宝塚たからづかの「象徴しょうちょうてき存在そんざいとどろきゆう退団たいだんはつ個展こてん 舞台ぶたいへのおもいもかた

有料ゆうりょう記事きじ宝塚歌劇団たからづかかげきだん

きて 編集へんしゅう委員いいん後藤ごとう洋平ようへい
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 宝塚歌劇団たからづかかげきだんで1997ねんから2002ねんまでゆきぐみトップスターつとめ、せん異動いどうしたのちも21ねん退団たいだんまで数々かずかず作品さくひん主演しゅえんしたとどろきゆうさん。宝塚たからづか卒業そつぎょうはじめてとなる個展こてん10日とおか日本橋にほんばし高島屋たかしまや美術びじゅつ画廊がろうはじまった。「ポーリング」という技法ぎほう使つかった10まんえんだい~80まんえんだい作品さくひんやく60てん展示てんじ会期かいきは15にちまで。高島屋たかしまやによると初日しょにち開店かいてんまえやく130にんならび、ひるすぎまでにやく6わりれた。美術家びじゅつか横尾よこお忠則ただのりさんがせた「とどろきさんはつしん境地きょうちからまれた作品さくひんぐんあたまないで、あいしんかんって」などとする推薦すいせんぶん会場かいじょう掲示けいじされている。

 長期間ちょうきかんにわたって「宝塚たからづかかお」として君臨くんりんしたとどろきさん。「トップ・オブ・トップ」の称号しょうごうとともに、伝説でんせつのトップスター春日野かすがの八千代やちよさんの後継こうけいしゃともひょうするひとおおかっただけに、退団たいだんはファンをおどろかせた。今回こんかい個展こてん開催かいさいにあたり朝日新聞あさひしんぶんのインタビューにおうじたとどろきさんは、今後こんご美術家びじゅつかとしてあゆむという決意けつい表明ひょうめいした。さらに、「もう舞台ぶたいにはたない」という理由りゆうや、宝塚たからづかでの経験けいけんいま自分じぶんにどうきているのかなどについて、じっくりとかたった。

 ――えがはじめたのはいつから?

 小学校しょうがっこうはいまえか、はいったあたりからえがつづけているんです。えがくことはちいさいときからとてもきで。宝塚たからづか時代じだい舞台ぶたい合間あいまにも油彩ゆさい個展こてんを6かいしていました。

 ――個展こてんひらこうとおもった理由りゆうは?

 きですから。いまかえると、わたしおさないときからきれいなものがきでした。宝塚歌劇たからづかかげきったときも「なんてうつくしい世界せかいがあるんだろう」とびっくりした。当初とうしょ男役おとこやくさんは実際じっさいおとこひとだとおもっていたのですが。

 ただ、宝塚たからづか出会であって以降いこうも、幼少ようしょうからやっていたつづけていたというのはわたしにとって自然しぜんでした。そして、舞台ぶたいりてからもえがくことは自然しぜんつづけています。

 舞台ぶたいっていたときも、作品さくひん自分じぶん役柄やくがらたいして「なにしょくえんじようか」という、いろ意識いしき自分じぶんあたまなかっていたのです。それは細分さいぶんされていて、たとえば「情熱じょうねつあか」といってもあかにいろいろあるように、「ここでは深紅しんくのなかの深紅しんくだ」といったようなイメージです。これからはキャンバスのうえ表現ひょうげんしゃとして、そうしたいろ意識いしきしたいです。

「もう、舞台ぶたいにはたない?」の質問しつもんこたえは……

 ――アクリル流動りゅうどうせい

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後藤ごとう洋平ようへい
編集へんしゅう委員いいん|ファッション・メディア・文化ぶんか担当たんとう
せんもん関心かんしん分野ぶんや
ファッション、メディア、文化ぶんか
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    後藤ごとう洋平ようへい
    朝日新聞あさひしんぶん編集へんしゅう委員いいん文化ぶんか、ファッション)
    2024ねん7がつ14にち1241ふん 投稿とうこう
    視点してん

    「もしよければ、後藤ごとうさんがインタビューしませんか?」。同僚どうりょう松沢まつざわ奈々子ななこ記者きしゃから、そうこえをかけられたのは取材しゅざい数日すうじつまえだった。昨年さくねんまで美術びじゅつ担当たんとうし、高島屋たかしまや広報こうほう担当たんとうしゃとも関係かんけいきずいている松沢まつざわ記者きしゃからおしえてもらって、とどろきさんが個展こてんひらくということを

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