どこからが差別か、境界わけるのは 哲学者が見つめる「ルッキズム」
ルッキズムの向こうへ⑤ 哲学者・戸谷洋志さん
人の外見について思いや判断は、誰しも持ちうるもの。それは、どこから差別になってしまうのか――。他者からのまなざしに悩む人を見つめる「SNSの哲学」の著書がある哲学者・戸谷洋志さんに聞きました。
――人を外見重視で価値づける「ルッキズム」。ただ、外見についての思いや判断は誰しも持ちうるものです。それが差別となる線引きをどう考えますか。
たとえば、友達の髪形について「いいね」と言うのはいいけれど、髪形がイケていないから友達のコミュニティーに入れないとしたら、その人は外見で不当に排除されています。外見を理由に得られるはずの権利が得られないことはルッキズムに当たり、批判されるべきです。
ルッキズムという言葉は多義的です。
単に「誰かが美しい」と言っているだけなのか、それともその評価によって、美しい人にだけ権利をあたえて美しくない人から権利を奪っているのかということは、吟味する必要があります。「Lookism」(ルッキズム)の「ism」(イズム)は主義や立場と理解されていますが、判断が偏っていることを指すこともあります。外見を不公正に重視し、差別につながることが批判されるべきルッキズムだと思います。
外見で評価する側がもつものは
ただ、差別とは何かも、ややこしい問題です。
たとえば就職面接で、その場…
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