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社会(シャカイ)とは? 意味や使い方 - コトバンク

社会しゃかいみ)シャカイ英語えいご表記ひょうき)society

翻訳ほんやくsociety

デジタル大辞泉だいじせん社会しゃかい」の意味いみみ・例文れいぶん類語るいご

しゃ‐かい〔‐クワイ〕【社会しゃかい

英語えいご society の訳語やくごとして「社会しゃかい」をてたのは、明治めいじ初期しょき福地桜痴ふくちおうちみなもと一郎いちろうである》
人間にんげん共同きょうどう生活せいかつ総称そうしょう。また、ひろく、人間にんげん集団しゅうだんとしてのいとなみや組織そしきてきいとなみをいう。「社会しゃかい奉仕ほうしする」「社会しゃかい参加さんか」「社会しゃかい生活せいかつ」「国際こくさい社会しゃかい」「たて社会しゃかい
人々ひとびと生活せいかつしている、現実げんじつなか世間せけん。「社会しゃかいおもきをなす」「社会しゃかい適応てきおうする」「社会しゃかいる」
ある共通きょうつうこうによってくくられ、から区別くべつされる人々ひとびとあつまり。また、仲間なかま意識いしきをもって、みずからを区別くべつする人々ひとびとあつまり。「学者がくしゃ社会しゃかい」「海外かいがい日本人にっぽんじん社会しゃかい」「上流じょうりゅう社会しゃかい
共同きょうどう生活せいかつする同種どうしゅ動物どうぶつあつまりを1になぞらえていうかたり。「ライオンの社会しゃかい
社会しゃかい」のりゃく
[類語るいご](1ソサエティーコミュニティー/(2なか世間せけん民間みんかん巷間こうかんこうかん市井しせいしせい江湖こうここうこ天下てんか世俗せぞく俗世ぞくせ世界せかい世上せじょう人中ひとなか

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精選せいせんばん 日本にっぽん国語こくごだい辞典じてん社会しゃかい」の意味いみみ・例文れいぶん類語るいご

しゃ‐かい‥クヮイ社会しゃかい

  1. 名詞めいし ( 「きんおもえろくほうるい」の「さとみんため社会しゃかいいちためりつじょういち、旌べつ善悪ぜんあくいち使つかいゆうすすむゆういちはじ」からかたり )
  2. 人々ひとびとあつまり。人々ひとびとがよりあつまって共同きょうどう生活せいかつをする形態けいたい。また、近代きんだい社会しゃかいがくでは、自然しぜんてきであれ人為じんいてきであれ、人間にんげん構成こうせいする集団しゅうだん生活せいかつ総称そうしょうとしてもちいる。家族かぞく村落そんらく、ギルド、教会きょうかい階級かいきゅう国家こっか政党せいとう会社かいしゃなどはその主要しゅよう形態けいたいである。
    1. [初出しょしゅつ実例じつれい]「いちかい男子だんし壮健そうけんものえらべて、たてこくまんぐんおこすべし、しかして其余しゅなお社会しゃかいそらせず」(出典しゅってん輿地よちりゃく(1826))
  3. 一般いっぱんてきに、家庭かてい学校がっこうをとりまくなか世間せけん
    1. [初出しょしゅつ実例じつれい]「旧幕きゅうばく時代じだい社会しゃかい(シャクヮイ)とちがって、いま何事なにごと自由じゆうだから」(出典しゅってん当世とうせい書生しょせい気質きしつ(1885‐86)〈坪内つぼうち逍遙しょうようさん)
  4. ある特定とくてい仲間なかま同類どうるい範囲はんい。また、何人なんにんかがあつまって構成こうせいする特定とくていをいう。
    1. [初出しょしゅつ実例じつれい]「以社会しゃかい綿綿めんめんじゅう有余ゆうよねん」(出典しゅってん日本にっぽん詩史しし(1771)さん)
    2. 上方かみがた書生しょせいにや、此社かい(シャクヮイ)にはいとまれなる注意ちゅういとこそおもはれたれ」(出典しゅってん当世とうせい書生しょせい気質きしつ(1885‐86)〈坪内つぼうち逍遙しょうようさん)
  5. しゃかいか(社会しゃかい
  6. 生物せいぶつがくで、群落ぐんらく群棲ぐんせい

社会しゃかいかたり

( 1 )幕末ばくまつから明治めいじ初期しょきにかけて、西洋せいようの society という概念がいねん対応たいおうする訳語やくごとしては「交際こうさい」「仲間なかま」「くみ」「連中れんちゅう」「社中しゃちゅう」などがてられていた。そのなかで、福地桜痴ふくちおうち明治めいじはちねんいちはちなないちがついちよんにちの「東京日日新聞とうきょうにちにちしんぶん」にはじめて「ソサイチー」のルビきで「社会しゃかい」というかたり使用しようした。
( 2 )かず英語えいごりん集成しゅうせい」の初版しょはんにはないが、改正かいせい増補ぞうほばんいちはちはちろく)では見出みだつようになる。ただし、最初さいしょ当時とうじの「会社かいしゃ」とかさなる部分ぶぶんおおく、かなりせま意味いみもちいられていた。明治めいじいちねんごろから一般いっぱん普及ふきゅうし、現在げんざいのようなひろ意味いみ使用しようされるようになった。

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改訂かいてい新版しんぱん 世界せかいだい百科ひゃっか事典じてん社会しゃかい」の意味いみ・わかりやすい解説かいせつ

社会しゃかい (しゃかい)
society

複数ふくすうひとびとが持続じぞくてきひとつの共同きょうどう空間くうかんあつまっている状態じょうたい,またはそのあつまっているひとびと自身じしん,ないしかれらのあいだのむすびつきを社会しゃかいという。この定義ていぎでは,街頭がいとう群集ぐんしゅう映画えいが観衆かんしゅうのような流動的りゅうどうてき一時いちじてきたかりは排除はいじょされているが,ひとびとのあいだに相互そうご行為こういがあるとか役割やくわり関係かんけいがあるとか共通きょうつう文化ぶんかがあるとかいったような,社会しゃかいがくてきによりたちいった限定げんていについてはまだふれられていない。これらのてん考察こうさつはもうすこしあとの段階だんかいべよう。

 日本語にほんごの〈社会しゃかい〉というかたりは,1875ねんに,《東京日日新聞とうきょうにちにちしんぶん》の主筆しゅひつをしていた福地桜痴ふくちおうちによって,英語えいごのsocietyの訳語やくごとしてつくられたという。当時とうじは,ほかに〈世態せたい〉〈会社かいしゃ〉〈仲間なかま〉〈交際こうさい〉などの訳語やくごおこなわれていたが,しだいに淘汰とうたされて〈社会しゃかい〉に一本いっぽんされていった。つまりこのかたり訳語やくごとして登場とうじょうしたのであって,それ以前いぜん日本にっぽんには概念がいねんとしてなかったものである,というてん重要じゅうようである。しかし江戸えど時代じだいには,井原いはら西鶴さいかくの《世間せけん胸算用むなざんよう》(1692)や,江島えじま其磧きせき(きせき)の《世間せけん子息しそく気質きしつ(むすこかたぎ)》(1715)などの題名だいめい使つかわれている〈世間せけん〉というかたりがあって,〈ひと〉〈なか〉といった意味いみをあらわしていた。

 中国ちゅうごくかんしては,そうだい儒学じゅがくしゃほど伊川いがわ(1033-1107)の遺著いちょほど全書ぜんしょ》に〈さとみんため社会しゃかい〉とあるのが引用いんようされるのがつねである(この朱子しゅしりょけんによってへんさんされた《きんおもえろく》にも収録しゅうろくされている)。しかし中国ちゅうごくふる語義ごぎでは,〈しゃshè〉というのは土地とちかみまつったところという意味いみで,上記じょうき用例ようれいではこれにひとびとのたかりという意味いみの〈かいhuì〉をつけて,〈村人むらびとたちが土地とちかみまつったところにあつまる〉といっているのであるから,これは現代げんだい意味いみでの社会しゃかいとはべつのことである。現代げんだい中国ちゅうごくもちいる〈社会しゃかい〉は,日本語にほんごからのぎゃく輸入ゆにゅうによるものである。

 英語えいごのsocietyはフランス語ふらんすごのsociétéが16世紀せいき導入どうにゅうされて変化へんかしたもので,フランス語ふらんすごはラテンけい言葉ことばだからsociétéの語源ごげんラテン語らてんごのsocietasである。societasは仲間なかま共同きょうどう連合れんごう同盟どうめいといった意味いみをあらわしていた。ドイツGesellschaft語幹ごかんGeselleはSaalgenoss,すなわち〈同一どういつしつにいる仲間なかまたち〉を語源ごげんとするもので,この空間くうかんてき表象ひょうしょう中世ちゅうせい後期こうきに〈ひとびとのむすびつきVerbindungen von Menschen〉を意味いみするものにてんじて,〈社会しゃかい〉の概念がいねんができた。明治めいじ初年しょねん日本にっぽん知識ちしきじんたちが,これらの西洋せいようを〈仲間なかま〉とか〈交際こうさい〉などとやくしたのは語義ごぎとしてたっていたということができる。

