目次 世界の漁業生産の推移 水域別生産および漁獲可能量 水産物の利用配分と輸出入 日本の水産業 水 みず 界 かい の動植物 どうしょくぶつ を生産 せいさん 対象 たいしょう として行 おこな われる漁業 ぎょぎょう と養殖 ようしょく ,その生産 せいさん 物 ぶつ を原料 げんりょう とする水産 すいさん 加工 かこう ,生鮮 せいせん および加工 かこう 水産物 すいさんぶつ の輸送 ゆそう ・保管 ほかん ・流通 りゅうつう ,以上 いじょう の各 かく 事業 じぎょう 分野 ぶんや を包括 ほうかつ するものとして水産 すいさん 業 ぎょう という用語 ようご がある。漁業 ぎょぎょう ,養殖 ようしょく 業 ぎょう のいずれも,その生産 せいさん 物 ぶつ は生物 せいぶつ であるところから,品質 ひんしつ の変化 へんか が大 おお きくかつ急速 きゅうそく であり,品質 ひんしつ の劣化 れっか や腐敗 ふはい によって商品 しょうひん としての使用 しよう 価値 かち を損 そこ ないやすい性質 せいしつ をもっている。このため,加工 かこう や輸送 ゆそう ・保管 ほかん 過程 かてい が漁業 ぎょぎょう ・養殖 ようしょく の生産 せいさん 過程 かてい に劣 おと らず大 おお きな経済 けいざい 的 てき 意味 いみ をもち,かつ相互 そうご に緊密 きんみつ な関係 かんけい を結 むす んで全体 ぜんたい として他 た 産業 さんぎょう から独立 どくりつ した一 ひと つの産業 さんぎょう システムを形成 けいせい している面 めん がある。漁業 ぎょぎょう (一般 いっぱん に養殖 ようしょく 業 ぎょう を含 ふく む名称 めいしょう にもなる)という用語 ようご のほかに,とくに水産 すいさん 業 ぎょう という総称 そうしょう が用 もち いられるゆえんである。漁業 ぎょぎょう 発展 はってん の歴史 れきし (とくに第 だい 2次 じ 大戦 たいせん 前 まえ まで)については〈漁業 ぎょぎょう 〉の項 こう に詳 くわ しいので参照 さんしょう されたい。 →水産 すいさん 加工 かこう
世界 せかい の漁業 ぎょぎょう 生産 せいさん の推移 すいい FAO統計 とうけい は1938年 ねん の世界 せかい の総 そう 漁業 ぎょぎょう 生産 せいさん 量 りょう を2110万 まん tとしており,この程度 ていど が第 だい 2次 じ 大戦 たいせん 前 まえ の最高 さいこう の水準 すいじゅん と推定 すいてい される(表 ひょう )。戦争 せんそう の影響 えいきょう で生産 せいさん の停滞 ていたい さらには低下 ていか が起 お こるが,その回復 かいふく は比較的 ひかくてき 速 はや く,50年 ねん には戦前 せんぜん 水準 すいじゅん の2110万 まん t,55年 ねん 2890万 まん t,そして60年 ねん には4020万 まん tになり,その後 ご もほとんど直線 ちょくせん 的 てき な生産 せいさん 増加 ぞうか を続 つづ けて70年 ねん の生産 せいさん 量 りょう は6558万 まん tに達 たっ する。世界 せかい 生産 せいさん 量 りょう が戦後 せんご 初 はじ めて減少 げんしょう をみせたのは1969年 ねん で,これ以降 いこう ,長期 ちょうき 的 てき には増勢 ぞうせい を維持 いじ しているとはいえ非常 ひじょう に緩 ゆる やかなものになり,かつ不規則 ふきそく な年 とし 変動 へんどう を示 しめ す不安定 ふあんてい なものに変 か わってきている。1960年代 ねんだい の生産 せいさん 量 りょう の平均 へいきん 伸 の び率 りつ は5.3%と非常 ひじょう に高 たか かったのが,70年代 ねんだい には1.2%に低下 ていか し,世界 せかい 人口 じんこう の伸 の び率 りつ 1.8%を下回 したまわ るものになってしまった。一 ひと つには,既 すんで 開発 かいはつ 水産 すいさん 資源 しげん の自然 しぜん 的 てき 限界 げんかい 性 せい の発現 はつげん によるが,同時 どうじ に資源 しげん 利用 りよう に対 たい する国際 こくさい 規制 きせい の強化 きょうか ,国際 こくさい 通貨 つうか 不安 ふあん や73年 ねん ,79年 ねん と2次 じ にわたる石油 せきゆ 危機 きき の発生 はっせい ,さらには200カイリ水域 すいいき 制 せい の国際 こくさい 的 てき 定着 ていちゃく といった社会 しゃかい ・経済 けいざい 環境 かんきょう の激変 げきへん が,漁業 ぎょぎょう 生産 せいさん の成長 せいちょう を世界 せかい 的 てき 規模 きぼ で抑制 よくせい し,かつ変動 へんどう させるようになったためである。
