こくじ)の翌日よくじつから投票とうひょう...

期日きじつぜん投票とうひょう用語ようご解説かいせつ

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android