 しかし西洋せいようのこれらの概念がいねんは,いずれも近代きんだい初頭しょとう,すなわち17~18世紀せいきにおいて社会しゃかい科学かがく母体ぼたいをなしたイギリスおよびフランスの啓蒙けいもう思潮しちょうと,その系譜けいふくイギリスの道徳どうとく哲学てつがくおよび古典こてん経済けいざいがく,フランスの理性りせい主義しゅぎてき進歩しんぽ史観しかんおよび実証じっしょう哲学てつがく,ドイツの観念論かんねんろん哲学てつがくなどのしょ思想しそうなかで,〈市民しみん社会しゃかいcivil society,bürgerliche Gesellschaft〉という,抽象ちゅうしょうされた概念がいねんへとたかめられ,近代きんだい思想しそう中核ちゅうかく形成けいせいするにいたる。この抽象ちゅうしょうされた中核ちゅうかく概念がいねんをあらわすのに,日常にちじょうせいなかでの具体ぐたいてきイメージをになった〈仲間なかま〉とか〈交際こうさい〉ではぐあいがわるい。〈社会しゃかい〉というかたりは,江戸えど時代じだいまでの日本にっぽんになかったあたらしい造語ぞうごであるてんで,またその抽象ちゅうしょうされた語感ごかんとあいまって,この西洋せいよう近代きんだい中核ちゅうかく思想しそうをよく日本語にほんごなかうつ効力こうりょく発揮はっきしたということができよう。

社会しゃかいもっとひろ意味いみでは人間にんげんかんする事象じしょう総体そうたい(ただし自然しぜんとしての人間にんげん,すなわち生理せいりてき動物どうぶつてきレベルの事象じしょうのぞく),すなわち〈自然しぜんたい社会しゃかい〉という対比たいひ文脈ぶんみゃくでの社会しゃかい意味いみする。これはギリシア哲学てつがく以来いらいのフュシスたいノモスという対比たいひにおけるノモスにたり,人間にんげんにとって所与しょよ自然しぜんたいして,人間にんげんがつくった習慣しゅうかん法律ほうりつ制度せいどなど人為じんい世界せかいをあらわしている。これがここでいう広義こうぎ社会しゃかいであって,自然しぜん科学かがくたいする意味いみで,社会しゃかい科学かがくというときの社会しゃかいは,この意味いみのものである。社会しゃかい科学かがくは,経済けいざいがく政治せいじがく法律ほうりつがく社会しゃかいがくをはじめとするおおくの個別こべつ科目かもくふくみ,広義こうぎ社会しゃかいというのはこれらのしょ科目かもく研究けんきゅう対象たいしょうである経済けいざい政治せいじほう規範きはん狭義きょうぎ社会しゃかいとうおおくのしょ現象げんしょう包含ほうがんしている。

 広義こうぎ社会しゃかいから区別くべつされたものとしての狭義きょうぎ社会しゃかいとは,冒頭ぼうとう定義ていぎした複数ふくすうひとびとの持続じぞくてきたかりの,あらゆる種類しゅるいのもの,あらゆるおおきさのものを総称そうしょうする。かくしてしょう恋人こいびとどうしの2人ふたり社会しゃかいから,たい国民こくみん社会しゃかい世界せかい社会しゃかいにいたるまでのものが,社会しゃかいである。狭義きょうぎ社会しゃかいは,個別こべつ社会しゃかい科学かがくの1科目かもくとしての社会しゃかいがく研究けんきゅう対象たいしょうである。しかし狭義きょうぎ社会しゃかいもまた,種類しゅるいことにするさまざまなものをふくんでいるので,社会しゃかい学者がくしゃはそれらをいろいろに分類ぶんるいしてきた。ここでは,ひろもちいられる基本きほんてき分類ぶんるいじくだけをしめそう。

その内部ないぶ人間にんげん必要ひつようとするすべての生活せいかつじょう欲求よっきゅう充足じゅうそくされる社会しゃかい。その意味いみ自足じそくてき社会しゃかいである。その範囲はんいは,未開みかい社会しゃかいではごくちいさく,文明ぶんめい社会しゃかいになるほど拡大かくだいする。狩猟しゅりょう採取さいしゅ社会しゃかいおよびえんこう社会しゃかい初期しょき原始げんしてき農耕のうこう)では部族ぶぞく社会しゃかいtribal societyがこれにたり,農業のうぎょう社会しゃかいでは農村のうそん共同きょうどうたいrural community,Agrargemeinschaftがこれにたり,近代きんだい国民こくみん国家こっか成立せいりつ以降いこうでは国民こくみん社会しゃかいnational societyがこれにたり,そして現代げんだいではそれがしだいに世界せかい社会しゃかいworld societyにかって拡大かくだいしつつある。

(1)地域ちいき社会しゃかい 地縁ちえんによって形成けいせいされる社会しゃかい,すなわち地理ちりじょうテリトリー共有きょうゆうするひとびとから社会しゃかいマッキーバーアソシエーションから区別くべつしてコミュニティんだものがこれであって,農村のうそん都市としがその2だい区分くぶんをなす。かなら一定いってい政治せいじてき区分くぶんされたテリトリーとむすびついていることを本質ほんしつてき特性とくせいとしており,このてんつぎべる集団しゅうだん区別くべつされる。前述ぜんじゅつ全体ぜんたい社会しゃかいは,地域ちいき社会しゃかいなか最大さいだいのものにたる。

(2)集団しゅうだん 地縁ちえんによらず,すなわち場所ばしょという要因よういんしばられずに(たとえば家族かぞく自由じゆうせるし,企業きぎょう自由じゆう立地りっちえらべる)形成けいせいされるすべての持続じぞくてきたかり。これはさらにつぎふたつにけられる。(a)基礎きそ集団しゅうだん 血縁けつえんおよび婚姻こんいん関係かんけいによってつくられる家族かぞくおよび親族しんぞく基礎きそ集団しゅうだんという。家族かぞく親族しんぞく限定げんていされた一部いちぶすわけだから,親族しんぞくkinship,Verwandtschaft,parentéによってこれを代表だいひょうさせてもよい。基礎きそ集団しゅうだんと,まちとかむらのような地域ちいき社会しゃかいとをわせたものを,〈基礎きそ社会しゃかい〉とぶいいかたもある。これは,親族しんぞく地域ちいき社会しゃかい人類じんるい歴史れきしとともにふるく,狩猟しゅりょう採取さいしゅ社会しゃかいから現代げんだい産業さんぎょう社会しゃかいまでをふくめて,すべての社会しゃかい普遍ふへんてきであることをいいあらわしたものである。しかし家族かぞく機能きのうは,狩猟しゅりょう採取さいしゅ社会しゃかいにおいて家族かぞくがほとんど唯一ゆいいつ社会しゃかい集団しゅうだんであった段階だんかいにはぜん包括ほうかつてきなものだったのにたいし,近代きんだい以降いこうさまざまな機能きのう集団しゅうだん噴出ふんしゅつするにおよんで,しだいに縮小しゅくしょうしてきた。とりわけ,家族かぞくをこえる親族しんぞく集団しゅうだんは,冠婚葬祭かんこんそうさい以外いがいにはほとんど機能きのううしない,かつ頻繁ひんぱん地域ちいき移動いどう影響えいきょうけ,急速きゅうそく解体かいたいかいつつある。(b)機能きのう集団しゅうだん 機能きのう集団しゅうだん目的もくてき集団しゅうだんともいわれ,機能きのうべつないし目的もくてきべつ組織そしきされた集団しゅうだんである。企業きぎょう政府せいふ官庁かんちょう自治体じちたい学校がっこう研究所けんきゅうじょ宗教しゅうきょう団体だんたい,スポーツ団体だんたい,そのきわめておおくの集団しゅうだんおよび組織そしき集団しゅうだんなか目的もくてき達成たっせいかって組織そしきされている度合どあいのとくにたかいものを組織そしきという)が,これにぞくする。近代きんだい以前いぜん社会しゃかいにおいては,機能きのう集団しゅうだん国家こっか組織そしき宗教しゅうきょう組織そしきなどにかぎられ,企業きぎょうはまだだい部分ぶぶん家族かぞく分離ぶんりであったので,ごくすくなかった。機能きのう集団しゅうだん噴出ふんしゅつは,近代きんだい社会しゃかいにおける機能きのう分化ぶんか対応たいおうするもので,近代きんだいもっともいちじるしい特性とくせいひとつである。マッキーバーがコミュニティにたいしてアソシエーションとんだものはだい部分ぶぶんここにいう機能きのう集団しゅうだんであったが,ただマッキーバーは近代きんだい家族かぞくを,分化ぶんかした機能きのうひとつをけている集団しゅうだん見立みたてて,これをもアソシエーションにふくめた。この観点かんてんからは国家こっかもアソシエーションのひとつとみなされ,この見解けんかいが20世紀せいき初頭しょとうにおける〈多元的たげんてき国家こっかろん〉の主張しゅちょううらづけとなった。ただL.vonウィーゼのように,国家こっか集団しゅうだんぶのは適切てきせつでないとして,集団しゅうだんとはべつのカテゴリーである〈抽象ちゅうしょうてき集合しゅうごうたいabstrakte Kollektiva〉というような名称めいしょうをこれにてたものもある。

ひとはなぜ社会しゃかいをつくるか。このもっと基本きほんてきといたいするこたえとして,従来じゅうらいいくつかのかんがかた提示ていじされてきた。西洋せいよう近代きんだい初頭しょとうの17世紀せいきにおいて社会しゃかい科学かがく出発しゅっぱつてんをなしたホッブズロックにあっては,この問題もんだいつぎのようにこたえられた。