世界 せかい の漁業 ぎょぎょう 国 こく のなかで際立 きわだ って生産 せいさん 量 りょう の多 おお い国 くに は日本 にっぽん とソ連 それん である。81年 ねん の総 そう 生産 せいさん 量 りょう 7476万 まん tのうち日本 にっぽん 1066万 まん t,ソ連 それん 955万 まん tで,両国 りょうこく だけで全体 ぜんたい の27.1%を占 し める。3位 い は中国 ちゅうごく で461万 まん t,以下 いか 10位 い まではアメリカ377万 まん t,チリ339万 まん t,ペルー275万 まん t,ノルウェー255万 まん t,インド242万 まん t,韓国 かんこく 237万 まん t,インドネシア186万 まん tという順 じゅん になる。日本 にっぽん の漁業 ぎょぎょう 生産 せいさん 量 りょう は,第 だい 2次 じ 大戦 たいせん 中 ちゅう の大幅 おおはば な減産 げんさん 状態 じょうたい から再 さい 出発 しゅっぱつ して急速 きゅうそく かつ持続 じぞく 的 てき な増加 ぞうか をみせ,1976年 ねん には1066万 まん tに達 たっ したが,ソ連 それん の生産 せいさん の伸 の び率 りつ はそれ以上 いじょう に大 おお きく,1948年 ねん の149万 まん tから76年 ねん の1013万 まん t(同国 どうこく の最高 さいこう 記録 きろく )へと日本 にっぽん とほぼ同等 どうとう の水準 すいじゅん まで増大 ぞうだい した。70年代 ねんだい の増勢 ぞうせい からみて,77年 ねん の200カイリ制 せい への移行 いこう がなければ,ソ連 それん はおそらく日本 にっぽん を抜 ぬ いて世界 せかい 第 だい 1位 い の水産 すいさん 国 こく になっていたに違 ちが いない。日本 にっぽん は世界 せかい 有数 ゆうすう の遠洋 えんよう 漁業 ぎょぎょう 国 こく であり,1976年 ねん の総 そう 生産 せいさん 量 りょう の33%を外国 がいこく の200カイリ水域 すいいき における漁獲 ぎょかく に依存 いぞん していた。しかしソ連 それん は日本 にっぽん 以上 いじょう にその傾向 けいこう が強 つよ く,世界 せかい 漁場 ぎょじょう に向 む けての遠洋 えんよう 漁業 ぎょぎょう の拡大 かくだい を通 つう じて同国 どうこく の急速 きゅうそく な生産 せいさん 増加 ぞうか を図 はか ってきたのである。100トン以上 いじょう の大型 おおがた 漁船 ぎょせん についてみると,ソ連 それん の保有 ほゆう 隻数 せきすう は日本 にっぽん を2,3割 わり 上回 うわまわ る程度 ていど であるが,トン数 とんすう のほうは3倍 ばい 以上 いじょう の規模 きぼ であり,世界 せかい の総トン数 そうとんすう の約 やく 4割 わり を占 し める。しかも200カイリ制 せい 以降 いこう もその態勢 たいせい を変 か えていない。
戦後 せんご ,日本 にっぽん はおおむね世界 せかい 第 だい 1位 い の漁業 ぎょぎょう 生産 せいさん を続 つづ けてきたが,1962年 ねん から71年 ねん までの10年間 ねんかん はペルーが700万 まん tから1000万 まん t台 だい の生産 せいさん をあげ,日本 にっぽん を追 お い越 こ した。これは同国 どうこく 沿岸 えんがん 水域 すいいき のカタクチイワシ資源 しげん の著 ちょ 増 ぞう によるもので,日本 にっぽん やソ連 それん における近代 きんだい 的 てき な生産 せいさん 技術 ぎじゅつ と大量 たいりょう の漁獲 ぎょかく 手段 しゅだん 投入 とうにゅう によって構成 こうせい された生産 せいさん 力 りょく とは質 しつ を異 こと にする。したがって,漁況 ぎょきょう の変化 へんか によって同 どう 魚 さかな 種 しゅ 資源 しげん が減退 げんたい すると,漁業 ぎょぎょう 生産 せいさん のほうも72年 ねん 以降 いこう ,急激 きゅうげき に減少 げんしょう してしまった。