降水量が少なく,植生が見られないか少なく,人間の活動も制約されている地域。乾燥地域と同じ意味に使用されることもあるが,一般的には乾燥地域のうち,より乾燥した部分に使用されている。英語desertはラテン語のdesero(見捨てる)に由来するもので〈見捨てられた土地〉という意。その範囲は現在,最も広く引用されているメグズP.Meigsの乾燥地域分布図のうち,極乾燥地域と乾燥地域(狭義の)に相当する。南極などの高緯度地域や高山地域にも乾燥した地域が見られ,寒冷地砂漠と呼ばれているが,この地域は乾燥地域の特性よりも寒冷地域の特性の方が著しいことから〈砂漠〉に含められないことが多い。
成因
砂漠を成因により分類すると,亜熱帯砂漠,海岸冷涼砂漠,雨陰砂漠,大陸内部砂漠の四つに分けられる。世界の砂漠はこれらの成因が二つないし三つ重なったものが多い。(1)亜熱帯砂漠 ほぼ緯度南・北30°を中心とした地域は亜熱帯高圧帯となっており,下降気流が発達しているために,雨が降りにくく,砂漠が生じる。ただし,大陸の東側には大洋上の高気圧から吹き出す風による降雨があり,砂漠は見られない。北半球ではサハラ砂漠からインドのタール砂漠にかけて,南半球ではカラハリ砂漠,オーストラリア砂漠がこの地域に位置している。(2)海岸冷涼砂漠 大陸の西岸には高緯度地方からの寒流が流れており,しかも地球の自転の影響により亜熱帯で深海の冷水がわき上がっている。そのため,この地域の海上の空気は冷却されており,それが陸上に移動して温度が上昇しても,降水をもたらすことはなく,世界で最も乾燥した砂漠となっている。サハラ砂漠の西端,南部アフリカのナミブ砂漠,オーストラリア砂漠の西端,南アメリカのアタカマ砂漠がここに位置している。(3)雨陰砂漠 風は山脈を越えるとき風上側斜面に降雨をもたらす。そのため風下側は乾燥する。山脈の高度が大きいほど降雨量が多いために大山脈の風下側に砂漠が形成される。アメリカ合衆国のシエラ・ネバダ山脈とロッキー山脈にはさまれたグレート・ベースン砂漠や偏西風を受けるアンデス山脈の東側に位置するパタゴニア砂漠等である。(4)大陸内部砂漠 大きな大陸の内部は海からの距離が大きいため,風上側に特に大きい山脈が位置していなくても海からの水分は途中で蒸発あるいは降水として失われ乾燥する。ユーラシア大陸の内部はヒマラヤ,大興安嶺などの大山脈の雨陰砂漠であると同時に大陸内部砂漠である。以上の砂漠のうち(1)(3)(4)は海岸冷涼砂漠に対し内陸砂漠と呼ばれることもある。
気候
砂漠の気候の特徴の一つは降水量が少ないだけでなく,不規則なことである。平均年降水量は気温との関係で一定していないが,亜熱帯砂漠では250~300mm以下の範囲である。非常に乾燥しているアタカマ砂漠の中心部は3mm程度であり,サハラ砂漠の内部では,たいていの所が25mm以下である。反対に雨の多いオーストラリア砂漠では,最も乾燥した所でも125mm程度の降水がある。降水の不規則性は平均年降水量が少なくなるほど大きくなり,アルジェリアのイン・サラーでは10年間にわたって降水がなく,次の年に20mmの降水があったことがある。砂漠は気温が最も高くなる所であり,温度変化も大きい。夏の気温は45℃前後になるのはまれでなく,最高気温はリビアのアジザで記録された58℃である。日変化は一般的には20℃程度であり,カリフォルニアのデス・バレーでは41℃を記録している。最大可能蒸発量も多く,降水量の多い所では約10倍,少ない所では500倍を超すことがある。相対湿度は多くの砂漠で15~30%であるが,海岸冷涼砂漠では非常に高く100%になる所もある。
地形
植生がまばらで気温の変化が大きいため,機械的風化作用が盛んである。また,平均年降水量は少ないがしばしば豪雨となり,しかも植生が少ないため,運搬力の大きい流水が見られる。そのため急勾配で稜線の鋭い山地と山地前面に発達する平たん地が砂漠の地形の特色となっている。また降水量より蒸発量の方が多いため,河川が海まで到達しない内陸流域が広い範囲を占めており,その最底所にはプラヤと呼ばれる,降雨時に一時的に湖となる平たん地が位置している。砂漠は風の働きが最も強くなる地域でもある。風による地形はヤルダンやブロー・アウトなど小規模地形に限られる。堆積地形には砂原と砂丘があり,ともに大規模な地形となることがある。