 まずホッブズは,人間にんげん自然しぜん状態じょうたいを〈まんにんまんにんたいする闘争とうそう〉の状態じょうたいとして想定そうていし,このような状態じょうたいのもとでは〈継続けいぞくてき恐怖きょうふと,暴力ぼうりょくによる危険きけんとがそんし,人間にんげん生活せいかつは,孤独こどくまずしく険悪けんあく残忍ざんにんでしかもみじかい〉ので,人間にんげんたちは相互そうご契約けいやくむすび,個々人ここじんあたえられた自然しぜんけん一部いちぶ主権しゅけんしゃ譲渡じょうとしたのである,と説明せつめいした。この譲渡じょうとによって,ひとびとは国家こっか主権しゅけんふくしなければならなくなったてん自由じゆううしなったが,それと引換ひきかえに秩序ちつじょによる安全あんぜん保証ほしょうた。かくして自然しぜん状態じょうたい解消かいしょうされ,人間にんげん社会しゃかい状態じょうたい開始かいしされた(《リバイアサン》1651)。

 つぎにロックは,ホッブズとことなって自然しぜん状態じょうたいのもとで人間にんげん平和へいわであり,すべての個人こじんまれながらにしてもっている自然しぜんけん尊重そんちょうしあってきていたとの想定そうていつものであったが,そうかんがえた場合ばあいでも秩序ちつじょみだ他人たにん財産ざいさんぬすんだり他人たにんころしたりする不心得ふこころえしゃがあらわれるので,これを公的こうてき権力けんりょくによってさばくことができるようにするために,自然しぜんけん譲渡じょうとおこなって国家こっか主権しゅけん成立せいりつした,と説明せつめいした。そのような公権力こうけんりょくとしての国家こっか主権しゅけん形成けいせいされた状態じょうたいを,ロックは市民しみん社会しゃかいcivil societyとんだ。市民しみん社会しゃかい目的もくてき生命せいめい安全あんぜん私有しゆう財産ざいさん保全ほぜんにある,とロックはかんがえた(《統治とうちろん》1689)。

 ホッブズとロックの理論りろんは,近代きんだい市民しみん社会しゃかい基礎きそづけをあたえたものとして,すべての社会しゃかい科学かがく思想しそうがそこからてくる共通きょうつう源泉げんせんをなす。社会しゃかいがくにとってもこのてん同様どうようである。それらは直接的ちょくせつてきには,国家こっか権力けんりょく形成けいせい説明せつめいしているのであって,社会しゃかいそのものの形成けいせい説明せつめいしているのではない。とくにロックの理論りろんは,最初さいしょから人間にんげん社会しゃかい状態じょうたい仮定かていしているから,社会しゃかいそのものはそこでは説明せつめいされていないといわねばならない。しかしホッブズの理論りろんは,社会しゃかい契約けいやくによって説明せつめいしたものとしても解釈かいしゃくすることができる。ホッブズにおいては,社会しゃかい国家こっかとはまったくかさなっていて区別くべつされえない。だからそれは,国家こっか契約けいやくせつであるとともに,また社会しゃかい契約けいやくせつであるともいえる。

 社会しゃかい契約けいやくせつ社会しゃかい形成けいせいについてのひとつの説明せつめいみとめるにしても,その場合ばあい契約けいやくというのはたんなる説明せつめいじょうフィクションたるにとどまるてん問題もんだいとなる。なぜなら社会しゃかい人類じんるい歴史れきしとともにふるいのであって,売買ばいばい契約けいやくのようにどこかある時点じてん成立せいりつしたものではないからである。そこで,このような概念的がいねんてきフィクションによるのでないもうすこ科学かがくてき説明せつめいもとめられる。

 ホッブズから2世紀せいきほどたって,近代きんだい啓蒙けいもう思想しそう系譜けいふなかから19世紀せいきなかばに社会しゃかいがくひとつの独立どくりつ学問がくもんとしてまれ以来いらい,この課題かだいこたえようとするさまざまのこころみがなされたが,それらはおおきくけて,人間にんげん群居ぐんきょ本能ほんのうinstinct of gregariousnessをもつといった説明せつめいと,人間にんげん合理ごうりてき判断はんだん結果けっか目的もくてきてき動機どうきづけられて社会しゃかい生活せいかつもとめるといった説明せつめいとのいずれかに帰着きちゃくし,この両者りょうしゃ対立たいりつする傾向けいこうがみられた。マッキーバーは,このような〈本能ほんのうせつと〈合理ごうりせつのあいだのはてしない論議ろんぎけるのが賢明けんめいであるとして,両者りょうしゃ中間ちゅうかんに〈意志いしされた関係かんけいwilled relations〉という概念がいねんてることを提案ていあんし,これによって社会しゃかい形成けいせい説明せつめいしうるとした(《コミュニティ》1917)。高田たかだ保馬やすまは,マッキーバーのこのせつけてこれを〈のぞまれたる共存きょうぞん〉と表現ひょうげんし,共存きょうぞん欲求よっきゅうというものを仮説かせつした。高田たかだは,この共存きょうぞん欲求よっきゅうには2種類しゅるいのものがあるとし,そのひとつは他者たしゃとの結合けつごうそれ自体じたいもとめる〈結合けつごうのための結合けつごう〉,もうひとつは目的もくてき達成たっせいのための手段しゅだんとして他者たしゃとの結合けつごうもとめる〈利益りえきのための結合けつごう〉であるとして,上記じょうきりょうせつをそれぞれ位置いちづけた(《社会しゃかいがく概論がいろん初版しょはん1922,改訂かいていばん1950)。

 現代げんだい社会しゃかい学説がくせつとしては,T.パーソンズマートン,レビーMarion J.Levyらの機能きのう理論りろんfunctional theoryないし構造こうぞう-機能きのう理論りろんstructural-functional theoryが代表だいひょうてきである。これらの学説がくせつにおけるかんがかたのだいたいの傾向けいこうつぎのようなものである。すなわち,まず行為こうい理論りろんから出発しゅっぱつして人間にんげん行為こうい目的もくてき欲求よっきゅう充足じゅうそくneed gratificationにあるとする。しかしながら人間にんげん単独たんどくではそれらの欲求よっきゅう充足じゅうそくすることができず,そこで他者たしゃ目的もくてき手段しゅだん,あるいは条件じょうけんなどとして,自己じこのあるいは他者たしゃとの共同きょうどう欲求よっきゅう充足じゅうそくするために社会しゃかいシステムをつくる。社会しゃかいシステムの機能きのうは,個人こじんからみれば最終さいしゅうてきには個人こじん行為こういしゃ(パーソナリティ・システム)の欲求よっきゅう充足じゅうそくにあるが,しかしひとたび社会しゃかいシステムが形成けいせいされると,社会しゃかいシステムとパーソナリティ・システムは相互そうご独立どくりつのシステムとなり,両者りょうしゃはレベルをことにするので,社会しゃかいシステムはそれ自身じしん存続そんぞくのために社会しゃかいシステム自体じたいとしての機能きのうてき要件ようけんfunctional requirementの充足じゅうそくもとめるようになる,というのである。このかんがかた特徴とくちょうは,社会しゃかい形成けいせいされる理由りゆうをそれがたす機能きのうによって説明せつめいすることにあると同時どうじに,個人こじん(パーソナリティ・システム)レベルと社会しゃかい社会しゃかいシステム)レベルとを独立どくりつさせることによって,個人こじん観点かんてんからする目的もくてきろんてき説明せつめいけることにある,といえよう(パーソンズ社会しゃかい体系たいけいろん》1951,その)。

人間にんげんがなぜ社会しゃかいをつくるかということについての機能きのうてき観点かんてんからする説明せつめいは,動物どうぶつ社会しゃかいについての研究けんきゅうからの示唆しさによって補強ほきょうされうる。ミツバチやアリの社会しゃかいはその全体ぜんたいが〈ちょう個体こたい〉とばれるが,これは1ひきずつの個体こたい生殖せいしょく食物しょくもつ獲得かくとく両方りょうほう能力のうりょくそなえていないために自立じりつできないことが,機能きのうてき社会しゃかい形成けいせい要求ようきゅうする極端きょくたんれいである。これと対照たいしょうてきに,ミツバチやアリ以外いがいおおくの昆虫こんちゅうは,おや植物しょくぶつうえたまごみつけると,あとはおや世話せわにならずにそのべて自力じりき成長せいちょうするので,社会しゃかいをつくる機能きのうてき必要ひつようがない。だからそれらの昆虫こんちゅう社会しゃかいをつくらない。

 脊椎動物せきついどうぶつ以上いじょうでは,どもはおや世話せわをしないと自力じりきでは成長せいちょうできないので,どもがいち人前にんまえになるまでのあいだ家族かぞく形成けいせいおこなわれる。すなわち,哺乳類ほにゅうるいではおやどもにちちあたえなければならないし,鳥類ちょうるいではおやたまごをあたためなければならないだけでなく,ひなになってからはえさをとってきてやらなければならない。これらの機能きのうてき必要ひつようからかれらは家族かぞくをつくり,そしてどもが成長せいちょうして自立じりつできるようになるやいなや,ある突然とつぜんにその家族かぞく解体かいたいする。すなわち,社会しゃかい形成けいせいはその機能きのうによって説明せつめいされうるのである。

 人間にんげんどもは動物どうぶつ類例るいれいをみないほど長期間ちょうきかんにわたって無力むりょくであり,そのことが人間にんげん社会しゃかいにおける家族かぞく永続えいぞくてき普遍ふへんせい理由りゆう説明せつめいする。また人間にんげん欲求よっきゅう動物どうぶつ類例るいれいをみないほど高度こうどであるため,食物しょくもつさえ単独たんどくでは調達ちょうたつできず,人間にんげん欲求よっきゅう充足じゅうそくなか自力じりきでなしうるのは呼吸こきゅう排便はいべん睡眠すいみんその,ほんのわずかなものにかぎられる。そしてこの単独たんどく個人こじん無力むりょくさは,文明ぶんめい発達はったつがすすめばすすむほど進行しんこうするのである。なぜなら,産業さんぎょう文明ぶんめい高度こうどとは社会しゃかい構造こうぞうてきには社会しゃかい分化ぶんか,すなわち分業ぶんぎょう進展しんてん意味いみし,分業ぶんぎょう進展しんてんとは個人こじん部品ぶひんしていくことにほかならないからである。こうして,人間にんげん動物どうぶつふくめて,社会しゃかい形成けいせい欲求よっきゅう性質せいしつから機能きのうてき説明せつめい可能かのうである,ということができる。
執筆しっぴつしゃ