第 だい 3位 い の中国 ちゅうごく は,その広大 こうだい な内陸 ないりく 部 ぶ における淡水魚 たんすいぎょ 生産 せいさん (129万 まん t,1981),および海藻 かいそう 生産 せいさん (139万 まん t,同 どう )の比重 ひじゅう が大 おお きい点 てん に特徴 とくちょう がある。同国 どうこく の自然 しぜん 条件 じょうけん と人口 じんこう 数 すう から考 かんが えて将来 しょうらい の飛躍 ひやく が予想 よそう されるが,FAO統計 とうけい に見 み るかぎり,80年代 ねんだい 前半 ぜんはん まではまだその明確 めいかく な兆候 ちょうこう を現 あらわ していない。上記 じょうき の国 くに 以外 いがい は,各国 かっこく それぞれの年次 ねんじ 変動 へんどう を見 み せながら,総 そう じて発展 はってん 途上 とじょう 国 こく の生産 せいさん が先進 せんしん 国 こく の伸 の びを上回 うわまわ る形 かたち で推移 すいい し,ことに1970年代 ねんだい は,デンマークを除 のぞ いてアメリカ,カナダ,ノルウェー,スペインといった先進 せんしん 資本 しほん 主義 しゅぎ 国 こく の漁業 ぎょぎょう 生産 せいさん はいずれも停滞 ていたい 状態 じょうたい に陥 おちい った。
1977年 ねん の200カイリ制 せい への移行 いこう は,そうした各国 かっこく 漁業 ぎょぎょう の推移 すいい のなかで,水産 すいさん 資源 しげん の国際 こくさい 的 てき 再 さい 分割 ぶんかつ という様相 ようそう を色濃 いろこ く現 あらわ している。すなわち,77年 ねん 以降 いこう 顕著 けんちょ な減産 げんさん を示 しめ したのがソ連 それん を筆頭 ひっとう にノルウェー,スペイン,イギリスといった遠洋 えんよう 漁業 ぎょぎょう 国 こく であり,逆 ぎゃく に顕著 けんちょ な増産 ぞうさん を示 しめ しているのはアメリカ,カナダ,メキシコ,アイスランド,フィリピン,インドネシアといった沿岸 えんがん 漁業 ぎょぎょう 国 こく である。他方 たほう ,世界 せかい の総 そう 漁業 ぎょぎょう 生産 せいさん 量 りょう は1970-75年 ねん の平均 へいきん 年率 ねんりつ -0.32%の停滞 ていたい から,75-81年 ねん には平均 へいきん 3.55%の伸 の びに転 てん じているから,結局 けっきょく 200カイリ制 せい はそれが漁業 ぎょぎょう 生産 せいさん に抑制 よくせい 的 てき に働 はたら いた面 めん よりも,沿岸 えんがん ・近海 きんかい 漁業 ぎょぎょう に新 あら たな条件 じょうけん と刺激 しげき を与 あた え促進 そくしん 的 てき に作用 さよう した面 めん のほうが,世界 せかい 全体 ぜんたい としてはより大 おお きかったといえるであろう。
水域 すいいき 別 べつ 生産 せいさん および漁獲 ぎょかく 可能 かのう 量 りょう 世界 せかい の漁業 ぎょぎょう 生産 せいさん の大 だい 部分 ぶぶん は海面 かいめん からの漁獲 ぎょかく である。中国 ちゅうごく のように内 うち 水面 すいめん 漁業 ぎょぎょう の比重 ひじゅう の大 おお きな国 くに もあるが,世界 せかい 全体 ぜんたい の内 うち 水面 すいめん 漁業 ぎょぎょう 生産 せいさん は11%(1981)にすぎない。また,養殖 ようしょく 生産 せいさん の比重 ひじゅう は,日本 にっぽん のように盛 さか んな国 くに でも数量 すうりょう で9%,金額 きんがく で19%である。なお日本 にっぽん の漁業 ぎょぎょう 種類 しゅるい 別 べつ 生産 せいさん 高 だか をみると,1973年 ねん 以降 いこう 遠洋 えんよう 漁業 ぎょぎょう が激減 げきげん し,沖合 おきあい 漁業 ぎょぎょう が伸 の びている(図 ず )。海面 かいめん 漁業 ぎょぎょう の主要 しゅよう な生産 せいさん 水域 すいいき は北 きた 半球 はんきゅう であり,太平洋 たいへいよう および大西洋 たいせいよう の北部 ほくぶ 水域 すいいき の生産 せいさん 量 りょう は世界 せかい 総量 そうりょう の49%に達 たっ する。