砂漠は地形・地質的に見て砂砂漠,礫(れき)砂漠,岩石砂漠に区分できる。砂砂漠は起伏の少ない広大ないわば砂の海原で,サハラ砂漠西部で用いられているエルグergの語が一般に使われる。エルグの平均的な面積は約20万km2で,アラビア半島のルブー・アルハーリー・エルグは56万km2以上を占める。砂砂漠は,風紋以外には起伏のまったく見られない平たんな砂原(砂床(さしよう)sand sheet。砂海ともいう)と砂丘の堆積地形からなる。一般に砂漠といえば,この砂砂漠を想像しがちであるが,その分布は少なく,北アメリカの砂漠では1%,サハラ砂漠では20%以下,最も多いアラビア砂漠で30%である。その他の大部分を占める岩石砂漠はおもに岩石が露出している砂漠で,山岳地,高原,内陸盆地などに発達し,インゼルベルク,ペディメント,ヤルダン,ブロー・アウトなど種々の乾燥地形が見られる。岩石砂漠はハマダhamada(サハラ砂漠に見られる高原砂漠のアラビア語の呼び名hammadaに由来)といわれ,砂などでこすり磨かれた岩石床が露出する場合と,岩石床の上を礫,岩屑がおおう礫砂漠の場合とがある。礫が敷きつめたように集中して堆積している地面は,デフレーションにより砂塵が吹き飛ばされて礫や岩塊などが残った結果生じたもので,デザート・ペーブメントdesert pavement,オーストラリアではギバー・プレーンgibber plainという。小礫が土壌上に堆積しているデザート・ペーブメントはサハラ西部ではレグreg,東部ではセリールserirと呼ばれている。このためレグ,ハマダの語は礫砂漠の同義語としても使用されることが多い。
水と住民
乾燥した砂漠において水を得られる場所,すなわちオアシスは限られているため,それに伴い人間活動の範囲も限定されてくる。水が自然の状態であるいは人の力だけで得られる所は古くから人間の生活場所となっていた。被圧地下水が湧出したり,ワジに沿って地下水が浅い所にある泉性オアシス,ナイル川やティグリス・ユーフラテス川などの外来河川沿いのオアシス,イランのザーグロス山脈や北アフリカのアトラス山脈など地形性降水のある高い山地の山麓には,しばしば恒常河川があり,山麓オアシスが形成されている。この水源から地下水路を建設して平野まで水を誘導して利用しているのがカナートである。以上の3種類のオアシスにおける産業の中心は灌漑農業である。砂漠は気温の点では一番恵まれた地域であるために,水が得られれば収穫量は多く,集約的な農業が行われている。オアシスの規模が小さいほど自給的性格が強くなり,栽培作物はムギ,雑穀,ナツメヤシなどの主食用作物が中心となる。オアシスの規模が大きくなるとともに綿花,タバコ,果樹などの商品作物も栽培されるようになる。さらに規模が大きくなると,都市的機能をもつようになり,商業,交通・運輸業などが大きな役割を担うようになる。かつて東アジアとヨーロッパを結んだシルクロードは,天山山脈南麓,崑崙(こんろん)山脈北麓の山麓性オアシス集落を結んで発達したものである。世界最大の砂漠であるサハラも泉性オアシスの存在とラクダの導入により古くから横断が可能となり,北の地中海沿岸と〈黒いアフリカ〉スーダンとの間で交易が盛んであった。ラクダは1週間以上,水を飲まなくても歩くことができるため,オアシスを結んで大規模な隊商が移動した。しかし道筋の水場が涸れていたため2000人の隊商全員が渇きのために死亡する悲劇も起きたことがある。最近では自動車の使用が増加し,ラクダの比重は急速に低下している。