生物せいぶつ社会しゃかいみとめることにたいして擬人ぎじん主義しゅぎであるとの批判ひはんがかつてはあったが,今日きょうすくなくとも動物どうぶつ社会しゃかいという表現ひょうげん一般いっぱん公認こうにんされている(そのあいだ歴史れきしについては〈動物どうぶつ社会しゃかいがく〉の項目こうもく参照さんしょうされたい)。以下いか動物どうぶつ社会しゃかいについてろんじるが,植物しょくぶつ社会しゃかいについては〈植物しょくぶつ群落ぐんらく〉の項目こうもくあつかう。

社会しゃかいてき現象げんしょうというとき,集合しゅうごう現象げんしょうのみが注目ちゅうもくされがちであるが,離散りさん集合しゅうごう同様どうようたね社会しゃかい維持いじのための重要じゅうよう役割やくわりたす。たとえば,母系ぼけいてき単位たんい集団しゅうだんをもつニホンザル社会しゃかいでは,ゆうせい成熟せいじゅく前後ぜんこう出自しゅつじ集団しゅうだんはなれ,放浪ほうろうののち集団しゅうだん加入かにゅうする。したがってニホンザルのたね社会しゃかいは,たがいに社会しゃかいてき距離きょりをおいて分散ぶんさん対立たいりつする単位たんい集団しゅうだんと,その空隙くうげき(くうげき)を彷徨ほうこう(ほうこう)するゆう単独たんどく行動こうどうしゃによってしきすることができる。しかし,このような集団しゅうだん形成けいせいせず,単独たんどく行動こうどうしゃのみからなるたね社会しゃかいすくなくなく,このようなれいでは,交尾こうびにおける出会であいと,めすにまかされる育児いくじだけが社会しゃかいてき交渉こうしょうをもつ期間きかんとなる。夜行やこうせい原猿げんえんるいしょくむしるい食肉しょくにくるいなどのおおくがこのような社会しゃかいをもっている。脊椎動物せきついどうぶつ下等かとう脊椎動物せきついどうぶつでは,交尾こうびにおける雌雄しゆう社会しゃかいてき交渉こうしょうがあるだけで育児いくじくものがすくなくない。昆虫こんちゅうるい魚類ぎょるい両生類りょうせいるい爬虫類はちゅうるいなどは,産卵さんらんによっておやだいつとめをわり,あとは世代せだい自力じりき孵化ふか(ふか)と成長せいちょうにゆだねる。しかし,社会しゃかいせい昆虫こんちゅうをつくって雌雄しゆうそだてるトゲウオ,くちなかれて保護ほごするマウス・ブリーダーといわれるシクリッドさかななど例外れいがいてき存在そんざいもある。このような生活せいかつにおける世代せだいかさなりあいは,生得しょうとくてき能力のうりょくくわえて学習がくしゅう可能かのうとする機会きかいあたえるがゆえに重要じゅうよう意味いみをもつが,本格ほんかくてき学習がくしゅう哺乳類ほにゅうるいにいたってみとめられる。社会しゃかいせい昆虫こんちゅうひとつのコロニーには,女王じょおうおう,ワーカー(はたらきアリ,はたらきバチ),へいなどの形態けいたい機能きのうことにするいくつかの階級かいきゅうによって構成こうせいされ,繁殖はんしょく労働ろうどう防衛ぼうえいなどの分業ぶんぎょうてき体制たいせいによってコロニーを運営うんえいするものがあり,今西いまにし錦司きんじはこの全体ぜんたいちょう個体こたいてき個体こたいんだ。

 社会しゃかい発達はったつろんずるにあたって重要じゅうよう目安めやすとなるのは,個体こたいあいだ相互そうご認知にんちがあるかかというてんである。社会しゃかいせい昆虫こんちゅうなかには,女王じょおう分泌ぶんぴつぶつおなじコロニーの構成こうせいいん分有ぶんゆうすることによって相互そうご認知にんちしあっているものがあるが,アシナガバチのように個体こたいあいだ優劣ゆうれつがあり,より高度こうど認知にんち能力のうりょくしめすものもある。しかし哺乳類ほにゅうるい以外いがい脊椎動物せきついどうぶつ脊椎動物せきついどうぶつには個体こたい相互そうごあいだ認知にんちがないものがおおく,これらの集合しゅうごう無名むめいれanonymous groupとぶ。このような集合しゅうごうはまた,一般いっぱん群集ぐんしゅうcrowdとばれるが,そのなかでは成員せいいん交換こうかん可能かのうであり,その構成こうせいはたえず変化へんかしている。繁殖はんしょくには,相互そうご認知にんちにもとづくつがいをつくっている鳥類ちょうるいも,わたりの時期じきには無名むめいだい集団しゅうだんをつくることがあるし,ぶし移動いどうおこなウシカモシカやハーティビーストのだい集団しゅうだん相互そうご認知にんちささえられているわけではない。

 個体こたい相互そうご認知にんちのために重要じゅうようはたらきをたすのは,血縁けつえん優劣ゆうれつである。安定あんていした単位たんい集団しゅうだんをもつ霊長れいちょうるいでは,母子ぼし認知にんち終生しゅうせいうしなわれることはない。また長期ちょうき観察かんさつ結果けっかから,兄弟きょうだい姉妹しまいとう血縁けつえん関係かんけいもなんらかのかたち認知にんちされていることがあきらかにされている。また,個体こたいあいだ安定あんていした優位ゆうい劣位れつい関係かんけいdominance and subordinance relationshipも,自他じたアイデンティティ規準きじゅんあたえ,おな集団しゅうだんない共存きょうぞんするための重要じゅうようきずな(きずな)となる。また,これらのきずなによってむすばれていない個体こたい相互そうごあいだには,さまざまなかたちでの敵対てきたいてき関係かんけいみとめられる。単独たんどく行動こうどうしゃ社会しゃかいでは個体こたいのなわばりが,集団しゅうだんあいだには集団しゅうだんのなわばりがみとめられる場合ばあいおおい。このように,ある空間くうかん占有せんゆう自他じたともにみとめあうことによって,すみわけて共存きょうぞんする社会しゃかいてきせいをなわばりせいterritorialityという。しかし集団しゅうだんあいだにも優劣ゆうれつみとめられることがあり,そのような場合ばあいにはちからおうじた空間くうかんてきひろさによって均衡きんこうをとり,あるいは優位ゆうい集団しゅうだん接近せっきん劣位れつい集団しゅうだんけることによって衝突しょうとつける。