とくに日本 にっぽん 周辺 しゅうへん 水域 すいいき は漁場 ぎょじょう 豊 ゆたか 度 ど が際立 きわだ って高 たか い水域 すいいき で,ソ連 それん ・韓国 かんこく ・中国 ちゅうごく を含 ふく む太平洋 たいへいよう 北西 ほくせい 部 ぶ 域 いき の海面 かいめん 漁業 ぎょぎょう 生産 せいさん 量 りょう は全 ぜん 世界 せかい の30%を占 し める。これに次 つ ぐのが,ヨーロッパ諸国 しょこく の伝統 でんとう 的 てき な漁場 ぎょじょう の北海 ほっかい をはじめとする大西洋 たいせいよう 北東 ほくとう 部 ぶ 域 いき で,その生産 せいさん 割合 わりあい は17%である。以上 いじょう の2水域 すいいき 以外 いがい では,太平洋 たいへいよう 南東 なんとう 部 ぶ (10%)と同 どう 中西部 ちゅうせいぶ (9%)の生産 せいさん が大 おお きい。前者 ぜんしゃ はチリ,ペルーにおけるマイワシ,カタクチイワシ,アジの特定 とくてい 魚 ぎょ 種 しゅ に集中 しゅうちゅう した大量 たいりょう 漁獲 ぎょかく によるものであり,後者 こうしゃ はインドネシア(187万 まん t),フィリピン(174万 まん t),タイ(165万 まん t),ベトナム(80万 まん t)といった比較的 ひかくてき 生産 せいさん 規模 きぼ のそろった多数 たすう の国 くに が,多種 たしゅ 資源 しげん を対象 たいしょう にこの水域 すいいき を集約 しゅうやく 的 てき に利用 りよう しているところに特徴 とくちょう がある。
漁業 ぎょぎょう による資源 しげん 開発 かいはつ の度合 どあい は各 かく 水域 すいいき によってさまざまであるが,世界 せかい 全体 ぜんたい として将来 しょうらい どの程度 ていど まで漁獲 ぎょかく を伸 の ばすことができるかを推定 すいてい した多 おお くの試算 しさん がある。それらの推定 すいてい 値 ち は,理論 りろん と方法 ほうほう の違 ちが いにより,5000万 まん t程度 ていど から20億 おく tまで非常 ひじょう に大 おお きな差異 さい があるが,そのなかの一 ひと つ,FAOが計測 けいそく した1976年 ねん 基準 きじゅん の漁獲 ぎょかく 増加 ぞうか 可能 かのう 量 りょう は次 つぎ のとおりである。すなわち,底 そこ 魚類 ぎょるい 1500万 まん t,小型 こがた 表層 ひょうそう 魚 ぎょ (とくにカタクチイワシ資源 しげん の回復 かいふく に関係 かんけい する)2500万 まん ~3000万 まん t,その他 た 魚 ぎょ 種 しゅ (主 しゅ としてカツオなどの大型 おおがた 表層 ひょうそう 魚 ぎょ )200万 まん t,頭 あたま 足 あし 類 るい (主 しゅ として外洋 がいよう 性 せい のイカ類 るい )1000万 まん ~1億 おく t余 あまり ,中層 ちゅうそう 魚類 ぎょるい (ハダカイワシなど)おそらく1億 おく t,オキアミ類 るい 5000万 まん ~1.5億 おく t余 あまり ,その他 た 甲殻 こうかく 類 るい 100万 まん t,淡水魚 たんすいぎょ 類 るい 500万 まん t,養殖 ようしょく 2000万 まん ~4000万 まん t余 あまり であり,以上 いじょう を合計 ごうけい すると2.3億 おく ~4.45億 おく t余 あまり になる。
この推定 すいてい 値 ち からわかるように,漁獲 ぎょかく あるいは利用 りよう 加工 かこう 上 じょう の技術 ぎじゅつ 的 てき 限界 げんかい や経済 けいざい 的 てき 条件 じょうけん 等 とう を捨象 しゃしょう し,かつ単 たん なる物量 ぶつりょう (つまり人間 にんげん 生存 せいぞん のための栄養 えいよう 量 りょう )として水産 すいさん 資源 しげん からの生産 せいさん 可能 かのう 量 りょう をとらえるのであれば,現在 げんざい の食用 しょくよう 向 む け数量 すうりょう が5000万 まん t台 だい であることからみて,当面 とうめん はまだ漁業 ぎょぎょう 生産 せいさん の絶対 ぜったい 的 てき 限界 げんかい を問題 もんだい にしなくてもよいであろう。しかし,現在 げんざい の消費 しょうひ ・技術 ぎじゅつ ・経済 けいざい の諸 しょ 条件 じょうけん のもとで生産 せいさん 対象 たいしょう となりうる魚 さかな 種 しゅ と漁場 ぎょじょう は限 かぎ られており,漁獲 ぎょかく 努力 どりょく がそれら特定 とくてい の資源 しげん に集中 しゅうちゅう するため,その自然 しぜん 的 てき 限界 げんかい から起 お こる乱獲 らんかく 問題 もんだい が世界 せかい の各地 かくち で発生 はっせい している。