旧大陸の砂漠の生活はオアシス農業が中心であるのに対し,比較的雨の多いアメリカ西部とオーストラリアの砂漠では牧畜が盛んである。造山帯に位置するアメリカ西部の砂漠のオアシスは規模が小さく,インディアンによるオアシス農業は特に発達しなかった。1800年代中ごろ,アングロ・アメリカ人により肉牛が大規模に導入され牧畜が盛んになったが,牛の頭数が多すぎたため,過放牧となった時期があった。オーストラリア砂漠は最も乾燥した所でも平均年降水量約125mmのため,丈の短い草地となっており,水の得られる所は牧場となっている。大鑽井盆地では深さ1000mを超える深井戸が掘り抜かれて牛の飲用水として利用されている。中央部ではディンゴの被害を受けるため羊は放牧されていない。
開発
砂漠の開発には灌漑による農地開発と地下資源開発がある。砂漠を横切る大河川や砂漠の近くを流れる河川から用水路を引いたり,地下水の揚水で大規模な耕地開発が行われている。コロラド川の水を利用したインペリアル・バレーの開発,アスワン・ハイ・ダムの建設,カスピ海とアラル海との間の開発などがその代表的な実例である。しかし大規模灌漑はしばしば耕地に塩類の集積をもたらし,地下水の揚水は地盤沈下や地下水の枯渇を引き起こすことがあり,これらの被害をいかにしてくい止めるかが最大の問題となっている。他方,アタカマ砂漠のチリ硝石や銅,鉄,オーストラリア砂漠西部の鉄,サハラから中東にかけての石油,天然ガス等砂漠の地下にも大量の地下資源が埋蔵されており,開発がすすんでいる。地下資源の開発が始まると,それまで不毛であった土地に,ときには数百kmを超える遠方から水が引かれ,都市の建設が始まる。砂漠は地球に残された最大の開発可能地域である。砂漠はまた,観光・保養の地でもある。アメリカ合衆国の砂漠は,比較的降水量が多いため植生が多く,特色のある地形が見られるので観光地としての性格ももっている。そのため,グランド・キャニオン,サワロ・サボテン,ホワイト・サンズなど多くの国立公園がある。また,冬季の温暖な気候のため,早くから避寒客を多く集めているが,最近はフェニックスやトゥーソンなどの砂漠都市に精密工業が発達し,サン・ベルト地帯として脚光をあびている。
砂漠化
1968-73年のサハラ南縁での大干ばつを契機に世界各地の砂漠化が注目を集めている。砂漠化は砂漠周辺部と砂漠における砂漠的現象の拡大である。おもなものとしては植生の悪化,砂の移動,塩類化がある。植生の悪化は特に多年生の草木の枯死により決定的となる。植生が減少すると,雨水の流失のピークが大きくなるため,土壌浸食が大きくなり,大規模なガリー(雨裂)も発達してくる。植生の減少はまた,固定砂丘の再移動をもたらす。塩類化は灌漑地で多く見られる。水の供給が少ないと毛管現象により,多すぎると湛水によって塩類が集積する。
砂漠化の原因は降水の減少と人為の二つがあげられる。人為による原因としては第1に過放牧があげられる。サハラ南縁では何年かおきに干ばつを経験するが,1968-73年の被害が大きかったのは,人口増加による過放牧と燃料用に灌木を多量に伐採したことが大きな原因であったと指摘されている。また乾燥地開発もその方法をまちがえると砂漠化の原因となる。家畜の飲料水用の井戸を多く掘りすぎた場合,牧草の生産量以上の家畜が集まり植生の悪化をもたらす。また,排水設備の不十分な灌漑が行われた際に生じる塩類化などがその例である。
→乾燥地形
執筆者:赤木 祥彦
生活と文化
都市や農村の生活は自然を克服して成り立つのに対して,遊牧民のそれは,自然に従属したものと考えられがちである。だが定住を許そうとしない過酷な自然条件の下で,家畜を伴って分け入り,人間の可住空間をきり開き拡大したこと自体,遊牧の民が見せる人間の知恵と適応力のすばらしさ,たくましさを示す何よりの証拠と言えよう。ここでは西アジア・アラブ世界における遊牧民(ベドウィン)の生活を中心に,砂漠の生活と文化について述べることにする。
砂漠といっても地質的には多様で砂地だけでなく,岩地もあれば砂利地,溶岩台地もあり,こうした地質の差は遊牧民の気質や経済力の差を生む要因にもなっている。また高低の差も地域によって異なり,見渡す限りの平たんな地域もあれば,起伏の激しい地域もあり,水平遊牧,垂直遊牧の形態の相違にも関係している。したがって,砂漠を表すアラビア語も多様であり,最もよく知られているのはサフラーṣaḥrā’で,サハラ砂漠の呼称はこれに由来する。またベドウィンの語源であるバドウbadwはハダルḥaḍar(定住,都市)と対をなす概念である。