霊長れいちょうるいは,きわめて原始げんしてきたね社会しゃかいから,高度こうど発達はったつげたものまでをふくみ,これらを系統的けいとうてきうことによって,社会しゃかい進化しんかみちすじをたどることができる。そのもっと原始げんしてき社会しゃかいは,ロリス,アイアイ,コビトキツネザルなどの夜行やこうせい単独たんどく行動こうどうしゃ社会しゃかいることができる。霊長れいちょうるいは,夜行やこうせいからひるぎょうせいへと進化しんかしたが,ひるぎょうせいになったものはすべて安定あんていした単位たんい集団しゅうだんをもつようになっている。霊長れいちょうるい単位たんい集団しゅうだん両性りょうせいからなり,特定とくてい要素ようそ個体こたい)を放出ほうしゅつし,かつ外部がいぶから受容じゅようするはん閉鎖へいさてき構造こうぞうをもっている。集団しゅうだん構成こうせいには,たんゆうたんめすたんゆうふくめすふくゆうふくめすの3がたみとめられるが,集団しゅうだん維持いじ機構きこうからするとのち2しゃはさらにかく2がたけられる。たんゆうたんめす集団しゅうだんは,霊長れいちょうるいにおけるもっと原型げんけいてき構造こうぞうかんがえられ,夜行やこうせい原猿げんえんメガネザル,アバヒ,ひるぎょうせい原猿げんえんインドリ,シファカ真猿しんえんのキヌザル,ヨザル,ティティ,サキ,そして類人猿るいじんえんテナガザルなどがこのかた集団しゅうだんをもっている。どもは両性りょうせいともせい成熟せいじゅくまでに出自しゅつじ集団しゅうだんはなれ,またいかなる個体こたい外部がいぶからの移入いにゅうゆるさないことによって,この集団しゅうだんのペアの構成こうせい維持いじされる。のこる4がたちゅうたんゆうふくめすふくゆうふくめすかく1がた母系ぼけい集団しゅうだんで,ゆうだけが集団しゅうだんあいだ移籍いせきする。このたんゆうふくめすかたは,オナガザルるいやく半数はんすうられるが,ふくゆうふくめすかたはキツネザル,ホエザル,クモザル,そしてオナガザルるいのこ半数はんすうられる。あとの2がたは,めす出自しゅつじ集団しゅうだん集団しゅうだん加入かにゅうするてん母系ぼけい集団しゅうだんとはことなっており,そのたんゆうふくめす構成こうせいをもつものがゴリラで,この社会しゃかいではゆうせい成熟せいじゅく前後ぜんこう出自しゅつじ集団しゅうだん離脱りだつするが,外部がいぶからのゆう移入いにゅうはない。したがって,離脱りだつしたゆうはそれぞれめすむすびついてあたらしい単位たんい集団しゅうだん形成けいせいする。チンパンジーピグミーチンパンジー集団しゅうだんふくゆうふくめす構成こうせいをもち,めす集団しゅうだんあいだ交換こうかんされるが,ゆう出自しゅつじ集団しゅうだんにとどまり,父系ふけい集団しゅうだん形成けいせいする。以上いじょうしょかた集団しゅうだん維持いじ機構きこうは,近親きんしんこん回避かいひふかむすびついている。ヒトをのぞ霊長れいちょうるい社会しゃかいには,人間にんげん社会しゃかいられるような家族かぞく形成けいせいられない。特定とくてい雌雄しゆう恒常こうじょうてき結合けつごうせいによる分業ぶんぎょう集団しゅうだんあいだ対立たいりつ解消かいしょう,そして言語げんご社会しゃかい制度せいど発生はっせいなどとふかむすびついているにちがいない家族かぞく起源きげん解明かいめいは,直立ちょくりつそく歩行ほこう起源きげんならんで古来こらい人類じんるいがくじょう難問なんもんとされている。ふくゆうふくめすのオナガザルるい集団しゅうだんは,順位じゅんい秩序ちつじょによってつらぬかれた集団しゅうだん換言かんげんすれば不平等ふびょうどう原理げんりによってささえられた集団しゅうだんであった。ところがおなじような構成こうせい集団しゅうだんをもつチンパンジーやピグミーチンパンジーの社会しゃかいでは,平等びょうどう原則げんそくにもとづく社会しゃかいてき交渉こうしょうおおられるようになる。多彩たさい挨拶あいさつ行動こうどう,とくにピグミーチンパンジーの社会しゃかいでは性器せいきもちいての頻繁ひんぱん宥和ゆうわ(ゆうわ)行動こうどうだつようになり,また食物しょくもつ分配ぶんぱい集団しゅうだんない個体こたいあいだあたらしい共存きょうぞんのありかた示唆しさするものだといってよいであろう。チンパンジーをもちいた実験じっけん心理しんりがくてき研究けんきゅうは,高度こうど言語げんごてき機能きのう存在そんざい実証じっしょうしているが,このような心理しんりてき能力のうりょく進化しんかともなって社会しゃかい内容ないようにも変化へんかられるのである。日本にっぽん研究けんきゅうしゃは,ニホンザルのあいだ食物しょくもつしょく行動こうどうなどの相違そういみとめられ,これらの行動こうどうはそれぞれのれで伝承でんしょうされていることをあきらかにして,それをカルチャーcultureとんだ。同様どうよう現象げんしょうは,チンパンジーの社会しゃかいにより高度こうどかたちられた。それは,アリやシロアリをってべる道具どうぐにもられたし,ある地域ちいき集団しゅうだん個体こたいけんはていしってべるといった行動こうどうせたのである。以上いじょうしゅとしてたねない社会しゃかいについててきたが,系統けいとうてききんえんことなるたね社会しゃかいあいだにはすみわけの現象げんしょうられ,また,生活せいかつ様式ようしきおなじくする異種いしゅあいだこんぐんmixed groupを形成けいせいするといった現象げんしょうも,森林しんりんせいのオナガザルるいや,あき冬季とうきのカラるいなどにみとめられている。異種いしゅあいだ社会しゃかい関係かんけいなか特異とくいなものとしては,共生きょうせい寄生きせいをあげることができ,また捕食ほしょくしゃ捕食ほしょくしゃ関係かんけいには食物しょくもつ連鎖れんさというかたちでとらえうる生態せいたいがくてき秩序ちつじょけいもある。
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日本にっぽんだい百科全書ひゃっかぜんしょ(ニッポニカ)社会しゃかい」の意味いみ・わかりやすい解説かいせつ

社会しゃかい(society)
しゃかい
society 英語えいご
Gesellschaft ドイツ

社会しゃかいということばは訳語やくごであって、原語げんご結合けつごう交際こうさいい、仲間なかま社交しゃこうなどの意味いみをもち、共同きょうどう集会しゅうかいにおけるしょ個人こじん相互そうごあいだ交流こうりゅう(コミュニケーション)という集合しゅうごう行為こういしめすことばである。そして、この集合しゅうごう行為こういいちぐん人々ひとびとあいだかえされ、安定あんてい固定こていしていくと、社交しゃこうかいとか上流じょうりゅう社会しゃかいそのほか地域ちいき職域しょくいきにおける人々ひとびと間柄あいだがら社会しゃかい関係かんけいまたは集団しゅうだん形成けいせいすることになる。したがって、社会しゃかいというヨーロッパ起源きげんのことばは、一群いちぐん人々ひとびとがある共通きょうつう目的もくてきのためにたがいに自由じゆう主体しゅたいとして対等たいとう立場たちばあいかいし、共同きょうどう行為こうい参加さんかする(団結だんけつ結社けっしゃ)という事態じたい意味いみしていた。これとほぼ似通にかよった「社会しゃかい」の用例ようれいは、中国ちゅうごくふる文献ぶんけんにもており、「さとみんため社会しゃかい ため立科たてしなじょう」という表現ひょうげんが『きんおもえろく』(1176)にみられる。この場合ばあいには、社会しゃかいとは、土地とちかみまつ(まつ)るために地域ちいき共通きょうつう祭祀さいし(さいし)の集合しゅうごうした人々ひとびと、ひいては地域ちいき集団しゅうだんをさすものであったが、一定いってい土地とちとそこに人々ひとびととのじょうてき社会しゃかいてき結合けつごう強調きょうちょうされたため、地域ちいきてき閉鎖へいさせいえるにはいたらなかった。

 この地域ちいきてき狭隘きょうあい(きょうあい)さをえて人々ひとびと一定いってい目的もくてきのために対等たいとう立場たちば交流こうりゅうするという事態じたい成立せいりつするのは、せま共同きょうどうたいてきしょ関係かんけい解体かいたいし、人類じんるいだい規模きぼひろがる市民しみん社会しゃかい形成けいせいされて以後いごのことである。それゆえ、明治維新めいじいしん以後いご社会しゃかい(ソサエティ)という原語げんごがわがくに導入どうにゅうされたときも、市民しみん社会しゃかい確立かくりつしていなかったためもあって、国民こくみん感情かんじょうになじまず、仲間なかま社交しゃこう交際こうさい会社かいしゃ社中しゃちゅう世態せたいなどのかたりがあてられていた。1875ねん明治めいじ8)に福地ふくち源一郎げんいちろうさくら(おうち))によって社会しゃかいというかたりはじめてもちいられはしたものの、社会しゃかいというかたり訳語やくごとして定着ていちゃくするにはかなりの時間じかんようし、絶対ぜったい主義しゅぎ体制たいせいのもとでは日本にっぽん国情こくじょうにそぐわないもの、ときには外来がいらい危険きけん思想しそう連想れんそうさせるものとして冷遇れいぐうされた。

 それはともかく、社会しゃかいがく用語ようごとしての社会しゃかいには、つぎのようないろいろの意味いみがある。(1)人間にんげん結合けつごう関係かんけい生活せいかつ共同きょうどう一般いっぱんといった抽象ちゅうしょうてき意味いみ、(2)まわりの家族かぞく地域ちいき職場しょくば集団しゅうだんなどの具体ぐたいてき集団しゅうだん、(3)日本にっぽん社会しゃかいなどというように、それらを包括ほうかつした全体ぜんたい社会しゃかい国民こくみん社会しゃかい)、(4)歴史れきしてきには封建ほうけん社会しゃかいとか資本しほん主義しゅぎ社会しゃかいというように一定いってい発展はってん段階だんかいにある社会しゃかい体制たいせいまたは社会しゃかい構成こうせいたい、(5)理念りねんてきには近代きんだい以後いご市民しみんそうによってになわれ、国家こっかというせま地域ちいきてき限界げんかいえ、これに対立たいりつして展開てんかいする、人類じんるいだいひろがりをもった市民しみん社会しゃかい、などである。

はましま ろう

社会しゃかい概念がいねん発見はっけん発展はってん

普遍ふへんてき人間にんげん結合けつごう盟約めいやく関係かんけい団結だんけつ結社けっしゃ)という意味いみでの社会しゃかい、とくにその人類じんるいだいひろがりくした分業ぶんぎょう交通こうつう世界せかいとしての市民しみん社会しゃかいという概念がいねん発見はっけんは、いうまでもなく絶対ぜったい主義しゅぎてき国家こっか体制たいせいやその基底きていにあるおくれた共同きょうどうたいてきしょ関係かんけい解体かいたい以後いごのことにぞくする。近代きんだいてき意味いみでの社会しゃかい概念がいねんは、市民しみんそうによってになわれた一連いちれん政治せいじてき経済けいざいてき精神せいしんてき変革へんかく過程かていでしだいに鮮明せんめい姿すがたあらわすことになる。そのはしてきあらわれは、近代きんだい自然しぜんほう思想しそうにおける社会しゃかい概念がいねんであるが、そこでは自由じゆう自律じりつてきしょ個人こじんあいだ契約けいやく関係かんけい(したがって目的もくてきてき社会しゃかい結合けつごう)が想定そうていされていた。ホッブズ、ロック、ルソーらの見解けんかいはかならずしもおなじではないが、自由じゆう平等びょうどうしょ個人こじん自然しぜんけん発動はつどうによるほしいままな幸福こうふく追求ついきゅうが「まんにんまんにんたいするたたかい」をもたらすという矛盾むじゅん克服こくふく解決かいけつするために社会しゃかい契約けいやくむすび、この合意ごういもとづいて公権力こうけんりょく(ひいては規則きそく)への自発じはつてき服従ふくじゅうと、より自由じゆうしょ個人こじん連合体れんごうたい形成けいせいざす、という発想はっそうてんでは、ある程度ていど共通きょうつうするものをもつ。