一方 いっぽう における資源 しげん の未 み 開発 かいはつ ないし低 てい 開発 かいはつ と,他方 たほう における過大 かだい 開発 かいはつ とが混在 こんざい しているのである。そうした乱獲 らんかく による資源 しげん の壊滅 かいめつ や漁業 ぎょぎょう 経営 けいえい の破綻 はたん (はたん)を防 ふせ ぐため,多 おお くの国際 こくさい 漁業 ぎょぎょう 条約 じょうやく が国家 こっか 間 あいだ に結 むす ばれ,それに基 もと づく資源 しげん 管理 かんり 機関 きかん が設置 せっち されてきた(〈国際 こくさい 漁業 ぎょぎょう 〉の項 こう 参照 さんしょう )。国際 こくさい 捕鯨 ほげい 委員 いいん 会 かい (IWC),北 きた 太平洋 たいへいよう オットセイ委員 いいん 会 かい (NPFSC),太平洋 たいへいよう オヒョウ国際 こくさい 委員 いいん 会 かい (IPHC),北西 ほくせい 大西洋 たいせいよう 漁業 ぎょぎょう 国際 こくさい 委員 いいん 会 かい (ICNAF,1979年 ねん 北西 ほくせい 大西洋 たいせいよう 漁業 ぎょぎょう 機構 きこう NAFOに改組 かいそ ),全米 ぜんべい 熱帯 ねったい マグロ類 るい 委員 いいん 会 かい (IATTC),大西洋 たいせいよう マグロ類 るい 保存 ほぞん 国際 こくさい 委員 いいん 会 かい (ICCAT)等 とう である。しかし少数 しょうすう の例外 れいがい 的 てき な成功 せいこう があるだけで,多 おお くの場合 ばあい ,資源 しげん の適正 てきせい 利用 りよう の実現 じつげん には至 いた らなかった。1977年 ねん からの200カイリ制 せい によって,それらの国際 こくさい 的 てき な機構 きこう はほとんどみな事実 じじつ 上 じょう の変質 へんしつ を迫 せま られ,世界 せかい は今 いま 新 あたら しい資源 しげん 利用 りよう 秩序 ちつじょ を形成 けいせい する過渡 かと 期 き にある。 →水産 すいさん 資源 しげん
水産物 すいさんぶつ の利用 りよう 配分 はいぶん と輸出入 ゆしゅつにゅう 漁業 ぎょぎょう 生産 せいさん 物 ぶつ の利用 りよう 形態 けいたい のうち魚粉 ぎょふん ・魚油 ぎょゆ 等 とう の非 ひ 食用 しょくよう 向 む け数量 すうりょう は,1970年代 ねんだい 初 はじ めにペルーのカタクチイワシ減産 げんさん が影響 えいきょう して2000万 まん tの水準 すいじゅん に低下 ていか した後 のち ,72年 ねん 以降 いこう は多 おお くても2300万 まん t止 とま りで10年間 ねんかん にわたり横 よこ ばいを続 つづ けている。資源 しげん の自然 しぜん 的 てき 増大 ぞうだい による漁獲 ぎょかく 増 ぞう が食用 しょくよう 需要 じゅよう を超 こ えた分 ぶん だけ非 ひ 食用 しょくよう に回 まわ るといった面 めん が強 つよ く,その数量 すうりょう の変動 へんどう は多分 たぶん に自然 しぜん 依存 いぞん で受動 じゅどう 的 てき である。それとは対照 たいしょう 的 てき に食用 しょくよう 向 む け数量 すうりょう は,1960年代 ねんだい ,70年代 ねんだい とも年率 ねんりつ で3%近 ちか くの増大 ぞうだい を続 つづ けた。もっともその内訳 うちわけ を国 くに 別 べつ に見 み ると,先進 せんしん 国 こく の場合 ばあい は微増 びぞう ,とくに70年代 ねんだい はほとんど横 よこ ばいで,全体 ぜんたい 量 りょう の拡大 かくだい 傾向 けいこう を支 ささ えたのは,60年代 ねんだい 3%強 つよし ,70年代 ねんだい 5%強 きょう という発展 はってん 途上 とじょう 国 こく における顕著 けんちょ な食用 しょくよう 水産物 すいさんぶつ 仕向 しむ けの増大 ぞうだい である。また食品 しょくひん 形態 けいたい 別 べつ では生鮮 せいせん 品 ひん の横 よこ ばいに対 たい し,塩 しお ・干 ひ ・薫 かおる 製品 せいひん ,缶詰 かんづめ ,冷凍 れいとう 品 ひん の加工 かこう 水産物 すいさんぶつ が増加 ぞうか しており,とくに冷凍 れいとう 品 ひん の増加 ぞうか 傾向 けいこう が目立 めだ つ。