総じて定住に不向きな広大な土地を利用すべく家畜を追って生を送っているからには,日常生活が厳しいのは必然である。水場,牧地の確保は,死活問題であった。男たちは遊牧に従事すると同時に,部族として結束し,生命を張って領地の拡大や財産である家畜の数を増やすのに努めた。敵部族の襲撃,盗賊の略奪,狼など野獣からの家畜の保護などにも怠りなく警戒し,常に気を張っていなければならなかった。
また女性にとっては,定住民と同じようなこまごまとした日課のほかに,機織,水汲み,乳飲家畜の世話,夕方の家畜への給水,搾乳等々そのほとんどの労力を原始そのままの自らの力でなさねばならない。遊牧民のテントを訪れ,握手を交わすとき,男の柔らかい手の感触に比べ,女性のそれは荒くごつごつとして意外感に打たれる。それだけ砂漠の女性の過酷な労働とたくましさが実感される。厳しい生活に順応させるためもあろう,男女の違いに関係なく,子どもにとっくみ合いをさせたり,力くらべをさせて周囲の大人が注視している光景もよくある。
だが厳しい生活の中にも,ときおりの楽しみはある。火を囲んで茶やコーヒーをすすりながらの夜の語らい(夜会,サマルsamar)がまずあげられる。語らいに興が乗れば詩が吟じられ,歌が口ずさまれ,踊りまで飛び出す。遊牧民の多くは雄弁家で詩人である。来訪者があれば最大限にもてなす。まったく見ず知らずの者に対しても,たいせつな家畜の1頭をほふってもてなすのもまれではない。かまどの大きさや灰の多さなど,もてなしのよさは,その人物の徳の高さ,寛大さの指標となるからである。代償に何も求めるわけではないが,未知の世界,たどってきた道すがらのことや牧草,水場などの情況を聞かせてもらっては,今後の移動の参考にする。また通過儀礼の際の祝祭,とくに男児の誕生(女児の誕生は伝統的に好まれなかった),割礼,結婚などの際には,部族によっては競馬を催すこともあった。
砂漠の四季のうつろいもまた楽しみとなる。乾燥地帯は春秋が短く,夏か冬かのいずれかが長いのが普通である。中東では夏が長く,この意味でも9月から雲が出て,つかの間の秋の後にやってくる雨季は,テント生活には難渋であっても,飲料水や牧草の確保にはまたとない恵みの季節となる。そして,ひと雨ごとに草が芽吹き,花が咲き乱れる砂漠の景観は驚異であり,砂漠に生を受けた者にとっては至福の時となる。地域によって異なった群れを作って咲く野生のアネモネ,チューリップ,ヒナゲシを求め,花見に出かけ,また地表のキノコだけでなく,地中にジャガイモにも似たカマエ(松露の一種)を採りに一家総出する楽しみも待っている。砂漠の生活は決して過酷だけのものでないことが理解されよう。
執筆者:堀内 勝
砂漠の生物
植物生態学的な区分としては砂漠は荒原と呼ばれる。これはさらに乾燥,寒冷,移動,海岸,岩上,岩隙の各荒原に細分されるが,日常語の砂漠にあたるのはこのうちの乾燥荒原である。砂漠では,厳しい環境状況のため,動・植物の種類も数も限られる。砂漠の生物が克服しなければならない最大の課題は,乾燥と高温および昼夜の温度差である。しかし砂漠といえどもまったく雨が降らないわけではなく,雨季にはかなりの降水が見られる。また高温にしても日中の間だけのことで,夜間はむしろ,他の地域よりもはるかに低温になる。
砂漠で生きるために生物がとる第1の方法は,このような環境変化の時間的変動に生活史を合わせることである。一年草は短い雨季の間に大急ぎで一斉に花を開いて種子をつくる。堅い殻に守られた種子は高温や乾燥に耐えて雨季の到来をじっと息をひそめて待つ。多年草でも,乾季に地上部を枯れはてさせ,地下茎や球根で休眠するものが多い。小さな虫たちも食物の豊富な雨季に一挙に繁殖し,厳しい乾季を卵やさなぎの形で生きぬくのである。これら植物の種子や地下茎,昆虫の卵などは,乾季における砂漠の動物の重要な栄養源となっている。