 自然しぜんほう思想しそうまたは社会しゃかい契約けいやくせつにみられる人間にんげん相互そうご自由じゆう契約けいやく関係かんけいは、市民しみん社会しゃかい理念りねんはらぞうであったが、そこには、人間にんげん社会しゃかいとのあいだの、したがって個人こじん福祉ふくし追求ついきゅう欲求よっきゅう充足じゅうそく)と社会しゃかい秩序ちつじょ維持いじとのあいだ対立たいりつ依存いぞんという逆説ぎゃくせつてき問題もんだい提起ていきされており、そのてんでそれは社会しゃかい発見はっけんとよばれるにふさわしいものであった。この個人こじん社会しゃかい私的してき利益りえき公共こうきょう福祉ふくしとのあいだ対立たいりつは、イギリスの経験けいけんてき社会しゃかいろん功利こうり主義しゅぎしゃたちによって表向おもてむきは解決かいけつされ、両者りょうしゃ調和ちょうわ両立りょうりつしうるものとみなされた。自由じゆう競争きょうそうにおけるフェアプレーかみの「えない」による私益しえき公益こうえき一致いっちないしは予定よてい調和ちょうわ(A・スミス)、「最大さいだい多数たすう最大さいだい幸福こうふく」(ベンサム)などといったかんがえがそれである。

 しかし、個人こじん社会しゃかい私益しえき公益こうえきとのあいだ予定よてい調和ちょうわをみる見解けんかいたいして、ドイツ観念論かんねんろん哲学てつがくにおいては、私的してき利益りえき中心ちゅうしん形成けいせいされる市民しみん社会しゃかい積極せっきょくめんよりも消極しょうきょくめん力点りきてんかれる。たとえばヘーゲルの場合ばあい市民しみん社会しゃかいとは利己りこてきしょ個人こじんむらがる欲望よくぼう体系たいけいにほかならず、しょ個人こじんはただその欲望よくぼう私的してき利益りえき)の追求ついきゅう過程かていたがいに必要ひつようとし社会しゃかいかたちづくるにすぎないものとみた。かれにとって、市民しみん社会しゃかいはいわば人倫じんりん欠如けつじょたいであり、人倫じんりん完成かんせいたいとしての国家こっかによって克服こくふくされるべきものなのであった。社会しゃかい市民しみん社会しゃかい)にたいする国家こっか優位ゆうい主張しゅちょうし、国家こっかによって社会しゃかい矛盾むじゅん解消かいしょうしようとする立場たちばは、自律じりつてき人間にんげん市民しみん)の自由じゆう活動かつどう抑圧よくあつして、国家こっか社会しゃかいという全体ぜんたい秩序ちつじょのもとに有機ゆうきてき編入へんにゅうし、統合とうごうしようとする方向ほうこうしめすものでもあった。

 このような、社会しゃかいかんにおけるふたつの見解けんかい対立たいりつは、同時どうじイデオロギーうえ対立たいりつともなう。自然しぜん法理ほうりろん社会しゃかい契約けいやくせつ自由じゆう主義しゅぎまたは個人こじん主義しゅぎ立脚りっきゃくし、ドイツ観念論かんねんろん哲学てつがく(ヘーゲル)のながれをくむ社会しゃかいかんは、どちらかといえば全体ぜんたい主義しゅぎにつながるかんがかたであった。前者ぜんしゃ立場たちばは、社会しゃかいしょ個人こじん活動かつどうとしたかげにすぎないとする社会しゃかい名目めいもくろん立場たちばつうじ、後者こうしゃ立場たちばは、社会しゃかいして、個人こじんえ、その外部がいぶ存在そんざいする全体ぜんたいとみ、個人こじん全体ぜんたい一部分いちぶぶんとしてのみ意味いみをもつとする社会しゃかい実在じつざいろん立場たちばつうじあう。

はましま ろう

社会しゃかいがくにおける社会しゃかい概念がいねん

この社会しゃかい名目めいもくろん社会しゃかい実在じつざいろんとの対立たいりつは、個人こじん部分ぶぶん)がさき社会しゃかい全体ぜんたい)がさきかという見解けんかい対立たいりつにほかならないが、社会しゃかいがく歴史れきし通観つうかんするとき、個人こじん社会しゃかいとの関係かんけい把握はあくをめぐってこのたね対立たいりつ社会しゃかいがくにおける社会しゃかいのとらえかたいろどってきたといえるほどである。それというのも、個人こじん社会しゃかいとの関係かんけいをどうかんがえるかということが、社会しゃかいがく根本こんぽん問題もんだいをなしているからであろう。初期しょき社会しゃかいがく(コント、スペンサーらに代表だいひょうされる総合そうごう社会しゃかいがく)は、社会しゃかい生物せいぶつ有機ゆうきたいになぞらえ、それ自身じしん独自どくじ生命せいめいをもったきた全体ぜんたい、それを構成こうせいするかく部分ぶぶんかく要素ようそ分解ぶんかい還元かんげんすることができない実体じったいであるとした。つまり、個人こじん離合りごう集散しゅうさんえて存続そんぞくし、成員せいいん変転へんてん消滅しょうめつにもかかわらずながらえるちょう個人こじんてき実体じったいとして社会しゃかいをとらえる立場たちばであるが、これは普通ふつう社会しゃかいゆう機体きたいせつとよばれる。この社会しゃかいゆう機体きたいせつてき発想はっそうはのちにデュルケームにがれ、個人こじん外部がいぶにあってこれに対立たいりつし、拘束こうそくりょくおよぼす「行為こういの、思惟しい(しい)の、感得かんとく様式ようしき」または集合しゅうごう表象ひょうしょうこそは社会しゃかい本質ほんしつをなすものとされた(ただしかれ場合ばあい個人こじん活動かつどう分化ぶんか個性こせい社会しゃかい活動かつどう活発かっぱつ統合とうごう同時どうじ併行へいこうてき相互そうご補完ほかんてきおこなわれる事実じじつ注目ちゅうもくしているのではあるが)。

 デュルケームのつよ影響えいきょうけたラドクリフ・ブラウンは、社会しゃかいがなんらかのまとまりをもつのはそれを構成こうせいするしょ要素ようそ有機ゆうきてき機能きのうてき関連かんれんにたって全体ぜんたい均衡きんこう統一とういつせい維持いじするからであるとして、機能きのうてき社会しゃかいかん提示ていじした。この機能きのう主義しゅぎ立場たちばはパーソンズにがれ、構造こうぞう機能きのう主義しゅぎあるいは社会しゃかいシステムろん展開てんかいをみることになる。かれ社会しゃかい構造こうぞう中核ちゅうかく価値かちおよびその外在がいざいとしての規範きはん制度せいどみとめ、個人こじん外部がいぶから拘束こうそくりょくおよぼす共通きょうつう価値かち規準きじゅん標準ひょうじゅんてき行為こうい様式ようしきがコミュニケーションや社会しゃかい過程かていつうじて個人こじんのうちに内面ないめんされ、個人こじん規範きはんてき要求ようきゅう社会しゃかいてき期待きたい沿って同調どうちょう行動こうどうるように水路すいろづけられるものとみた。このように、パーソンズにおける人間にんげんは、共通きょうつう価値かち規範きはん制度せいど規定きていされて社会しゃかいのなかに統合とうごうされる社会しゃかいされた人間にんげんなのであり、この立場たちば個人こじんよりも社会しゃかい価値かち規範きはん制度せいど)にウェイトを規範きはんパラダイムとよばれている。

 以上いじょうのような、社会しゃかい個人こじん優先ゆうせんさせ、それをなにほどか実体じったいする見地けんち社会しゃかい実在じつざいろんまたはそれにちか立場たちば)にたいし、社会しゃかい形成けいせい変革へんかくする主体しゅたいとしての個人こじん着目ちゃくもくし、個人こじん社会しゃかい優先ゆうせんさせて、社会しゃかい個人こじん活動かつどう所産しょさんにすぎないとする見地けんち社会しゃかい名目めいもくろんまたはそれにちか立場たちば)が他方たほうきょく存在そんざいし、つねに前者ぜんしゃ対立たいりつしてきた。まえにあげた自然しぜん法理ほうりろん社会しゃかい契約けいやくせつは、きゅう制度せいどからの人間にんげん解放かいほうざすブルジョアジーのイデオロギーであったが、総合そうごう社会しゃかいがく社会しゃかいゆう機体きたいせつたいしては、形式けいしき社会しゃかいがく社会しゃかいかん人間にんげんかん社会しゃかい名目めいもくろん立場たちばからする批判ひはん代表だいひょうするものであった。それによると、社会しゃかい個人こじんえ、個人こじん外部がいぶにある完結かんけつした実体じったいではなく、人々ひとびとあいだしんてき相互そうご作用さようもとづいて成立せいりつする動的どうてき相対そうたいてき統一とういつであるにすぎない。行為こうい主体しゅたいとしての人間にんげん相互そうごはたらきかけ、行為こうい交換こうかんするところに社会しゃかい成立せいりつする。人間にんげん社会しゃかいによって形成けいせいされながら、ぎゃく社会しゃかいはたらきかけ社会しゃかい形成けいせいしていく、とみるわけである。個人こじん社会しゃかいをともに完結かんけつした実体じったいとみなさないてんで、これは原子げんしてき個人こじんだけを実体じったいして、これを究極きゅうきょく実在じつざいとみなし、社会しゃかいたんなる虚構きょこうにすぎないとする社会しゃかい名目めいもくろんとは若干じゃっかんことなるが、どちらかといえば個人こじん優先ゆうせんかんがかたである。