途上 とじょう 国 こく における食用 しょくよう 水産物 すいさんぶつ の生産 せいさん 増加 ぞうか は,一 ひと つには国内 こくない 消費 しょうひ の増加 ぞうか によるけれども,より大 おお きな要因 よういん として先進 せんしん 国 こく への輸出 ゆしゅつ 増加 ぞうか がある。国際 こくさい 貿易 ぼうえき の流 なが れとしては,途上 とじょう 国 こく から先進 せんしん 国 こく への高 こう 価格 かかく 魚 ぎょ (エビ,イカ,タコなどの冷凍 れいとう 品 ひん )の輸出 ゆしゅつ ,先進 せんしん 国 こく から途上 とじょう 国 こく への低 てい 価格 かかく 魚 ぎょ (サバ,イワシ缶詰 かんづめ 等 とう )の輸出 ゆしゅつ が伸 の びてきた。このことを最 もっと も典型 てんけい 的 てき に展開 てんかい したのが日本 にっぽん である。日本 にっぽん は高度 こうど 成長 せいちょう のなかで生 う み出 だ された高 たか い国際 こくさい 的 てき 購買 こうばい 力 りょく と,水産物 すいさんぶつ に対 たい する強度 きょうど の選択 せんたく 的 てき 需要 じゅよう とを背景 はいけい に水産物 すいさんぶつ 輸入 ゆにゅう を70年代 ねんだい 急激 きゅうげき に拡大 かくだい し,さらに200カイリ制 せい による資源 しげん の国際 こくさい 的 てき 再 さい 分割 ぶんかつ がその傾向 けいこう を助長 じょちょう した。ためにその輸入 ゆにゅう 額 がく は世界 せかい 第 だい 1位 い を続 つづ けてきたアメリカに追 お いつき,それを凌駕 りょうが (りようが)するほどとなった。82年 ねん の水産物 すいさんぶつ 輸入 ゆにゅう 額 がく (FAO統計 とうけい )は日本 にっぽん 40億 おく ドル,アメリカ32億 おく ドルであり,2国 こく だけで世界 せかい 総額 そうがく の44%を占 し める。他方 たほう ,輸出 ゆしゅつ 額 がく のほうはもう少 すこ し分散 ぶんさん 的 てき で,カナダ13億 おく ドル,アメリカ10億 おく ドル,デンマーク9億 おく ドル,ノルウェー9億 おく ドル,日本 にっぽん 8億 おく ドル,アイスランド5億 おく ドルという順位 じゅんい になる。このうちアメリカとカナダは,200カイリ制 せい 以降 いこう ,対 たい 日 にち 輸出 ゆしゅつ によってその実績 じっせき を急激 きゅうげき に伸 の ばしてきたものである。なお日本 にっぽん の水産物 すいさんぶつ 輸入 ゆにゅう は,その規模 きぼ が大 おお きく,かつ魚 さかな 卵 たまご ,刺身 さしみ 材料 ざいりょう ,塩 しお サケといった他国 たこく にない独特 どくとく の商品 しょうひん 需要 じゅよう が多 おお いことから,相手 あいて 国 こく の水産 すいさん 業 ぎょう に特殊 とくしゅ に強 つよ くかつ不安定 ふあんてい な影響 えいきょう を及 およ ぼしかねないところがある(以上 いじょう については〈水産物 すいさんぶつ 貿易 ぼうえき 〉の項 こう 参照 さんしょう )。
日本 にっぽん の水産 すいさん 業 ぎょう 日本 にっぽん 漁業 ぎょぎょう は第 だい 2次 じ 大戦 たいせん 後 ご の戦後 せんご インフレと食糧 しょくりょう 増産 ぞうさん 政策 せいさく のもとでいちはやく生産 せいさん 力 りょく を回復 かいふく し,外地 がいち 引揚資本 しほん や転換 てんかん 資本 しほん の参入 さんにゅう もあって,漁船 ぎょせん 数 すう は1948年 ねん に早 はや くも戦前 せんぜん の最高 さいこう 水準 すいじゅん にもどったとされている。しかし,この敗戦 はいせん 直後 ちょくご の〈漁村 ぎょそん ブーム〉は,〈経済 けいざい 安定 あんてい 九 きゅう 原則 げんそく 〉に基 もと づく49年 ねん からのデフレ政策 せいさく の強行 きょうこう が大衆 たいしゅう 購買 こうばい 力 りょく を抑制 よくせい するなかで,たちまち消滅 しょうめつ する。さらに50年 ねん の朝鮮 ちょうせん 戦争 せんそう の勃発 ぼっぱつ は資材 しざい 価格 かかく の高騰 こうとう を引 ひ き起 お こし,魚価 ぎょか 低迷 ていめい と相 あい まって漁業 ぎょぎょう 経営 けいえい を強 つよ く圧迫 あっぱく した。