数年以上の寿命をもつ生物の多くは,また違った方法によって乾燥と高温に耐えるためのくふうをこらしている。砂漠の植物は一般に乾生植物と呼ぶことができるが,その特徴としては次のような点があげられる。(1)蒸散の抑制のために,葉の表面積の縮小,気孔の陥没,表皮のクチクラ化やコルク化,断熱的な白毛や蠟による被覆などが見られること。(2)蒸散の抑制もさることながら,受精を媒介する昆虫が夜間にしか活動しないため,夜に開花するものが多いこと。(3)乏しい水分を効率よく利用するため,雨季に大量の水を一時に吸収できるよう根を浅く広範囲にめぐらしたり(たとえばアリゾナ砂漠のサグアロCarnegiea giganteaは,丈の2倍の直径範囲に根をはっている),乾季に地下水を得るため地中深く根を下ろしたり(たとえばメスキートProsopis glandulosaは地中数十mまで根を伸ばしている)すること。(4)乾季に備えての貯水組織がよく発達している(サボテンなど多肉植物)こと,などである。
砂漠の動物相は一般に貧弱であるが,その主力はアリや甲虫類,バッタ類などの小昆虫,クモ,ダニ,サソリなどの無脊椎動物である。これら小動物の多くも,乾燥期には活動を停止して休眠するものが多い。脊椎動物の中で最もよく砂漠に適応した動物群はトカゲ,ヘビ,リクガメなどの爬虫類で,とりわけガラガラヘビ類は,砂地を泳ぐように移動できる特殊な構造を発達させている。哺乳類はラクダを除けば小型の齧歯類がほとんどである。これらの動物は高温や高濃度の尿に対する耐性,皮膚呼吸の減少といった生理的適応をもってはいるが,主として行動的な適応によって厳しい環境に対処している。ほとんど例外なく,昼間は岩陰や地中の巣穴に潜んで暑さを耐え,涼しくなった夕方からようやく活動を開始する。鳥類でもこの原則は変わらないが,〈渡り〉という手段を使って,乾季を避けるものもいる。哺乳類,鳥類とも乾季に手に入る食物の性質上,種子食,昆虫食のものが圧倒的である。
執筆者:浦本 昌紀
聖書と砂漠
風土的・地理的表象としての砂漠の中に,まったく独自の宗教的意味を見いだし,砂漠の文学を展開したのは古代イスラエル人である。旧約聖書によると,ヘブライ語における砂漠の表示語ミドバールは,耕地の反対表示語である以上に呪われた土地であり,悪霊の生息地であった。砂漠は〈雨と豊饒の優しい風〉の届かない乾いた荒野であり,〈熱風が吹き荒れ〉,〈火の蛇や蠍(さそり)がいる〉,〈石と塩穴だらけ〉の荒地には違いないが,それ以上に,悪霊の生息する陰府,死者たちの国,呪詛の地だというのである。このことは,砂漠が本来砂漠だったのではなく,神の呪いの結果として砂漠となった,あるいはなりつつあるという観念と結合している。このことに関連して,砂漠を意味するイスラエル人のもう一つの表示語シェマーマーの独特な用法に触れておく必要がある。シェマーマーは,名詞としては荒野を意味し,ミドバールと同義語であるが,動詞としては〈麻痺する〉を意味し,人間の霊魂がなえて活動不能に陥った状態を表しているからである。それは,イスラエル人にとって霊魂が悪霊に取り憑(つ)かれた状態にほかならなかった。こうした人間内部の荒廃を〈罪〉という言葉に置き換えると,砂漠=シェマーマーの表示する現実は,人間における罪の現実ということになる。罪人とは,さながら砂漠のように荒廃した人間をいう。イスラエル人が,なぜに癩病人や精神病者や身体上の障害者を戦慄をもって見たかは,ここにその理由がある。事実,こうした病気に取り憑かれた人間が町を追放されてすみつくところは,無人の廃墟か砂漠の墓場以外にはなかったのである。しかしそうであればこそ,ヤハウェの救済行為は,砂漠を一瞬にして,サフランが花咲き,水の湧き出る緑の沃野に変えることだというモティーフが,旧約文学に美しいイメージとなって結晶したのである。〈荒野と,乾いた地とは楽しみ,砂漠は喜びて花咲き,サフランのように,さかんに花咲き,かつ喜び楽しみ,かつ歌う……〉(《イザヤ書》35:1以下)。
執筆者:山形 孝夫