 これと関連かんれんして、フッサールの現象げんしょうがくてき方法ほうほうによって形式けいしき社会しゃかいがく批判ひはんしたシェラー、リットらは、個人こじん社会しゃかい不可分ふかぶん浸透しんとうしており、社会しゃかい個人こじんのなかに、個人こじん社会しゃかいのなかに表現ひょうげんされるとして、「視界しかい相互そうごせい」を社会しゃかい本質ほんしつかんがえた。また、パーソンズの提起ていきした規範きはんパラダイムにたいしては、人間にんげん社会しゃかいせい同時どうじ主体性しゅたいせい強調きょうちょうするクーリーやG・H・ミードのながれをくむシンボリック相互そうご作用さようろんやエスノメソドロジーなどのいわゆる現象げんしょうがくてき社会しゃかいがく解釈かいしゃくパラダイムが対立たいりつする。この解釈かいしゃくパラダイムによれば、人間にんげん社会しゃかいたんなる所産しょさんでもロボットでもなく、自己じこ意識いしきをもった存在そんざいであり、他者たしゃふく状況じょうきょうたいしつねに意味いみ付与ふよし、解釈かいしゃくし、それをさい構成こうせいしつつ主体しゅたいてき行為こういする。この解釈かいしゃく過程かていつうじて、人間にんげんはじめて主体性しゅたいせい獲得かくとくし、他者たしゃ積極せっきょくてきにかかわり、社会しゃかい形成けいせいする、というわけである。いずれにせよ、人間にんげん孤立こりつてき個人こじんでも抽象ちゅうしょうてき個体こたいでもなく、つねに関係かんけいせいにおける存在そんざいであり、相互そうご授受じゅじゅという互酬せいreciprocityの原則げんそくのもとで行動こうどうし、社会しゃかい形成けいせいする。そこに人間にんげん社会しゃかいせい主体性しゅたいせい相即そうそくがあり、また個人こじん社会しゃかい相即そうそく関係かんけいがある。社会しゃかいとはそのような視界しかい相互そうごせいとしてかんがえることができる。そのような社会しゃかい一定いってい構造こうぞうをもち、一定いってい方向ほうこうへと変動へんどうする。

はましま ろう

『F・テンニエスちょすぎはら寿一ひさいちやく『ゲマインシャフトとゲゼルシャフト』ぜん2さつ岩波いわなみ文庫ぶんこ)』『G・ジンメルちょおもね閉吉おとこやく社会しゃかいがく根本こんぽん問題もんだい』(社会しゃかい思想しそうしゃ現代げんだい教養きょうよう文庫ぶんこ)』『T・パーソンズちょ佐藤さとうつとむやく現代げんだい社会しゃかいがく大系たいけい14 社会しゃかい体系たいけいろん』(1974・青木あおき書店しょてん)』


社会しゃかい生物せいぶつがく
しゃかい

生物せいぶつがくでは同種どうしゅ生物せいぶつ個体こたいおよびその相互そうご関係かんけいのすべてをふくんだまとまりのことをいう。その空間くうかんてきひろがりについては、個体こたいどうしが相互そうご関係かんけいしあう特定とくてい場所ばしょについていうこともあるし、たね分布ぶんぷいきのすべてをさすこともある。後者こうしゃ場合ばあいには、とくにたね社会しゃかい(スペシアspecia)といわれることもある。いかなる生物せいぶつ個体こたいも、同種どうしゅ個体こたい特有とくゆう関係かんけいをなして生活せいかつすることから、すべての生物せいぶつしゅみとめることが普通ふつうである。ただし動物どうぶつではしゅによって個体こたい組織そしきされる程度ていどちがうことから、とくに個体こたいあいだ誘引ゆういんもとづく集団しゅうだんや、個体こたいどうしがたがいに協力きょうりょくしあう集団しゅうだんだけを社会しゃかいてき集団しゅうだんとみなすかんがかたもある。また、すべての生物せいぶつたね生物せいぶつとかかわりって生活せいかつしていることから、たね生物せいぶつをもふくめて「生物せいぶつ社会しゃかい」という用語ようご使つかうこともある。とくに植物しょくぶつ社会しゃかいがくでは、すべての植物しょくぶつたがいにかぎられた資源しげんったり競争きょうそうしたりして共存きょうぞんしているとかんがえ、ある環境かんきょう相互そうご関連かんれんしあって存続そんぞくする生物せいぶつ集団しゅうだんを「生物せいぶつ社会しゃかい」もしくは「生物せいぶつ共同きょうどうたい」として規定きていしている。

 社会しゃかいには、それぞれ独自どくじ空間くうかん構造こうぞうぶし周期しゅうきがある。動物どうぶつでみられる縄張なわばり(テリトリー)やれ、植物しょくぶつでみられる群落ぐんらくなどは、ふるくからられた空間くうかん構造こうぞうれいである。また、社会しゃかいのありかたは、ぶしちがいによって一定いってい変化へんかのパターンをしめすことが普通ふつうであり、とくに繁殖はんしょくには集団しゅうだん構成こうせい相互そうご関係かんけいおおきな変化へんかがみられる場合ばあいがある。個体こたいあいだ関係かんけいには、ひかり養分ようぶん空間くうかん食物しょくもつなどをかたちのもの、愛撫あいぶ(あいぶ)したり攻撃こうげきしたりするような行動こうどうかいしたもの、さらにはサルが順位じゅんいたか個体こたい心理しんりてき圧迫あっぱくかんじるような心理しんりてきなものなどがある。社会しゃかい構成こうせいする個体こたいは、たがいに協力きょうりょくしたり共同きょうどう生活せいかつすることもある反面はんめん、よく生活せいかつ要求ようきゅうをもつことから敵対てきたいしたり競争きょうそうすることもおおい。社会しゃかいは、ときに個体こたい集団しゅうだん対立たいりつ環境かんきょう変動へんどうによっておおきく変化へんかしたり崩壊ほうかいすることもあるが、普通ふつう安定あんていてきである。

片野かたの おさむ

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百科ひゃっか事典じてんマイペディア社会しゃかい」の意味いみ・わかりやすい解説かいせつ

社会しゃかい【しゃかい】

複数ふくすうひとびとが持続じぞくてきひとつの共同きょうどう空間くうかんあつまっている状態じょうたい,またはそのあつまっているひとびと自身じしん,ないしかれらのあいだのむすびつきを社会しゃかいという。日本語にほんごの〈社会しゃかい〉というかたりは,1875ねんに,《東京日日新聞とうきょうにちにちしんぶん》の福地桜痴ふくちおうちによって,英語えいごのsocietyの訳語やくごとしてつくられたとされる。に〈世態せたい〉〈会社かいしゃ〉〈仲間なかま〉〈交際こうさい〉などの訳語やくごおこなわれていたが,しだいに淘汰とうたされて〈社会しゃかい〉になった。社会しゃかい対応たいおうする概念がいねんがそれ以前いぜん日本にっぽんには存在そんざいしていなかったといえるが,江戸えど時代じだいには,〈世間せけん〉というかたりがあって〈ひと〉〈なか〉といった意味いみをあらわしていた。中国ちゅうごくかんしては,そうだい儒学じゅがくしゃほど伊川いがわ(1033‐1107)の遺著いちょほど全書ぜんしょ》に〈さとみんため社会しゃかい〉とあるのが引用いんようされる。中国ちゅうごくふる語義ごぎでは,〈しゃ〉は土地とちかみまつったところという意味いみで,上記じょうき用例ようれいではこれにひとびとのたかりという意味いみの〈かい〉をつけて,〈村人むらびとたちが土地とちかみまつったところにあつまる〉といっているのであるから,これは現代げんだい意味いみでの社会しゃかいとはべつである。現代げんだい中国ちゅうごくもちいる〈社会しゃかい〉は,日本語にほんごからのぎゃく輸入ゆにゅうによるものである。英語えいごのソサイエティはフランス語ふらんすごのソシエテが16世紀せいき導入どうにゅうされて変化へんかしたもので,フランス語ふらんすご語源ごげんラテン語らてんごのsocietasである。これは仲間なかま共同きょうどう連合れんごう同盟どうめいといった意味いみをあらわす。ドイツのGesellschaftの語幹ごかんGeselleは〈同一どういつしつにいる仲間なかまたち〉を語源ごげんとするもので,この空間くうかんてき表象ひょうしょう中世ちゅうせい後期こうき社会しゃかい意味いみするものにてんじて,〈社会しゃかい〉の概念がいねんができたといわれる。明治めいじ初年しょねん日本にっぽん知識ちしきじんたちが,これらの西洋せいようを〈仲間なかま〉とか〈交際こうさい〉などとやくしたのは語義ごぎとしてたっていたということができる。しかし西洋せいようのこれらの概念がいねんは,いずれも近代きんだい初頭しょとう,すなわち17〜18世紀せいきにおいて社会しゃかい科学かがく母体ぼたいをなしたイギリスおよびフランスの啓蒙けいもう思潮しちょうと,その系譜けいふくイギリスの道徳どうとく哲学てつがくおよび古典こてん経済けいざいがく,フランスの理性りせい主義しゅぎてき進歩しんぽ史観しかんおよび実証じっしょう哲学てつがく,ドイツの観念論かんねんろん哲学てつがくなどのしょ思想しそうなかで,〈市民しみん社会しゃかいcivil society〉という,抽象ちゅうしょうされた概念がいねんへとたかめられ,近代きんだい思想しそう中核ちゅうかく形成けいせいするにいたる。この抽象ちゅうしょうされた中核ちゅうかく概念がいねんをあらわすのに,日常にちじょうせいなかでの具体ぐたいてきイメージをになった〈仲間なかま〉とか〈交際こうさい〉あるいは〈世間せけん〉ではふさわしくなく,〈社会しゃかい〉というかたりは,江戸えど時代じだいまでの日本にっぽんになかったあたらしい造語ぞうごであること,またその抽象ちゅうしょうされた語感ごかんともあいまって,西洋せいよう近代きんだい中核ちゅうかく思想しそうをよく日本語にほんごなかうつ効力こうりょく発揮はっきしたといえる。