〈以西 いせい 底引網 そこびきあみ 漁業 ぎょぎょう の三 さん 割 わり 減 げん 船 せん 整理 せいり 〉(1949)や小型 こがた 底引網 そこびきあみ 漁業 ぎょぎょう の減 げん 船 せん 整理 せいり をねらった〈五 ご ポイント計画 けいかく 〉(1951)に代表 だいひょう される漁業 ぎょぎょう の縮小 しゅくしょう 再 さい 編成 へんせい へ水産 すいさん 政策 せいさく の基調 きちょう が大 おお きく転換 てんかん していく。漁村 ぎょそん の封建 ほうけん 制 せい 打破 だは をねらった〈漁業 ぎょぎょう 制度 せいど 改革 かいかく 〉(新 しん 漁業 ぎょぎょう 法 ほう の施行 しこう は1950年 ねん )も一 ひと つにはそうした経済 けいざい 状況 じょうきょう に拘束 こうそく されて,総 そう じて新 あたら しい飛躍 ひやく 的 てき な漁業 ぎょぎょう 生産 せいさん 力 りょく を生 う み出 だ すようには働 はたら かなかった。1950年 ねん 前後 ぜんこう の漁業 ぎょぎょう 停滞 ていたい からの脱出 だっしゅつ は,講和 こうわ 発効 はっこう (1952)による操業 そうぎょう 禁止 きんし ライン(いわゆるマッカーサー・ライン)の撤廃 てっぱい ,北洋 ほくよう をはじめとする漁場 ぎょじょう の外延 がいえん 的 てき 拡大 かくだい によってもたらされた。沿岸 えんがん ・沖合 おきあい 漁業 ぎょぎょう における労働 ろうどう ・資本 しほん の過剰 かじょう 投入 とうにゅう と経営 けいえい 窮迫 きゅうはく を,〈沿岸 えんがん から沖合 おきあい へ,沖合 おきあい から遠洋 えんよう へ〉という玉突 たまつ き型 がた の漁業 ぎょぎょう 生産 せいさん 力 りょく 展開 てんかい によって解決 かいけつ するという政策 せいさく が導入 どうにゅう され,同時 どうじ に沿岸 えんがん 漁業 ぎょぎょう については養殖 ようしょく 業 ぎょう を発展 はってん させて集約 しゅうやく 的 てき な漁場 ぎょじょう 利用 りよう の実現 じつげん を図 はか る,いわゆる〈構造 こうぞう 改善 かいぜん 政策 せいさく 〉が実施 じっし された。漁業 ぎょぎょう 生産 せいさん 量 りょう は,敗戦 はいせん の年 とし の1945年 ねん に182万 まん tまで減少 げんしょう し,戦前 せんぜん の最高 さいこう 量 りょう (433万 まん t,1936)の1/2以下 いか になったが,51年 ねん には429万 まん tとほぼ戦前 せんぜん 最高 さいこう 水準 すいじゅん に回復 かいふく ,52年 ねん には463万 まん tと上回 うわまわ った。上記 じょうき の遠洋 えんよう 化 か や養殖 ようしょく 化 か を軸 じく とする展開 てんかい は,戦後 せんご の新 あら たな生産 せいさん 力 りょく 段階 だんかい を意味 いみ するもので,以降 いこう 漁業 ぎょぎょう 生産 せいさん 量 りょう は1973年 ねん の第 だい 1次 じ 石油 せきゆ 危機 きき の年 とし の1000万 まん t水準 すいじゅん まで,ほとんど直線 ちょくせん 的 てき な伸 の びを示 しめ す。
戦後 せんご の水産物 すいさんぶつ 市場 いちば は,食用 しょくよう 水産物 すいさんぶつ 消費 しょうひ 量 りょう の面 めん では実 じつ は1950年 ねん に早 はや くも戦前 せんぜん の最高 さいこう 水準 すいじゅん を超 こ えていた。戦後 せんご の農地 のうち 改革 かいかく が生 う み出 だ した農村 のうそん における食用 しょくよう 水産物 すいさんぶつ 市場 いちば の拡大 かくだい がその背景 はいけい になっており,その増勢 ぞうせい は60年代 ねんだい 後半 こうはん まで続 つづ く。高度 こうど 成長 せいちょう 期 き の水産 すいさん 業 ぎょう の展開 てんかい において,農村 のうそん 市場 いちば の役割 やくわり が相対 そうたい 的 てき に大 おお きいのは,その前期 ぜんき である。その全 ぜん 期間 きかん にわたり,かつ後期 こうき になるほど大 おお きな影響 えいきょう を与 あた えたのは,人口 じんこう の過密 かみつ 化 か を進 すす めた都市 とし の水産物 すいさんぶつ 市場 いちば であった。都市 とし 家庭 かてい における生活 せいかつ 様式 ようしき の急激 きゅうげき な変化 へんか が基 もと になって,水産物 すいさんぶつ の消費 しょうひ 形態 けいたい を変 か え,流通 りゅうつう ・輸送 ゆそう ・加工 かこう から,さらには生産 せいさん 過程 かてい にわたる水産 すいさん 業 ぎょう 全体 ぜんたい の構造 こうぞう 的 てき 変化 へんか にかかわっていった。そうした変化 へんか の主要 しゅよう な面 めん を列記 れっき すれば次 つぎ のとおりである。(1)個人 こじん 単位 たんい の選択 せんたく 的 てき 消費 しょうひ の進展 しんてん および家庭 かてい 内 ない 調理 ちょうり を省略 しょうりゃく する簡便 かんべん 化 か の追求 ついきゅう 。その結果 けっか として,購入 こうにゅう 水産物 すいさんぶつ の多様 たよう 化 か と高 こう 価格 かかく 化 か 。(2)商品 しょうひん 流通 りゅうつう における冷凍 れいとう 魚 ぎょ の増加 ぞうか (六 ろく 大都市 だいとし 中央 ちゅうおう 卸売 おろしうり 市場 いちば において生鮮 せいせん 品 ひん の入荷 にゅうか 量 りょう がしだいに減少 げんしょう し,1972年 ねん 以後 いご は冷凍 れいとう 品 ひん と加工 かこう 品 ひん のほうが多 おお くなる),および中央 ちゅうおう 卸売 おろしうり 市場 いちば 以外 いがい のいわゆる〈場外 じょうがい 〉流通 りゅうつう の増大 ぞうだい 。(3)輸入 ゆにゅう 魚 ぎょ の急増 きゅうぞう (1971年 ねん からは輸入 ゆにゅう 額 がく が輸出 ゆしゅつ 額 がく を上回 うわまわ るようになった)。(4)鉄道 てつどう 輸送 ゆそう からトラック輸送 ゆそう への転換 てんかん (東京 とうきょう 市場 いちば への入荷 にゅうか 量 りょう のうち,トラックによるものが鉄道 てつどう によるものよりも1965年 ねん 以降 いこう 多 おお くなり,81年 ねん には94%に達 たっ する)。(5)大 だい 部分 ぶぶん の食用 しょくよう 魚 ぎょ 生産 せいさん 者 しゃ 価格 かかく の高率 こうりつ な上昇 じょうしょう ,およびそれとは対照 たいしょう 的 てき な特定 とくてい 多 た 獲 え 魚 ぎょ 価格 かかく の低位 ていい 安定 あんてい した推移 すいい (この価格 かかく 差 さ を経済 けいざい 的 てき 動機 どうき として,1960年代 ねんだい 後半 こうはん から給餌 きゅうじ 養殖 ようしょく 業 ぎょう が発達 はったつ する)。
2次 じ にわたる石油 せきゆ 高騰 こうとう ,低 てい 成長 せいちょう 経済 けいざい への移行 いこう ,そして200カイリ制 せい の定着 ていちゃく は,高度 こうど 成長 せいちょう 期 き の漁業 ぎょぎょう 発展 はってん を支 ささ えてきた三 みっ つの主要 しゅよう な条件 じょうけん ,魚価 ぎょか の高騰 こうとう ,低 ひく く安定 あんてい した燃料 ねんりょう 油 ゆ 価格 かかく ,そして世界 せかい 漁場 ぎょじょう への外延 がいえん 的 てき 拡大 かくだい をすべて消滅 しょうめつ させた。日本 にっぽん の場合 ばあい はソ連 それん と異 こと なり,200カイリ制 せい 以降 いこう も1000万 まん t台 だい の生産 せいさん 水準 すいじゅん を保持 ほじ しつづけているとはいえ,それはマイワシ資源 しげん の増大 ぞうだい 期 き と偶然 ぐうぜん に重 かさ なり,銚子 ちょうし ~北海道 ほっかいどう 海域 かいいき を中心 ちゅうしん に300万 まん tもの漁獲 ぎょかく をなしえているからであって,安定 あんてい した生産 せいさん の持続 じぞく が将来 しょうらい とも保証 ほしょう されているわけでは少 すこ しもない。石油 せきゆ 危機 きき 以降 いこう ,慢性 まんせい 化 か している漁業 ぎょぎょう 全体 ぜんたい の経営 けいえい 窮迫 きゅうはく から抜 ぬ け出 だ すために,長期 ちょうき の政策 せいさく 課題 かだい として,日本 にっぽん 周辺 しゅうへん 水域 すいいき の合理 ごうり 的 てき 資源 しげん 管理 かんり を基礎 きそ とする,漁業 ぎょぎょう 構造 こうぞう の縮小 しゅくしょう 再 さい 編成 へんせい を迫 せま られている。執筆 しっぴつ 者 しゃ :長谷川 はせがわ 彰 あきら