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ブリタニカ国際こくさいだい百科ひゃっか事典じてん しょう項目こうもく事典じてん社会しゃかい」の意味いみ・わかりやすい解説かいせつ

社会しゃかい
しゃかい
society; Gesellschaft

この言葉ことばは,日常にちじょうてきにも学問がくもんてきにも多義たぎてきである。西欧せいおう訳語やくごとしては 1875ねんごろ福地ふくち源一郎げんいちろう (さくら) によってはじめて採用さいようされたといわれる。ただし,社会しゃかいとは中国ちゅうごく古典こてんでは田舎いなかまつりのことである。西欧せいおう語源ごげんとしては元来がんらい結合けつごうする」という意味いみをもち,人間にんげん結合けつごうとしての「共同きょうどうたい」を意味いみした。古代こだいでは,「人間にんげん社会しゃかいてき (ポリスてき) 動物どうぶつである」というアリストテレスの規定きていにみられるように,社会しゃかい観念かんねん思考しこう感情かんじょう共有きょうゆうし,生活せいかつをともにする個別こべつてき集団しゅうだんをさした (これは 19世紀せいき後半こうはんの F.テンニェスの「ゲマインシャフトからゲゼルシャフトへ」せつ,さらに M.ウェーバーせつなどに直接的ちょくせつてき影響えいきょうあたえている) 。社会しゃかい共同きょうどうたい集団しゅうだんという意味いみはな抽象ちゅうしょうてき意味いみをもったのは,共同きょうどうたい崩壊ほうかい個人こじん自立じりつしてきた近代きんだいになってからである。ここではじめて「個人こじん社会しゃかい」の問題もんだい対立たいりつてきかんがえられた。すなわち社会しゃかい契約けいやくせつ自発じはつてき結社けっしゃ (アソシエーション ) を社会しゃかい基礎きそとする見方みかたであり,このような自覚じかくもとづくものが「市民しみん社会しゃかい」である。またヘーゲルは共同きょうどうたい基礎きそ形成けいせいされた国家こっか社会しゃかいとするが,これはマルクス主義まるくすしゅぎにも影響えいきょうあたえている。これら社会しゃかいしょ現象げんしょうしょ理論りろん社会しゃかいがく自立じりつさせ,市民しみん社会しゃかいせつ階級かいきゅう社会しゃかいせつ展開てんかいされた。現代げんだいはいわゆる「大衆たいしゅう社会しゃかい」 mass societyの現出げんしゅつにより,個人こじん社会しゃかい対立たいりつという旧来きゅうらい社会しゃかい理論りろん反省はんせいうながし,社会しゃかい全体ぜんたい主要しゅよう性格せいかく問題もんだいとなり,たとえばその知的ちてき水準すいじゅん向上こうじょうするとともに,「情報じょうほう社会しゃかい」「知識ちしき社会しゃかい」とか,技術ぎじゅつてき制度せいどすすむにつれ「管理かんり社会しゃかい」などというように,いろいろの観点かんてんから社会しゃかいがく対象たいしょうとなっている。

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普及ふきゅうばん どおり社会しゃかい」のみ・字形じけい画数かくすう意味いみ

社会しゃかい】しやかい(くわい)

社日しゃにちむらあつまり。〔東京とうきょうゆめはなろくはちあきしゃあき、~がく先生せんせいあずか(あらかじ)めなまぜにを斂(をさ)めてかいつくる。~はるじゅううま(ちようご)(がつにち端午たんごじゅうきゅうきゅうがつきゅうにち重陽ちょうよう)、またれ此(かく)のごとくす。

どおりしゃ」の項目こうもく

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世界せかいだい百科ひゃっか事典じてん旧版きゅうばんうち社会しゃかい言及げんきゅう

学会がっかい】より

学問がくもん分野ぶんやによって学会がっかい性格せいかくことなるのは当然とうぜんであるが,個々ここ学会がっかいは,その設立せつりつ経緯けいい規模きぼ組織そしき形態けいたい機能きのうなど千差万別せんさばんべつである。たとえば,英語えいご学会がっかいあらわすのにacademy,society,association,instituteなどおおくのかたりもちいられることも,学会がっかい多様たようせい反映はんえいとみることができる。しかし,一応いちおう目安めやすとして学会がっかい具備ぐびすべき基準きじゅん条件じょうけんとしてはつぎいつつがかんがえられる。…

【ギルド】より

一般いっぱんてきにはちゅう近世きんせいヨーロッパにおける商工しょうこう業者ぎょうしゃ職種しょくしゅごとの仲間なかま団体だんたいをさすが,このような同職どうしょく仲間なかまてき団体だんたいは,ひろぜん近代きんだい日本にっぽん中国ちゅうごく,イスラム社会しゃかい,インドにもみられる。ドイツではギルドGilde,ツンフトZunft,インヌングInnung,フランス語ふらんすごではコンパニオナージュcompagnonnage,イタリアではアルテarteとよばれる。…

辞書じしょ】より

…その正宗まさむね敦夫あつお万葉集まんようしゅうそう索引さくいん》(1929‐31),吉沢よしざわ義則よしのり木之下きのした正雄まさお対校たいこう源氏物語げんじものがたり用語ようご索引さくいん》(1952),池田いけだ亀鑑きかん源氏物語げんじものがたり大成たいせい索引さくいんへん》(1953‐56)のほか,《古事記こじき》《日本書紀にほんしょき》《たけ物語ものがたり》《宇津うつたもつ物語ものがたり》《紫式部むらさきしきぶ日記にっき》《更級さらしな(さらしな)日記にっき》《栄華えいが物語ものがたり》《今昔こんじゃく物語ものがたりしゅう》《平家ひらか物語ものがたり》《徒然草つれづれぐさ(つれづれぐさ)》などの索引さくいん刊行かんこうされている。 類書るいしょには《古事ふるごとるいえん》(1889‐1914成立せいりつ),ものしゅう高見こうけんこう文庫ぶんこ》(1916)があり,ヨーロッパしき百科ひゃっか事典じてんには,田口たぐち卯吉うきちへん日本にっぽん社会しゃかい事彙じい》(1888‐90),三省堂さんせいどうへん日本にっぽん百科ひゃっかだい辞典じてん》(1908‐19),平凡社へいぼんしゃへんだい百科ひゃっか事典じてん》(1931‐35)などがあり,ほかに日本にっぽん文学ぶんがく国語こくご教育きょういく国史こくし仏教ぶっきょう民俗みんぞくがくなどの辞典じてん数多かずおおい。なお対訳たいやく辞書じしょではヘボンへんかず英語えいごりん集成しゅうせい》(1867)などがなかでもふるいものである。…

しゃ】より

さきしんには国家こっかたいしゃおうしゃのほかに,諸侯しょこうくにしゃほうしゃもあったが,かんだいにはほろび,わって行政ぎょうせい区画くかくけんさとさとにそれぞれしゃかれ,さとしゃしたには5いえ,10いえといったちいさなわたししゃもあった。こうしたごうむらしゃは,その社会しゃかい変動へんどうにかかわりなく,ながく存続そんぞくした。しゃ最大さいだい行事ぎょうじである春秋しゅんじゅうしゃのときには,村民そんみんはこぞってまつりの場所ばしょあつまり,祭祀さいしわると,一同いちどうはおがりのしゃめし酒肉しゅにく会食かいしょくして旧交きゅうこうをあたため,ときには余興よきょう歌舞かぶ演劇えんげきおこなわれた。…

社会しゃかい科学かがく】より

社会しゃかい科学かがくとは,自然しぜん対比たいひされた意味いみでの社会しゃかいについての科学かがくてき認識にんしき活動かつどう,およびその産物さんぶつとしての知識ちしき体系たいけいをいう。この定義ていぎ中枢ちゅうすうてき位置いちめているものは〈社会しゃかい〉というかたりおよび〈科学かがく〉というかたりふたつであるから,以下いかこれらについて注釈ちゅうしゃくくわえよう。…

まつり】より

集団しゅうだんによる儀礼ぎれい行動こうどうひとつ。本来ほんらい原始げんし古代こだい宗教しゅうきょう集団しゅうだん儀礼ぎれい総称そうしょうし,現代げんだいでは文化ぶんかてき一般いっぱんされて,祝賀しゅくがてき社会しゃかい行事ぎょうじ呼称こしょうするのによく使つかわれる言葉ことばとなっている。日本にっぽんまつりは伝統でんとう文化ぶんかとして重要じゅうようであり,神社じんじゃ神道しんとうではいまでもまつりを中心ちゅうしんにしているほどだが,世界せかい宗教しゅうきょう文化ぶんか史上しじょうにも注目ちゅうもくすべき社会しゃかい現象げんしょうである。…

※「社会しゃかい」について言及げんきゅうしている用語ようご解説かいせつ一部いちぶ掲載けいさいしています。

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